3561 件掲載中 月間賞毎月10日発表
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

米津玄師が創り出した遊園地

子どもにも大人にも開かれた場所

米津玄師氏の曲を「パプリカ」しか知らないと言ったら、熱心なファンを不快にさせるかもしれないし、ご当人にも快くは思われないかもしれない。それでも僕は、自分が不勉強であることを白状した上で、この記事を書きはじめたいと思う。時代に乗りおくれた人間であり、「パプリカ」を届けてくれるユニット、Foorinのような「未来を担う子ども」の感性を理解することは、いくぶん難しくなった中年ではある。それでも「パプリカ」が、東京2020公認プログラムとして書かれた曲なのに(つまり底抜けの明るさを期待されたと推察できるのに)少しばかりの切なさを含んでいることに気づけはした。そういう自分を認めることはできた。

もちろん「パプリカ」は開放的な曲であり、その旋律に合わせて踊るFoorinの姿は微笑ましいものにも映る。僕が切なさを感じたのは<<あなたに会いたい>>と歌うFoorinの声が「健気にすぎる」からだ。それほどの切望を少年少女がいだいていること、どうしても会いたい人がいるということ。本曲を書いた米津氏は、子どもだって必ずしも気楽な日々を送ってはいないことを分かろうとしたのではないか。それがFoorinを伸びやかに躍らせ、歌声に哀愁のようなものを滲ませもしたのではないだろうか。

Foorinは<<喜びを数えたら あなたでいっぱい>>と歌う。それは僕に、子どものころに抱いていた、クラスメイトに対する友愛の情を思い出させてくれた。小学生の時、当時の親友が数日間、風邪で欠席したことがあった。「今日も休みかなあ」と悲しみに暮れていた僕に、元気になって登校してきた彼が「おはよう」と声をかけてくれたこと。その時に感じたような<<喜び>>を思い出した。いま僕は、何に喜びを感じているだろうか、むしろ不満を数えてしまっているのではないか。そう反省させられた。僕も<<花を抱えて>>大事な人を訪ねたい。米津氏は子どもを楽しませ、その切なさをも見逃さず、そして大人に重要なことを思い出させてくれるアーティストだ。

***

といった程度のことしか考えていなかった僕に「馬と鹿」を聴いてみるといいよと勧めてくれた知己がいる。僕は敢えて、彼女にイントロダクションのようなものを求めず、一切の先入観を持たずに、その曲を聴いてみることにした。僕は米津氏を「パプリカ」の作者としてしか知らない。彼が何歳なのか(恐らくは若い人なのだとは思う)どんなルーツを持つミュージシャンなのか、あえて教わらないまま「馬と鹿」を聴いた。そこから感じ取れたのは普遍性であり、同時に独自性でもあった。米津氏の書きつづる詞には、僕が長い間、愛聴してきた楽曲にも通じるような、ある意味では伝統文化を受け継ぐようなフレーズが含まれていた。

<<痛みは消えないままでいい>>

そう米津氏は歌う。そこから僕が連想したのは、Mr.Childrenが「Tomorrow never knows」に込めた<<癒える事ない傷みなら いっそ引き連れて>>という思いであり、東京事変が(作詞者の椎名林檎が)「21世紀宇宙の子」で発信した<<悲しみも携えて生きていこう>>という誓いである。もちろん米津氏は、前述の「先達」を真似したわけではないだろう。米津玄師と桜井和寿、そして椎名林檎が抱えている痛みや傷、悲しみといったものは、それぞれに違う形を持つもののはずである。それでも人それぞれが、消すことのできない心の傷に手を当てながら、どうにか生きていく様を、著名なアーティストが描き出してくれるのは有り難いことだ。その「著名なアーティスト」同士が、似た思いを共有しているのは嬉しいことだ。その輪に僕たちも招き入れてもらえるだろうか。

そのように米津氏は、恐らくは無意識のうちに先達への敬意を表しながら、彼自身にしか書きえない独創的な詞をつづりもする。

<<呼べよ 花の名前をただ一つだけ>>

その前に置かれているのは<<これが愛じゃなければなんと呼ぶのか>>というフレーズだから、恐らくは<<花>>が意味するものは「たったひとりの大事な人」なのだろうと思う。花畑は美しいものであり、百花繚乱という言葉があるように、沢山の花が日光に照らされるのを観ることで心は潤う。それでも自分が何を一番に願っているかを考えなおしてみると、それは<<ただ一つ>>の花が枯れずに咲きつづけることである。<<呼べよ>>と強い言葉を発する米津氏は、僕たちに大事なことを思い出せてくれるし、恐らくは自分自身の襟を正そうともしているのだろう。Foorinが抱える<<いっぱいの花>>は鮮やかだし、米津氏が呼ぼうとする<<ただ一つ>>の花も尊い。そういう二種類の「花の愛で方」は、決して矛盾しないと思う。僕は今後、大事な友人が患うようなことがあれば花束を買いたいし、同時に「1本の花」を風雨から守れるような生き方をできたらなとも思う。とても難しいことだとは思うけど。

***

「馬と鹿」の旋律に耳を傾けてみると、米津氏の美声が、ある種の苛立ちのようなものを含んでもいることが感じられる。誰かを大事に思う時、1本の花を守りぬきたいと思う時、人は幾分、苛立つものだと僕は思う。それは自分の非力さに対する苛立ちであり、この世界が必ずしも安全な場所ではないことに対する苛立ちでもある。米津氏が<<花>>という単語に込めた思いについて、僕の考えていることが的外れなものではないのだとしたら、米津氏は他人に優しく、自分に厳しいミュージシャンなのだろう。Foorinに優しい歌を預け、それを大衆に届けようとしてくれる米津氏は、自分自身を<<呼べよ>>と叱責する。それを二面性だと言うこともできるだろうけど、優しさと厳しさが表裏一体であることを改めて思ってみるのなら、彼は一貫性をもつアーティストだとも言えそうだ。

米津氏が創ってくれたのは遊園地だ。そこにはお化け屋敷やジェットコースターのような、スリルを感じさせるものがあり、メリーゴーラウンドのように心を和ませてくれるものもある。ゲートは万人に開かれている。僕に「馬と鹿」を教えてくれた人も、恐らくは痛みを抱えて生きているのだろうと思う。今後も彼女が、その遊園地を訪れることで、励ましや癒しを与えられることを願う。それは米津玄師に歌いつづけてほしいという願いでもある。

※《》内は米津玄師「パプリカ」「馬と鹿」、ミスターチルドレン「Tomorrow never knows」、東京事変「21世紀宇宙の子」の歌詞より引用

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい