2928 件掲載中 月間賞発表 毎月10日
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

さあ、King Gnuと共に「新時代のこの指とまれ」を始めよう。

この国でこの時代を生きることを「CEREMONY」で祝福できるのか。

 
 
全12曲
収録時間36分42秒
 

それがこのアルバムの全てだ。インスト曲3曲を含めたとしても36分42秒というのは、短い。しかし時代の潮流をヌーの川渡りのごとく大胆に横切るKing Gnuにとって「時間」という概念など必要ない。結成何周年、デビュー何周年という節目を祝うことが慣習化されているこの時代に真っ向から杭を打ち込む。どんなタイミングであろうと、自分たちが「祝おう」と思いさえすれば「祝典」は開催し得るのだ。彼らが求めるのは時間の長さや数字などではなく、圧倒的な密度であり濃度である。2020年の今、時代の潮流はどうなっているだろう。その幅は徐々に狭まり、その分流れる速度は加速し続けてはいないだろうか。物事は合理化され、反抗や抵抗は「無駄」とあしらわれる。体罰や反撃などもっての他、先に手を出した者は問答無用で社会という「壇上」から葬られるこの時代だ。そんな中《薄っぺらいピエロ》達は世界を都合良く操作するために臭いものには即座に蓋をし加速した潮流の中に放り投げ人々の記憶と共に流し去ろうとする。凄まじい速度で情報は流れ、道理や能率で定められたその「合理的」という枠からはみ出る者は即座にはじき出される。そしてこの世界における光と陰の濃淡は一層深まる。流れを生み出し上手く乗る者が光だとすれば、流れの側で指をくわえて立ち尽くすだけの陰となって良いのだろうか。流れに乗ることができないのなら、堂々と横切ればいい。物心ついた時から「ゆとり世代」と揶揄され育ってきた90年代生まれの若者達。はじめから「ゆとり世代」というラベルを貼られたまま出荷され、何か踏み外せば「これだからゆとり世代は」とすぐ蓋をされ、正しさとは何か諭され、昔は良い時代だったと説かれ、長いものには巻かれるよう指示され、自分の感情を押し殺して生きてきた。土曜日に学校に行っていないのがなんだ。教科書が薄かったのがなんだ。運動中に水分補給をしたのがなんだ。先生に平手打ちをされたことがないからなんだ。悔しいと思ったことはないか。唇を噛んで言葉を噛み殺したことはないか。生まれてきた時代を嘆いたことはないか。時代は流れ、確実に移り変わっている。この時代は、生まれてきた時代だけで愚かな人間だと判断し分別することが許されるような時代なのだろうか。時代で判断せず人間で判断してくれと届きもしないか細い声を張り上げ皆一人で叫んでいた。だが、一人では力なく届かないのなら、群れを成し1本の《愚かな杭》となって大地を震わせ命を揺らそうと叫んでくれた音楽があった。《正しさばかりに恐れ戦かないで》《歓声も罵声も 呑み込んで》《過ちを恐れないで》《清濁を併せ呑んで》さあ、この時代に飛び乗ることができるのは誰だ。全てを呑み込むことができるのは誰だ。縦に流れていくのではなく、流れと正面から対峙する《愚かな杭》となることができるのは誰だ。悔しさで滲んだ過去を祝い別れを告げ、新たな明日を担うことができるのは誰だ。このたった1枚の、36分42秒のアルバムが織り成すのは壮大なファンファーレ。10年後、20年後、2020年という時を回顧する時、このアルバムの存在だけが2020年という時代を証明してくれるだろう。ついに、あの時代に生まれ、この時代を生きていることに歓声をあげる時が来た。開幕だ。きっと、あの時代に生まれた我々にしか撃てない弾がある。これが我々から時代への一撃。「反撃」が今、始まる。
 

01. 開会式 

ざわめきの中、ついに姿を現わす王様。沸き立つ聴衆の前を悠然と横切り、豪華絢爛な装飾がなされた椅子の前に立つ。何かとんでもないことが始まるという大きな期待感の中に少しの未知なる不安が入り混じった絶妙な空気で空間が満ち溢れる。王様は片手をあげ掌を聴衆に向ける。聴衆の高揚感を極限まで煽ると掌を自分の方に返しグッと拳を握る。さあ、新時代のこの指とまれを始めよう。
 

02. どろん 映画「スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼」主題歌

聴く者が全員呼吸を止めてしまうような井口の深く鋭いブレスから始まる。映画のテーマに沿い「キツネとタヌキの化かし合い」をイメージして作られたこの曲はまるで表と裏を機敏に切り替え化かし合いを続けるように小気味よい2つのテンポを携え切り替えながら進んで行く。序盤はドラムのビートとベースの重低音が静かに力強く地を這い、徐々にホーンや歪んだギターが重なりサウンドが大きく膨らんでいく様は嘘に嘘を重ねその嘘が大きく膨らみ自分の手に負えなくなっていく様子を思わせる。社会の歯車の一つと化している私にとって、化かし合いをしているのは何もキツネとタヌキだけの話ではないように思える。誰もが本音と建前を使い分け、都合の良い嘘をつく。それはまるで嘘と嘘が噛み合って歯車が回っているのを見せられているかのようで、そこに真実を投じれば歯車は動きを止めてしまう。何が嘘で何が真実なのか、誰を信じ誰を疑えばいいのかすら見失いそうになる毎日だ。それでも《味方は何処にいるんだ?》と底なし沼で足掻き続ける白昼夢のような日々の中で大事に握りしめていたその「何か」に気づいた時、私達はこの世界を鋭く生き抜いていくことができるのかもしれない。そして私は気づいてしまった。ツインボーカルをなす2人について、「Daiki Tsuneta」の中には「KiTsune」が潜んでいて、井口の丸顔とタレ目と輪郭を覆う黒いヒゲはどこかタヌキに似ているということを。
 

03. Teenager Forever ソニー ワイヤレスヘッドホン/ウォークマン CMソング

「自分の人生は自分だけのもの、人生一度きりだから好きなことをして生きていこう」という、つまらない日常の中で忘却の彼方へと飛んで行ってしまっているマインドを引き寄せては本能に刻み付けてくる一曲。大人になるにつれ、どうしても衝動を封じ込め理性を身に着けることが求められる。しかしこの曲は「ティッティッティッティッ」というどこか薄気味悪くも不思議な力を秘めたコーラスで静かに心のドアを何度もノックしてくる。この曲が終わる頃、ドアの中に封じ込めたはずの衝動はもう飛び出しそうになっている。それを知っているかのように、とどめを刺すようにラストで襲い掛かってくる激情的な音の応酬。ギター、ベース、ドラムがそれぞれ歪みうねり尖って三位一体となって襲い掛かってくる。心のドアはこじあけられ、聴く者の衝動は完全に開放される。そして井口は楽器に負けず劣らず生まれたての赤子も驚き恐れおののくような衝動を爆発させた謎の動きを見せメガネを飛ばす。メガネが飛んだのが、あなたの心のドアが解放された合図なのかもしれない。
 

04. ユーモア 「ロマンシング サガ リ・ユニバース」CMソング

真夜中、寒空の下でタバコの煙をくゆらせる。その漆黒の夜空を背景に緩やかに立ち昇る煙を眺めている時だけはなぜかその場の強烈な寒さを忘れられる気がする。そんな、しんとした寒さの中を漂う煙のようなアンニュイな雰囲気をまとったようなこの曲。井口が「レコーディング当日の朝タクシーに乗り込みながら歌詞をもらった」というのも頷ける、当時の常田がどれだけ切羽詰まっていたのかがひしひしと伝わる歌詞の展開。当日にデモがあがりそこから即レコーディングに入ったと知りながらこの曲を聴くことで彼らの持つ爆発的な瞬発力を嫌という程思い知ることができる。しかし、タバコというのは不思議な存在だ。街中の喫煙所には、見知らぬ他人が一つどころに集まる。そこは不思議な空間だ。他人同士が小さな火を持ち寄り、煙をくゆらせる。火は不思議だ。他人同士であるはずなのに、火を介すだけで頑丈な心のドアはいとも簡単に隙間をあけ他愛もない会話が始まる。火と人間は、太古より切っても切り離せない関係だ。暖をとり灯りをともすだけの存在ではない。火を眺めているだけで、人間の本能は沸き立つのだ。戦国時代、戦の前に兵は火を焚き上げそれを眺めることで士気を高めたという。そして現代もなお、人々は人混みを物ともせずこぞって花火を観に出掛ける。花火を見た後の男女が盛り上がるというのは、どうもそういうことらしい。沈めていた本心が駆り立てられ、逆の展開になることもまた然りだが。人間は、今も昔もどうしても火を見て本能を沸き立たせたいのだ。今や時代の先導者として堂々と群れを率いる彼らも、王様の化けの皮を剥げばただの人間だ。そしてベース新井もコーラスとして参加しているこの曲。《暗くなったら火を灯そう 孤独を分け合えるよ》彼らも火を眺めながら4人で声とビートを混ぜ合わせつつ疲れ果てた肉体と精神を休め、また何かを静かに沸き立たせようとしていたのだろう。ちなみに、私は人生において一度もタバコを吸ったことがない。
 

05. 白日 日本テレビ系土曜ドラマ「イノセンス 冤罪弁護士」主題歌

アルバムの中の1曲として聴くことで、改めてこの曲が秘める力の大きさを実感する。どんな局面、どんな雰囲気の中であっても、この1曲はこの1曲として単独で成立し「白日」以外の名を持つことは決してない。おそらく居場所はここしか有り得なかった。他の曲が繋がったり混ざり合ったりする余地は決してないのだと思う。言うなれば、曲自体が誰も踏み込むことのできない結界を張っているかのようだ。それは主題歌となったドラマのタイトルとも似通っている。誰にも触れることのできない、誰にも踏み込むことができない領域のようなものを人間は誰しも隠し持っているのだと思う。人間は、まず自分と共通項を持つ対象に興味をひかれ関心を持つ。過去の出来事に対して後悔を抱えずに生きている人間などきっといない。常田が身を削りそのイノセントな「領域」をさらけ出してバラードとファンクを両立させたような静かに血が躍る唯一無二のビートに乗せたからこそ、この曲は同じようにそんな「領域」を隠し持つ多くの人々の心の奥に静かにビートを刻みながら侵入しじわりじわりと突き刺さったのであろう。2018年にヒットを飛ばした米津玄師「Lemon」と同じく、大いなる鎮魂歌要素を秘めた時代を代表する名曲としてこの曲が君臨したことを喜びたい。そして「Lemon」にせよ「白日」にせよこのような鎮魂歌要素を秘めた曲が刺さるということは、今この国に生きる人々は己の揺れ動く魂を鎮めてくれるような音楽を知らず知らずの内に望んでいるのかもしれない。情報過多で自分で自分の精神を保つことすら苦労しがちなこの時代だ。この曲で私達が掌を正面に向け揺らしながら鎮めているのは、きっと己の魂なのだろう。
 

06. 幕間 

沸き立つ聴衆を前に、それまでの興奮を一度全て消し去るかのように重たく真っ白な煙がどこからともなくのろりのろりと漂ってくる。目の前が全て白く染まった時、一筋の赤い光が我々を突き刺しにやって来るだろう。
 

07. 飛行艇 ANA「ひとには翼がある」篇 TVCMソング

全てが圧倒的で全てがメインディッシュのようなこのアルバムに「リードソング」があるのかどうかすら定かではないが、個人的にこのアルバムのリードソングは間違いなくこの曲だ。この曲はアリーナやドーム等、より大きな会場で鳴らすことを想定して作られた曲とのことで、彼らがこの曲を作り鳴らしていることこそが一種の決意表明であると感じるからだ。King Gnuは常田大希の数あるプロジェクトのひとつとして捉えられ「アルバムを5枚出したらKing Gnuは終わり」と本人は宣言した。今やそれは都市伝説と化したのか何なのか真偽は定かではなく、5枚という枚数もインディーズからカウントするのかメジャーデビュー後からカウントするのか曖昧だ。とにかく、アンダーグラウンドな存在として日本の地下を這いずり回っていたヌーの王様が群れを徐々に巨大化させ、地下5階から地下4階へ、そして地下3階へと地上に向けて1フロアずつ這い上がってきているというのは紛れもない事実である。「Tokyo Rendez-Vous」では「Vinyl」のように個対個で《気の済むまで暴れなよ》と促していたものが「Sympa」の「Slumberland」では《Wake up people in Tokyo Daydream》と個対首都をけしかけ、「CEREMONY」では「飛行艇」で《この時代に飛び乗って 今夜愚かな杭となって 過ちを恐れないで 命揺らせ 命揺らせ》と個対国で対峙しようとしている様が感じられ徐々に規模感が増していることには何の疑いもない。アルバムを5枚出す頃には一体何になっているのだろうか。彼らは何を目指しているのだろうか。「怪獣になりたい!」と夢見る4歳男児か何かなのだろうか。しかし、地上で小さく生まれ地上で巨大化していくよりも、地下に生まれ静かに巨大化していきある日突然巨大化した姿で地上に姿を現す方が圧倒的に恐ろしい。どうも、某新しい怪獣映画で突然地下から地面を突き破って巨大未確認生物が姿を現したシーンを重ねて想起してしまう。彼らの行く先を見据えて国は新国立競技場を優に超える巨大スタジアムを建築した方がいいのでは?と勧めたくもなる。ところで、新国立競技場と言えばオリンピックだ。オリンピックに際して主張したいことがある。この曲は、日本音楽界最強の瞬間湯沸かし器なのである。この曲を目の前で演奏された時、一般的な人間であればイントロのワンフレーズだけで全身の血が沸騰する。少し繊細な感性の持主であれば、イントロ前の勢喜遊の4カウントだけで全身の血が沸騰し卒倒する可能性すらある。あわよくば全人類の血を沸騰させることができるのではないか?と真剣に思ってしまうくらい、壮絶な可能性を秘めた曲なのだ。なので、2020年東京オリンピックにて日本の選手全員に競技前この曲を聴かせれば全員金メダルが獲れると思う。《一番きれいな色ってなんだろう? 一番ひかってるものってなんだろう?》とは言いつつも自国でのオリンピック開催となればより多くのメダルを獲ることは必須課題でありそのメダルの色はもちろん金色の方がいいというのは建前を全てかなぐり捨てた本音であろう。一流の指導者による指導、練習環境の整備、食事のサポート、あの手この手で準備がなされていると思うが全て必要ない。なぜならこの曲さえ聴けば全員金メダルが獲れるからだ。アルバムのアートワークの中心に浮かぶ金色の物体には「2020」と書いてあり、歌詞カードの裏表紙には「TOKYO」と書いてある。ここまでアピールしているのだから、早く日本政府がこの曲の存在に気づき選手全員に競技前この曲を聴くことを義務付ける法案を通してくれることを祈るほかはない。
 

08. 小さな惑星 Honda「VEZEL」CMソング

「あくび」と「くしゃみ」を連発しながらもなおここまでの果てしない疾走感と突き抜ける爽快感を誇る曲が今までに存在しただろうか。今のKing Gnuにかかればあくびやくしゃみという決して美しくはない生理現象さえここまで爽快に生まれ変わるという良い例である。《大きな欠伸くらい許してよ 酸素が足りずに今日も 産声をあげているんだ》というフレーズは以前某音楽番組で自身が大きなあくびをする姿がバッチリ画面に映り込みそれにより浴びた非難へのアンサーソングなのだろうか。「あくび」を「酸素が足りないから産声をあげているだけ」と形容してしまうその思考回路には度肝を抜かれるばかりだ。あくびというのは世間では緩み切ってやる気のない者が口から解き放つ証明書のように取り扱われているが、果たしてそうなのだろうか。言われてみれば、酸素が足りないから産声をあげ、新しく新鮮な自分に生まれ変わろうとしているポジティブな側面も見出すことができる。まさか、この人はこの国における「あくび」の概念すら覆そうとしているのではないか。なんとも底知れぬ野望を秘めた男である。ちなみにここからは壮絶に個人的なことなので誰も読まなくていいのだが、サビの後ろで静かにさりげなく鳴り響く「チャリーン」という音はETCゲートが近づいた際に私の車のETC車載器が「ETCカード を 確認 しました」と音声案内する時に流れる「チャリーン」という音と非常に似通っている。ある日車内でこの曲を爆音で再生していると、何の変哲も無い田舎道で突然「チャリーン」と音が鳴ったので「え!?なんでこんな何もない所でETC確認されるの・・・怖っ・・・えっ・・・何・・・警察??何の捜査??」と驚き慌てふためいた。人間の脳はここまで音を刷り込まれるのだなと実感した。そういえばこの曲は車の・・・さすがに何かの偶然だと思いたい。
 

09. Overflow 

アルバムが終盤になるにつれ、常田の人間としての素直な気持ちがストレートに滲み出てきている気がしてならない。歌詞を読み進めていくにつれ、この人は間違いなく人間でありながら一体どこまで人間というものに警戒心を抱いているのだろうと思わされる。夢や理想を確かに掲げながらも、自惚れたり浮ついたりせずただありのままの現実を見据える。夢や理想の美しさも、現実の醜さも、その両極を全て完璧なまでに見通すことができてしまうのだと思う。それが、常田が「鬼才」と呼ばれる所以なのではないかと思う。表があればその裏があることも分かってしまう。表だけ見ていれば幸せに浸ることができるかもしれないのに、どうしても裏を見てしまう。何も考えずバカになれたら楽なのに。そんな性分に苦しむ様子がこの曲から見てとれるような気がする。「overflow」というのは「溢れる」という意味合いである。物事の両極を捉え完璧なまでに俯瞰で見ることができる常田だからこそ、その心は常に溢れ返っているのだろう。《脳味噌オフ ⇒ 事故 ⇒ 向かう泥仕合》というライティングからも読み取れるように、彼はきっと常に脳味噌をフルスロットルで回転させ続けている。そしてオンかオフの両極端しかない、実は不器用な人間なのだろう。自宅のライフラインを止められたりすぐに財布を落としたりするのはきっと「常田(脳味噌オフver.)」の仕業である。「鬼才」が「鬼才」であるがゆえの、「鬼才」にしか分かり得ない心情の吐露。贅沢な悩みだと他人は言うのかもしれないが、称賛され続け完璧で居続けることは非難され出来損ないで居続けるのとは全く違うベクトルの苦悩を生み出すものなのだろう。《みっともないって呆れてくれよ 惨めだねって罵ってくれよ 見捨てずにまた遊んでくれよ 昔みたいに笑ってくれよ》というフレーズに全てが吐き出されているような気がしてならない。
 

10. 傘 ブルボン「アルフォート」CMソング

King Gnuの「ズルさ」が全面に出た究極のズルいラブソング。部屋で喧嘩でもしたのだろうか。女が感情的になり部屋を飛び出そうとしたその時、外は土砂降りだった。そんな時、男はどんな行動をとるだろう。女の行動を無視して声すらかけない頑固な男もいるだろう。「どこ行くんだよ!」と声を荒げ腕を掴み引き留めようとする感情的な男もいるだろう。「待ってくれ。俺が悪かった。」と即座に謝り始める冷静な男もいるだろう。しかし「傘も持たずにどこへ行くの?」と言う男はきっとこの世界に一人しかいない。双方の感情が渦巻く局面で、どこかへ飛び出していきたいくらい感情的になっている女の気持ちを汲み取り縛り付けることなく自由を許容しながらも、一瞬で外の天候を把握し、そのまま飛び出したら雨に濡れて風邪をひいてしまうという心配ができる男しか放つことのできないセリフだ。無視はしない、引き留めようとせず身体の自由を許容する、謝ったり咎めたりすることなく感情の自由を許容する、天候を即座に把握し相手にとって必要な持ち物を推奨する。驚異の四段階認証。この四段階認証をくぐり抜けられる男はきっとこの世界に一人しかいない。あまりにもズルすぎる。これ以上世の女性達の心を弄ぶのは遠慮していただきたいと拡声器で叫びたい。あまりにもズルすぎるのでこれ以上深く考察を重ねると命の危機に瀕する気がする。この先はそれぞれ各自の脳内で考えよう。その方がきっと賢明だ。これからは常田が突如発生させるズルさの土砂降りから身を守るために常に傘と念のためアルフォートを持ち歩こうと思う。
 

11. 壇上 

結局、このアルバムはこの曲が全てだ。そう言い切ってもいい。決して他を卑下するわけではない。ただこの曲が存在する次元が違うだけなのだ。今まで流れてきた圧倒的な曲は全て、この曲に至る為の前奏でしかなかったのだとすら思える。今この時の常田の心を丸ごとコピー機でスキャンしそのまま出力したかのような壮絶な独白。King Gnuを解散させることをイメージして作られ、アルバムに入れないという選択肢もあったようだがこのアルバムのこの位置に置こうと決めたその勇気ある決断に感謝と敬意を表したい。本来、このような身を切り刻むような独白は自ら進んで他人や世間に晒しあげたくはないはずだ。そういえば以前誰かが叫んでいた。《Rock’n’ roller sing only ‘bout love and life》。この曲を「愛と人生」と形容せずに何と形容することができるだろうか。プリズムのように、覗き込む角度によって多種多様な様相を見せるこの曲。誰に向けた独白なのか、その答えが一つになることは決してない。自分なのか、家族なのか、King Gnuメンバーなのか、仲間達なのか、スタッフなのか、ファンなのか、世間なのか。自分を取り巻く全方位に向け放たれる独白は、この曲で兄弟がストリングスの弦を震わせながら聴く者の心の琴線を直接震わせる。常田が奏でる静かなピアノの音は、泣き声のようで、ため息のようで、時に叫び声のようでもある。階段を二段飛ばしで瞬く間に駆け登り、地位と名誉と名声を得て、世間の注目の上という「壇上」に立った時に見える景色を彼は音楽へと変えた。声で、音で、言葉で、ただひたすらに「愛と人生」を叫んだ。全てを聴き終え、私の心は空になった。自分の心の内を全てぶつけ、相殺するように相手の心すら空っぽにしてしまう。心の内を全てさらけ出し音楽にすると言葉で言うのは簡単だが果たして実際にそれができる人間が何人いるだろうか。何度でも敬意を表したい。心が溢れ、空になった時、人は新たな道へと歩き始めることができる。きっと彼の中で何かが終わったのだろう。そうだ、これがロックだ。これがロックンローラーだ。そうだろう?そうだよな?誰に問いかけるわけでもない宛先のない独白を、私もまた空に放った。
 

12. 閉会式

沸き立つ歓声を背に回し、堂々と奏でられるチェロ。今回、常田の実兄である常田俊太郎氏がストリングスとして「開会式」「幕間」「壇上」に参加しているがこの曲には参加していない。「幕引きは自分自身で」ということなのだろう。「壇上」にて空になった心に新たに注ぎ込まれるこの音は、終わりと共に始まりを告げている。
 
 
 
 

何かが終わり何かが始まる。誕生日パーティー、入学式、卒業式、結婚式、葬式など世の「式典」はそれを執り行い人生に節目をつけることで次へ進むという一種の通過儀礼的な意味合いで行われている。この、CEREMONYという「式典」によりKing Gnuというプロジェクトにも一つの節目がついたはずだ。そして、彼らの川渡りはまだ続く。彼らが川渡りを続ける限り、私のようなゆとり世代の人間だけでなく世代や性別を問わない老若男女が、音楽業界が、あわよくば国が、世界が、激流のような凄まじい影響を受け続けることだろう。
 
 

ずっと、こんな先導者が現れるのを待っていたような気がする。
 
 

King Gnuと共に人生を歩むことができるのなら、こんな時代も悪くない。
 
 
 
 
 

この国でこの時代を生きることに、歓声と祝杯を。
 
 
 
 
 

※表記のない《》内の歌詞は
 King Gnu「Slumberland」「飛行艇」
 Mr.Children「GIFT」より引用

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい