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尾崎豊が守りたかった花

その花を守るMr.Children

あまりにショッキングなことが起きて、ほとんど自棄になった僕が「怖いという感情をなくした」と師に打ち明けたところ「胆力を得たのは結構なことだと思う」という答えが返ってきた。それでも師は、次のようにも語った。「他人に屈しない胆力を持ちつづけるより、できれば自分に負けないでほしいなあ」

師の助言に寂しさのようなものが溶けるのは、もしかすると初めてのことだったかもしれない。師の存在を思うことで、少しずつ人間らしさを取り戻するにつれ、僕は元通りの臆病な男になってしまった。師を寂しがらせてしまったことや、臆病者に「退行」していく様を喜んでもらえたことを思い、いま涙をこらえながら本文をつづっている。自分に負けるなという師の言葉を反芻する今、思い浮かぶのは尾崎豊の楽曲だ。

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たぶん尾崎豊は「天才」であるがゆえに、僕とは比べものにならないほどの感受性の高さを持つがゆえに、自棄(に近い状態)になることが多かったのではないだろうか。人間としての尾崎豊が、どんな生き方をしたかは分からないけど、その楽曲では捨てばちになる人の姿が描かれている。架空の世界を生きる人とはいえ、彼らは法に触れるようなことさえする。「15の夜」ではオートバイを窃盗するし、「卒業」では学校の窓ガラスを叩き割る。彼らは恐らく「怖い」という感情を持てないほどに追い込まれた状態にあったのだろう。それを思うと苦しくなる。かつての自分を見るようで辛くなる。

僕はMr.Childrenの大ファンなので、彼らがカバーした(トリビュートアルバム「BLUE ~A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI~~」に収録されている)「僕が僕であるために」が、尾崎豊の楽曲のなかでは最も好きだ。尾崎豊は<<勝ち続けなきゃならない>>と書きつづったのだけど、その相手が誰なのか、何なのかは、作中で明示はされない。もしかすると尾崎豊は、勝負の相手を見つけられすらしない自分に苛立ち、そんな自分に勝ちたかったのかもしれない。つまり自分に負けたくなかったのかもしれない。そういう切望は原曲からも感じられるし、Mr.Childrenの奏でるバージョンからも読み取ることができる。尾崎豊は、そしてMr.Childrenは<<冷たい街の風>>に歌声を乗せながら、立ち向かうべき相手を見出そうとしているように思える。

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夭逝した尾崎豊は、その短いキャリアのなかで、勝負すべき対象を見つけられたのだろうか。自分に負けたくないという、ありふれた(それゆえに尊い)願いさえも超え、絶対に負けられない相手を見つけることができたのだろうか。その答えを探すべく、バイオグラフィを辿ってみると、世に放たれた最後のシングルは「FORGET-ME-NOT/OH MY LITTLE GIRL」である(同年に「I LOVE YOU」が再リリースされているけど、それについては取りあえず触れない)。「FORGET-ME-NOT」は尾崎豊が最後に書いた曲ではなく、つまり集大成ではないと言えるだろう。それでも(仮に当人の意向ではなかったのだとしても)事実上のラスト・シングルとして本曲が選ばれたことには意味があるように思える。少なくとも僕は、その歌詞をあらためて読み返しながら、尾崎豊が「負けられない相手」を見すえていたのだと再発見した。

「FORGET-ME-NOT」のなかで、尾崎豊は恋人から、ある花の名前を教えてもらった感謝を歌う。

<<街にうもれそうな 小さなわすれな草>>

その「わすれな草」は、単純に、街の片隅に咲いている花を意味するのだと思う。そして同時に、恋人の暗喩なのではないかとも思うのだ。尾崎豊に「わすれな草」を教えた女性は、わすれな草そのものなのかもしれない。そう考えてみると、尾崎豊が立ち向かった相手は、その花を凍えさせるような風である。街に吹く世知辛い風である。そして、小さな花を埋もれさせるような街そのものだとも言えるかもしれない。

「FORGET-ME-NOT」を(たとえば僕のような)一般市民が尾崎豊を真似て歌うことは非常に難しい。尾崎豊は燃えるような思いを込めて歌う。言葉が音符に綺麗には重なっていないようにさえ聞こえる。負けたくない、花を枯らしたくないという思いを、尾崎豊は旋律に、歌声に込めたのではないか。尾崎豊は本来的には「美声」を持つミュージシャンであり、代表曲の「I LOVE YOU」の歌い出しなどは非常にたおやかだ。その尾崎豊が、あえて激情に身を任せるように歌った「FORGET-ME-NOT」は、リスナーの心に刻みつけられる。少なくとも僕の心には刻まれた。

街に勝つことは誰にもできない。僕たちは(程度の差こそあれ)微力な生命体でしかない。時として激しく吹き付ける風から、自分の身を守るだけで精一杯で、小さな花の盾となるような余力や胆力を持てないでいるのは僕だけではないだろう。それでも、その花の存在を「忘れないでいる」ことなら僕たちにもできるはずだ。尾崎豊が教えてくれる「花を愛でる気持ち」は、万人が共有できるものだと思う。きっと誰もが枯らしたくない花の在り処を知っているだろう。

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尾崎豊をリスペクトして「僕が僕であるために」を奏でてくれたMr.Childrenも、やはり「花」を大事にするミュージシャンだ。「花 ─Memento-Mori─」は聴き手を励ますような曲であるし、「花の匂い」は、もう声を届けることはできない誰かを想う曲である。現代の音楽界を牽引するMr.Childrenもまた、僕たちのように微力な人間でもあり、だからこそ大事な花だけは枯らしたくないと思っているのではないか。そういう意味では、尾崎豊の「闘う意志」は、Mr.Childrenに受け継がれている。さらに言うなら、尾崎豊のライブをリアルタイムで聴いた(恐らくは僕より少し年長の)人たちの思いは、いまMr.Childrenをリアルタイムで聴いている僕たちに受け継がれているとさえ言えるのではないか。

だから僕は、尾崎豊さんをテーマに書き始めた本記事を、Mr.Childrenの歌詞を引用することで締めくくる。僕たちは花を愛でる人間であり、また愛でられる花でもあるのだ。

<<負けないように 枯れないように 笑って咲く花になろう>>

※<<>>内は尾崎豊「僕が僕であるために」「FORGET-ME-NOT」、ミスターチルドレン「花 ─Memento-Mori─」の歌詞より引用

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