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ロックの人間賛歌、2020もこの先も

Queenも私もみんな人間だと、彼らの音楽が教えてくれた

私にとっての2019年は、Queenの年だった。そしてもうすぐ、Queenが世界ツアーのため日本にやって来る。

驚くほどに劇的な最近の出来事を、彼らを知る前の私は想像もしていなかった。2年前までの私が彼らについて知っている事柄といえば、スポーツや試合の場面でよく流れるあの有名な曲を作ったグループで、後はボーカルのフレディ・マーキュリーの容姿と、その人生を盛大にはしょった感じの知識だけ。たったそれだけで、私は人生を、Queenに出会うことのなかった人生を通過し、死んでいこうとしていたのかと思うと今となっては信じられない。
彼らの音楽、また彼ら自身については、知らないと意味がない。知って初めて、音楽の重みやそこに込められた意味、フレディの生きた証を見つける事が出来るのだから。

きっかけはQueenをフィーチャーした伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』だった。映画館に足を運び観に行った時には、作品から受けたとてつもない情動を受け止めきれず、かわすような体勢を取り「いい映画だった」という気持ちだけに終わっていた。
配信サイトを使って家で観たのが、公開から年をまたいだ2019年の2月頃。梅サワーの缶を片手に、酔っぱらっていた私は最初から感情のメーターがぶんぶんと乱れまくっていて、そんな中で冒頭のフレディがウェンブリー・スタジアムのステージへと歩いていく後ろ姿を見たら、1度目はただ画面を追うだけで精いっぱいだったのが、嗚咽して大号泣してしまった。
まだ何も始まってないのに、と宥めても止まらない涙は、きっと私が彼らから受け取ったものを分かっていなかった頃に留めておいたものが、いちばん手っ取り早い方法で身体から流れ出したのだと思う。彼らを、フレディを愛する気持ちがいつの間にか私の中で鼓動を打ち始めていて、窮屈そうにこの時を待っていたんだと。
私はその瞬間から、Queenを愛するようになった。忘れようがない、新しい音楽に出会った時の目の前が音で溢れ、拓けていく感覚がした。

ファンになりたての頃、彼らのエネルギッシュな姿が見たいと渇望し、最初に見たのは映画のラストを飾ったシーンでもあるライヴ・エイドだった。壁も天井もないウェンブリースタジアムにこだまする、フレディと観客の掛け合い。ステージと客席の間に、なんの隔たりもないのを証明してみせる一体感と、迸る音楽の圧。天賦の才能を目の当たりにして震えあがる心臓と巡りだす血液に顔を真っ赤にしながら、何度もテレビの前で観客と同じように歌い、手拍子や足踏みもした。
今まで生きてきた中で、こんなに熱中できる音楽があるのを知らなかった。地上の音楽に叫びたくなるほど感動し、生きる喜びをシャワーのように感じる。躍動的な自分と、音楽を聴いた人間を〝そうさせてしまう″彼らのバンドとしての力、結束と絆。それらすべてに、泣きたくなるほど心動かされてしまう。
本当の自分は、孤独に1度殺されかけて光を失った人間だというのに。

私は、孤独だ。こうして文章を書いている時も独りだし、何かに必死で向き合っている時も独りだからだ。何かを生み出すことは好きだけど、それゆえの苦しみに飲み込まれ、立ち止まりうずくまってしまう時もある。そんな時に励ましてくれる友達や家族はいても、表現に向き合う時は自分だけで戦っている、という意識は常にあった。
真夜中になると、この世界には自分だけしかいないのではないか、とすら思ってしまう。〝何か〟がふと私の頬を叩き、目を覚ましてベッドから飛び起き、それを掴もうと暗い部屋の中で物語を書いている時、ぬるやかな孤独が私の背中にぴったりと寄り添っているのを感じる。
やがて折れた心は私にのしかかり、何に対しても感動できない期間を数か月過ごしたのだが、何かに感動できる人生を愛していた私はたぶん、あの時には死んだ状態と同じだったのだと思う。

Queenが手掛けた中でも伝説として継がれる名曲『Bohemian Rhapsody』を聴くと、作詞・作曲をしたフレディの中に生きるインスピレーションの源が非常にエキセントリックで、別次元に存在しているものに手を伸ばし、こちらの世界で音楽として形容しているのだ、という印象を受ける。デザインを学んでいたフレディは芸術品に造詣が深く、彼の独特なセンスによる創作行為と生み出すものたちは、バンドとして次々と成功しながらも、華やかな表舞台と隔した場所でえずくように吐き出したものたちなのだとも感じられる。
また、彼はセクシュアリティの面でもたびたび孤独を感じ、映画でもその側面は欠かせないものとして描写されている。自分自身の内面への問いや苦悩と共に歩んできた人生なのだということが映画を観ても理解できるし、その後、彼について得た知識として欠かせない部分でもある。

自分の内面と向き合うことは容易ではなく、いちど芽生えた孤独はゆるやかに侵食していく。ダンスパーティーを開き人間の温もりを求め、終わったあとに潜るシーツの冷たさに愕然とする。夜の長さ、昼の短さ。愛する人たちと離れたあとのわだかまったぬるい空気。
私は彼のとなりで寝ているのと同じくらい、彼に寄り添い抱き合っているのと寸分なく、フレディの孤独と苦しみを理解できる。今なら、私の生きているこの世界で、私がQueenを聴き、その音楽を愛し、彼を愛している今この瞬間なら、もう身体も心も傍にいない彼を抱きしめてあげられるのだ。
それは私だけじゃない。きっと今、生きている若者たち。日本だけじゃない、世界中で、夜の暗さに光をともしたい人たちが同じことを考えると思う。
人間関係の複雑さと裏腹に温もりを求める身体。学校や仕事に行きたくない日に感じる息の詰まる感覚、指の先から広がっていく孤独。そういったものから逃避するために、明るいスマホを握り、サブスクリプションで聴く曲。イヤホンから流れてくる曲――それがQueenの音楽であり、フレディ・マーキュリーの歌声であるという光が、私はあると信じている。

それはこの世界のどこかで行われている〝救い”であり、彼らはQueenを世代性別関係なく愛する。そしてその時、私たちとQueenの間の距離や隔たりは消える。フレディがステージを縦横無尽に駆け回り、声を張り上げて観客と心を通わせ合おうとしたように。
この世界で生きる誰しもが、彼の孤独を知りうる。
そして今、もう世界中のどこにもいないフレディを愛することができる。
彼の死に改めて面し、悲しみに打ちひしがれるのではなく〝そう考えて生きるべきこと”だと思いたい。彼は生きている、私たちが忘れないかぎり。そして今でもその歌声と姿で、私たちを愛してくれている。いつの時もステージと客席の境界線をその声で打ち消し、「一緒に歌おう」と呼びかけてくれた彼は遠く手の届かない存在なのではなく、私たちと共にあるのだということを。

Queenの楽曲で描かれる感情は、限りなく人間的だ。人間の持ち合わせる感情のエゴや醜さを内包し、それでもなお捨てきれない美しさを描いた歌詞は決して色あせることなく、今も多くの人に愛される。普遍的な良さ、といえばそれまでになるが、それだけではない。彼らが常に音楽で新しい表現を模索し、試みていったように、彼らの曲が流れる背景としての時代で、楽曲たちはまた様相を変えていく。自分自身の置かれた状況、取り巻く環境や時代により、楽曲たちは深みの更に奥にある実感じみたものを滲ませている。

『We Will Rock You』や『We Are The Champion』のように、これから闘いに挑む人間の志を鼓舞するものもあれば、『Under pressure』やライヴ・エイドでの再登場でブライアンとフレディの弾き語りにより披露された『Is This World We Created?』など、世界(もしくは自身)に対するおそれを訴え、華々しさから離れて吐露するような歌詞もある。彼らの曲、しいてはQueenという偉大なバンドがどんなにビッグであろうと、私たちの傍にいつでも寄り添ってくれていると感じるのは、紡がれる歌詞によるものが大きいだろう。ロック・スターらしからぬ人間くさいともいえる歌詞を大勢ではなく1人で歌ってみた時、彼らの優しい才能は発揮されるのだ。

Queenの曲をたくさん覚えて、何曲もそらで歌えるようになった。彼らがどんな風に出会い、生き、バンドとしてステージに立ったかを知った。そして今もなお、Gt.のブライアンとDr.のロジャーは舞台に立ち、あの頃と地続きの音楽を奏でている。その奇跡を噛みしめながら、来る日本ツアーを待ちわびる。彼らに出会ってから、私も私の周りもすべてが奇跡の連続だ。人生の所々で起きる奇跡が生み出す輝きを飲み込みながら、ライヴ・エイドを思い浮かべ、フレディの歌声を思い出し、ツアーに参加した後の人生を想像する。

音楽の力は、人が生み出すもの――私はそんな人を、Queenを愛している。孤独だって、きっと愛せる。
人間とは、時にみっともなく時に何よりも美しい、そういう生き物なのだから。

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