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光の光線を掴んだ記憶

BUMP OF CHICKENと輝いていた日

あれから約3ヶ月がたった。
11月3日、4日の東京ドームツアーファイナルから。
まだ3ヶ月なのか、というのが正直なところ。随分前のことのような気がする。きっと、あの日から色々ありすぎたんだろう。

BUMP OF CHICKENツアー、aurora arkのファイナルを終えたあと、この音楽文にはたくさんのライブの文が溢れていた。
私だってたくさん読んだし、なんなら少し書いたりした。

本当に3ヶ月しかたってないのだろうか。
そんなことを思ってしまうほど、あの時の光景は素晴らしく、貴重なものだった。

最近、私は、自分の脳を恨んでしまう。
あんなに素晴らしい光景が、段々あやふやなものになってきている。細かい記憶が薄れてきている。
あのときどんなことを思っていたっけ。
あのときどんな演出だったっけ。
物凄く悔しくなった。とても大切な何かも一緒にあやふやになっている気がした。

ある日、スマホのメモ帳を整理していたら、ある文が出てきた。
それは、ライブが終わってすぐの頃。余韻というものから全く抜け出せなくて、ずっと泣きそうになっていた頃の自分が、どうしようもない気持ちを吐き出すために書いた殴り書きの文。

そこには、ライブ中に歌われた「ray」のときの心情や光景が事細かに書かれていた。

まずは、「ray」をライブで聴くことに対しての想いが書かれている。

《この曲は、本当に、夢にまで見た瞬間だった。この曲でBUMPが好きになって、この曲でライブに行きたくなった。こんなキラキラした空間に飛び込みたい。音と光で溢れた空間に飛び込みたい。ずっとそう思ってた。》

文の通り、さいたまスーパーアリーナで行われたライブの映像がきっかけで、私はBUMPが好きになった。それは、その画面の中の光景がとても輝いていたから、そこへの憧れがとても強かった。
あの光の中に入ったら、何かがあるんじゃないか。

そんな想いを抱きながら、あの時の自分は「ray」を迎えたのだろう。

《だから、あの最初の部分が流れた途端、「ああ、夢が現実になる瞬間ってこんなに幸せなんだ」って思って、それまで辛かったこととか苦しかったこととか全部乗り越えて、今いつかに憧れたキラキラした空間に飛び込んでるんだなっていう事実にただただ涙が零れた。》

そういえばそうだ、と思った。私はあのイントロの部分で大号泣したんだ。
ライブまでの間、辛いことがたくさんあった。でも、それでも、今はずっと待ちわびた空間にいる、という、たったそれだけの事実が、本当に信じられなくて、安心して、膝から崩れ落ちそうになりながらひたすら泣いていた。

《本当にキラキラしていた。5万個のPIXMOBが全部左右に揺れて、光線がドームの中を駆け巡っていた。ただ単純に心から楽しかった。あの信じられないくらいキラキラしている音たちと、今、目の前で自分に向かってまっすぐに歌ってくる藤原さんの声と、こんな世界ってあるんだって感じるとてつもなく輝いている空間。全部が100%自分に届いて、溢れて、笑いながらずっと泣いてた。》

あの時の空間が、何よりもキラキラと輝いていたことをまた思い出した。また、ボーカルである藤原基央が、想像を遥かに超えて、強く感情を込めて歌っていてくれたのが何よりも嬉しかったのも、同時に思い出した。

《でもやっぱり、歌詞がとにかく響いた。全部がそのライブのときの心情とリンクした。

『君といた時は見えた 今は見えなくなった
透明な彗星をぼんやりと でもそれだけ探してる』

『しょっちゅう唄を歌ったよ
その時だけのメロディーを』

今こうやって書いただけでも、なんていい詩なんだって思うけれども、実際に直接受け取ったときのこの気持ちは、どうやって言語化すればいいか分からない領域のところにあって、でも、何よりも愛しい特別な気持ちだ。寂しくなんかなかった。でもそれは、ちゃんと寂しくなれたからなんだ。》

いつもはイヤホンの向こう側の声が、時間軸を超えて届いていた声が、その時は、同じ時間と空間の中で、そして自分に向けて歌われていることが、本当に嬉しくて、安心して、感動した。
また、ちゃんと届いたから気付くこともたくさんあった。
そして文を読んだ今、その気付いたことが、心の中に再び入ってくる。
なんだか泣きそうになってきた。

《『理想で作った道を 現実が塗り替えていくよ
 思い出はその軌跡の上で 輝きになって残っている』

この言葉が今の状況を全て物語っていると思った。「ray」がライブで流れたらこんな感じなのかな。チャマはやっぱり片足あげるのかな。絶対キラキラしてるよな。いっぱい手を振りたいな。ずっとそんな想像、いわゆる理想を持っていた。それは単純に楽しみにしていたときに思ったときもあるし、逆に辛くて泣きながら助けを求めるように思った日だってある。その理想がたった今、目の前で塗り替えられていっている。確かに今ライブで「ray」が流れてて、チャマはやっぱり片足あげてて、それ以上に3人が凄くピョンピョンしながら楽しんでいて、何より自分自身周りの人の誰よりも手を振ってる。こんな幸せなことはあるのだろうか。》

きっとこの時、辛かった頃を思い出していたのだろう。そして、キラキラ輝いていた歌詞を体現する日が来たことにも、何より感動していたのだろう。

そして、かつての自分はまず1つのものに辿り着く。

《でもそれだけじゃないんだと、彼らは教えてくれたんだ。単純に楽しみにしていたときに理想を考えていた自分だって、辛くて逃げるように理想を考えていた自分だって、それまでの全部が輝いて、ちゃんと過去として自分の軌跡の中に残ってる。そんなことを言われた気がして、安心感がドッと押し寄せてきた。本当に心から楽しいのだけど、それに反比例して涙がボタボタと溢れてでてくる。》

かつての自分が辿り着いたものは、今の自分が忘れかけていたものだった。過去の自分に気付かされたような、励まされたような、不思議な気持ちになった。
そして泣きながらボロボロになっていたあの時の自分を思い出して、つられて泣いてしまった。

《『晴天とはほど遠い 終わらない暗闇にも
 星を思い浮かべたなら すぐ銀河の中だ』

そうだよな。きっとそうなんだよな。辛くても、その暗闇だからこそ浮かぶ銀河だってきっとあるんだよな。そういうなんでもなさそうな事実を、必死に確めた。確かめられた。だから、なんだってできるんじゃないか。そう思えて、なんだか幸せだった。》

過去の自分は幸せなときもあったんだな、と思えて、それだけでまた嬉しくなって、涙腺がさらに緩みだす。
そして次に、何よりも大切な瞬間が書かれていた。

《そして○と×と△がレーザーで天井に描かれた。ギターと藤原さんの声が聴こえてくる。そしてベース、ドラム。そして藤原さんが煽る。

 『○×△どれかなんて 皆と比べてどうかなんて
 確かめる間も無い程!』

自分はこのとき、この言葉を限りある声で歌った。

 『生きるのは最高だ!』

あのときは、この言葉を自分で歌ったことが、未来の自分にとって本当に大切なことになるなんて思ってもなかった。とにかく大きな声で歌った。その事実が今の自分に向かって後ろから照らしている。》

あの時、自分は確かに歌ったのだ。生きるのは最高だ、と。それをまた、明確に思い出した。
涙が溢れた。出来る限りの声で、待ってましたとばかりに歌ったことを思い出した。
後ろから照らしている。確かにその通りだ。過去の自分の行動が、未来の自分を支えている。

《『大丈夫だ あの痛みは 忘れたって消えやしない』

そして、藤原さんが自分に向けて言ってくれたこの言葉だって、あの日からずっと側にいる。》

また、確かにそうだ、と思った。藤原基央が、大丈夫だ!と言ってくれたことが、何よりも安心した。じゃあ大丈夫だよな、と思えた。

そして文の中では、曲は終盤に向かう。

《最後だってただ手を振った。なんなら跳ねながら手を振った。本当に楽しかった。でも目の前の光景が藤原さんのシルエットに変わったとき、楽しさが輝きを残したまま、まさにオーロラを見ているような不思議な気持ちに変わった。一番最後の藤原さんのアルペジオ。綺麗だった。息が止まるような、とてつもなく美しい光景だった。ずっと、この空間が続いてほしい。単純に心からそう思った。だから、そのアルペジオがいつもよりワンフレーズ分ぐらい長くアレンジしてくれたのは、些細なことだけど何気に嬉しかった。本当に綺麗だった。忘れられない。今だって残ってる。ギターを持ってたった一人で5万人に囲まれて音を生み出していく藤原基央のシルエット。綺麗だった。》

文の通り、魔法のような空間だったことをまた思い出す。涙で濡れた頬の横を、神聖な雰囲気とも言えるような空気が通りすぎたような気がしていた。

そのあとの「ray」終了後。

《そして藤原さんが観客に向けて「どうだった?」って聞くみたいに体を傾けたとき、割れんばかりの拍手と歓声が起こった。いつもどおり藤原さんは煽って来たから、皆はいつもより何倍もの拍手と声で返した。自分だってずっと手を叩いた。それしか出来なかった。夢みたいな空間が終わるのは本当に寂しかったけど、それを悲しむより今は、今ステージに立っている彼らに、おしみない感謝を送るのが最優先だろうと、あのとき拍手をしていた全員が思っていただろう。》

この文に書かれていることは、きっと本当の本音だ。お決まりのような感じで藤原基央は煽ってきたが、逆に、そんなのいらないですよとツッコミたくなったはずだ。聞いたことないくらい大きな拍手と歓声だったことを思い出した。その中の一部にいれたことを、今になって本当に光栄なことだと思う。

ライブの余韻から抜け出せずに書いた文が、まさかこんな形で大切なものになるとは思わなかった。それほど想いは強く、それほどライブは素晴らしかったのだろう。

でも、本当は、あの時見た光は、「ray」で歌っているように、忘れたって消えやしないのだろう。

だから、3ヶ月とかそんなんじゃなくて、2年、3年、5年、10年と月日を重ねても、きっと、あのときの空間は、光の光線を掴んだ記憶としてずっと消えやしないはずだ。

殴り書きの文をもう一度読みなおしてみた。そしたら1回目では気付かなかったもう1つの本当の本音があった。それは、長い文の1番最後。行を変えて一言目。単純な言葉。これが全てを表している。そこにはこう書かれていた。

《本当に綺麗だった》
 
 

(《》内は自分自身が書いた文より引用。
『』内は「ray」の歌詞より引用。)

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