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平手友梨奈を好きにならなくてよかった

崇拝するアーティストを失うとき

危うくて美しければ誰でも良かった。それがこの時代では平手友梨奈だっただけだ。私たちが勝手に虜になっただけだ。
 
 

私が彼女を知ったのは3rdシングル「二人セゾン」。爆売れしたサイレントマジョリティーに一切の興味を持たなかったのに、偶然見たこの曲のPVに心ごと持っていかれた。誰よりも目を引いたのは手足が長く頭の小さいセンターの少女だった。圧倒的な存在感、目を引く何かを持っていた。

我が家はいつもyoutubeをテレビで見ている。リモコン片手に「この曲めっちゃいいんだよ」といった私に、友人は笑った。「いや、これ中高生向けのやつだよ」。

「いやそうなんだけどさ、でもこの主役みたいな子がすごいの。なんか目を引くの」

「それはそういう風に作られているんだよ、PVが。この子が中心に見えるように」

そう言われたらそうなのかもしれない、と納得するくらいに私の性格は単純だった。けれど数ヶ月後、再び会ったときに平手友梨奈に狂信的にハマっていたのは他ならぬこの友人自身だった。
 
 
 
 

欅坂46を知り始めたその頃からなんとなく気づいていたことがあった。どうやらこの界隈はなんとなく、穏やかじゃない。というのも、同調圧力からの開放を掲げ、社会への抵抗を楽曲を通して表現してきた彼女らには、やはりその匂いに誘われるように多くの支持者がついていた。とりわけ平手友梨奈を崇める「信者」と、それを揶揄する「アンチ」とに分かれていることがすぐに認識できた。

要は気づいたのだ。「なんか過激だ」と。

元々私は、過激な議論の巻き起こる場所には飛び込みたくない性格だった。それに加えて苦い思い出もあった。

中高生の時の私といったら、根っからの椎名林檎信者だった。メンヘラと思われたくなくて、椎名林檎が好きだったことを隠していた中学時代。付き合っていた人に「林檎が好きな女マジで痛い」と言われて傷ついた高校時代。

それでも椎名林檎のアンチとは心の中で戦っていた。ネットで見知らぬ誰かのブログを見ては、批判的な言葉があると自分のことのように胸を痛めたりした。林檎を両手でかばって銃弾を浴びた日々。そして、アンチが理由ではないにしろ、椎名林檎は一度姿を消した。その時私は「失った」のだ。

きっと平手友梨奈に落ちてしまっていたら、アンチと戦わなければならなかった。だから興味がわくたびに何度もググろうとして、やめた。検索の窓に「発煙筒事件」と入力したときもやめた。彼女のドラマを知らないほうがいい。カリスマとデザインされてしまったことの孤独や葛藤を知らないほうがいい。さもないと誇張されたストーリーに飲まれてしまう。そうするとますます、彼女の魅力にとりつかれてしまうだろう。
 
 
 
 

2019年大晦日、紅白歌合戦で二度目の「不協和音」を披露。2年前のそれから「脆さ」を払拭し「強さ」を見せつけた彼女らに、胸を打たれた。すごい。やっぱり。これ以上目の前で物語を築かれたら、好きにならずにはいられない。抗えない、これ以上は。
 
 
 
 

2020年1月23日、平手友梨奈が欅坂46からの脱退を発表した。突然の発表にファンはみんな動揺し、絶望していた。

私はというと、助かった、と思った。ほっとしていた。心から。彼女がカリスマの重荷から逃れられるからじゃない。好きになる前で良かった、と思った。好きになることから逃げて逃げて、逃げ切れた。

もしも線の向こう側にいれば、椎名林檎が一度いなくなった時と同じ目に遭っていたかもしれない。平手友梨奈がどれだけ苦しかろうと、平手友梨奈のファンがどれだけ苦しかろうと、そんなことは問題じゃない、私が傷つくのが最小限で済んだという事実が全てだった。好きになりそうで調べようとした手を何度も無理に止めていてよかった。「あの時」のように、絶望せずに済んだ。喪失せずに済んだのだ。

私たちはいつだって、自分のことしか考えていない。
 
 
 
 
 

今回の脱退発表を受けて、アーティストを失う恐怖について書かずにはいられなかった。無論この程度では平手友梨奈を語るには足らない。私くらいの生半可な知識では。本当に平手友梨奈を見てきて、共に傷つき、平手友梨奈と生きてきた人たちは今、こころが潰れて想いを書く余力など到底ないだろう。だからわたしはその人たちがこの事態を受け入れ、乗り越えて、再生した時に綴られる文章を読みたいと思っている。たとえそれが数ヶ月後でも、1年後でもいい、それらを読まないと私の中の平手友梨奈が完結しない。

好きにならなくて済んだと安堵したのとは裏腹に、紅白歌合戦で見たあの姿がいまだ脳裏に焼きついてしまっている。そこにまだいそうなのだ。そこにまだいそうだと思うことを人は幻影と呼ぶ。

こうして結びつきの希薄な立場でありながら彼女について書かずにはいられない私も、平手友梨奈というコンテンツを消費する罪深き群衆の1人なんだろう。

日曜日の真夜中。明日から仕事だというのに眠れず、この文章を書いた。そして二人セゾンのPVを見た。泣いてしまった。儚く美しい表情で少女が舞っていた。平手友梨奈を好きにならなくてよかった。平手友梨奈を好きにならずに済んだから傷つかなくて済んだ。けれどそれが本当に正解だったと、来年も再来年も私は言えるだろうか。ソロアーティストとして新たな道を歩む彼女を見ても、もっと早くから見守っていればと悔やむ日が来ないだろうか。

あんなにうつくしい人はもう二度と現れないのに。

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