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椎名林檎が握りしめる木の実

郷愁を誘い未来を思わせもする歌

幼いころ、夕暮れ時になると、テレビで流されるNHK「みんなのうた」を、ぼんやりと聴いていた。その前に放映される「おかあさんといっしょ」を楽しんだあとの、余韻に浸るにはピッタリの番組だった(放映時間帯について、記憶に誤りがあったら申し訳ありません、先に「おかあさんといっしょ」が放映されていたのは間違いないと思います)。

まだ歌心を理解できるような歳ではなかった僕にとって「みんなのうた」は別段、心を躍らせてくれるような番組ではなかった。前述したように、余韻に浸るために観ていたのだ。それでも、幼少期に聴いた曲というのは心に残るものであり、それを聴いていた場所(安アパートに住んでいた)のことさえも、鮮明に思い出すことができる。それから20年近くが過ぎ、いわゆる「社会人」になってから、僕は「みんなのうた」が大好きだったという友だちを作れることになる。社会人が友だちを作るというのは、なかなか難しいことだ。でも、それを果たせた時、僕たちは膨大量の「同時代を別の場所で過ごしながら得た思い出」を共有することになる。

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その「みんなのうた」のなかで流された曲のなかで、深く心に刻まれたものが1曲ある。ジョルジュ・ビゼー氏によって作曲された「小さな木の実」だ。NHKで流された本曲には、海野洋司氏による日本語詞がつけられていた。父を亡くした主人公が、かつて一緒に拾った木の実を握りしめるという内容である。幼い僕に、彼の辛さを理解できることはできなかった。それでも、決して裕福ではなく、両親が必死に共働きをしてくれる家に育った僕には、彼の孤独を少しくらいは想像することができた。僕の傍には、両親のかわりに子守りをしてくれる祖母がおり、まったく「孤独」ではなかった。孤独という言葉を知りさえもしなかった。それでもやはり、歌に込められた孤独は伝わってきたのだ。そして月日が流れた。

成人した僕は、歌心を少しずつ理解できるようになり、とりわけ椎名林檎の歌声に強く惹かれるようになる(好きなミュージシャンは他にもいるのだけど、声調が印象的なのは、やはり椎名林檎だ)。その椎名林檎がカバー・アルバム「唄ひ手冥利〜其ノ壱〜」をリリースし、そのなかに「小さな木の実」が収録されているのを知った時、感激した。この切ない歌を、椎名林檎が歌い上げたら、何が起こるのか。胸を高鳴らせながら再生ボタンを押した。やや荒めのコード・ストロークから本曲は始まった。

本曲のクライマックスで、椎名林檎は歌う。

<<坊や 強く生きるんだ>>

それは少年が亡くした父の遺した、優しいメッセージである。それを椎名林檎は、独特の声で強く歌い上げる。痛みを抱える人を「激励」することは、リスクを伴う行為だと思う。それでも椎名林檎は、柔らかに穏やかに歌うことよりも、強く歌うことを選んだ。あるいは椎名林檎の掌も、何かしらの<<木の実>>を握りしめているのかもしれない。椎名林檎も、ある意味では孤独なのかもしれない。だからこそ声に説得力が宿り、別種の「孤独」を味わっている僕の胸に、突き刺さってきたのだと思う。いま本文をつづる僕のディスクにも、ある人からもらった(文字通りの)<<木の実>>がある。苦くてたまらない時には、それを握って、残りの人生を歩むことになるのだろうと思う。

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僕が年を重ねるごとに知ったのは、親を早期に亡くしたり、事実上の親(たとえば僕にとっての「育ての親」である祖母)を亡くしたりした痛みを、ずっと引きずっている人が多くいるという現実である。片親のもとで育った人は非常に多いようだし、どれほどの愛を注いでもらっても、誰かを失った傷というのは、そう簡単に癒やされるものではない。それでも僕たちは、何かしら<<木の実>>にあたるものを持っているはずだ。それは授けられた言葉であったり、プレゼントされた「形のあるもの」であったり、ぼんやりとした記憶であったり。そういう意味では、僕たちは決して孤独ではない。僕たちの傍から去ってしまった人、もう現世では会うことはできない人は、掌のなかに生きつづけている。そういう類の希望を、僕は椎名林檎の歌声から感じ取れる。

いまも全国各地で、多くの幼子が、色々な音楽を聴いているのだと思う。彼ら彼女らは恐らく、まだ歌心は分からないまま、それでも何かしらの感懐を得ているのだろう。そしていつか、悲しいことだけど、その子らを育んでいる誰かは、この世界から旅立ってしまう。それでも<<木の実>>は託される。さらに言うなら、まだ今は狭い幼子の交友関係は、いつの日か広がっていく。社会に出たあとも、友だちを作ることは不可能ではない。生きていくことで、心にも体にも傷は刻まれていくかもしれないけど、その傷に包帯を巻いてくれるような誰かは、きっと現れる。

僕が望むのは、できれば長い間、椎名林檎に歌いつづけてほしいということである。いま幼子の胸に刻まれているメロディーを、何年か先、さらに魅力的なヴォーカリストになった椎名林檎が歌い上げてくれるのなら、それはどんなに素晴らしい未来なのだろうと思う。そして、おこがましくも願うことは、椎名林檎さんご自身が、その手に握っている<<木の実>>を紛失することなく、癒やされながら生きつづけてほしいということでもある。

椎名林檎の歌った「小さな木の実」は、文字通りの「みんなのうた」だ。椎名林檎は「唄ひ手冥利」に尽きながら、結果として僕たちを労わってくれたわけだと思う。今も昔も、そしてこの先も、人の傷を癒やすような歌い手が、その歌い手に曲を託すような誰かが、僕たちの生きる世界にはいる。僕が幼子に向けて何かを書き残す資格を持つのだとしたら「それを信じてほしい」と書く。強い筆圧で。

※<<>>内は大庭照子「小さな木の実」の歌詞より引用

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