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ビーチ・ボーイズが描いた「誰かの物語」

思いやりの連鎖は止まらない

ビーチ・ボーイズ「ペット・サウンズ」の鑑賞文です。このアルバムを僕に勧めてくれた人の誕生日が近いので、掲載していただければ、その人への「お祝い」として捧げられることになります。

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いつか聴こうと思っていた。20年もの間、僕を指導してくれた人が、常々「好きだ」と語っていたからだ。でも「相当に凝ったアルバムだよ」と忠告されてもいたので、聴くからには、それなりの覚悟のようなものが要るだろうとも考えていた。そもそも僕は、新たな土地を開拓するのに、グズグズと躊躇ってしまう性分である。勧めてもらってから、ずいぶんと長い時が流れてしまった。

僕は作家の村上春樹氏を私淑している。その作品を全て読むようにしている。村上氏がジム・フジーリ氏の「ペット・サウンズ」を翻訳していることを知り、これはもう聴くべき時が訪れたと腹をきめた。先に本を読むことは避け、ビーチボーイズの「ペット・サウンズ」を購入した。いま手元にあるのは1997年に出されたデジタルリマスタリング盤である。あまり予備知識を持たずに、再生ボタンを押すことになる。僕のアタマにあるのは「凝ったアルバムだ」という情報と「ビーチ・ボーイズの意欲作であり、それまでのイメージを覆したような作」という、勧めてくれた人の私見だけだ。

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1曲目が流れはじめた。率直な感想は「なんだ、キャッチーじゃないか」というものであった。穏やかにギターが奏でられ、バンとドラムが鳴らされる。そして始まる歌メロも、希望を感じさせるような開放的なものだ。なにしろ僕は、これまでにビーチ・ボーイズのアルバムを1枚も聴いていないので「それまでのイメージ」も何もないのだ。ビートルズと同時代を駆けたビーチ・ボーイズのメロディー、そしてブライアンの声は、どことなくポール・マッカートニーのそれと似ているように感じられる。どちらかというと僕には、ブライアンの声のほうが瑞々しいもののように感じられた(個人的な好みを言うなら、長年、愛聴してきたポールの歌声のほうが好きだ)。

それにしても1曲目「素敵じゃないか」は、本当に「素敵」な曲ですね。

<<僕たちが年を重ねられたら素敵だろうなあ>>

という歌い出しには面食らったけれど、聴きすすめるうちに、そして歌詞カードを眺めるうちに、それは主人公が恋人と暮らせるような年齢になりたいと願う、健気なラブソングであると分かる。メロディーラインの明るさと、歌詞に込められたフレッシュな思いが、とてもよく合っているように感じられる。

ただ不惑を迎えようとしている僕は、もちろん本曲に「共感」したわけではない。正直に言えば、これ以上、年を重ねていくことに、恐れのようなものを感じる今日この頃だ。かといって僕は、郷愁のようなものを感じもしなかったのだ。つまり「こんな風に願っていたころもあったな」とは思わなかった。本曲は僕に「今」の尊さを思わせもせず、過去を振り返ることもさせず、未来への希望を抱かせもしなかった。それなのに僕が「素敵じゃないか」に心を奪われた理由は何だろう。

うまく説明できるか分からないけど、本曲はリスナー(たとえば僕)に、置かれている状況や地点を忘れさせ、そういう願いをもつ誰かがいることを想像させ、それを応援したくなるような、祝したくなるような、そんな気分にさせる佳作である。<<年を重ねられたら>>と願いが、世界のどこかで抱かれていることを思い出させる曲である。そんな風に僕は感じた。ブライアンが当時、何歳で、どんな境遇にあったのかは分からないけど、ことによると彼も「年を重ねること」など望んでいなかったかもしれない。これは僕のための曲ではなく、そしてブライアンの直情でもないのかもしれない。どこかの誰かを代弁した、言うなれば架空の、それでいてリアリティーを持った、ファンタジックな曲だと僕は思う。
「いつかの、どこかの、誰かの感情、そのために書かれた歌」。
それが「素敵じゃないか」に対して、僕のいだいた印象だ。客観性を持ちつつも、温かみのある歌い手だと、ブライアンのことを思ったのだ。

萩原健太氏によるライナーノーツを読んでみると
<<歌詞を書いたのはブライアン自身ではない>>
とある(少なくとも単独作ではないということだろう)。ただ、氏は、
<<歌声が作詞家たちにそういう言葉を選び取らせた>>
と分析している。つまり「ペット・サウンズ」は、恐らくはブライアンの「極めて個人的な叫び」が込められたアルバムなのだろう。それを知っても僕が感じてしまうのは、まるで世界を鳥瞰するかのような、ブライアンの思いやりである。ブライアンは自分のためだけに歌っているのではないと思う。

日本の音楽界には、aikoという素晴らしいシンガーソングライターがいるけど、aikoは「彼女」という題のアルバムを発表した時、色々な女性や女の子がこのアルバムのなかにいると公言した。つまりaikoは、自分自身を見つめているうちに、他者の心情さえも推し測れるような境地に至ったのだろう。だからこそ3人称のタイトルをつけたのではないか。自分に正直になることで、誰かを代弁できるようになる、それは表現者が誇れる最大級の「達成」なのではないだろうか。

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そのように温かな客観性、誰かのために書かれたような印象は「ペット・サウンズ」に収められた他の曲からも伝わってくる。ブライアンは「誰か」を想像しながら歌い、僕は「誰か」を想像しながら聴く。そういう類の親密さを、このアルバムは生み出してくれているように感じられる。

後半のハイライトと思われる「駄目な僕」。
<<みんな俺のことをアタマが良い奴だって言ってくれる>>
<<でも結局、俺に良くしてくれる人なんていないんだ>>
といった歌詞からは、もちろんブライアンの個人的な苦悩が伝わってくるのだけど、これもまた「誰かのための曲」のようにも聞こえる。もちろん「誰か」といっても、それは僕(個人)を指すわけではない。

ブライアンは、その手の哀しみが世界にあることを歌い、それに僕は同意する。そういう「自分以外の誰かを心中を思おうとする」行為の連鎖は、もしかすると各地で生み出されているのかもない。尊くも不思議なつながりを生みだしたのが「ペット・サウンズ」なのではないかというのが私見だ。そういうアルバムが生み出されたのは、ブライアンが心を込めて歌った結果だとも言えるだろうし、萩原氏が指摘するように、ブライアンの思いに応えた作詞者の功績だとも言えるだろう。そして、このアルバムを「さらに素晴らしいもの」にしているのは、世界各国で「ペット・サウンズ」を愛聴している人たちであり、日本で活躍するaikoであるとも言ったら、さすがに極論だと言われてしまうだろうか。

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村上春樹氏の小説に登場する人物は、井戸の底にこもることがある。それは自分の心のなかへ分け入っていくための行為であると僕は解釈している。ただ(ネタバレを避けるために詳しくは書けないのだけど)井戸にこもった主人公は、やがて別の場所へと辿りつき、そこにいる誰かと邂逅することになる。個人的な思いを掘り下げていくことが、誰かの心に届くことが起こりうるのだ、少なくとも村上氏の作品のなかでは。まだ僕は、氏の訳した「ペット・サウンズ」を読んではいないけど、とにかくアルバムを聴いてみたことで、村上氏への敬意と共感を、今までよりも更に強く持てたように思う。ある意味では僕も、いま井戸にこもっているところだ。その身勝手かもしれない行為が、誰かの心情を推し測ることにつながることを、ただ願うのみである。

年を重ねることは、はたして素敵なことだろうか。僕に「ペット・サウンズ」を勧めてくれた人は、どういう気分で誕生日を迎えることになるのだろうか。僕は自身の誕生日を素直には喜べない齢になっている。だから軽はずみに、他人に対して「誕生日おめでとう」と言うことに、抵抗を感じはじめてもいるのだ。それでも敢えて言いたいと思う。お誕生日おめでとうございますと。「ペット・サウンズ」は聴きごたえのあるアルバムでしたと。

※《》内はビーチ・ボーイズ「素敵じゃないか」「駄目な僕」の歌詞(訳は投稿者自身による)、萩原健太のライナーノートより引用

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