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ずっと真夜中でいいのに。から受け取る夜明け

帰って眠る前に聴きたい曲がある

悲しいことがあると音楽を聴く。音楽を聴けるエネルギーがあるうちは、まだ大丈夫なのではないかと自分に言い聞かせる。悲しさには色々な形がある。それは優しさを求めていたり、激励を望んでいたり、ただ共感してくれることを願っていたりする。その時々に感じている「悲しさの形」によって、アップテンポのロックンロールを聴くか、穏やかなフォークソングを聴くか、流麗なバラードを聴くかを決める。悲しい夜との付き合いかたを少しずつ知っていけるというのは、年を重ねることのポジティブな面なのではないだろうか。

最近、その存在を知った「ずっと真夜中でいいのに。」の楽曲を聴くことは、上に挙げた3つの、どの「付き合いかた」にも分類されないように思う。また同時に、どの要素も満たしているようにも思える。ずとまよの曲には、優しさが込められており、励ましも含まれており、ただ傍にいてくれるような温かみも込められている。興奮と安堵を両方、差し出してくれるのが、ずとまよというミュージシャンなのではないかと僕は思っている。

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ずとまよの作品「勘冴えて悔しいわ」は、決して静かなものではない。それはダンスパーティーを連想させるような、華やかというか、カラフルなものだ。それでもタイトルが示すとおり、そこには悔しさ(あるいは「もどかしさ」とでも言えばいいのだろうか)が込められているように感じられる。ずとまよは踊るように歌い、奏でるけれど、それは華麗なだけでなく、切なさを感じさせもするステップだ。ずとまよのメンバー構成を詳しく知りはしないのだけど、ヴォーカリストの周りに各パートのメンバーがいると仮定して、以下を書き進める。

市民ベーシストである僕は、どんな曲を聴く時も、まずベースラインに集中する。激しいスラップがイントロで披露され、舞踏会が幕を開ける。各パートも激情に身を任すように踊る。ヴォーカリストは心持ち早口に、胸のうちを吐き出す。間奏で一瞬、濁った和音を出すピアニストは、2番の歌い出しには静かな伴奏を重ねる。そっとハイフレットをなぞるベーシストは、あらためて激しく踊りはじめる。感情の起伏とでも呼ぶべきものを、ずとまよの演奏者たちは見事に表している。

感情の起伏。そう、ずとまよの歌詞は単純明快なものではない。ヴォーカリストは感謝を歌いつつ、すねてみたりもする。それは悲しみに暮れる人の心中を、巧みに描き出してくれるもののように感じられる。辛いことがあった時、僕が思い浮かべるのは、自分を信じてくれる誰かの存在であったり、浮世の世知辛さであったり、己の未熟さであったりする。混沌となった胸のうちを、こんなにも鮮やかに代弁してくれるミュージシャンは、そうはいないと思う。ヴォーカリストは歌う。

<<感謝の言葉しか出てこないよ>>

それはストレートな「ありがとう」であるようにも思えるし、しばらくあとで歌われるフレーズに注視すると、皮肉のようなものとも受け取れる。

<<興味ないなら ほっといてくれ>>

こういう類の強い言葉が含まれる本曲は、就寝の直前に聴くには向かないかもしれない。辛さを噛みしめながら辿る家路で、たとえば電車やバスのなかで、音がもれないように気をつけながら、聴きいるのに最適だと僕は考えている。うまく説明できない、言語化することの難しい、悲しみや苛立ち、あるいは徒労感といったものが、この胸のなかに渦巻いていること。それを鎮めようとするよりも、自分たちだってそうなのだというような共感を示してくれるのが、ずとまよなのではないかと思っている。僕たちは、ずっと真夜中のなかにいるわけにはいかない。近づいてくる朝に向けて、気持ちを整理して、平静を取り戻さなければならない。でも、その前に、何らかの形で踊っておくことが大事だ。楽しくも切ないステップを踏むこと。ある人にとっては、それはお酒を飲むことかもしれない。また別の人にとっては、ジョギングでもすることかもしれない。下戸である僕にとって、そういった「一瞬の酔い」をもたらしてくれるのは、心の毒のようなものを洗い流してくれるのは、ずとまよの楽曲だ。

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ずとまよは「去りぎわ」が鮮やかなミュージシャンでもある。その舞踏会は、定刻がくると潔く終わる。少なくとも個人的に好きな2曲「秒針を噛む」と「勘冴えて悔しいわ」は、最後の音を、たなびかせない。僕は静寂のなかへ放り出される。現実に戻る。そして自分のかかえていた悲しみが、いくぶん小さくなっていることに気づき、散らかっていた心のなかが、いつしか整頓されていることを知る。ずとまよはリスナーの心に色を塗りたくり、心地よい戸惑いをもたらし、それを突如、真っ白に戻すようなミュージシャンだ。少なくとも僕は、そういう印象を持っている。真っ白という表現は不適当だろうか、真夜中のような漆黒というほうが適当だろうか。いずれにしても僕は(あるいは僕たちは)ヴォーカリストを真似てつぶやいてみることになる。

<<今のところは 帰って眠るだけ>>

眠りから覚めたあと、始まる新しい一日に、悲しみが待ち構えていないとは限らない。ことによると僕の心は、明日もまた散らかってしまうかもしれない。それでも、ずとまよが歌ってくれる。踊るように演奏してくれる。それを思えば「真夜中」が訪れることは、少なくとも不幸なことではない。怖いことではあるけれど、不幸せなことではない。悲しみを味わうたびに、ずとまよの曲は心に刻まれていく。

ありがとう。「ずっと真夜中でいいのに。」に対して届けたいのは、その言葉だ。まさに<<感謝の言葉しか出てこない>>のだ。そこには皮肉など込められていない。僕に夜明けをもたらしてくれるのは、ずとまよの歌詞と旋律だ。きっと、これからも。

※《》内は ずっと真夜中でいいのに。「勘冴えて悔しいわ」の歌詞より引用

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