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井上陽水と奥田民生が手を取り合った時

そのとき僕たちも手を取り合っていた

昨年、所属する市民バンドのレパートリーに、奥田民生氏の「イージュー★ライダー」が加わった。本曲は素晴らしい歌でありながら、歌というもの自体が素晴らしいということを(さりげなく)主張するような痛快な作品だ。<<名曲をテープに吹き込んで>>と奥田氏は歌うけど、僕が長距離のドライブをするとしたら、間違いなく「イージュー★ライダー」を吹き込むと思う。もう<<テープ>>というものは使われなくなった時代だけど、何らかの形で「イージュー★ライダー」を聴きながら、自由を満喫するだろう。

それは当然、制限つきの「自由」である。青春が長くは続かないように、自由というのも、かりそめのものだ。それでも本曲のベースラインを指に刻みこんでいる今<<大げさに言うのならば>>僕は自由を感じている。体を揺らしながら弾ける平易なものでありながら、気分次第で装飾することも容易な、まさに「自由」を感じさせてくれるベースライン。スラップが苦手で速弾きも不得手な僕は、本来的には<<退屈>>なベーシストだ。そういう僕の心身さえ揺らしてくれる本曲は「恩人」のようなものだと言っても過言ではない。

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そのように体を揺らしながら「イージュー★ライダー」の練習をしていた僕は、ふと20年以上も前のことを思い出した。その時も、僕の体は揺れていた。より正確に言うならば、みんなの体が揺れていた。僕たちは高校1年生で、親睦を深めるための旅行に出るところで、バスに乗っていたのだ。バスの振動よりも大きく、僕たちを揺らしていたのは、車中に流れていた井上陽水奥田民生の「ありがとう」だった。皆が声を合わせて、その曲を歌っていた、と書きたいところなのだけど、実を言うと僕は微睡んでいた。それでもバスの揺れや、みんなの揺れ、それに繰り返される<<ありがとう>>というフレーズは、たしかに耳に届いていた。僕たちが入学する、ほんの少し前にリリースされた「ありがとう」は、それから僕たちの過ごす日々を象徴するような曲だった。僕は色々な意味で、色々な形で<<ありがとう>>と口にし、またクラスメイトからも<<ありがとう>>を言ってもらえた。あれほど恵まれた15歳~16歳を過ごせたことを、あらためて有り難く思う。

当時、僕が知っていた井上陽水氏の曲は、失礼ながら「少年時代」だけだった。氏が日本の音楽界の重鎮とでも呼ぶべき人物であることを在学中に知ることになるのだけど、代表作と言えるはずの「氷の世界」を聴くことになるのは、成人したあとだった。「小春おばさん」に込められた、誰かに会いに行こうという熱い思い。あまり知られなくなった<<貸本屋>>などというフレーズを含みながら、今を生きる僕をさえ圧倒する歌。そういう偉大な歌い手と、奥田氏がタッグを組んだということは、僕がクラスメイトに恵まれたこと以上に奇跡的なことだったのだと、あとになって知ることになったわけだ。

いま「ありがとう」の詞を読み返してみると、色々な種類の<<ありがとう>>が世界にあることを再認識させられ、また当時、まだ幼かった僕たちが、幼いなりに様々な<<ありがとう>>を言い交わしていたことが思い出される。とりわけ懐かしいのが<<うまく誤魔化してくれ>>たことに対し、自分が<<ありがとう>>と思った時のことだ。一般的に少年というものは、軽はずみなことを口にしがちなものである。そういう時、機転のきく女の子が<<うまく誤魔化してくれ>>たのだ。彼女は今、どこで、どんな暮らしをしているのだろうか。あの時はありがとうと言っても、恐らくは何のことか、当人は覚えていないだろう。感謝は伝えるべき時に伝えないといけない、そんなことを今になって思う。

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井上陽水奥田民生という名義では、あまり多くの楽曲が生み出されはしなかった。2006年に再始動するまで、ご両人は、それぞれの活動に精を出していたのだと思う。それは僕たちの歩みと、少し似通っているように感じられる。いちばんの親友とさえ、高校を出てからしばらくの間、僕は滅多なことで会わなかった。僕は夜学に通いながら、日々、アルバイトをするのに必死だったし、親友は(詳しいことはプライバシーを守るために書かないけど)もっと多忙な毎日を送っていた。20代になっても、そういう状態は続いた。僕は熱心に働き、そして帰ってから徹夜で原稿を書くような日々を送り、親友もまた(恐らくは僕以上に)過酷な毎日を過ごした。そして今「なんであんなにも頑張ってしまったのだろうね」というようなことを言い合い、笑い合っている。遠く離れて暮らしているけど、現代社会にはLINEというものがある。

いま僕たちは、高校1年生の時には思いつけなかったような、そして井上陽水奥田民生の曲でも描かれないような、かなり特殊な<<ありがとう>>を言い合うような関係にある。20年以上、親友という関係を維持した僕たちが分かち合えるのは、喜びや悲しみだけではない。どのどちらでもあるような、どちらでもないような、複雑な感情を理解しあうことができる。喜ばしい出来事に誘発される悲しみがある。悲しみのなかから見つかる喜び(のようなもの)もある。それを共有できることに、分かり合えることに、僕たちは有り難さを感じている。<<ありがとう>>を口にする回数は、高校在学当時より多くなったのではないかとさえ思う。

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あのころ僕を守るために<<うまく誤魔化してくれ>>た女の子も、もう恐らくは多くの同窓生とは接点を持たず、生涯の親友と呼べるような相手とのみ、LINEのやりとりでもしているのではないかと思う。女の子同士が、どんな言葉を交わすものなのか、どんな喜びや悲しみを分かち合うものなのか、この歳になっても充分には分からない。それでも、彼女たちが送りあうメッセージのなかに、色々な種類の<<ありがとう>>が書かれていることを、僕は願い、また信じてもいる。

※《》内は奥田民生「イージュー★ライダー」井上陽水「小春おばさん」、井上陽水奥田民生「ありがとう」の歌詞より引用

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