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QUEEN + ADAM LAMBERT高濃縮ライブは凄かった

Bohemian RhapsodyのラストでFREDDIEの映像を使わなかったことに感動した

観てきました。「QUEEN + ADAM LAMBERT THE RHAPSODY TOUR」。

映画ボヘミアン・ラプソディの大ヒット後の空前のQUEENブーム。FREDDIE追悼をテーマにしたライブだろうなぁと勝手に想像していたのだが、それは、いい意味で全く的外れの予想だった。
各ナンバーの美味しいところだけをコンパクトにアレンジして演奏したライブは最初から最後まで3万人のシンガロング状態、見せ場、クライマックス続きのまさに圧巻、あっという間の29曲(rockinon.comの記事のセットリストの記事より)、2時間半弱でした。

いやはや凄かった。スタジアムロックの1つの完成形がここに確かにここにありました。

グッズ類は購入しないので、大概が、会場に15分ぐらい前に到着して、トイレに行って、開演時間定刻に、席に着くのが俺のパターンなのだが、会場のさいたまスーパーアリーナは相性が悪くてアクシデントに見舞われることがあるので早めに到着することにした。
Madonnaの2016年「Rebel Heart Tour」で、開演が2時間遅れ、家に冷や汗をかきながら、最終電車で帰った悪夢はないだろうけど、会場への入場退場で、何かしらある会場なのだ。開演1時間前に到着したのだが、駅が既に人で溢れかえっている。入場も一苦労だ。トイレもまた凄い混みようだ。こんなにトイレに長時間並んだことはない。1時間前に到着して、席に無事についたときはもう開演時間が迫っていた。

観客層の広さは想像以上で驚いた。俺世代のロックオヤジ、そしてQUEENの初来日、FREDDIE在籍時のライブを観たであろうご婦人方(うらやましい経験だよなぁ)のグループ、親子連れ、そして若い女性のグループ、男性のグループ。女性がとにかく多い。チケットは外れまくって、最後の最後にステージサイドが当たったのだが、これは相当の倍率だったろうと自分の幸運に感謝した。現在のQUEENの人気の凄まじさが伺える。
ステージサイドの自分の席に座った。が、全然観えない。ステージの後ろじゃないかとがっくりきた。期待していたサイドステージへの花道もない。観えるのは開演前から異様に盛り上がる観客席だけである。その観客席は、最近の洋楽のコンサートでこれだけ開演前に観客のボルテージが高いコンサートもないと思う。前回の2016年とは明らかに違う様相を呈している。

Innuendoのオーケストラバージョンが流れ大歓声。いよいよだ。なにせ、ステージサイドなので、ステージがどういう状況なのかよくわからない。ステージセット[らしきもの]がせり上がっている(後日ニュースを観ると豪華なQUEENの王冠を模ったセットだった)のかなぁと思ったら、お馴染みのギターのイントロ、オープニングの定番、Now I’m Here、邪魔な柱だと思ったのはスクリーンで、横から、ADAM LAMBERTがばっちり観えた。ADAM LAMBERTのハイトーンボーカルは、相変わらず素晴らしい。足の手術をしたというBRIAN MAYはレッドスペシャル[だと思う]でハードなギターをかき鳴らし、走り回る。ROGER TAILORは、前回はパーカション頼りのところもあったような気がしたのだが、今回は低音重視のハードな腹に響くドラムを叩きつけ、分厚いコーラスを一手に引き受けたような素晴らしいハイトーンボイスを聴かせる。演奏がやみ、ADAM LAMBERTのボーカルの聴かせどころだ。そして、『Now I’m Here』『TOKIO』と呼びかけるだけで、会場の興奮は既にMAXだ。。Seven Seas of Rhye、 Keep Yourself Aliveと名曲を畳みかけ、ADAM LAMBERTの見せ所であるKiller QUEENでの扇子を使ったパフォーマンス。今回はピアノの上だ。オープニングから名曲の嵐で飛ばしまくる。
ADAM LAMBERTがMCで『FREDDIEをみんな愛しているだろう、僕も愛している』と会場をアジテーションし、Don’t Stop Me Now、Somebody to Love、In the Lap of the Gods… RevisitedとThese are the FREDDIE’s Songsといっていいナンバーを歌いあげる。本当にADAM LAMBERTのボーカルとステージングには脱帽である。多種多様なQUEENナンバーをここまで完璧に自分のものにしてしまうボーカリストはいないだろう。
そして、ROGERのカウントともに今回は是非聴きたいなぁと思っていたナンバーI’m in Love With My Carを衰え知らずの金属的、ハスキーなハイトーンボイスでROGERがシャウトする。お腹いっぱいなんですけどもう、まだ始まったばかりなんだけど・・・
とにかく、ハイライト、クライマックスの連続。センターステージで、日本のファンのためのナンバーTeo TorriatteをBRIANが歌い、会場はスマホの光と観客の声が木霊する。もう、この辺りで俺の素人実況は終わろう。前回の武道館も凄かったのだが、会場も更にスケールアップし、セットもスケールアップ(多分しているんだろうな、サイド席なのでわからない)し、スピード感もあり、抑揚もあり、とにかく聴かせどころ、ハイライト、クライマックスの連続である。1曲ごとに、《ここで終わっても満足》と思ってしまうほどの密度だ。素晴らしい流れ、そして、1曲、1曲のパワーが凄くて、演奏ナンバーの1曲を切り取ってもステージが成り立ってしまうと思える。

今回のステージは、29曲、2時間半弱でこれだけのナンバーを一切の贅肉なく演奏した完璧なステージだったと思う。それでもあの曲はやらなかったな、聴きたかったなと思えてしまう。これほど名曲があるのは、30曲以上演奏してもまた次にライブに行きたくなってしまうPaul McCartneyぐらいかもしれない。

今回のライブについての個人的な印象を3点述べます

① クライマックス、ハイライトのエッセンスを取り出したコンパクトなアレンジによる演奏は、現在の音楽シーンをキャッチアップしている
QUEENはアルバム『JAZZ』ぐらいまで、Bohemian Rhapsodyに代表される、仕掛けの多いサウンドだった。それが、QUEENの本質だと思っていた。が、今回のステージでQUEENが現在まで、これからも愛されている理由がわかったような気がした。とにかく今回のステージは、オープニングから、曲をフルコーラス演奏するというより、そのナンバーの“美味しいところのエッセンス”のみを抽出し、コンパクトにして畳みかけるステージングだった。元々熱量、パワーの塊のようなQUEENのナンバーが更に密度が濃くなり、常にクライマックスという感じたのだ。それは、現在、POPミュージックの時間がコンパクトになり、そのコンパクトな時間にとてつもない情報量が閉じ込められていることと共通している。QUEENのナンバーはそれだけのパワーを持っている。初期には、ハードロック、プログレであれば10分以上にはなりそうなアイディアを5分で聴かせ、時代が、PUNK、NEW WAVE、TECHNOと変遷してもその時代にあわせたグルーヴでバンドサウンドを変化させ、サヴァイヴしたきたQUEENである。
新曲は発表していないが、そのステージに時代への鋭い嗅覚とQUEENのナンバーの普遍的パワーを感じる。

② QUEENはレコーディングバンドとしての力量をライブバンドとしてその肉体性が超えていくこと目指していたのではないか
現在は、多数のライブ盤、映像作品がリリースされているQUEEN。思い出してみると最初のQUEENのライブ盤は1979年発売の『Live Killers』である。スタジオアルバムでいうと1978年のアルバム『JAZZ』の際のツアーのライブだ。Bohemian Rhapsodyの前にMustaphaのアカペラ部分をFREDDIEがアカペラで歌っているので間違いない。Mustaphaはペルシャ系であるFREDDIEのアイデンティ丸出しのぶっ飛びナンバーでこれこそFREDDIEしか歌えないと思われるナンバーだ。
『Live Killers』は(初版限定盤だけだったのか記憶は曖昧なのだが)、グリーン(ブルーかも)、とレッドのスケルトンのビニールでできた盤面だった。DISK1、DISK2がどちらだったかは忘れてしまった。上京したときに実家においてきてしまったから現物は、行方不明でがある。
当時はQUEENのアルバムは、迷わず予約して買っていた。キャリア、人気にしては、ライブ盤を当時としては、なかなか発売しなかったQUEENのライブへの期待は募るばかりだった。発売日にターンテーブルに乗せた。が、『Live Killers』を聴いたときの俺は、何か満たされない感があり、当時、あまり熱心に聴いていなかったことを思い出した。拍子抜けした記憶が鮮明なのだ。
何故か。
“音がペラペラにしか聴こえなかった”のだ。
QUEENサウンドというのは、唯一無二の多重録音のコーラス、BRIANのレッドスペシャルの摩訶不思議な音のギターオーケストレーション、展開の早い複雑な構成をスタジオワークで極限まで追求、挑戦した分厚いサウンドだった。その唯一無二のサウンドでオペラをも取り込んだ多様な種類のサウンド。中学生の俺は、それに魅了された。QUEENの初めて聴くQUEENのライブ≒『Live Killers』への第一の期待、興味はそのサウンドを俺が観たこともない外国のスーパーバンドQUEENなら完璧に再現しているであろうということにあった。が、実際は、中学生の俺は満足できなかった。現在、聴きなおしてみると、サポートメンバーもつけずに、4人でここまで出来るのかと思うのだが、その後のライブエイド、ウェンブリースタジアムのライブに比較すると、当時はライブバンド、スタジアムロックとしてはまだQUEENは成長期だったのだろう。ここからは完全に予想だが、QUEENのメンバーもスタジオアルバムとライブの差は意識していただろう。しかし、映画ボヘミアン・ラプソディのエピソードにあるように、We Will Rock You、We Are The Championsという必殺のスタジアムロックアンセムを作ることをやり遂げ、極限までサウンドをシンプルにしても圧倒的な熱量さえあれば観客を《巻き込み》、《支配し》シンガロング状態を作り出し、QUEENのエンターテイメントショーが完成することを目標にしたのだ。この変化がQUEENを最強のライブバンドとして脱皮させ、現在に至ったという理由だと思う。
QUEENのPOP化、ヒットシングルバンド化というのは、俺は当時、受け入れられなかったが、それは、ライブとして聴くということを想像できなかった(田舎のロック少年だから仕方がない。東京にも行ったことがなく、東京も外国だと思っていたのだもんな)俺の想像力の欠如だったと思う。
QUEENはレコーディングバンドとして出発したが、最終目標はレコードの力量をライブバンドとしてその肉体性が超えていくこと目指していたのではないかと今回のライブを観て考えた。
ライブバンドとしての凄みを世界中に示したのがライブエイドという最高の舞台であった。今回のライブでも流されたが、あの有名なAY-OH。これこそ、観客を自由自在に盛り上げてみせるというQUEENの姿勢であると思う。その究極が今回のステージであったと思う。

③ QUEEN + ADAM LAMBERTはもはやQUEENではない
冒頭に、今回のステージはFREDDIE追悼をテーマにしたライブだろうなぁと勝手に想像していたのだが、それは、いい意味で全く的外れの予想だったと記述した。なぜか、FREDDIEの登場場面が、少なかったのだ。 勿論FREDDIEの映像は登場しているし、ADAM LAMBERT、BRIAN、ROGERもFREDDIEへのリスペクトを忘れていない。が、全くの予想外の展開があった。

ステージの本編ラストナンバーBohemian Rhapsodyのラスト、

Nothing really matters Nothing really matters to me 
Anyway the wind blows…

の部分は、FREDDIEの映像、歌唱を流すのが常であった。が、今回はADAM LAMBERTが歌った。

FREDDIE のボーカルに負けない、個人的にはそれ以上の神がかったボーカルを魅せたのは「Freddie Mercury Tribute Concert」の故GEORGE MICHAELのSomebody To Love。これを観ては、QUEENのボーカルなんて益々できない。
なので、QUEEN + PAUL RODGERSの結成は驚いたし、さすがPAUL RODGERSだと感動した。
QUEEN + PAUL RODGERSもFREDDIEの映像を使った。プロレス的な表現になるが、PAUL RODGERSはFREDDIEに格負けしない。ブルースシンガーとしては格上。キャリアも格上。PAUL RODGERSファンは、QUEENの歌なんか歌うなと思った人もいるだろう(事実、俺はQUEEN + PAUL RODGERSのライブのとき、PAUL RODGERS の All Right Now をものすごく楽しみにして行った)。今思い返すとQUEENが活動再開するにあたって、FREDDIEの歌を歌うシンガーの選択は相当迷っただろう。誰を選んでも批判はあることは容易に想像がつく。PAUL RODGERSであれば、PAUL RODGERSの名曲を演奏することもできるので、コラボレーションということの強調とボーカリストとしての力量、キャリアともFREDDIEには負けないという思いもあったはずだ。そのPAUL RODGERSでさえ、Bohemian RhapsodyのラストはFREDDIEの映像を使った。前回のQUEEN + ADAM LAMBERTもFREDDIEの映像を使った。しかし、今回は違った。
長年ライブ活動してきたQUEEN + ADAM LAMBERT。世界中を熱狂させてきた。ADAM LAMBERTは、FREDDIEではないし、FREDDIEのモノマネもしない。その圧倒的な力量は世界中が認めている。が、適切な表現ではないが常に、FREDDIEという偉大すぎる希代のボーカリストの跡目といういう感覚が無言のうちに俺にはあったし、多くの観客にもあった。しかし、長年のステージのパフォーマンスに圧倒され、その完成形の今回のステージに俺は亡きFREDDIEではなく、QUEEN + ADAM LAMBERTを観に行ったとはっきり自覚した、BRIAN、ROGERは今回の世界ツアーであくまでQUEEN + ADAM LAMBERTであると世界中に宣言したのだと思う。それが、Bohemian Rhapsodyのラストの歌唱で表現されたと思うのだ。今後もQUEEN + ADAM LAMBERTへのFREDDIEについてのマスコミの報道は続くであろうが、もうそれも収束するだろう。映画ボヘミアン・ラプソディでFREDDIEの物語は完結したのかもしれない。特にFREDDIEの存命時代を知らない若いファンはQUEEN + ADAM LAMBERTであり、ADAM LAMBERTに黄色い声援を送っていた。新しいファンをADAM LAMBERTが獲得している。今後は、FREDDIE、QUEENの数々の名曲のみが残っていくのである。
 

BRIAN、ROGERも70歳を超えた。次の来日があるのかはわからない。
勿論、俺は次があることを祈っている。

何故なら、今回のライブにたった1つ不満があったからだ。
BRIANのギターソロのコーナー。Teo Torriatte (Let Us Cling Together)の作者らしくBRIANは「遠き山に日は落ちて」を演奏した。世界中の各地にあわせて、このコーナーで各国のトラディショナルな曲をギター演奏しているのだろうな。QUEEN、BRIANらしい演出。

でもBRIAN、触りだけ、少しでいいからさ、Brighton Rock風の津軽三味線ソロ聴かせてほしかった。
次の来日では頼むよ。

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