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KinKi Kidsが抱きしめたもの

吉田拓郎から受け取った涙や笑顔

KinKi Kidsが歌った「全部だきしめて」は、師が結婚式で歌い上げた曲であり、それゆえに僕にとって重要な曲である。本曲の詞を書いたのは康珍化氏であり、KinKi Kidsにメッセージを託したのは彼だと言うこともできると思う。ただ、この曲が初めて収録されたのは吉田拓郎氏のライブビデオであるようなので、<<涙>>や<<笑顔>>といったものをKinKi Kidsに歌わせた功労者は、吉田氏だと解釈して、この記事を書きたいと思う。

僕は所謂「アイドル」の曲を、それほど熱心には聴いていない。もちろん彼ら彼女らの曲が嫌いだというわけではないけど、本音を言えば自ら作詞・作曲するようなアーティストのほうに敬意をいだいている。それでもKinKi Kidsの歌声は、とりわけ「全部だきしめて」を歌う姿は、まったく軽薄なものには感じられなかった。それは吉田氏の委ねた真摯さを、多くのジャニーズ・ファンに届けたわけであり、そういう意味でKinKi Kidsを敬愛している。

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人が大事な誰かの<<全部>>を抱きしめることは、はたして可能なのだろうか。もし不可能ではないのだとしても、それは相当に困難なことなのではないか。そのようなことを思わせる本曲を預けられたKinKi Kidsの声には、悲壮感のようなものさえ滲んでいると僕は感じる。

<<だれかを傷つけたいなら 迷うことなく ぼくを選べばいい>>

どれだけ近しい人を大事に思っていても、そう力強く宣誓することは、やはり僕には難しい。もちろん僕は、そばにいる誰かに、いつも笑っていてくれることなどは求めていない。むしろ泣きたい時には泣いてほしいと思っている。人の悲しみに寄り添って、気の利いたことを言えるようなデリカシーを持たない人間ではあるけど、泣きたい時は泣くべきだと心から思っている。だから「泣いていい?」と訊かれたら、もちろんだと答えるし「泣いてゴメンね」と言われたら、謝ることなんてないと返事をする。それでも僕は、相手に傷つけられることまでをも受け止められる器は持たない。

私人としてのKinKi Kidsが、どれほどの包容力を持っているのか、もちろん僕には分からない。もしかすると彼らは、人に傷つけられることさえも望めるような、強い人たちなのかもしれない。それでも声調から感じ取れるのは、自分たちが誓っているのが、どれほど重いかを噛みしめていることだ。KinKi Kidsが抱きしめようとしているのは、相手の美しさだけではないのだ。自分の心に刺さる可能性さえも持つような<<全部>>なのである。

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そうやって相手を思いやり、その弱さを受け入れようとするKinKi Kidsは、自分もまた強くはないことを歌いもする。

<<ひとりになるのは 誰だって恐い>>
<<間抜けなことも 人生の一部>>

恐らくはKinKi Kidsは(少なくとも楽曲の主人公は)<<ひとり>>の辛さを味わったこともあるのだろう。もちろん人間は、あらゆるものから断絶されることはない。それでも、自分が孤独であるように感じて悲しくなることはあるものだと思う。そして、どんなに真面目で正義感にあふれ、一貫性をもった人の日々にも<<間抜け>>な瞬間はあるのではないかと思いもする。そうやって恐怖にとらわれたり、自分の愚かな一面をさらけだしたりしてしまうことは、決して恥ずかしいことではないと思う。僕自身が、己の弱さや間の抜けた面を恥じていないかと言うと(それこそ恥ずかしいことに)答えはノーである。できれば強くありたいとは思う。でも、そんなに大それたことを願うべきではないとも考えている。無様なままでやっていくしかない。だからこそ大事な人を<<ひとり>>にはしたくないと思う。

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本曲を師は、笑みを浮かべて歌った。その威風からは迷いなどは感じ取れなかった。それからの年月を、師が<<全部だきしめて>>生きているのかを、僕は詳しく知りはしない。どんな人の包容力にも果てはあるのではないかと考えている。師が抱きしめそこなったもの、その手で受け止めることはできなかったものも、もしかすると少しくらいはあるのかもしれない。それでも師が、本曲を明朗に歌い上げることで未来を照らした日のことを、僕は鮮明に覚えている。誓ったという事実が重要なのだ。誓う勇気さえ持てない僕よりも、師のほうが何倍もクールだ。

KinKi Kidsは最後に、こう歌う。

<<きみが笑うなら きみの笑顔まで>>

相手に泣くことを赦し、傷つけられることさえも厭わないKinKi Kidsは、究極的には<<笑顔>>を望んでいる。それでも「笑ってほしい」とは言わないのだ。<<きみが笑うなら>>と、あくまで相手の自由を尊重する。人間は笑おうと思って笑えるほどに強くはないと、個人的に考えている。かくいう僕も笑うのが苦手だ。だからこそ僕は、相手が笑ってくれるのを待つだけの粘り強さは、もっていたいと思っている。そして師が、あの日、笑いながら歌ったことが、どれだけ尊いことだったかを、あらためて思う。

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市民ミュージシャンとして、本曲のアレンジに目を向けてみると、心持ち早口で歌われるAメロとBメロを、急ぎすぎないようなだめるかのように、息継ぎをしながら鳴るベースラインが印象的だ。それはKinKi Kidsの歌唱を守るものでもあり、歌詞に込められたメッセージを強調するものでもあるように感じられる。守るだけの人はいないだろうし、守られるだけの人もいないだろう。大事な人を守ろうと歌うKinKi Kidsの背後でベース音が鳴っているように、師を仕事場に送り出す愛妻は(比喩的な意味で)ベースを弾いているのではないかと思う。

<<全部だきしめて>>

くり返すように、それは困難なことだ。もしそれを果たせる日が来るとしたら、まずは自分が、いくつもの悲しみを乗り越え、涙を流し、その向こうに希望を見つけられた時だと思う。KinKi Kidsが(著名人であるという意味で)遠い存在であるように、師の背中も、はるか遠い。

※《》内はKinKi Kids「全部だきしめて」の歌詞より引用

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