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ラナ・デル・レイのサッド・コア・ミュージックとは?

亡霊のすすり泣きが聞こえる『ウルトラヴァイオレンス』

長年音楽を聴いてきて、グラミー賞の結果が気になったのは2020年が初めてだったかもしれない。結果は、弱冠18歳のビリー・アイリッシュが主要4部門独占というものだったが、これに関して何か言いたいことがあるとすれば、「ちょっと偏りすぎかな?」という少しばかりの懐疑心と、若くして頂点を極めてしまった彼女に対する漠然とした不安感だろうか。

ではなぜ今回気になったのかというと、昨年、驚異の新星として話題を集めていたビリー・アイリッシュが多大な影響を受け、尊敬するアーティストとして公言していたのが、女性シンガー・ソングライター系の中で近年僕が最も魅せられているラナ・デル・レイだった事と、その両者が最優秀楽曲賞と最優秀アルバム賞にノミネートされていたからである。こういった権威ある賞にほとんど無頓着な僕でも、流石にこれは気にせずにはおれなかったというわけだ。

双方のアルバムを聴いて感じたことは、どちらも聴くほどにじわりと染みてくる深みと味わいのある音楽だということである。明るくノリのいい曲は一切なく、終始ダウナーな雰囲気が漂っているため、誰もが楽しめるようなエンターテイメント性は希薄に思える。そもそも、こういったタイプのものが超メジャーな印象しかないグラミー賞にノミネートされたことがとても意外な気がした。しかし、これこそが今の時代を反映したメジャーな音楽なのかもしれない。

ところで、自分の事をリスペクトしてくれる、ほとんど姪っ子か娘ほどの若いアーティストとグラミー賞を競い合い、ものの見事に両方とも持っていかれてしまうという、まるで映画のようなドラマチックな結末を、ラナはどう受け止めているのだろうか。普通に考えても、冷静ではいられない思いや大いなる葛藤があったであろうことは想像がつくが、真相が明かされることはないだろう。

ビリー・アイリッシュの抑揚のないささやくようなヴォーカリゼーションと、冷涼地帯をずっと低空飛行しているようなサウンド・プロダクションからは、ラナ・デル・レイをリスペクトしていることが嘘ではないことが如実に伝わってくる。しかしながら、ビリーとラナのご両人は、グラミー賞にノミネートされたお互いのアルバムを本当はどう思っているのだろうか。もっとも、そんなアーティストの複雑な深層心理なんて、純粋に音楽を享受するだけの僕にはさして重要なことではないのだけれど・・・。

というわけで、本題のラナ・デル・レイである。各方面で軒並み高評価を獲得し、グラミー賞にもノミネートされたアルバム『ノーマン・ファッキング・ロックウェル!』はそういった世評通りの、現時点における彼女の最高傑作と呼ぶにふさわしいものに思える。個性的でありながらも技巧を全く感じさせないヴォーカル・スタイルと声そのものの絶大なる魅力は筆舌に尽し難く、一見70年代のシンガー・ソングライター然としたメロディアスで落ち着いた雰囲気を漂わせつつ、耳を澄ませば最新鋭でありながらそうとは気づかせない巧みな音使いが随所に垣間見られる。これは、2010年代を象徴する必聴のアルバムだと思う。

そういった事を踏まえた上で大々的に推したいのが2枚目の『ウルトラヴァイオレンス』である。このアルバムを初めて耳にした時の戸惑いを言葉で表現するのは非常に難しい。まず、アッパーな曲が1曲も入っていないことに驚かされた。これを斬新といえば聞こえはいいが、こんなことが商業的に通るのだろうか、しかも、ほぼ同じような曲調と雰囲気に統一されていて、それでアルバム1枚が成り立つのものなのだろうかと思った。しかし、何度か聴くうちにその特殊すぎるサウンド・コンセプトこそが、ラナ・デル・レイという他に類を見ないアーティストにとっては不可欠なのだと否応無しに納得させられてしまうのである。

彼女のデビュー・アルバムにして出世作の『ボーン・トゥ・ダイ』ではまだそういったコンセプトは完全に確立されておらず、普通にポップ寄りに作られた曲や、ヒップホップの要素を取り入れたような曲も収録されているのだけれど、『ウルトラヴァイオレンス』の後に改めて聴くと、そういったものには少なからず違和感を覚えてしまう。そこを彼女が自ら修正したのかどうかは知る由もないが、沈み込むような薄暗いニュアンスだけを摘出して培養し、徹底的に濃度を高めて生み出されたのが『ウルトラヴァイオレンス』だと言える。

そういった化学反応が最もよく表れているのが「シェイズ・オブ・クール」から「ブルックリン・ベイビー」へと連なる2曲だろう。多量のエコー処理が施されたラナの震えるようなハミングは、この世のものとは思えない黄泉の国からこだまする亡霊の嘆きのような響きを放つ。因縁の男を呪い殺さなければならない宿命を背負った女の亡霊が不意に男へ恋心を抱いてしまう。女は許されざる想いにもがき苦しみ、己の運命を呪い、堪えきれない胸の痛みにすすり泣く・・・と言った感じだろうか。

ラナは自身の音楽を”サッド・コア”と命名し、他の音楽とは隔絶した特別なものと捉えているが、僕は歌詞の内容を把握していないのでラナがどういった事を歌っているのかは全くわからない。しかし、彼女の歌声にはこういった特殊な空想をも可視化させてしまう圧倒的な表現力があり、サウンドに関しても、多彩な音処理を施した感傷的なギターの音色で全体を包み込んでいるため、他のアルバムからは感じることのできない、底なし沼のような情念が指の隙間から見えるような気がして恐ろしくなる。

にも関わらず、僕の耳には果てなき安息感を伴ってその音は響いてくる。ラナ・デル・レイの歌声には安らかなる揺らぎがあり、それは終わることのない永遠の聖歌のようにも感じられる。彼女自らがサッド・コアと命名するほど痛みと悲しみに満ちた音楽が、どうしてこんなにも心に安らぎをもたらすのだろうか。これは、人間を癒すものが何も喜びだけとは限らないという真理の証なのかもしれない。人間とは、かくも複雑怪奇な生き物だということなのだろうか。それは実際にこの音楽を耳にした者だけに問われる永遠の謎である。

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