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2017年7月27日

中野聖華 (22歳)
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9mm Parabellum Bulletが立った塔の頂

運命を越えた衝撃、「TOUR OF BABEL Ⅱ」の夜

暗転して大歓声がこだまする昭和女子大学・人見記念講堂に轟いたのは、お馴染みのSE、Atari Teenage Riotの「Digital Hardcore」だった。続いて、菅原卓郎が“9mm Parabellum Bulletです、こんばんは”と律儀に挨拶をする。
9mm Parabellum BulletといえばこのSEと菅原の挨拶がお決まりであるが、このツアーに限定して言えば、”お決まり”ではなくむしろ掟破りだった。この公演の直前まで行われていたホールツアー『TOUR OF BABEL』は彼らが5月に発売したアルバム「BABEL」の世界観をそのまま投影したようなライブで、1部は「BABEL」の楽曲たちをアルバムの順番そのままに演奏し、2部でこれまでの楽曲を披露するという2部構成になっていたのだ。その際、1部の開演前にいつものSEは鳴らず、一言も発さないままに、心臓が飛び出てしまいそうなけたたましいブザー音のみで「BABEL」の世界に突入したのだった。

『TOUR OF BABEL “Ⅱ”』と名付けられた2017年7月2日の公演は、上記に挙げたツアーとは全く異なる、特別な仕掛けがたくさん詰まったライブだった。これから書き留める記録は魔法のような仕掛けではなく、バンドマンとしての真価のすべてである。

オープニングは「サクリファイス」、「インフェルノ」というアニメ『ベルセルク』のタイアップ2曲で幕を開けた。ここから≪運命を越えて≫、≪命を燃やし尽くせ≫と問う戦いが始まった。5人編成の9mmはステージ前方の上手にドラムのかみじょうちひろ、中央にボーカル・ギターの菅原卓郎、下手にベースの中村和彦という配置。さらに、菅原の後ろには最強サポートギタリスト、HEREの武田将幸とfolcaの為川裕也がスタンバイしていた。
「BABEL」の楽曲が現れたのは4曲目、「Story of Glory」。本来ならば優雅さの代名詞のようなワルツの3拍子だって彼らにかかれば、音符が炸裂したような無敵感のあるロックアンサンブルに変貌する。これまで「Wanderland」や「生命のワルツ」といった楽曲でも武器としてきたワルツを今作でも携えてきたのだ。この曲は、この夜「BABEL」の一番手として登場するのに最もふさわしい楽曲であったと思う。なぜならば、オーディエンスとメンバー双方のこの夜に賭ける熱い想いが非常に端的に歌詞として描かれているからである。≪続きを今も待ち焦がれている≫のはここに集ったオーディエンス。いくつもの逆境を越えてきた9mm Parabellum Bulletというバンドのその先を見せてくれよ、と拳を掲げて彼らを鼓舞する。それに応えるかのように5人は≪おれたちは今夜無敵なんだ≫と同じように拳を掲げる。音で意思疎通を図る、そんな魂の一曲なのだ。

改めて“今夜はこれまでの「BABEL」のツアーとは全く違ったものになる”と菅原からアナウンスされた後に演奏された「火の鳥」では、ステージが雲海のようなスモークの波に浚われた。赤く照らされた雲海はまるで地球の溝とも言うべき、深い深い地底にできたような様相だった。ここで感じ取れるのは燃えるような生命力。豪快にシンバルが二回鳴らされたあとに底から湧き上がってくるようなタムの連打、さらに勇壮さが増すミドルテンポな終盤のサビ、これらが底から懸命に這いあがるように翼を広げる火の鳥の姿を連想させる。羽があるからといって容易に空を舞うことができるわけではない。魂を燃やす、闘志にも似た生命力があるからこそ、その羽は大きく動くのである。要とも言うべきギタリスト・滝善充がステージから去り、全く先の見えない不安に押しつぶされそうになった9mmに宿っていたのも、このような生命力だろう。さらにその流れは続いた。
“少しだけ前の曲です”と言って始まった「Lost!!」で突如登場したダンサー陣。MVにも出演していたダンサー本人の登場に会場からは驚嘆を含んだ歓声が漏れる。客席の隙間を縫ってステージに立ったダンサーたちの舞いは、しなやかさの中にかりそめではない、明らかな意志の強さと情熱を感じるようなものだった。やはりこれも一種の生命力であると思う。方法こそ違えど、私が今書いている文章も彼、彼女たちが舞ったダンスも、9mmの楽曲を音楽とは別の形で表現しているという点では相違ない。

アップライトベースがステージに運び込まれてきただけで会場全体が期待に満ちた空気に包まれる。「キャンドルの灯を」は何と言ってもライブで披露される珠玉のイントロが素晴らしい。かみじょうがスティックでカウントを取るまでの数秒間でオーケストラのような気品とドラマチックな展開を匂わせておいて、一瞬で宿った炎の環によって蝋が全て溶けてなくなってしまうような猛烈な場面展開が急にやってくるもんだから参ってしまう。しかし菅原が歌い始めると、先ほどの炎は嘘のように消えてなくなり、また暗闇の中に乳白色の美しい蝋燭がぼわっと現れるのだから、全く油断できない。

炎が揺れる暗闇に中村とかみじょうの重厚感たっぷりの低音が鳴り響く「バベルのこどもたち」に続いては、菅原からバベルの“おともだち”をステージに呼び込むことが告げられると、会場はまた一気に盛り上がりを見せた。武田が去ったステージに更なるサポートギタリストとして現れたのは9mmの盟友とも言うべきthe telephones/lovefilmの石毛輝だった。手始めに、難しすぎるあまりテンポを格段に落として練習してきたという「I.C.R.A」が投下された。“愛し合え”というフレーズを豪快に叫ぶサビとは対照的に、Cメロの歌詞に合わせて動く菅原の指の繊細さには息が止まりそうになる。続けて為川も去り、4人となったステージで思い出の曲だと言って演奏された「Supernova」は9mmの代名詞とも言うべき強烈なピッキングが熱を誘うファーストシングルである。そんな「Supernova」が発売された2008年当時からthe telephonesと9mm Parabellum Bulletは同じロックシーンで戦い抜いてきた戦友であり、酸いも甘いも共に経験してきた盟友であり、素晴らしい音楽を通してシーンを盛り上げたいという共通の野心をもった同志であった。しかし2015年の秋、the telephonesはさいたまスーパーアリーナでのライブをもって無期限の活動休止状態に入った。あの日以来、本人たちによって演奏されることがなかった彼らの楽曲たち。その封印がこの日、ついに解かれた。聞き馴染みのある石毛の甲高い声を合図にスタートしたのは、なんと「Monkey Discooooooo」。これまで見てきたthe telephonesの勇姿が走馬灯のようによみがえり、止まっていた記憶が更新された。後に石毛がインスタグラムで語ったこの日の真実は涙なしには読めない、彼の覚悟と愛が封じ込まれた物語だった。一度止まることを選んだバンドと、続けることを選んだバンド。選択こそ違えど、彼らが音楽を通して築き上げてきた関係性は一寸のズレもなかったということが証明された。ミラーボールが照らす久々のステージでディスコと叫びまくる石毛のパフォーマンスに、客席からは歓声が鳴りやまなかった。

再び武田と為川がステージに戻ってくると、閃光のような無数の白い矢が天から垂直に降り注いだ。「ホワイトアウト」で為川はアコースティックギターを手にし、菅原と共に少し左右に揺れるように歌を奏でる。そのすぐ隣で、全身を縦に振り乱しながら要塞から凄技を連発するかみじょうちひろ。その対比が実に美しく、激しさの中に独特の哀愁のようなものを感じさせるのが得意なこのバンドらしいなと感じた。続く「それから」では、盆踊りのようなCメロから菅原の超高速台詞へ流れ込む。「BABEL」というアルバムは≪あなたは微笑んでいました≫という叙事とも取れるような一節でフィナーレを迎える。しかしこの日のライブはまだまだ終わらなかった。海沿いの街、ガラスの街、孤独な戦いの街と、まるで万華鏡のようにくるりくるりと情景が展開されていく。しかし、そのような旅は突然の着火により終わりを告げる。菅原が珍しくギターを置き、ハンドマイクで客席を沸かせる「ハートに火をつけて」から怒涛のクライマックスが始まった。
わかりやすいスカパンクのメロディ。けれど、9mmが創り、奏でれば、もうそれは紛れもなく9mmの楽曲になる。彼らのようにメロディを自分たちのモノにしてしまう力があるバンドは楽曲ごとに音の振り方を変えながら、多彩な顔を見せることができるという最強の武器を携えている。そしてその武器を見せつけるように十二分に披露する時がやってきた。間奏で魅せた石毛を含めた六者六様のソロパフォーマンスは聴覚的にはもちろんのこと、視覚的にもオーディエンスの歓声を誘う素晴らしいもので、酔いしれたというよりは、鼓舞されたという言葉を選ぶのが妥当と言うべき内容だった。各所から圧巻の声が上がる中、いつものように涼しげな顔でスティックを回しながら、千手観音のような技を連発しまくるかみじょうの隣で、バンドマンが一列に正座をして食い入るようにその轟音を見つめている姿にはさすがに笑ってしまったが、そんなお茶目なシーンも含めてしっかり緩急のついた圧巻のプレイの数々だった。
さらにここで思い知ったのは、今の9mmを支えてくれている武田、為川をはじめとする強力サポートギタリスト陣の覚悟である。菅原が歌いあげている背後でこれでもかというくらい暴れまくっている姿には9mmへの愛を存分に感じていた。しかしソロの演奏で感じたのは、彼らがホームとするバンドであるHERE、そしてfolcaという自らのバンドに対する誇りと9mm Parabellum Bulletのギタリストという役目を背負った覚悟だった。どんな音でも9mmは自分たちのモノにしてしまうと前述したように、この2人にも己の音がある。それを堂々としたプレイで9mmのオーディエンスに見せつけた、その姿はまさしく音楽を愛するロックスターだった。

菅原もギタリストとしてソロを披露し、そのままマイクをギターに持ち替えて流れ込むように「ハートに火をつけて」を演奏し終えた後、お次はそのギターをマラカスへと持ち替えた。先ほど、アップライトベースが運び込まれてきたときと同じような期待の声がオーディエンスから漏れる。お馴染みのカウントで「Talking Machine」をぶち込んだあと、まだそんな余力が残っていたのかと感嘆してしまうほど強烈なカッティングが私たちを襲った。オリンピックでいつもぶっちぎりの走りを見せつけているあの伝説的な選手よりも超高速で、割れんばかりの拍手喝采が聴こえてきそうなイントロ。それに畳みかけるかのように気持ちの良い破裂音から生まれた無数の金テープ。最後まで双方が集中力を切らすことなく目指した塔の頂。最後に羅列されたのは≪陽炎/対流圏/螺旋状≫といった堅実的な日本語とそれをぶち壊すかのような危険なサウンド。対極なものが混じりあう「Punishment」で彼らは本編を締めくくった。

ここで大きく話を変えるが、そもそも今回のアルバム名となっている「BABEL」とは、旧約聖書の神話に登場する巨大な塔の名称である。それによると、天に届くほど高い塔の建設を進めていた人間に危惧を示した神が、人々の言葉を乱し、言語機能によって意思疎通することを不可能にした。これにより、人々は混乱に陥り、塔の建設を放棄して、世界各地へ散らばっていったという。そんな、人々が成し遂げられなかった塔の建設を9mm Parabellum Bulletというバンドは今にも成し遂げようとしていた。

アンコールを待つ人々の期待。先見の明なんてなくてもわかってしまう、これから始まる特別な時。なんだか妙にそわそわと落ち着かない一方で、着実に進められる新たな機材のセッティングを固唾を呑んで見守る。自然とアンコールを求める手にも力が入った。

再び「Digital Hardcore」が鳴り響いたのは突然のことだった。一瞬で正常であるはずの思考回路は済し崩される。かみじょうちひろ、中村和彦、菅原卓郎の3人に続いて、少し間を空けて滝善充がついにステージに現れた。文句なし、今日一番の大歓声である。菅原がもう一度ライブをはじめますと言わんばかりに“9mm Parabellum Bulletです、こんばんは”と、ついさっき聞いたばかりの挨拶をした、ただそれだけのことで感動は既に最高潮だった。4人がいつものフォーメーションとは違う、一列に横並びにスタンバイしたところで幕が開いたのは「BABEL」の冒頭を飾る「ロング・グッドバイ」の世界。開始一秒、久々に見る滝の強靭なギター砲。ホールのちょうど中央辺りの座席、前が滲んで視界が悪い中でもハッキリとわかるほど生き生きとした滝の演奏。それだけで、ただそれだけで本当に幸せだった。ここで彼らは4人で最後のピースを埋め込み、塔の頂へ立った。上からも下からも果てが見えないほどの場所に立った4人を照らす光。それこそまさに「新しい光」だったのである。私の目に飛び込んできたのは、速さと破天荒さ、そして正確さを兼ね備えた滝の姿そのものだった。その暴れっぷりに思わず笑いがこみあげる、そんなことも久しぶりだった。
去年の6月19日、私は憧れの日比谷野外音楽堂で大好きな9mm Parabellum Bulletのライブを見るという夢のような一日の中にいた。しかしあの日、滝は突如苦しそうにステージを降りた。なんとか戻りライブを続行したものの、それはとても安堵して見られる状況ではない、とにかく壮絶なライブだった。その光景は脳裏にこびりつき、それ以降のライブはいつも祈るような気持ちで彼らを見ていた。けれど、この日の滝はこれでもかというくらい四方八方へ体を動かし、何度も何度もギターを頭上へ高く挙げていた。そこに不穏な空気は一切なかった。
そして最後の最後に、今宵一番のドラマが起こった。存分に暴れまわった滝が本来の立ち位置なんてそっちのけでメンバー3人よりも上段に立ち、最後の一音をぶち込んだ瞬間、ステージの背面に掲げられていた「BABEL」仕様のバックドロップ幕に覆いかぶさるようにして9mm Parabellum Bulletという文字がでかでかと描かれた“いつもの”バックドロップ幕が急直下に降りてきたのだ。まるでこの4人が9mm Parabellum Bulletだと証明しているような瞬間だった。その場にいた誰もがこれ以上ないクライマックスに鳥肌を立たせずにはいられなかっただろう。その後、滝はすべての力を出し尽くしたようにふらふらとステージを去っていった。“いつもの”滝の姿だった。
この日、生み出された最高のステージングの数々。そのすべてが9mm Parabellum Bulletそのものだった。バンドのキーマンとも言うべき滝がステージに立つことができなくなったなんて、そんなの9mmじゃないという人もいるだろう。けれど、このバンドを愛する人間たちが集結したステージは紛れもなく9mmのステージなのだ。それは物理的な問題ではなく、心理的な問題である。滝がいないことなんて最後尾の席から見ても一目瞭然だ。けれど、私が好きな9mm Parabellum Bulletというバンドは嵐の中でも強靭で潔く、パワーに満ち溢れている。神にその行く手を阻まれても「BABEL」という崇高で秀麗な塔を建てることを完遂した彼らが頂から見た景色の中に私もいたんだと考えると、それだけで誇らしい。音楽から受け取るパワーというのは、その音楽性や人間性、自分の置かれている境遇などによって様々だ。あの夜を目撃した人が吸収したのはどのようなパワーだったのだろうか。それはきっと十人十色だろう。けれど、あの日ステージにいたすべての人から生み出された衝撃と覚悟を孕んだとてつもないパワーは、一か月が経とうとしている今日だって誰からも剥がれ落ちていないはずだ。さぁ、その武器を携えて、運命なんて越えていけ。

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