3563 件掲載中 月間賞毎月10日発表
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

「ただいま」のために「さよなら」を告げる

流行りの人というレッテルを吹き飛ばしたあいみょんと「葵」

カップリング曲。

カップリング曲といえば、CDを買ったり、聴こうという意志を持っていたりしないと、耳に届くことが難しいことが多い気がする。

カップリング曲を好きだと言えば、あ、この人はファンなんだな~と思われる時だってあるだろう。

というわけで、流行りの人というイメージであいみょんを捉えている人にとっては、中々聴くタイミングが無いカップリング曲。

「葵」はそれに該当する、と私は思っている。

「空の青さを知る人よ」というタイトルのシングルの、「空の青さを知る人よ」という曲の次に流れてくる曲が「葵」だ。

私は、そんな「葵」に巡り会う。

映画のCMで流れてきた「空の青さを知る人よ」のサウンドが、なんとなくハマってしまったものだから、気になり、CDを何気なく購入した。

「空の青さを知る人よ」もなかなかの名曲である。映画の世界観に寄り添い、尚且つ、あいみょんらしさを残し、人々の心を抱きしめる。

「空の青さを知る人よ」は、誰かを想う曲だと、私は思う。

そして、
「空の青さを知る人よ」が誰かを想う曲、ならば、
「葵」は自分自身のための曲、だと思う。

先に言っておこう。
私は「葵」が物凄く好きだ。
そして「葵」を聴いて、ボロボロに泣いた。
実は、私にとってそのことは重大なことなのである。

他のアーティストの曲を聴いて泣くことはよくある(私の他の音楽文を見てもらえれば分かる通り、しょっちゅう音楽で泣きまくっている)。

だが、あいみょんの曲で泣くことはそれまで無かった。

「マリーゴールド」や「今夜このまま」や「恋をしたから」など、有名どころしか知らないが、泣いたことはなかった。

だけど泣いたのだ。

私はその事実に少々驚いたものだから、少し音楽で泣くことについて考えた。

どうして私は音楽で泣いてしまうのか。
どんなときに泣いてしまうのか。
何を思って泣いてしまうのか。

久しぶりに夢中になって考えた。

その結果、私の経験上でだが、
自分自身がそのとき、悩んでいること、困っていること、深く思っていること、考えていること、の、ど真ん中を音楽で射ぬかれた時に、人は思わず涙を流すのではないか、と思った。

つまり、私は、あいみょんという遠く離れた場所にいる人に、思っていることを射ぬかれたのだ。

そう思ったら、何故か簡単に涙の理由に納得してしまった。

彼女の、今までに無かったような潔い真っ直ぐな声は、「葵」の最初でこのように歌う。
 

『きっと僕たちが想像した未来は
 幼い頃見つけた石ころみたいに丸っこくて
 変な傷痕なんかもなくてさ
 平和っていう漢字の通りなんだって思っていた』
 

共感した、と言うのが適しているのだろう。
自分も同じだ、と心の中で自分が呟いていた。

本当にそのままだ。

きっとここで、私も~と思っていた、といったことを書けばいいのだろうが、書いたところで歌詞の真似のようになるくらいそのままなものだから、やめておこう。

そして、この歌詞を彼女がイヤホンの向こうで放った時、私はあることに気付いてしまった。

きっと私は、あの頃が恋しい。

信じられないくらい恋しくて、きっと泣きそうになっていたのだ。

私はまだ中学生で、中学生の視点でしか考えることが出来ないが、
確かではない未来のために自分自身を追い込んでまで勉強したり、人と話すことでいちいち悩んだり、人間関係とかいう蜘蛛の巣に何度も苦しんだりしている今は、
恋しいあの頃の自分は想像も出来なかった未来だ。

もっと自由で、楽しくて、色んなものに目を輝かせて、走るように生きている未来を想像していたはず。

そして私は、
そんな私に戻りたいと、強く願ってしまっていた。

今待ち構えている全てのものを投げ出して、世界一周みたいな冒険を、強く望んでしまっていた。

だけど本当は、何も出来ないで足掻いているだけで、逆に苦しくなっていたのかもしれない。

そういう虚しさに気付いた。

だが、彼女はこう歌った。
 

『サヨナラ いつかの少年の影よ
 また会おうな まだただいま
 言える場所はとっておくぜ』
 

彼女は、自分自身の少年の影と対峙してどうすればいいか分からなくなっている私の背中を、勢いよく「大人」という少年の逆方向に押し出した。

その代わりに、だ。

『ただいま』の場所をとっておくぜ。
そう言ったのだ。

変に私は、安心した。
心が安らかになった。

『ただいま』の場所をとっておく。
その考えを、私は持っていなかった。

少年のままで居続ける、という選択肢と、
少年とは決別して大人になる、という選択肢しか無いと思っていた。

でも、そうじゃない。

大人になるけれど、自分の中の少年をとっておく。

つまり、帰る場所をとっておく。

そういう選択肢を、彼女は提示した。

戻らずに前へ進め。とにかく前へ進め。
そんな応援ソングはたくさん聴いてきたが、本当に辛いときに聴くと、逆に辛くなってくる。

だけど、あいみょんは、

君には帰る場所があるんだよ。

そういう「ただいま」を提示して、 
進め!とか、走り出せ!とかじゃなくて、

「さよなら」と言った。
 

それが、「葵」の本質だと、私は思っている。

家を出ないと、人は「ただいま」を言えない。
だから、「ただいま」の代わりに「さよなら」と言う。

そんな当たり前のようなことだけど、私自身忘れていた大切なことを、彼女は教えてくれた。

戻ることも、進むことも出来なかった弱っちい私は、その本質に気付き、ボロボロに泣いてしまったのかもしれない。

また、彼女の声や、ギターの音も涙の要因なのかも、と不意に思った。

専門知識は無いが、恐らくBメロと呼ばれるところは、彼女の声と、アコギの音がよく聴こえる。

私は、そこに大きな温かさを、温もりを感じる。

ギューっと抱きしめてくれている感じがする。
物凄く安心するのだ。
 

もしかしたら、私は、自分で知らないうちに物凄く寂しくなっていたのかもしれない。

もうこの年になったら、寂しいを理由に親に優しく抱きしめてもらうことも、恥ずかしくて出来ない。

でも本当は、ちょっとでも寂しくなったらすっと隣に来てくれて、ずっと見守っていてくれて、もし泣いてしまったら泣き止むまで肩をさすってくれる、抱きしめてくれる、温もりが欲しかったんだろう。

それが、音楽だった。「葵」だった。

そのせいで、彼女の声だけで、不意に聴こえるアコギの音で、信じられないくらい泣いてしまうようになったのかもしれない。

ファンの方々には本当に申し訳ないが、正直、私にとってあいみょんは、流行りの人だった。
流行りに乗り遅れまいと聴いていた。

だけど彼女は、
私が勝手に貼っていた流行りの人というレッテルを見事に蹴り飛ばしてくれた。

「葵」が、私にとって大切な唄の中のひとつに加わったことは間違いない。

そして私は、少年のように思った。

一度でいいから、あいみょんに会いたい。
ライブを見に行くとかじゃなくて、話してみたい。

でも、きっと会ったところで何も言えないだろう。
会った瞬間、私の心の中は感謝で溢れるはずだ。

溢れすぎて、どうすればいいか分からなくなって、何も出来ない気がする。

頑張ったところで、結局は、ありがとうという言葉しか出てこないだろう。
本当はもっとカッコいいことを言ってやりたいけど、本当にそれしか出てこない。
感謝しかありませんっていうのはこのことかと思った。

だけど、感謝を伝える義務はあるはずだ。
それはあいみょんに限らず、私を支えてくれた全てのアーティストにだ。

ちょっと熱くなりすぎたかもしれない。
どっちにしろ、あいみょんは確実に、私の青春の1ページを鮮やかに葵色に染めてくれた。
 

「ただいま」のために「さよなら」を告げる。

「葵」が鳴っている横で、私は今日も「さよなら」を告げた。

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい