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ラヴィング・ジ・エイリアンで再確認した80年代を予言したボウイの偉大さ

デヴィッド・ボウイとシックのナイル・ロジャースは80年代、MTV時代のサウンドをレッツ・ダンスで示した

先日ラジオで、David Bowieが亡くなって、もう4年経ったと聴いた。そうか4年か。歳をとると年月が過ぎるのが早い。
ラジオでリクエストした方も仰っていたが、名盤★があり、直後には大回顧展DAVID BOWIE isがあり、その後、数々の秘蔵音源が発表されているので、何かDavid Bowie はまだ生きているような感覚がある。大回顧展DAVID BOWIE isは観に行ったが、日本での公開スケジュールが丁度死後1年後であったとことは、スケジュール上の偶然であろうが、京都を愛し、仏教に傾倒していたDavid Bowie からの日本への手紙のように思えた。
これが最後だと死をうけいれるためにコンサートなどで買ったことはないグッズの類を初めて購入した。Aladdin Saneのジャケットが描かれたマグカップとクリスタル・ジャパンのレコード。未だ、使用したことがない(この文章を書きあげたら、日用品にしようかな)。

一方、次々と発表される秘蔵音源を聴くたびに、これは実は大掛かりなキャンペーンで音楽性、ルックスをカメレオンのように変遷させたDavid Bowieが死、再生というキャラクターを設定するためなのデマなのではないかとあり得ないことが脳裏を過ったりする。

さて、David Bowie といえば語り尽くされていて、私が何か語るなどとは・・・と躊躇するが、80年代のボックスセットLoving the Alienは感慨深かった。聴き込んだ。私にとって、最もリアルタイムなDavid Bowieは80年代であるので、是非、書きたいことがある

それは、Let’s Danceは時代を先取りした名盤である ということ。

David Bowieの名盤は枚挙にいとまがない。が、私にとっては、最も思い入れがあるアルバムはLet’s Danceだ。大回顧展DAVID BOWIE isは興味深い数々の展示があったが、シリアス・ムーンライト・ツアーのイエローのスーツが一番感慨深かった。帰り道のBGMはLet’s Danceだった。

Let’s Danceは、評価が芳しくない。が、私にとっては、カルトヒーロー、ミュージシャンズミュージシャンであったDavid Bowieが時代を先取りし、1980年代の音楽の方向性を示した名盤であり、田舎のロック少年に新しい時代を気付かせ、導き、傍に寄り添ってくれたアルバムである。David Bowieを孤独に聴いていた当時の私にとって、友人たちがDavid Bowieを知ってくれたことが喜ばしい出来事でもあった。

そのサウンドは、聴きなおすと、当時は感じなかったが、音数が非常に少なく、デジタルエレクトリックサウンドとアナログなサウンドを融合したファンクダンスミュージック、Bob Clearmountainのミキシングによるゲートリバーブ(ゲートリバーブはHugh Padghamが元祖。次作Tonightのプロデューサー)を強調したドラムサウンドは、まさに80年代の主流になるサウンド、MTV時代の到来を予言していると改めて思った。

時代(=TIME)を読み、その時代の音を鳴らすために変化(=Changes)し続けたDavid BowieにとってLet’s Danceは当時作るべくして作った必須なアルバムだったと考えている。
 

そもそもLet’s Danceは、私にとっては夢のような出自のアルバムである。
プロデューサーがNile Rodgers。私はNile Rodgersが堪らなく好きである。一聴すればそれとわかるギターのカッティング。ドキュメンタリーの映像などを観てると同じコード、リズムでも彼が演奏すると、魔法のように全く違うグルーヴに変化してしまう。
Nile Rodgers好きが高じて、CHIC featuring Nile Rodgersのライブには3回行っている。1回目は、座席指定のライブハウス、2回目は、Daft PunkのGet Luckyで再復活後のキャパが大きくなったスタンディングのライブ。3回目はDuran Duranのオープニングアクトだった武道館ライブ(正直いうと、Duran Duranはあまり得意ではないのだが、CHIC featuring Nile Rodgers観たさに行った。Duran Duranは予想に反してなかなか素晴らしくJohn Taylorのベースはグルーヴがあり、引き締まった肉体はストイックさを感じた。Simon Le BonはSimon Le Bonだった。太ったけど。観客は見事におじさん、おばさんであるので時の流れを感じる。唯一の不満はThe Reflexを演らなかったこと)。
CHIC≒ディスコサウンドだが、他のディスコサウンドが、4つ打ちの単純なビートのワンパターンに陥ってしまっているのに対して、CHICのサウンド、グルーヴは全く別物だ。Nile Rodgersのギター、故Bernard Edwardsのファンキーで印象的なフレージングのベース、故Tony Thompsonのシンプルだが絶妙なためとパワーのあるドラミングの3人が作り出すグルーヴは非常に都会的なファンクを感じさせる。Nile Rodgersは浮き沈みが激しいミュージシャン、プロデューサーだが、何度も復活していることが、CHIC、Nile Rodgersのグルーヴが唯一そして普遍的なことを証明していると思う。
CHICの代表作はGood Times以前のヒット曲だが、私がCHICのも好きなアルバムは、ディスコブームも終焉した後に発表され、全く売れなかった1981年に発表された5枚目のアルバムTake It Off。CHICサウンドの象徴であるストリングスもなく非常に地味なアルバムだ。が、そのサウンドのシンプルであるが故に、3人の凄腕ミュージシャンの作り出すグルーヴが剥き出しになり、CHICのアルバムでCHIC流ファンクを堪能できる名盤だ。

個人的には、このアルバムのサウンドを最新のデジタル技術で、進化させたのがLet’s Danceだと考えている。

Nile Rodgersいがいの2人は既に鬼籍に入ってしまったので、3人の奇跡のグルーヴは堪能できないが、CHIC featuring Nile Rodgersのライブは素晴らしい。前半にEverybody Dance、Dance, Dance, Dance、Le Freak、などCHICの代表作を演奏し、中盤に、80年代を席巻したNile Rodgersの数々の大ヒットプロデュース作品、後半に、復活作となったDaft Punkと共演したGet Luckyなどを演奏。そして、ラストに数々のHIPHOPナンバーにサンプリングされた名曲Good Timesでフィナーレを迎えるというのがパターンだ。もう最初から最後まで時代を彩ったオールヒットナンバーのライブである。これだけのヒット曲を世に送り出したNile Rodgersは偉大だ。
Good Timesと2枚看板のコンサートのハイライト(ラスト前に必ず演奏する:アンコールがある場合は本編最後)がDavid BowieのLet’s Danceだ。Nile Rodgersは、それ以前から、Sister Sledge、Diana Rossのプロデュースでヒットを飛ばしていた。その敏腕プロデューサーNile RodgersにとってもLet’s Danceは特別なのだ。Nile Rodgersにとっては、決して、最大のヒットアルバム、ヒットシングルではないと思うが、David BowieのLet’s Danceを演奏するNile Rodgersは(気のせいかもしれないが)何とも言えない誇らしげな顔をしている。David Bowieを羅針盤に音楽を聴き続けていた私にはその気持ちがわかるような気がする。

さて、David Bowieである。David Bowieを初めて聴いたのは、1978年のライブアルバム Stage である。David Bowieの特集を某国営放送のFMの『軽音楽をあなたに』(この番組は、Pink Floydの特集で、Atom Heart Mother全編、Echoes全編、最後にThe Dark Side of the Moonを全曲かけたりという今では信じられないような特集をしたりしてくれた)でStageを特集したとき。当時の田舎のロック少年はFM雑誌を買い、某国営放送のFM(当時は田舎じゃFMは国営放送しか聴けない)で必死にエアチェックリストをせっせと作って、貪り聴いていたのだ。パターンは、渋谷さんの番組で新譜情報を仕入れ、それを、『軽音楽をあなたに』 か 『サウンド・オブ・ポップス』(この番組は月~金の19:15~20:00の45分の番組で、ロックには縁がなさそうなアナウンサーがニュースのように曲紹介を事務的に話すだけの番組。A面の曲紹介、A面オンエア。B面の曲紹介、B面オンエアと淡々と1枚のアルバムをほぼ丸ごとオンエアする。これをエアチェックするとレコード1枚を録音した46分カセットテープができるという田舎のお金のないロック少年にはなんともありがたい番組)で新譜の全曲を聴くというのがパターンだった。某国営放送のFMには本当にお世話になった。この時代(1970年代から1988年のJ-WAVEができるまで)はFM雑誌の音楽記事とFM番組が、私を様々な洋楽へと導いてくれたのだ。
そもそも、ロッキング・オンは田舎では買えなかった(初めて買ったロッキング・オンは、1980年の6月号でDavid Bowieのシルクスクリーンっぽい白黒の表紙。はっきり覚えている。内容は難解すぎてさっぱりわからず、どんな天才が書いているのかと思った。本屋でロッキング・オンをみつけたときのうれしさは半端なかった)。

Stage はとにかく1枚目のA面が最高だった。リマスター盤が発売され知ったのだが実際のライブの演奏順とは異なり、前後半が入れ替わっていて、レコード1枚目のA面がコンサートの後半で、クライマックス前のThe Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars からの選曲。その他は、ベルリン3部作からの選曲。私は、1枚目のA面を聴き、B面、2枚目のA面は飛ばして、2枚目のB面のHeroes以降の曲をカセットで聴いていた(2005年のリマスター盤で本来の演奏順になった)。ベルリン3部作からの曲はロック初心者にはあまりに難しくてWarszawaを聴いていると寝てしまうのである。その素晴らしさが理解できなかった。当時の私には難解すぎた。
丁度来日も重なり、ヤング・ミュージック・ショーでも日本公演がオンエアされ、FM雑誌では、来日レポート、スナップ写真、Stageのレコードジャケットが掲載されていた。何せビジュアルがとにかく私が抱いていたロックスターの誰よりも理屈抜きで格好良かった。

その後、高校生になった私は音楽の歴史も少し理解するようになり、David Bowieの偉大さを少し知り、最初に購入したアルバムが、The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars である。運命的な最高の選択だ(この当時にLowを選んでいたら寝ていたと思う)。部活後に家に帰り、まっさきにレコードをターンテーブルにのせ、毎日聴いた。高校時代に1番聴いたアルバムと断言できる。どこを切り取っても完璧なアルバム。当時はその意味性、メッセージなどよくわからなかったが、刹那的で儚さがあることだけは感じとっていた。未だに年に1回は聴くアルバムだ。故Mick RonsonのMoonage Daydreamのギターソロ、Ziggy Stardust のギターのイントロ。これだけ繰り返して1日中聴いていられる。かつレコードジャケットは私が最も好きな1枚。完璧なアルバムである。盲目的にDavid Bowieに心酔した。

そんな1981年、米国でMTVが開局し、小林克也さんのベストヒットUSAの放送が開始される。ベストヒットUSAは動く洋楽ミュージシャンを観る機会がなかった田舎の高校生を狂喜乱舞させた。が、一方で、ヒットチャートにランキングされるミュージシャンは私の知らない人たちで、なんだかヒット曲を飛ばすミュージシャンにはあまり興味を持てないし、ロックな曲とは思えず、売れ線のレコードを買うまでには至らなかった。MTVに流れるヒット曲が通俗的で、軟弱だと思ったのである(単純に知らなかっただけの話)。連日放送される、Michael Jacksonの凄さもわからず、Thrillerの最初のヒット曲1983年の1月Billie Jeanをお子様ランチだと斜に構えていた。

何もわかっていないのに知ったかぶりをする嫌な奴である。

そんなときに、突然、登場したアルバムがDavid BowieのLet’s Dance。プロデューサーはNile Rodgers。凄いことが起こっている予感があった。。
MTVをどう受け止めていいのかわからなかった私にとって、最高のミュージシャン2人が制作したアルバムLet’s DanceがMTV≒ベストヒットUSAに登場し、金髪のDavid Bowieがダンスミュージックを鳴らしている。David BowieがMTVに登場しているのである。事件である。
何の批評性もなくDavid Bowieを盲目的に信じていた私は、今後のロックの方向性は、MTV、ダンスナンバーの時代がくると確信した。時代の常に一歩先を行き、常に、その後の音楽の方向性を常に示したカリスマにして天才David BowieがNile Rodgersと組んだアルバムは凄いに決まっている。
 

私にとっては、80年代の幕を開けた名盤、福音なのだ。
 

実際、時代はやはりMTVとダンスミュージックの時代が到来することになった。プロデューサーNile Rodgersは次から次にヒット作を量産し、レコード、MTV、映画というメディアミックスで、エレクトリックなダファンクのPrince(私が90年ごろまで最も夢中になったのはPrince)が登場し、Madonnaは、Nile Rodgersのプロデュース作でPOPアイコンになり、Bruce Springsteenは、Bob ClearmountainのミキシングのDancing In The Darkで踊っていた。
他のミュージシャンもLet’s Danceの大ヒットで、新しい時代を80年代の音を鳴らしたのだ。
Let’s Danceは売れた。カルトスターだったDavid Bowieをスタジアムロッカーへと変貌させた。アルバムがあまりに売れ、スタジアムライブに疲れたDavid Bowieがその後、約10年の停滞期に入ってしまうのは皮肉な話ではある。
確かにLet’s Danceは売れ線で、David Bowieの他のアルバムに比較して、相対的には、実験的でもなく、先進的でもなかったかもしれない。しかし、その評価はDavid Bowieであるからで、80年代の音楽シーンを作りあげた時代を読んだ、時代を作った名盤だ。脱帽である。

私はLet’s Danceで、POPミュージックは売れなければならないと初めて思えた。

名プロデューサーNile Rodgersにとって、最も誇り高いプロデュース作は時代を作ったLet’s Danceであるのだと思う。時代を作ったアルバムであることをNile Rodgersは知っているし、なによりそのパートナーがDavid Bowieであったことがより特別な作品にしている。
現在も世界中をサーキットしているCHIC featuring Nile Rodgersは、これが私の最も誇り高い仕事、音楽だと今晩もどこかでLet’s Danceを演奏している。

David Bowieのライブは一度だけ行った。Sound + Vision Tour。Let’s Danceの大ヒットで迷走したDavid Bowieが過去の曲を封印すると宣言したツアー。まさに当時までのキャリアを総括したライブだった。このライブの映像化、音源化を私は楽しみにしている(なぜ、Sound + Vision Tourだけは正式な音源化、映像化されないんだろう)。オープニングで黒いスーツを纏ったDavid Bowieがアコースティックギターを抱え、1人ステージに現れて、Space Oddity演奏した。鳥肌がたった。また、今では一般的な映像と融合したステージの演出に度肝を抜かれた。
David Bowieの最後に公開された写真も黒いスーツだった。あの写真を思い出すと、ライブでの登場シーンを思い出す。

カルトなスパースターだったDavid Bowieは、80年代の名盤Let’s Danceでカルトスターとスタジアムロッカーという相反する2面性を持つスターを実現してみせた。
だから、伝説のグラストンベリーフェスでもLet’s Danceを唄ったのだ。

David BowieはThe Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars で故Mick Ronson、HeroesでRobert Fripp、Let’s DanceでNile Rodgers、故Stevie Ray Vaughanと共演した。David Bowieの作品は参加したギタリストにとっても代表作になる。

Robert Fripp=King CrimsonはHeroesを演奏している(King Crimsonがカバー曲を演奏するなんてのは事件だ)。

名盤、遺作の★はギターアルバムではなかった。次はギターをフューチャーしたアルバムの制作をDavid Bowieは考えていたのではないだろうか?
聴きたかった。

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