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ナンバーガールは海だった

『逆噴射バンド』広島公演、ディスコミュニケーション状態、仁王立ち

同窓会気分ですか。昨年の復活劇以来、メンバーだけでなくナンバーガールファンを自称する多くの人に、この意地悪な質問が投げかけられたことは想像に難くない。新作リリースもなく解散前の楽曲のみを携えて始まった全国行脚。ナンバーガールの復活を心から祝す一方で、このバンドを直接観ること自体が目的となり、「鋭角サウンド」「ルードかつ直線的なベース」といったナンバーガール語りで定番のラベルをステージ上の光景と照合する自分を想像し、何とも言えない気分になったのは私だけではないだろう。

NUMBER GIRL TOUR 2019-2020『逆噴射バンド』、北海道から沖縄まで年を跨いで13公演。2020年一発目は安芸・HIROSHIMA CLUB QUATTRO。本稿はその局所的な覚書である。

何とも言えない気分どころか、何も言えない状態で会場を後にした。私は混乱していた。今まで数多のナンバーガール言説を飾ってきたお決まりのフレーズが、ほとんど意味をなさないようなライブだったからだ。それはまるで「青い」「広い」「水」といった海を象徴する言葉が、初めて海水に身体を浸した瞬間に意味を失うような経験だった。水圧、塩辛さ、波音、息苦しさ、陽光の反射が織りなすグラデーション。言語へ還元しがたい刺激の濁流に五感がフル稼動するあまり、泳ぎ方はおろか立ち上がり方まで忘れてしまうような。

定刻を少し過ぎた頃、メンバー4人がステージに姿を現した。いずれもZAZEN BOYS、toddle、ART-SCHOOL、VOLA & THE ORIENTAL MACHINEのメンバーとしてお目にかかったことのある面々だ。別名義の彼らと見えたときの姿形、ナンバーガールの映像作品が捉えた面影、そして眼前の彼らを頭の中で重ね合わせながら、固唾を飲んで第一音を待つ。ベースリフの砂浜から、ボーカルとハイハットが満ち引きする波打ち際へと進み、波間を埋めるように加速するハイハットを塞き止めるスネアが一発。それを合図に音渦に頭から突き落とされて面食らった。何これ、ライブ音源と全然違う。抜けのいいギターリフが軽快なエイトビートを飄々と乗りこなすイメージの『鉄風 鋭くなって』が、重心後ろ目で鈍色を纏ったカッティングが全体を覆い、3人が追随する構図で演奏される。フロアに吹きすさぶ音は鋭角サウンドと呼ぶにはあまりに高密度で、鳩尾にずしんと鉛玉を置かれていくようだ。どのライブ音源の特徴とも符号しないことに戸惑いながら、二つのコードを循環する渦潮に呑み込まれていくうちに、今が曲中のどの部分であるのかも分からなくなって、この先の記憶はほとんどない。

潮目が変わったことに気がついたのは、公演中盤で演奏された『NUM-AMI-DABUTZ』の冒頭。凪いだ海面にギターの瞬きを見た。田渕ひさ子の小気味のいいアタックだ。そして轟音パートへ。ナンバーガールが眼前にいることを、最も強く実感した瞬間だったかもしれない。ドラムが推進力を増していくのに呼応するように2本のギターが呻き声を轟かせ、そんなのお構いなしとばかりに滑らかにうねるベースが生み出すグルーブ。それまでステージの先端を境にぶつかり合っていた緊張感が緩み、カチッと何かが噛み合ったように感じた。昔日の音源通りの演奏だったからではない。ただ一瞬の煌めきがあまりにも美しく、まるで大伽藍のようだったからだ。ステージ上で刻一刻と変化を遂げるナンバーガール、このバンドを固着させる語りがますます空虚になっていくように思えた。

轟音の出囃子を「あらよっと」と飛び越え、向井秀徳の語りが始まる。日本語話者として四半世紀以上生活してきて、一度も耳にしたことのない言葉の連なり。描かれている猥雑な世界は私の知らないものばかりで、ナンバーガールの遠さ、彼らの作品を介したコミュニケーションの成り立たなさを否応無く突きつけられた。彼が詩情的に歌い上げる数多のガールたちは間違いなく、女子校育ちの私が面影を重ねた17歳の彼女たち――横顔に見惚れたあの子、もう友達でなくなりつつあるあの子、一緒にZAZEN BOYSごっこをしたあの子――とは似ても似つかないだろう。ナンバーガールの楽曲には記憶を辿る歌詞が多い。それらは過去の努力や直向きさを褒めそやしたり、その時々の感情をそのまま呼び起こすものではない。赤みを帯びたセピア色のフィルター越しに、聴き手をして諦念をもって記憶と対峙させるのだ。そんな演出から、向井は私のずっと先を歩いているように思えた。慣れない蒸留酒を過ごしてふらつきながら帰るとき、自分の行く末を考えて鬱屈した気持ちが頭をもたげてくる。そんな若者を「俺にもそんな時があったねぇ」とカラッと往なすしなやかさが彼の振る舞い、言葉、思想には宿っている。インタビュー集『何歳まで生きますか?』(パルコ出版)で屈託なく「長生きしたいね〜」と口にする泰然ぶりは、ロックにかぶれて自分も27クラブに入ると信じて疑わない若者の自意識を諌めるのに十分だった。でも説教くさくない。それどころか、私が過去に見た光景を仮托し続けてきた『OMOIDE IN MY HEAD』の着想として、福岡の歓楽街での擦った揉んだを引き合いに出されたとき(『Guitar Magazine』2019年8月号)の脱力感たるや。北九州の土を踏んだことのない女にとって向井秀徳の言葉は敷居が高い。勝手に理解したつもりになって、突き放された気分になって、それでも広島まで追いかけて、また「やっぱり分からん」と呆気にとられている。そんな決定的な噛み合わなさを苦々しく思いつつ、ナンバーガールが纏う煌めきにずっと浸っていたい一心で、私はステージを凝視し続けた。

公演後半も向井は文脈を伴わない前口上で観客を翻弄しつつ、楽曲ごとに強度や入射角の異なる陽光に照らされたガールたちを見事に描いていく。翻弄されているのはメンバーも同じなのかもしれない。『U-REI』で田渕とギターを介して会話を交わしたかと思えば、『日常に生きる少女』の轟音パートではひたすら粒立ちよく音を鳴らし続けるメンバーそっちのけで、ドラム上で仁王立ち。さらにドリンク(レモンサワー?)のお代わりを注文、ゆっくり喉を潤してからギターのネック動作を合図にスローパートになだれ込むマイペースっぷり。ここまでくると観客も表情を綻ばせるしかない。

歴史の幕が降りた存在だったナンバーガール。音源を公演単位で聴き込み、ラストライブ『サッポロOMOIDE IN MY HEAD状態』を演奏どころかMCの間までコピーした学生時代(観客の声までライブ音源通りに返ってきたのにはびっくりした)。贔屓として挙げる他のバンドとは一線を画す入れ込みように「ナンバーガールの何がいいんですか?」と知人から問われるも、まともに返せた試しがなかった。10年以上の時を経てライブに立ち会った今でも、私は回答に窮している。このバンドに真面目に向き合えば向き合うほど、心中に浮かぶどんな言葉も的外れに思えて、「もう一回観てから!」と留保を乞いたくなるのだ。どこまでも懐が深くて、他人行儀で、時に思い出さない方がよっぽどマシな記憶の渦へと引き摺り込む海のようなバンド。今はこれくらいで勘弁してほしい。

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