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BOØWYが思い出させてくれたこと

ひたむきに鳴りつづけるDの単音

はじめて「ライブ」というものを敢行した時、スリーピースという編成のベーシストとしてステージに立ちました(もちろん小さな箱で行われた、しがないアマチュアバンドのための催しでした)。奏でたのはMr.Childrenの「ラヴ コネクション」。ギタリストは物怖じしない男であり、ドラマーはメインボーカルを務められる器用な男でした。だから私は、ただ彼らを信じればよかった。
それでも足が竦んだのを覚えています。もし大編成の一員だったら、あるいは重圧を感じなかったかもしれません。自分の出す音だけが響く時間帯があることが怖かったのです。それでもスリーピースのベースを担当したことで、シンプルであることの尊さは学べたように思います。

それから20年近くの間、いくつかの市民バンドの一員となり、時には所属先をなくしたりもし、ベースの練習をつづけてきた私は、いつしか「多くの演奏者で奏でると、やはり派手でいいな」と思うようになっていました。
もちろんソロというのはクールなものだけど(たとえばビートルズの「ジ・エンド」で、リンゴ・スターのドラム「だけ」が鳴る部分などは大好きです)ギターやベースを骨格としつつ、それにピアノの音を重ねたい、できればウインドチャイムも加えたい、そんなことを考えるようになっていました。
そして自身の奏でるベースラインは、いくぶん気障な(よく言えばメロディアスな)ものになってきました。それは悪いことではなかったと思います。それでも私は「シンプルであるがゆえに届くもの」があることを、いつしか忘れていたかもしれません。

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昨年、招き入れてもらえた市民バンドの主要メンバーは、年長者であり、BOØWYから色々なものを受け取った世代です。博識なドラマーは、私の奏でるベースやピアノを一聴しただけで「クラシックがルーツであることが見てとれる。正確であることや形を整えることを求めるがゆえに、ノリや遊び心といったものが不足している」と看破しました。
たしかに幼少期にピアノを少しだけ習い(それから長い間、演奏から離れ)青春期にMr.Childrenのベースをカバーすることから「市民ミュージシャンとしての再始動」をした私には、あまり目立たたないようにしよう、勢いよりも正確性を求めようとする習慣が染み付いていたと思います(Mr.Childrenの中川氏は、少なくとも「重力と呼吸」の楽曲群では、ノリや勢いを感じさせるベースラインを披露していますが、それについては本記事では触れません)。

企画しているライブのセットリストにBOØWYの楽曲が入ったので、遅まきながら私は、その潔いアレンジから、何かを学びはじめました。あるいは思い出しはじめました。Mr.Childrenを愛聴する私にとって、BOØWYは「すごい人たちのようだけど世代的に縁遠く感じられる」存在でした。そしてバンドにピアニスト(もしくはキーボーディスト)がいると映えると考えていた私にとって(あながち間違った考えではないと思いますが)豪放なロックンロールというものは、そこまで興味深いものではありませんでした。

ただ「WORKING MAN」を聴いていると、特に間奏で奏でられるベースを聴いていると、バンドマンというのは、かくも潔くなれるのかと唸らされます。高速で、等間隔で鳴りつづけるDの単音。1オクターブ上に飛ぶことさえせず、ひたすらに同じ音を出しつづけるという選択。これを「正確」にコピーすることは、恐らくは私にはできないでしょうし、そこに「遊び心」を滲ませられるかは自信がありません。それでも新しい価値観を得つつあるとは思います。間奏のベースラインは、やがて動き始め、出口ではうねりのようなものを演出します。この部分をバシッと決め、ヴォーカリストに心地のよい「歌い出し」を迎えてもらうためには、それこそ「ノリ」が求められ、ドラマーとのアイコンタクト、息を合わせることが必須でしょう。これまでに所属したバンドでは、ドラムスの音を背後に聴き、彼にリズムキープを期待し、時に目を閉じてベースを奏でていた私は、いま新しい課題を突きつけられているように感じます。

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そんな私の気負いを笑い飛ばすためにというわけでは(もちろん)ないでしょうが「WORKING MAN」の歌メロは快活なものでありながら、ヴォーカリストの声は堂々としたものでありながら、届けられるメッセージは(いくぶん)自嘲的なものであるように感じられます(それは作詞者の直情というよりは、庶民を代弁するものなのかもしれません)。

<<パンを食わえ飛び乗る Working Man>>
<<夢の中で夢を消された>>

本曲は最終的には

<<今こそ Cry To Be Free>>

という前向きな呼びかけでしめくくられます。それでも主人公が、自身の境遇を見つめ、その姿を俯瞰して、その無様さを笑い飛ばそうとでもするようなスタンスには、私が欠いている「ノリ」を獲得するためのヒントが詰められている気がします。

そのように変化(あるいは表現の幅を広げること)を心に期させてくれるBOØWYは、何かを押し付けようとするようなバンドではないようにも感じられます。少なくとも楽曲のなかには、誰かをあるがままで認めようとする主人公の勇姿が見つけられます。

<< ONLY YOU そのままで >>

人間が進化を遂げることは難しく、指先や考え方の「くせ」のようなものは、簡単には矯正することはできないでしょう。特に私くらいの年齢になると、軌道を変えることは相当に困難なことであるかもしれません。私という人間は、恐らくは今後も、劇的に変わりはしないでしょう。それでもBOØWYの楽曲を奏でる時だけでは、自分を笑い飛ばすような意識を、人に笑われることを恐れないような気概を持つべく、試みるだけのことはすると思います。BOØWYが<<そのままで>>と歌ってくれたからこそ。

Mr.Childrenは、こう歌います。

<<誰の真似もすんな 君は君でいい>>

私はBOØWYやMr.Childrenのベーシストに追いつくどころか、その真似をすることさえ躊躇ってしまうような、頼りない演奏者でしかありません。それでも今、ようやくBOØWYに出会えた感謝を、その存在を教えてくれた先達への敬意を、何らかの形で表すつもりではいます。

※《》内はBOØWY「WORKING MAN」「ONLY YOU」、Mr.Children「終わりなき旅」の歌詞より引用

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