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CDを1枚、買って楽しんでみませんか?

Xmas Eileen new EP 「PROTOTYPE」リリースに寄せて

発売日に新譜をダウンロードし聴きながら夜の街を歩く。足元は雪と氷。せっかくの新譜とはいえ無心に聴きいっていたら転んでしまう。注意して歩きながら、それでも歌詞を聞き取ろうとしながら新曲を一生懸命聴いた。そして最後の曲、昨年配信で発売されライブでも何度も聴いている「NO NAME」で横断歩道を渡りながら少し泣いた。
 

中学生の頃、新譜の発売日には走ってCDショップへ行った。制服のままカバンも下ろさずCDの包装を剥きながらベッドに登り、プラスチックケースの新しい匂いを感じながら、少しでも近くで聴きたくてスピーカーに耳をくっつけるようにして聴いた。歌詞を指でなぞりながら聴き、ジャケットを表裏とひっくり返しては眺めながら聴き、何度も何度も繰り返し聴いた。書いてある文字は辞書を片手に人の名前まで一文字残らず読んだ。洋楽の訳詞と英詞を見比べノートに書きとってみたりした。夜にはCDをリピート再生にして歌詞カードを片手に握ったまま寝た。

ダウンロードでiPodの中に曲を取り込んでも私はCDが欲しい。レコードでもカセットテープでもいい。この手に掴むことができる、形あるものが欲しい。それが好きなバンドの音源なら尚更だ。子供の頃にそうやって育ったからそういう価値観なのであって若い人はそうじゃない。そう言われるかもしれない。

今はいろんな作品の発表方法がある。CDという形態で作品を出さないことも多いのだと思う。昔は各地に店舗があったCDショップも少なくなり、あるいは敷地面積が縮小され、レンタルCDはあまり見かけなくなってしまった。CDやレコードの時代を経験した私は少し寂しく感じ、一方でそういうものがとても大切なものに思える。作品を発表するアーティストにとってもCDという形態は何か特別なものなんだろう、と思う。そうであってほしいとも思う。

例えば自分がCDという形態の作品を発表する立場になったとして考えてみる。2000円なり3000円なりでそれを見知らぬ人に買ってもらう、としたらどうだろう。相手が払うその2000円は2〜3時間働いてようやく稼げる金額だ。お小遣いなら月の何割か、中学生当時の私にとっては全額はたいてようやく買えたかどうか。安くはない。CDを買うにはお店迄の交通費をかけていくか、送料を支払って宅配を頼むことになり、CD単体の値段では済まないのも現実。それを人から対価として受け取るCDを作って販売する、と考えてみる。

曲は新(さら)の自分から苦労して生み出されたもので、どんな音を使って表現するか考えていろんな人と相談し試行錯誤の上録音して作りあげた大切な作品だ。それができるまでの過程もなかなか大変な苦労に違いない。

CDにするというのはまた違う作業。一生懸命に作った曲のうちどれを入れるのか。曲順をどうするのか。盤面はどうしようか。ケースはプラスチックなのか紙のケースなのか、ジャケットのデザイン、色、紙質。歌詞カードのフォントも迷うし、写真を入れるのかイラストが得意だから絵を描くのか、ブックレットタイプにするか開いて大きく一枚になるようにするか。完成形になるまで、そんなところから一つ一つ決めた結果があの一枚のCDなのだ。

何か表現したいことがあって、それを盤ならどう表現できるか?という発想で作ったかもしれない。脳内のイメージを金額や物質や制作の制限の中で表現し作り上げる。製作のプロに依頼するとしても自分のイメージが伝わるように言語化して作業してもらう必要がある。何度も話し合いを繰り返すのか、どこかで折り合いをつけるのか。千円札2〜3枚で手元に来るあのCDはそんな過程を経ているのではないか。自分がCDを作ると想像すると思いつく範囲だけでも「大変だな」と感じると思う。

配信やストリーミングで音楽を手に入れるのも安価で気軽に多くの音に触れられる魅力がある。だがCDを手にするということは、アーティストの思考やセンスの表現の結果をこの手に受け取るという行為だ。インタビュー等もそうだが、思考やセンスに触れるというのはファンとして近づける最も深い領域なのだと思っている。だからCDを手にするというのは私にとってこの上ない喜びだ。
 

今まで手にしてきたCDも、どんなふうにかをこの目で見ることは叶わないが、こだわって大事に作られた作品たちだったと思う。

CDは通常左開きのプラスチックケースに入れられているが、オトループの「オトノベル」は右開きの作品だった。間違って反対に入れたエラー商品かとも思ったが、そんなことあるんだろうかと自宅の他のCDと見比べたりしていた。しばらく考えていたが「ノベル」だから小説にちなんで右開きということなのか、とようやく思い至った。後にご本人に確認し「よくわかったね」と返事を頂いたとき、逆だなと思ったままではなく理解できてよかったと思った。

過去何度もジャケットにサインをいただいている別の方のCDへのサイン会の際。その時も何気なく差し出したのだが「これはとても気に入っているので、ジャケットへのサインは書きたくないから裏に書かせて欲しい」と言われたことがあった。完成された12センチ四方の世界を、人の手に渡った後も大切に思われているんだなと感じ、私も大切にこのアートワークを楽しまなければと思った。

世の中に出された作品にはすべてこんなこだわりのストーリーがあるんだと思う。
 

Xmas Eileenの新譜「PROTOTYPE」のキャラメル包装を爪でカリカリと引っ掛けて剥く。帯を一旦外しケースを開く。歌詞カードの前に帯を挟み、ディスクを取り出す。ディスクの穴に人差し指を入れ、余った指でCDプレイヤーの蓋をあける。CDをセットして蓋を閉じて再生ボタンを押す。子供の頃のようにスピーカーにそっと近づいてみる。キュルキュルと回転音がなり、そして、唐突にシャウトが聞こえる。

苦労を重ねこだわって大切に作りあげた結果のCDを「PROTOTYPE」イコール「試作品」として世に出す思いはどんなものか。そして自分たちの名前を「NO NAME」とするのはどんな思いなのか。何枚もアルバムや楽曲をリリースした後に出されるEPの名前がPROTOTYPE。何に対してのプロトタイプなのか?

今回CDを買ったXmas Eileenはアーティスト写真やライブ中に仮面をつけているバンドだ。ステージ上にいる7人のNO NAMEなメンバーのほかにも楽曲制作や映像を担当するステージ外のメンバーがいる。だからメンバーみんなの顔を知っているわけではない。それでもこのCDを手にとって聴いた私には、彼ら全員が自信に満ちた笑顔で「どうぞ、これは僕たちが全身全霊をかけて作りあげた音楽たちです」と丁寧に差し出してくれている姿が見えるような気がする。そう感じられる新譜を手にすることができてファンとしては最高に幸せだ。

だから私も満足げな笑みを浮かべて「どうぞ、これが私の大切なバンドの大事な大事な新譜です」と誰かに差し出してやろう。差し出されたその人が、包装を剥いて再生ボタンを押し、キュルキュルした回転音の後のシャウトにびっくりするのが楽しみだ。歌詞カードを眺めてくれる姿を想像するのが楽しみだ。その先にバンドや作品について感じるものがあったならもっと嬉しい。「布教」というやつだ。

Xmas Eileenに興味があってもなくても、ぜひPROTOTYPEを「試聴」して欲しい。私の勝手な妄想ではこのEPはそういう存在だ。音を聞けばライブの楽しさが想像できるはずだ。ツーステ、モッシュ、ヘドバン、シンガロング、もちろん大人見だって構わないし、実際のライブハウスの後方にはバンド側が用意したイヤマフをレンタルして親御さんに肩車されている子供たちもいる。ライブが楽しそうだなと思ってくれたら嬉しい。そのためのファーストステップ、最初の一歩、百聞は一見に如かず、の一見ならぬ一聴がこの「PROTOTYPE」なんじゃないかと思っている。
 

iTunesのダウンロード画面が購入済みになるのをじっと見て待つ。musicにアートワークが追加される。出かける準備をしてポータブルアンプの充電が切れていることに気がつく。ふん、と鼻を鳴らして、iPodにイヤホンを直挿しし家から出る。冷たい風を感じながら暗い夜道に一歩踏み出し再生ボタンをタップする。その時私の心は子供の頃そのままだ。制服のまま包装をむいてスピーカーに耳をつけていた子供の頃。

サブスクリプションやダウンロードやYouTubeで音楽を楽しむのは今の時代当然なのは理解しているし、自分だって利用している。ボタンひとつのタップでイヤホンから沢山の音が鳴る、便利で無限で素晴らしい世界。

だが、あの手間のもどかしさの先にある高揚感を、音楽を「この手」にした重みと、盤についた新しい匂いと、スピーカーから鳴る音で皮膚が震える感覚を、アーティストの思考に少しだけ触れたような錯覚を、CDを手にすることで味わってみるのも音楽ファンとしての幸せのひとつかもしれない。

北海道出身のバンドがあるステージで話した言葉は非常に印象的だった。「本当は北海道に帰りたい。でも音楽史に名を残したいからもう少し東京で頑張ります」と。そのバンドは昨年、ぱっと見では意味が伝わらないようなタイトルのCDを発表した。インタビューを読んだりしているわけではないのでそのタイトルが本当に意味するところはわからないが、前述のステージのMCを聞いた道民の私はとても美しいタイトルだと思うし特別な思いを感じる。一方で「PROTOTYPE」を発表する「NO NAME」達のXmas Eileen。

どっちがかっこいいとかそんな話ではない。アーティストが込めた意味を正しく理解できるかどうかはわからないが、大切に作られた作品をこの手に持つことができるなんて、そして勝手にその意味を考えながら曲が聴けるなんて、CDを手にする音楽ファンとは幸せじゃないか。という話。

もちろんこの文を書いているからには自分の大好きなXmas Eileenをお勧めしたいのだが、予算の都合上そうもいかないかもしれない。それならば誰でもいい。自分の好きなアーティストやバンドのCDを1枚買ってみてその過程に思いを馳せてみて欲しい。完成品の持つ意味を考えてみて欲しい。きっととっても大切に思えて、CDを買うというオールドタイプな行為も少し愛おしく思えるはずだ。

拗らせたファンが思いつくまま綴る自己満足なこの文章。
これを私はCDの盤を自らの左において時折ひっくり返して眺めつつ、iPodで曲を聴きながら、書いている。

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