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最後の地球人は“Tokyo”の夢を見るか?

Sexy Zone『POP×STEP!?』、もしくは、誰かが聴かない音楽のこと

 ビールでもひっかけながらゆっくり聴こうかと思っていたのに、いつも通り時間に余裕がなかった。それでもなんとかスマホに取り込んでおき、一周目は結局通勤電車で聴くはめになった。乗車率120%くらいの小田急線・下り。けれど、再生し始めたら自分がどこにいるかを一瞬忘れた。何度か声を上げそうになって、そのたびにきつめに奥歯を噛みしめなくてはならず、期待値が高いアルバムは室内で聴くべき、という教訓を得た。でも本当は、大音量で車内に流してしまいたい気分だった。
 

 年号が『令和』となってから、もう少しで一年が経つ。2020年は東京が注目され人が大勢集まってくる年だ、ということにもさすがに実感がわいてきて、住む人たちも落ち着かなかったり、高揚したり、げんなりしたりしている。同僚たちはスポーツの祭典のチケットをなんとか取ろうとして色めき立っていたし、久しぶりに会った友人は行き慣れたエリアの景色が会場の建設のために変わってしまったことを残念がった。
 私はと言えば、そんな周囲の話を聴きつつも、自分が住んでいる場所の話だとはいまいち理解できずにいた。自分が暮らす“Tokyo“が実のところどんな場所なのか、未だによくわかっていないのだ。海外から遊びに来た友達に東京のおすすめスポットを訊かれたことがあったが、ちゃんと答えられた記憶がない。たぶん、今でも答えられない。
 ここで生活するようになって、もう四半世紀。でも、都会と呼ばれる辺りとは離れた場所で生活する私のような人間にとって、『東京』は、どこか架空の街のような気さえする。
 

 「様々なポップソングをSexy Zoneというフィルターを通して東京から発信する」。とても楽しみにしていたSexy Zoneのニューアルバム『POP×STEP!?』の詳細がそう発表になったとき、ここから“シティ・ポップ”という言葉を連想するのはさすがに安直すぎるかな、と思った。けれど蓋を開けてみれば、まさに作品全体がネオ・シティ・ポップを意識したサウンドで貫かれたアルバム。それが期待以上によくて、本当に興奮してしまった。
 雑誌などでの発言によると、最近は音楽的な方向性をメンバー自身でリサーチ・リストアップし、その中から楽曲を依頼するアーティストを積極的にプレゼンしているらしい。そう考えると、今回のアルバムがドンピシャに『今』的な音楽に仕上がっていることにとても納得がいくし、tofubeats、LUCKY TAPES、chelmicoなどの楽曲提供の布陣を一見してもうなずける。自分たちの世代や呼吸する空気とフィットするものを自分たちで選んで、そのように表現している、ということだと思う。
 私がSexy Zoneの音楽を聴くようになったのは令和になる少し前からで、はじめは声の響きに惹かれ、曲ごとに音楽の世界観に没入させる表現力に耳を奪われた。当時はまったく気に留めていなかったもののデビューは2011年で、グループとしては既に8年のキャリアがある。ジャニーズアーティストを音楽として認識していないリスナーも多いかもしれないけれど、『POP×STEP!?』ではポップスのボーカルグループとしての成熟も感じることができる。単純に、すごくいいアルバムだと思った。これに触れないでいるのはもったいなさすぎる。
 

 アルバムは、日本的な言い回しと英語が散りばめられたリードナンバー『極東DANCE』で始まる。80年代的なネオ・トーキョーのイメージも感じられる音。メンバーは“日本の外から見た日本”というような表現をしていたけれど、昔から伝わる言葉や四字熟語を新たに解釈し直すようなニュアンスの詞からは確かに、“クール・ジャパン”を逆手に取って進んでいくような気概も伝わってくる。その後も、ピチカート・ファイヴを想起させられたり(“渋谷系”を知る人なら詞にもニヤッとするかも)、かと思えば郷ひろみのようなケレン味のある景気のよさでアッパーになったりと飽きない。
 私がいちばん気に入っているのは今のところ、5曲目の『タイムトラベル』だ。イントロの後に一気に音数が減る歌い出しではギターのカッティングやベースに心躍るし、サビ全体のさりげないファルセットが洒落ていて、既に何十回とリピートしている。毎回最高に気持ちがよくなってしまう軽妙なボーカルワーク、目を閉じればミラーボールが見えてきそうな、跳ねるディスコティックなリズム。こんなの、夜のドライブで体を揺らしながら聴くしかないじゃないか。でも、ときめきに揺れまくりの心情や自問自答が繰り返される詞は、歌っている本人たちのリアルな年齢に自然に当てはめやすく、その大人すぎない適度な“シティ”感が、また絶妙でいいのだ。
 演奏と歌声が一体となる心地よさが味わえるのも、彼らの音楽の特徴だと思っている。抑えたトラックでどこかつぶやくように歌う『Blessed』、痛切な心細さを感じる『One Ability』で存分にそれを堪能できる。元々美しい声を持ったグループだけれど、アイドル的なスウィートさはもちろん、『ダヴィンチ』や『麒麟の子』のように、風刺や心の自立を鋭く促す詞にもごく自然に溶け込んでいる。
 

 11曲目『Tokyo Hipster』では、松田聖子を彷彿とさせるようなイントロ、ミュージカル・ショーの幕開けのようなオーケストラに乗せ、こう歌われる。

《 渋谷あたりは谷底で 銀座はまだ海だった 》
《 僕らホモ・サピエンス そんなに生きてないさ 》
《 目にしてる全ての星 それはそこにはもう無いんだ。 》

 明るく高揚するメロディだけれど、刹那的でどきりとする。
 リード曲以外で“東京”についてはっきり言及しているのはこの曲だけ。文字で読むとクセが強く見えるけれど、宇宙や時間を俯瞰し、自分と愛する人をマクロに描写している詞は、アルバム全体のフックになっているように思えた。海外でもその地名がよく知られている銀座が、入江に面した半島のような地形だったのは江戸時代以前の話だ。大昔のことに思えるけれど、そもそもたったの数百年で街が大きく変わりすぎた、と考えることもできる。

《 流行り廃りあることは わかっててもその先を
 目指してく 僕たちは 風を感じる
 最後の地球人だからね 》

 数百年で銀座や日比谷の周りの海が消えたように、我々の目に光が届くころにはもうその星は爆発してしまっているように、あらゆるものはどんどん変化する。当然だけれど時間は先にしか流れないので、これからの自分にとっては、たった今がいちばん若い自分だ。そして、今生きている私たちは、現時点での最後の地球人である。
 東京や日本やこの地球自体が、本当の意味で「最後」になってしまうのではないか、と不安になるようなことも起こり続けている。それでもアイドルは流行り廃りの風の中でポップ・アイコンでい続ける。私たちはここに住み続ける。いつかなくなるかもしれないこの街で、たった今目の前にある、あるいは目の前の少し先にある愛をただ大切にしようと呼びかけるこの曲の精神は、シンプルだけれど普遍的で、人としての理想でもあると思った。
 

 都市の生活、あるいはどこか架空の都会を描写する淡い憧れの表出のようなもの、それがかつて「シティ・ポップ」と呼ばれたジャンルの正体らしい。
 その成り立ちに様々な経緯や社会的状況があったことは、想像に難くない。ここ何年かでその雰囲気や曲調がまた注目されているとしても、21世紀に突入して20年近く経った今“シティ”と呼ばれている場所が、かつてのそれとはまったく異なっている、ということもよくわかる。人は皆せわしなく、生活も目まぐるしい。メディアがこぞって平成を振り返りまくっていたのはついこの前だというのに、そこから私たちは既にたくさんの変化や動揺を経験した。この都市にも世界にも問題と情報が多すぎ、憧れの代名詞だったのかもしれない東京に住んではいても、誰かがいつか思い描いたような夢や美麗さはそこにはない、ということを思い知らされている。
 以前、メンバーの菊池風磨が「Sexy Zoneにはアーバンが似合う」と発言していた。声や持ち味を考えると、確かに熱っぽい応援やプリミティブな情動よりも、理性的で涼しげなムードがより映えるグループかもしれない。そして、彼らの歌うアーバン・ライフにはラグジュアリーな要素はあまり示されず、どちらかというと街に生きることにより起こる内面が描きだされることが多い気がする。《真面目に生きてきたけど/何処か空っぽです》、《このまま朝迎えてもいいよ》《世界は僕らを待ってはいないだろう》と述べる『Blessed』なんかはその典型で、令和を20代として生きていくアイドルならではだと思う。
 アイドルの歌詞で諦念や内省が表現されることは珍しいことではないけれど、やるせない気分を冷静に受け止め、同じ場所と同じ視点に彼らもまた立ち止まっているんだ、と気づくことで救われる思いがする人はきっとたくさんいる。大都市のただ中でこの時代を生きる者として、彼らは静かに寄り添う。またその賢さとリアルな温かさは、現在療養中のメンバーに対する愛のようにも感じられる。
 

 インターネットを介して音楽を手に入れることができるようになったことで、音楽には垣根がないということがある意味、わかりやすくなったと思う。古いものも新しいものも横並びに陳列され、小難しく考えずとも、「良い」と思ったらその感覚だけでそれを選べる。聴くという体験は本当に手軽になった。それでも、ジャニーズアーティストはほかのミュージシャンと同じ『音楽』としては聴かれていない、と感じることもよくあって、それは単にサブスクが未解禁だからというだけではなく、“職業”として音楽に特化した活動をしていないことを軽視されている、または“女子供”のためのコンテンツだとして忌避されている、という部分が今もぬぐえない。本人たちの音楽への向き合い方やインプットについて、あまり知られていないし語られる場が少ない、という理由もありそうだ。本当にもったいない。
 都会的ポップの色濃いこのアルバムが、ジャニーズ・アイドル感の強いアレンジの『HIKARI』で一度締めくくられることは、初めはやや意外だった。でも、彼らが生きてきた時代に積み重ねられてきたブランド・イメージへのリスペクト、そしてその歴史の上にこれからも立ち続けていくという決意表明としてこの曲を最後に置いているのかもしれない、と思うようになった。ジャニーズである、ということへの誇りや覚悟を背負い、その立場からポップスを更新するという決意。
 

 その意思は、通常盤DISC2に収録されているソロナンバー4曲にも表れていると思う。偉大な故人を思い出させるタイトルで、ショーパフォーマーとしての凄みをエレクトロ・スウィング風に聴かせた後、やはりアーバンな音色の対照的な2つのラブソングを経て、穏やかなギターと共に等身大の内面を英語で語って終わる。通して聴くと、まるで夜から朝へと向かって少しずつ、静かに明るくなっていくみたいだ。
 それぞれが書いた詞を見てみると、DISC2ではアルバムタイトルにおける『STEP』の部分を共通の主題としているようだった。この4曲だけでもミニアルバムを聴いたくらいの満足感がある。ラストで陽が差してくるような解放を、最年少のマリウス葉のソロ曲が担っている、ということに、今後のグループの音楽や精神への信頼がもっと強まり嬉しくなった。
 音楽は人の心を動かす。そしてとても自由だ。アイドルではなくミュージシャンという“職業“一本になってもじゅうぶん輝けそうな才を持っているけれど、でも彼らはアイドルでい続けることを選んでいる。その上で、お仕着せでなく自分で作ったものを発信するという喜びが、たくさんの苦悩を飛び越えているのも伝わってきて、胸を打たれる。
 誰がどんな視線で自分たちを見ていようが、Sexy Zoneはこの音楽を携え、架空の“シティ”ではない令和の東京を進んでいく。
 

 時代も街もどんどん変わるけれど、瞬間瞬間では私たちはそれに気づかず過ごしている。余裕のある朝なんてほとんどなく、きらびやかな生活とも無縁だ。それでも私は運よく、Sexy Zoneがくれる『新しいポップ』を知っている。この東京で生き、労働し、時々ビールをあおり、優しい音楽のリズムに乗って踊りながら、一歩一歩、ヘタクソなステップで進むことができる。
 それは最後の地球人としての自由であり、素晴らしい現実でもあるのだ。
 

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