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秋元康の軌跡

川がたどりつくAKB48という大海

秋元康氏という存在は、恐らくは現代社会においては、AKB48のプロデューサーとして広く知られているのではないかと思う。そのことに不満があるわけでは全くない。AKB48のイベントに足を運んだことは(失礼ながら)一度もないけど、その楽曲は勿論、いくつかは知っている。キャッチーであり、子どもから大人までに認知されるようなプロジェクトを推し進めてきた秋元氏は、すでに音楽界の(あるいは芸能界の)重鎮とも称するべき人物になっていると言えるだろう。

ただ、キャッチーなものを生み出すためには、つまりヒットメーカーであるためには、何かしらの礎(いしずえ)が必要だというのが私見である。思想の根底に「哀惜」のようなものがあるはずだと考えている。AKB48の楽曲が「心を躍らせる楽しいもの」ばかりではないことは、たとえば「桜の木になろう」の歌詞などを読めば感じとれると思う。そういった「球種の多さ」を得るまでに、どのような道を秋元氏は歩んできたのか。

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秋元氏のキャリアが、どこから始まったかは詳しく知らない。若輩でありなら、とうに青春は終えているという、ある意味で複雑な年ごろを迎えている僕にとって、秋元氏が関わった歌手として辛うじて思い出せるのは、美空ひばりさんである。そのラストシングルである「川の流れのように」は、少なくとも僕が感じる限り「哀惜」のあふれた曲であり、その詞をつむいだ時点が「出発点」のようなものではないかと考えている(その前にも秋元氏は、別のアイドルグループの活動などに携わっているようだけど、それを僕はリアルタイムで聴かなかった)。

多くの人が愛聴しているはずの「川の流れのように」の歌詞は、シンプルでありながら、切なさを感じさせるという秀作だと思う。

<<知らず知らず 歩いて来た 細く長い この道>>

ある程度、歳を重ねた人の多くは、この歌い出しに引き込まれるのではないか。生きることを「道を歩くこと」に喩えるというのは、少なくとも「奇抜な」ことではないと思う。共感を誘う発想だと思う。誰もが(歩行することの難しい人だって、比喩的な意味で)歩きつづけて、今日という日に至っている。端的に言えば、人それぞれに生きてきたのだ。

もちろん人生は<<いつまでも>>つづきはしない。惜しいことに美空ひばりさんは、もう現世にはいない。亡くなった日から年月が流れた。まさに<<いくつも 時代は過ぎ>>た。それでも今、秋元氏は生きている。活動をつづけている。若き日の氏がつづった「川の流れのように」の歌詞は<<永遠の桜の木>>のように凛然と立ち、AKB48を(彼女らをプロデュースする秋元氏を)を見守っているのではないだろうか。

流れる川が、いつしか海にたどりつくように、秋元氏という存在は大きくなっていく(少なくとも、その名を知る人の数は年々、増えていると思われる)。

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AKB48の楽曲のなかから「桜の木になろう」を選んで語ろうとする僕は、あまり適切に秋元氏の軌跡をまとめられないかもしれない。セールス面だけに注目すれば、もっと売れたAKB48の作品はあるようだ。それでも「桜の木になろう」に込められたメッセージ、そこからうかがえる秋元氏の思想性は、少なくとも僕に美空ひばりさんという歌い手を思い出させてくれる。

<<いつか見た夢のように 描いて来た長い道>>

この楽曲からも、人生という道を歩む人の姿が連想される。くり返すように「川の流れのように」が秋元氏の原点だというのは、僕の個人的な解釈である。それでも氏が、心のなかに軸のようなものを持って活動をつづけていることに、敬意を払わずにはいられない。それが独りよがりな敬意だとしても。

「桜の木になろう」の歌詞は、とても悲しいものであり、悲しみつづけることを戒めるようなものでもある。

<<満開の季節だけを 君は懐かしんでいてはいけない>>

色々な境遇にある人に刺さるメッセージだと思う。何もかもを失わずに生きていくことは、人間には果たしえない。僕たちは大事なものを紛失したり、大事な人と別れたり、自分がすでに若くはないことを悟ったりしながら生きている。今のところ人類には、タイムマシンを発明することはできていない。だから迎えられるのは未来だけである。比喩的に言うならば、すでに散ってしまった花弁を集めることはできないのだ。

それでも「桜の木になろう」には、そういう過酷な人生に、桜色を塗ってくれるようなメッセージも含まれているのだ。

<<誰もいない校庭 時に一人 帰っておいで>>
<<枝が両手広げながら待っている>>

AKB48の黎明期を支えたメンバーも、いま在籍しているメンバーも、いつかは若くはなくなる。自身の歩んできた道、歌手として懸命に活動した日々を、懐かしく思う日が来るだろう。彼女たちの歌った曲は、秋元氏に手がけられた曲は、まさに<<桜の木>>として植えられているのではないか。そういう意味で、AKB48の歌はリスナーだけに届いているわけではないと思う。彼女たちの未来へも放たれているのだ。

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秋元氏という「川」は、どこまで流れていくのだろうか。僕には、その活動が、すでに海にたどりついたように感じられる。でも、その向こうさえも氏は見つめているのだろうか。それは僕には知りようがない。

<<雨に降られて ぬかるんだ道でも>>
<<いつかは また 晴れる日が来るから>>

「川の流れのように」にも「桜の木になろう」と同じように、そっと背中をなでてくれるようなセンテンスが含まれる。もし秋元氏が今後も長く活動をつづけていくのなら、あるいは秋元氏からバトンを受け取った誰かがプロデュースワークなどをするのならば、楽曲には何らかの形で、希望や癒しを感じさせるものを含ませてほしいと願う。根底に哀惜があるがゆえの希望や癒しを。

花は散り、季節は移ろう。それでも水は流れていく、人は歩いていく、どこまでつづくかは誰にも分からないとしても。

※《》内は美空ひばり「川の流れのように」、AKB48「桜の木になろう」の歌詞より引用

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