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KANの貸してくれる力

僕の住む町にも公園はある

人生に、いくつかのターニングポイントがあるのだとしたら、それは僕にとって、24歳を迎えた春のことだった。その後もいくつかの転機を迎えることにはなるのだけど、いま自分が何かを悟ったと確信したのは、その春のことだった(のちにそれが「悟り」などという大それたものではなかったことを思い知らされるのだけど)。

当時の僕は、男としての(あるいは人間としての)自信を、完全に喪失していた。今は自信があるのかと問われたら、依然としてないと答えざるを得ない。それでも、自信がないならないで、何とかやっていけるのかもしれないと、ようやく思い始められたのは、その春、ある公園で、しだれ桜を観た時のことだった。

ああ、世界には、こんなにも美しい場所があるんだ、奇麗な花が咲いている公園があるんだ。それなら僕自身は、まったく美しくなくたって構わないじゃないかと思った。大事に思う人を公園に案内すれば、しだれ桜を見てもらえれば、それでいいのだと思った。

KANの楽曲に、その発想と少し似たようなものがあることを知ったのは、それから数年が経ってからのことだった。

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楽曲「プロポーズ」のなかで、KANは「結婚しよう」などとは言わない。「きみを守ります」というような宣誓もしない。こんな風に歌い始める。

<<ぼくの街に 大きな公園があるよ>>

KANは、その公園が、どんなに素晴らしい場所なのかを歌う。そこに何があるのか、そこを訪れれば何を見られるのか、そんなことを語りかける。KANの意味する<<公園>>は、もしかすると自分自身のなかに広がる世界を意味するのかもしれないし、そうだとしたらKANは、自尊心をもって自分のもとへ愛しい人を迎え入れようとしているのだろう。それでも僕は、その<<公園>>は、文字通りの<<公園>>なのだろうと解釈した。その描写が具体的で、直接的であると感じられたから。

そして思った。KANは(楽曲の主人公は)世界の力を借りようとしているのだと。自分だけで物ごとを解決しようとはしていないのだと。そういう姿勢こそが、僕に力を貸してくれた。佳曲を生みだし、それを高らかに歌えるKANでさえ<<公園>>を必要としているのなら、やはり僕も頼りない人間のままで、ただの案内役として生きていこうと決めた。

もちろん案内するというのも、公園に誰かを連れていくというのも、まったく労力を要さない行為ではない。たとえば今、こうして文章をつづっているのも(比喩的な意味では)しだれ桜のもとへ大事に思う人の手を引いていくような試みである。自分が誠意をもっているなどと言うつもりは更々ないけど、心を込めて書いてはいる。KANという「しだれ桜」を、見せたい人がいるからだ。

「プロポーズ」という楽曲も、ただ何かにすがるようなものではない。KANは、こんなことも歌う。

<<そして君の話しを全部きこう>>
<<君の好きな歌をうたおう>>

世界には公園があり、花々が咲き誇っており、そこから力を貸してもらうことはできる。それでも僕たちには、誰かの心を守りたいと願うなら、その語りたいことに耳を傾ける必要があると思う。何も語りたくないなら、言葉にすることが難しいと感じているようなら、一緒に歌でも歌うくらいの積極性が求められると思う。まともに弾ける楽器はベースしかない僕が、ほんの少しだけアコースティックギターを奏でられる状態を保っているのは、そのためと言っても過言ではない。左手の指先は、常にカチカチになっている。

***

大事な人に「プロポーズ」をするべく、公園の力を借りようとするKAN(あるいは楽曲の主人公)は、大事な人の力を借りようともする。「何の変哲もないLove Song」のなかで、

<<ひたすら一本の愛を君にうたおう>>

と力強く宣誓するKANは、自分が相手の助力を求めてもいることを歌う。

<<多くの後悔も 君とならばただの歌になる>>
<<このつづきは 君がきっといつか作らせてくれるだろう>>

楽曲の主人公は、沢山の悔いをかかえていることを隠さない。そして、それを<<歌>>に昇華するためには、相手の存在が必要であることを告げる。自分の届けようとする歌、メッセージが、未完成であるかもしれないことを認め、それを仕上げてくれるのは相手であることを伝える。

あらためて本曲の歌詞を読み返してみると、依然として(もう39歳になろうとしている)僕が、不遜であることを思い知らされる。24歳の時に「悟った」ことを、いつしか忘れていたのではないかと恥ずかしくなる。悔いをかかえる僕が、こうして文章をつづることができているのは、心ある人が見守ってくれているからだ。そして、この駄文が、未完成なもので終わってしまったとしても、それに<<つづき>>を書き添えてくれようとする人さえ、もしかするといるのかもしれない。

<<まっすぐ伸びる飛行機雲のように>>

そんな風に人を愛することは、とても難しいことだと思う。そんな風に歌うことも、少なくとも僕には困難だ。この記事だって、よれよれの線のようなものに映るかもしれない、読んでくれる人がいるのだとしたら。

それでも僕は、しだれ桜を見るために公園に行きたいと言われたら、その手を引いて<<まっすぐ>>その場所へ向かうつもりではいる。寄り道の多い無様な人生を歩んではいるけど、花を見たいという誰かの希望には、正面から応えるつもりではいる。花を咲かせたのは僕の手柄ではないけど、その花の美しさに気づけたのは僕だ。それを少しだけ誇らしく思うから、ためらうことなく案内することができると思う。

<<普通の旋律で ひねらない言葉で>>

そう歌うKANの生み出すメロディーは、たしかに<<普通>>であるようにも感じられる。同時に、<<普通>>と称するのでは足りないと思わせるものだとも感じる。たしかに言葉は、ひねってはいないようだ。それでも選び抜かれていることをうかがわせはする。KANから僕が学ぶべきことは、あまりにも多い。

しだれ桜の季節は近い。その公園へ誰かを連れていくことになるとしたら、それは相手のためだけではない。僕自身が、若き日に悟ったことを、いま思い出すためでもある。

※《》内はKAN「プロポーズ」「何の変哲もないLove Song」の歌詞より引用

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