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ロックンロールの最終列車は何処へゆく

ザ・バンドと共に乗ったミステリー・トレインが辿り着かない現代

ザ・バンドはアメリカのロックバンド、正式に活動を始めた1968年の時代から、ビートルズやローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、ボブ・ディラン、有名なところからその他、無名を問わず、強い影響力を持ったバンドだった。

ザ・バンドの、その音楽は総体に言えば「ロックンロール」である。
“ロックンロール”が1950年代にそう呼ばれるようになってから、10年経って20年経ってその形は変遷し続けてきた。ザ・バンドの演奏し歌い響かせる音楽には、”ロックンロール”の成熟がある。

ザ・バンドの登場によって起こされたロックムーヴメントはロックンロールのルーツ、源泉を辿るものだったと言われている。その流れでアメリカからイギリスまでその当時流行したものは、”スワンプロック”と呼ばれている。
しかし、ザ・バンドの音楽を表現する言葉をみつけるのはなかなかむずかしい。ザ・バンドの演奏と歌が表現する世界にはある種のムードがある。ザ・バンドをスワンプロックだと確心的に言い切るには、その音楽を聴けば聴くほど、核心をずれていくような気がしている。
その他のスワンプロックの音楽を聴いても、ザ・バンドとそれは違うものだからかもしれない。

特にTHE BAND「MUSIC FROM BIG PINK」1968年の1作目からその感覚は独特なものである。
続くアルバム1969年の2作目「THE BAND」とこれと合わせて、ザ・バンドを代表する音楽はすでに完成されている。この2枚を何度も聴き続けて、別のバンドのスワンプロックなるものを聴いてもきっと満足するものではない。
これはザ・バンドが如何に素晴らしく他が劣るかという意味を表していない。それとは別の感覚だ。ザ・バンドを聴いて気に入ったその音楽性を求めて、スワンプロックの旅に出ても、たぶんそこは沼地の行き止まりしかないかもしれない。

スワンプロックの特徴は、リズム&ブルース、カントリーミュージック、フォーク、ブルース、ソウル、ゴスペルミュージック、といったいわば”ロックンロール”の基になった音楽要素を混ぜ、合わせ融かしたようなものだと言える。それはザ・バンドの表現する音楽にぴったりと当てはまるものでもあるが、それにしてもザ・バンドは何かがちがうのだ。

1970年代アメリカのスワンプロックの有名な主題、命題としてしばしば名前を聞く、マッスルショールズサウンドやシェルターレコードというキーワードから辿ってゆく音楽は、例えばデラニー&ボニー、レオン・ラッセル、ドン・ニックス、デイヴ・メイソン、ジョー・コッカー、デレク&ザ・ドミノスからエリック・クラプトン、J.J.ケイル、マーク・ベノ、その他ロックにかかわらずソウルミュージックの歌手にまで続いていく。
それらのすべてを聴き込んだ訳ではないが、印象はたぶん間違っていないと思う。そこにはザ・バンドが居るようで居ない。
同じようにアメリカ南部のロックンロールを巡る旅を続けるその面々は”スワンプロック”の名の下に進みながらにして、経由地も、目指す終着点も別の場所であったのかもしれない。

ザ・バンドの音楽に通ずるものを知りたいなら、彼らの拠点とも言えるウッドストックとベアズヴィルレコードに係わる人脈を辿っていくのが良いだろう。
そして幅広い関係性を持つザ・バンドのメンバーが客演として演奏に参加した曲を散発的に見てゆくならば、ザ・バンド自体を含めて彼らの音楽の全容が浮かびがってくるかもしれない。

ザ・バンドのラストコンサートをドキュメンタリーにして描いた映画「ラスト・ワルツ」には、ザ・バンドにまつわる多くのミュージシャンが参加している。
映画を観ながらそこには正直少しの違和感があるのは否めない。やはり観るべきはザ・バンド自体によるパフォーマンスだ。
僕はこの映画を初めて観たとき、今までにザ・バンドの音楽に触れてきた感動以上に感銘を受けた。
ザ・バンドには哀しみがある。その上で、ロックンロールの愉しさが転がりゆくのだ。それが生き生きと伝わってくる。

僕が初めて映画を観たときはテレビの放送だったのだが、のちに、その感激をもう一度と思って「ラスト・ワルツ」のDVDを手にして見直したのだけれど、なにかが違う。同じように同じ姿で演奏し歌うザ・バンドとゲストの面々、しかしよく見れば歌詞の内容が字幕で表示されないのだった。感動が何故か半減、そこで気づいた。ザ・バンドの音楽はその音楽以上に詩の哀切があってこそ魂を揺さぶるのだと。
僕はその時から、ある面ではザ・バンドのバンドサウンドよりも、詩情と詞に於ける内証を重要視するようになって、耳で聴く、聞こえるものの、ザ・バンドの本質的な愉しさを少し忘れてしまったかもしれない。
 

そんな日々は過ぎて、時を忘れて、一旦はザ・バンドを聴く機会が減っていった。それと同時にアメリカのルーツミュージックへの興味が薄くなってしまった。
迷いの日々、行き止まりの日々に響く音楽を探して。
例えば、ビートルズを聴いてばかりの日々、ザ・フーにハマる日々、ビーチ・ボーイズを受け止めたい日々、キンクスを思い出したい日々、レッド・ツェッペリンに夢中の日々、デヴィッド・ボウイが興味深い日々、フランク・ザッパを知りたい日々、キング・クリムゾンに傾く日々、プログレからジャズ、歌のないインストゥルメンタルミュージックを聴くベクトルの日々に、僕はもうスワンプロックに興味が失くなってしまったと思っていた。スワンプロックのどこが良いのか分からなくなった日々、雨時々曇り、湿地の雨期と曇りの倦怠が続いた。気にはなるがそこへ行く気にはなれない。

しかし多くの音楽を聴いているなかで、なんのきっかけだったか思わず聞こえた、ザ・バンドの名曲”The Shape I’m In”がある日に響いたことから、それが入っている1970年のアルバム「STAGE FRIGHT」を聴きたくなった。
ザ・バンドは生き生きと強い音楽だ。これが”ロックンロール”だ。そういえば、僕はまだザ・バンドの全部を聴いたわけでもないのだった。
それからというもののまたザ・バンドの音楽ばかりを聴いている。求めているのは詩情ではない。心の音楽という感情的なものではない。”主題”はロックンロールの行方である。

ザ・バンドの名作アルバムは、「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」と「ザ・バンド」「南十字星」だというのが定説だ。ロックの名盤を知りたくて本のページをめくれば必ず出てくるのがこれらのアルバムである。オリジナルメンバーでのザ・バンドのアルバムは9枚あるが、その内、全盛期でさえあるはずの「ステージ・フライト」と「カフーツ」のアルバムは見劣りするものとして扱われたりしている。
それは本当だろうか。
僕はザ・バンドの本質が知りたくなった。そこでひねくれ者の自分は、ザ・バンドの最初の2枚の名作を外して、それ以外のアルバムをまとめてランダムに聴いていくというやり方を試した。

1970年の「STAGE FRIGHT」と1971年の「CAHOOTS」はなかなかに素晴らしい印象だ。
音楽が前にせり出てくる歌と演奏の迫力が変わったんじゃないか。大きく変化したのは音楽のミックスかと思った。リズムの編曲は意識的に強調されているかもしれない。
僕は「ステージ・フライト」と「カフーツ」が好きだ。今まで誰かの下した評価と判断に影響されてこれらを聴いてこなかったのはとても残念だ。

僕はザ・バンドの音楽をあらためて本当に好きになった。
ザ・バンドの音楽には哀歓があると再確認した。感傷と郷愁とが押し寄せてくる間には強いリズムが生き生きと息づいていた。何十年経ってもやはりここには音楽のよろこびがある。
「カフーツ」の1曲”4% Pantomime”ではヴァン・モリソンが大々的に唄っている。そうなればまたヴァン・モリソンの音楽も聴きたくなってくるというものだ。
ザ・バンドの音楽旅行へ同行して、あらためてこのバンドの音楽の謎が見えてくるような気がする。「ステージ・フライト」「カフーツ」「ロック・オブ・エイジズ」「ムーンドッグ・マチネー」「南十字星」「アイランド」それを通して聴いたのちに、名作「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」「ザ・バンド」の2枚へと戻ってみるのだ。なるほどこれは素晴らしい軌跡である。誰にも到達できなかった終着点は始発点にあったのか。ザ・バンドの謎はいまだ解かれていない。見方感じ方はまったく別のものに変化したような気がした。

そうやって暫しもう一度ザ・バンドを聴いていると、ここから再びスワンプロックへの道すじと乗り換えは簡単だった。そして自分の持つレコードから久しぶりにスワンプロックの名作を幾つか選んで聴いてみた。アメリカンルーツミュージックの旅よ再び。

1971年のデラニー&ボニー(DELANEY & BONNIE and friends)「Motel Shot」のアルバムの音楽はゴスペルとスワンプミュージックの臨場感あふれる生々しさを感じさせてくれる。曲間が切れ間なく続く場面はいかにもその場に居るかのような感覚だ。

1971年のドン・ニックス(DON NIX)のアルバム「In God We Trust」はゴスペルスワンプの傑作だが、それらの”スワンプロック”の音楽のなかでも、ドラムの弾ませたリズム感に混ざる哀感がザ・バンドに肉薄するとは言えないか。これも素晴らしいアルバムだ。”Amos Burke”の曲中の高揚には、ローリング・ストーンズの名曲”Tumbling Dice”と同じものを感じる。

1973年のTONY JOE WHITEのアルバム「Homemade Ice Cream」はスワンプの真髄を身近に感じさせてくれる。トニー・ジョー・ホワイトの1969年の傑作曲”Polk Salad Annie”はエルヴィス・プレスリーにカバーされている名曲だが、1972年の”Even Trolls Love Rock and Roll”のファンク感覚はザ・バンドにも影響したかもしれないと考えてみたい。ここではクラヴィネットのリズム音が効果的に扱われている。この曲が収められているアルバム名は「The Train I’m On」という。

“ロックンロール”の旅はよく、列車のように例えられる事がある。ザ・バンドの転がるロックンロールのロール感覚は、たとえるなら列車的である。
ザ・バンドの演奏で特徴的なドラムの立ち回りは見事なものだ。ドラムのリズムを聴いているとレヴォン・ヘルムが、ねこぜ気味に懸命に打ち込む、かの姿がありありと浮かんでくるように思える。これがなければザ・バンドは成り立たないと言い切れる。

そしてザ・バンドの明らかな特異さを引き立てているのはキーボードを操るガース・ハドソンの演奏と音色である。バンドのメンバー個々の特技を取り上げて述べるのは正しいが、ここでは、耳に残る響きに焦点を合わせたい。ザ・バンドの音楽ムードを決定付けているのはガース・ハドソンに違いない。

ガース・ハドソンはザ・バンドに於いて、当初から多彩な音色をもたらしてきた。アルバム「THE BAND」は1969年だが、”Up On Cripple Creek”の曲中にはこの時代にはもっとも早いと思われるクラヴィネットの音が聞こえる。クラヴィネットの楽音をポピュラーミュージックに於いて有名にしたのは1972年のスティーヴィー・ワンダー”Superstition”だとされているが、それよりも進んでいたのかもしれないのがガースのセンスだ。
1972年のトニー・ジョー・ホワイト”Even Trolls Love Rock and Roll”にクラヴィネットが使われているのは、もしかするとスワンプロックの始発電車ザ・バンドの影響とその見地からの実践かもしれないとして、しかしそのアメリカ南部の”ロックンロール”感覚を、乗り換え停車駅でトニー・ジョー・ホワイトから参照し咀嚼したのは今度はザ・バンドかもしれないと考えるのは面白い。
 

僕がザ・バンドの音楽を最初に聞いたのはたぶんラジオ放送で、その曲は”MYSTERY TRAIN”だった。そこですぐに耳についたのが奇天烈な音を繰り出すキーボードと、そこに絡まり合い畳み掛けるドラムの珍道中だった。それからというもの僕はロックンロールの奇妙な列車旅を始めてしまったのかもしれない。
 

その番組ではブルースとロックの係わりを特集していたのだと記憶する。そのなかで印象に焼きつけたキャプテン・ビーフハートの歌う”The Host The Ghost The Most Holy-O”には奇妙な痛快さを感じた。不気味かつ面白くて笑えるという相反する”ストレンジ”な感覚。

僕がそれを聞いた時代は1990年代の中頃、たしか番組ではBECKの”LOSER”という曲も取り上げられていたかもしれない。同じとき、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンのジャンクブルースも語られていた気がする。その時代には何十年前の音楽を評価し影響を新しいものとして受け継ぐ機運があった。
自分の感覚はどうしてか昔の音楽の方へと傾いていった。BECKやジョン・スペンサーはかっこよかったが、それらの壊れた感触よりも、キャプテン・ビーフハートの方が真っ当な顔をしてぶっ壊れていた気がしたのだ。刺激はそちら側にあると信じた。

いま想えば、ザ・バンドの演奏する”ミステリー・トレイン”は特異な1曲である。”Mystery Train”は1950年代のジュニア・パーカー、エルヴィス・プレスリーのロックンロールクラシックのカバーであるが、ザ・バンドはそれを異端のファンク仕様のロックンロールへと改変している。これが収められている1973年の「MOONDOG MATINEE」の中でさえ浮いているのだ。ザ・バンドの全作品の中でも、この路線を行っている曲はないだろう。
よく聴き込めば、1970年型”The Shape I’m In”とよく似た車両編成でゆく1973年型”Mystery Train”の路線図は同じものかもしれない。

興味深いのは、その時代にこの”ミステリー・トレイン”のカバーバージョンが一体どれくらいあるのかという事だ。
例えばカバーでは1965年のザ・ポール・バターフィールド・ブルースバンドによるものがあるがそれは後に「ラスト・ワルツ」コンサートでの”ミステリー・トレイン”の演奏でザ・バンドとバターフィールドの共演という形につながる。
また1970年にはジョン・ハモンドが「Southern Fried」のなかでカバーしているが、実はザ・バンドの前身ホークスは1960年代にジョン・ハモンドのバックで演奏しているらしい。
そしてちょうど、ザ・バンドと同じ時期、イギリスのスワンプロックバンド、UNCLE DOGが1972年「Old Hat」のアルバムで”ミステリー・トレイン”を取り上げているのだ。僕はこのアンクルドッグのバージョンは絶品だと思う。英国のジャニス・ジョプリンを引き合いに出される女性歌手キャロル・グライムスの声はロックンロールのロール感覚を転がしながら次第に狂気じみてそのレールを逸脱してゆく。バンド全体が描くその熱と勢いたるや思わず音の鳴るスピーカーに引き寄せられてしまう引力がある。これも素晴らしく奇妙な列車旅である。

話の線路がずれてゆく。
僕はローリング・ストーンズの1974年の異端のファンクサウンド”Fingerprint File”の曲想が、ザ・バンドの”ミステリー・トレイン”の編曲に大いに感化され、影響を受けていると思うが、その事が語られているものは少ないと思う。ストーンズがその時、影響されていたのはスライ&ザ・ファミリー・ストーンと言われている。
僕は、ストーンズが影響を受けたのは、初めはスライよりも、その当時のエレクトリックファンクやコズミックファンクじゃないかと感じた。それならスライ・ストーンがマイルス・デイヴィスに影響し合ったところから説明もつきそうだと。そうして実に”Fingerprint File”の感触はハービー・ハンコックとヘッド・ハンターズと通ずるかもしれない。
しかし、本当のところはザ・バンドの”Mystery Train”かもしれないと思うのだ。
シンセサイザーとクラヴィネットのリズム、同じところを行きつ戻りつとする反復、次第に音数を減らしていく展開、実に似ていると思う。

ストーンズの”フィンガー・プリント・ファイル”のファンク路線は、その種のファンクとして1976年の「Black And Blue」の1曲”Hot Stuff”に受け継がれているようでいて実は違うと思った。”ホット・スタッフ”の隙間のあるヘヴィーなリズムの刻み方は、1975年のデヴィッド・ボウイのヒット曲”Fame”にこそ通じる。

ストーンズに於けるこの種のファンク路線は1978年の”Miss You”、1980年の”Dance Pt.1″にと単発で続いてゆく。
そういえばストーンズの”Dance Pt.1″のリズムはレッド・ツェッペリン1976年の”Trampled Under Foot”からのものだろう。そして、この”トランプルド・アンダー・フット”には、スティーヴィー・ワンダーがクラヴィネットのサウンドを有名にした、
かの”Superstition”の曲中で使っていたファンキーなリズムの参照が明らかに感じられる。

これらの影響力は分かりやすいものだが、実にその情報はあまり伝えられていない気がする。

1960年代70年代というこの時代を過ごしてきた人たちが語る文章を目にすると、昔は今みたいに情報が少ないから知ることも難しかったし、聴く機会もなかなか無かった、という話がある。
だとするなら、その当時の人たちでさえ、これらの音楽に触れないまま時代は過ぎてきたのではないかと思う。より多くの人たちに伝わる前に忘れられてしまった音楽。
僕はそれらの時代の人たちの感覚をもっと教えて頂きたいが、話を聞きだそうとしても一般的には知らない人の方が多いのが残念だ。

例えば、身近な人に、新しく知り合った人に、何が好きなのかという話をした時に、僕は音楽が好き、と答えるが、その先を言うと、いまの時代よりもっと古い音楽が好きです、と言ってしまうと、もう話が続かなくなってしまう。本当は新しい音楽にも、いまの時代にも興味があるのだけれど、自分で決めて追求しているのは昔の音楽だ。しかし相手側のほとんどの人が昔の音楽にそれ以上の興味を示してはくれない。それはまるでむかし懐かしの音楽、とでも思われているのかもしれない。

たとえば、運良く話のわかる人がいたとして、興味を持って続きの話を聞いてくれるとして、そこにある”昔の音楽”への知識はあまりに広くなかった、というのが自分の経験だ。その人たちが思う昔の音楽とは、まずはじめに、クイーン、エルトン・ジョン、イーグルス、カーペンターズ、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、マイケル・ジャクソン、時には稀にツェッペリンを挙げてくる人もある。

僕はたぶん、あまのじゃくだ。それらの音楽を挙げる人を心中では、ベタベタやんと関西弁でけなしていた。そうして自分はその音楽よりも別のところへ意識を向けた。

僕が高校生の頃、日本では”渋谷系”なる音楽ムーヴメントがあった。僕はこの時代が今は好きだが、当時はマニアックな音楽趣味を理解出来なかった。”かれら”はわざと主流を外して、音楽を語っている気がした。僕はその時代の若者としてビートルズやローリング・ストーンズやボブ・ディランをロックンロール”アイコン”にしてもっと知りたいという時期だったのかもしれない。

しかし今や、ロックはそれを表現するその人のなりと個性と共にしか語り継がれない時代ではあると思う。
音楽とは、歌だと思う人もいる。音楽は歌と言葉が大切で、その周りの演奏を、付随するものとしか聞かない人もいる。共感し、語られているのは曲のなかの言葉である。意味である。
そして音楽を選ぶ選択肢は多いのに、マニアックな方へは流れない。実際はそうではないのかもしれない。けれど印象はそう伝わってくる。
 

僕自身ははっきり言って音楽の素人だ。なんにも分かっていないのは自分でも承知する。
音楽は音楽家が語ってくれれば分かりやすいものだが、それよりも世に多くある、その音楽家、演奏家、歌手に、記者がインタビューした記述からそれを知るのはなかなか難しい。

僕は音楽の影響力をもっと知りたい。そしてアイデアの変遷を感じるのはとても面白い事だ。そうやって次へ次へと興味を広げてゆきたい。
僕は”ロックンロール”を今の時代に於いてなお信じたい。それはまだ歴史上の全部が伝わってきていないからだ。まだまだ昔の音楽に聴くべきところはある。新鮮な感覚として発見する事は多いのだ。そして残されたアイデアも、導かれた結果も、それがいまに活かされているとは思えないというところもある。

「ロックは死んだ」と、いったい何時から言われるようになったのだろう。その「死んだ」という意味はなんに対してのものだろうか。

今の時代にも言葉として残る「ロックンロール」は、はたしてどんなものだろう。今も変化を続けているのだろうか。ザ・バンドの残したロックンロールの成熟よりもその先へ行けたのだろうか。あの”ミステリー・トレイン”が走る線路は何処へ続いたのだろう。
2020年になって、それまでの音楽史を辿るのは大変な事である。
 

“ロックが死んだ”と言われたのはパンクの時代だと僕は思っていたが、それはジョン・ライドンによる、
ロックは終わってる、ジイさんが踊ってたくらいだ、というものから窺い知れる、年と共に古くなった音楽という意味を有しているのだと思う。

しかし本当のところ、ロックが死んだのは、
若者の反抗の象徴だったはずのロックが、
カウンターカルチャーすなわち主流への反対を表明していたはずのロックが、
年寄りのダンスミュージックに成り下がってしまったというだけの意味ではなく、ロックが今の時代の音楽に何ら新しいものを示せていないという事を伝えているのだ。
この40年近く前のジョン・ライドンのメッセージは実に今の時代にも有効なものかと思う。

“ロックは死んだ”と言ったのは誰なのか。
僕が知っている事を書けば、イギリスのバンド、ザ・フーの曲”Long Live Rock”の歌詞に”rock is dead”とある。それは1972年の事である。
またアメリカの歌手ドン・マクリーンのヒット曲”American Pie”の歌詞には”The Day The Music Died”という言葉が繰り返される。この曲は1971年のものだが、その”音楽が死んだ日”が指しているのは1959年の事らしい。

言うなれば、”ロックが死んだ”という意味は、定義を決めるにせよ、ある人の思い入れや受け止め方、それぞれの考えによってまちまちだという事かもしれない。
しかし決して、ロックが終わったのは、興味を持たれずに売れないからでもなく、逆に、より多くの人たちに売れてしまったことでもない、と思う。

ひとつ言っておきたいのは、”ロックンロール”が、
見世物小屋のパフォーマンスでもなく、客寄せの過激なフェイクでもないという事だ。

2000年代にはガレージロックンロールリバイバルというムーヴメントがあったが、それはロックンロールの原初性への復権であったと思う。直情的、激情的、爆発的、表現への衝動を突き動かせるというロックの象徴への回帰。
しかし、それは今になって何を残せたんだろう。

自分に何が分かるか、そんなことは自信をもって言えることじゃない。しかし憂いを込めてこう言いたい。
ロックンロールは何処へゆく。

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