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彼の名は、GOMESS

人に紛れて26年、言葉で刻む生きているという証

HIPHOPの世界でラッパーが名乗る名前のことを、MCネームと言うらしい。
GOMESSという名前(MCネーム)の由来について、以前ネットで見かけたインタビュー記事を急に読み返したくなった私は、彼の名前とキーワードを検索窓に打ち込んでみる。
記事はすぐに見つかった。

幼い頃から父親に「ゴメス」と呼ばれて育った(父親はゴメスと名付けるつもりだったけれど母親に猛反対された)ことや、
「ウルトラQ」という特撮に出てくる「ゴメス」という名の怪獣が由来だとか、
「ゴメスは第一話に出てくる怪獣だから(長男だから)」だとか、
飛び出す話はどれも予想の斜め上で、「なにそれ面白い」というのがそのエピソードを知ったときの最初の印象。
改めて読んでみても、センスが光っていて面白いなと思う。

2012年、第二回高校生ラップ選手権にて初出場ながら決勝まで上り詰め、その名を知らしめたGOMESS。

一方、私が彼の名前を知ったのはそれから約3年後の2015年6月。
とある冊子に、彼のインタビューと『人間失格』という曲の歌詞が掲載されていたのを読んだのがきっかけだった。
「自閉症児と音楽」と題された特集の中で、GOMESSはラッパーとして紹介されていた。

インタビューと『人間失格』の歌詞を読んで彼に興味を持った私はすぐさまMVを探し再生する。
最初はなんだか不思議な感じの音楽だと思った。
イメージしていた「ラップ」と違っていたからだろうか。
動画の中のGOMESSはそのまま消えてしまうんじゃないかというくらい儚げでありながら、時折不敵に笑ってみせる。
帽子のつばの下から覗く眼光は鋭く、こちらを見透かしているようにも見える。
身振り手振り、全身全霊で伝えようとするその姿は鮮烈で、気付けば3分とちょっとの動画を視聴し終わっていた。
「かっこいい」というのが率直な感想。

私は夢中になって彼のMVや、彼が出ているラップバトル、フリースタイルのライブ映像などを漁った。
それまで、自分がラップと呼ばれるジャンルの音楽に興味を持つようになるとは思っていなかった。
なんとなく、近寄り難いイメージを抱いていたのだ。
ましてや「ラップバトル」ともなれば、その字面からも攻撃的で荒々しい雰囲気を想像してしまう。 

ラップバトルというのは、DJが指定したリズムトラックに乗せて2人のラッパーが即興で交互にラップを披露し合うというもの。
勝敗はオーディエンスの歓声が判断基準となっており、つまりより会場を沸かせた方が勝者となる。
会場を盛り上げるために、相手を「ディスる」言葉や過激な表現が用いられることもあるようだ。
そんな中、GOMESSのバトルには彼独自のスタイルが感じられた。
対戦相手に飲まれない、他と明らかに違う何か。真似できない何か。
それはラップにさほど詳しくない私の心にも訴えかける程のものだった。

「フリースタイル」というのはいわゆる即興ラップのことだが、GOMESSのラップの魅力は「フリースタイル」でその真骨頂を発揮する。と私は思う。
即興とは思えないリリック(歌詞)、一度聴いただけでも耳に残るフロウ(旋律、歌い回し)で一気にリスナーをGOMESSの世界へと誘う。
淀みなく溢れる言葉は丁寧に紡がれ、リズムにのって音符となって、1人の人間の生き様とともに形を現す。
同じラップは二度とない。
生きている、まさに「ライブ」だと思った。
目の前で音楽が完成していく様はとても美しくて息をのむ。
GOMESSのフリースタイルを見ていると、音楽はいかにして生まれるかのひとつの形を見ているような気持ちになるのだ。

GOMESSは「元引きこもりのラッパー」と称されることもあった。
実際、10歳の冬に「自閉症」と診断されて以来学校を休みがちになり、中学校を卒業するまでの5年間は引きこもって生活していたという過去がある。
「自閉症」という字面からも誤解されやすいのだが、「引きこもり」と「自閉症」はイコールではない。
二次障害として引きこもりになることはあれど、おそらくそれは自閉症でなくても同じことだと思うのだ。

そして、引きこもりの期間があったからこそGOMESSはラップ(ヒップホップ)に出会った。
会話は苦手でも、ラップでならメッセージを伝えてお客さんと関わることができる。
そう気付いたGOMESSは、音楽を「受信する側」から「発信する側」へと意識が変わっていったのだそうだ。
GOMESSにとってラップは、自分を表現する手段であり、外の世界とつながるきっかけとなっていたのだろう。

GOMESSのデビュー作ともいえる『人間失格』の歌詞には、GOMESSが「自閉症」だと宣告された時のことがリアルに綴られている。

「俺に一生の誓いを乞う まさかのプロポーズ
(あなたは自閉症)
はい 従います よく知らないけど 翔平は今死んだんですよ
母さんが教えてくれたこの本に書いてある 俺は普通じゃない
友達も言ってた障害者だって 俺がおかしいんだってな なるほどね
後から思えば 全てここからさ 幸せな日々よ ありがとう さよなら」

「翔平」というのはGOMESSの本名。
私は初めてこの歌詞を読んだとき、少しショッキングだった。
なぜなら、自分の息子も「自閉症」と診断を受けているからだ。
この歌詞は、自分が「フツウじゃない」と見られている現実を叩きつけられたことへの悲しみや絶望の声に感じられ、それは未来の息子の心の声の可能性もあるのではと思うと心を抉られた。

息子は自閉症かもしれない、そう思ったときの私は特に悲観的ではなかった。
それでも、いざ病院で診断名を告げられたときは「やっぱりそうか」という思いと同時に、頭をゴーンと殴られたようなわずかな動揺を否定できなかった。
当時3歳半の息子はまだ喋ることもできず、こちらが言ってることの意味も分からないような状態。
目の前のおもちゃに夢中で、自分の身に起きていることも告げられた名前の意味も知る由もない。
しかし春には小学4年生となる息子は見違えるほどおしゃべりになり、一見すると「フツウ」の子だ。
でも、そろそろ彼も気付くだろう。
なぜ自分だけ支援級と教室を行き来しているのか。なぜ定期的に病院へ通っているのか、何のために行っているのか。疑問に思いはじめる頃だろう。
私は息子の疑問に真っ直ぐに答えられるだろうか。
私の返答次第では、息子の可能性を潰してしまうことになるのでは…。

検査を受け、診断名をもらうに至るまでの私の行動はエゴだったのだろうか… そんなことを考えてしまったことは何度もある。今でもたまにある。
一人ひとり違うのは当たり前なのに、その「名前」さえなければ、息子は「フツウ」として生きていけたかもしれないのに。
まだ喋れない、自分の意見も言えない小さな子どもの可能性を、私の選択で狭めてしまったかもしれないという責任が重くのしかかった。

「自閉症スペクトラム」「広汎性発達障害」
わたしが、この名前を息子につけたのだ。背負わせてしまったのだ。
息子は、これから一生この名前を背負って生きていかねばならないのだ。
私はなんてことをしてしまったんだろう。

しかし冷静になってみれば、そう悲観することこそがエゴではないかとも思えてくる。
なぜ検査を受けようと思ったのか?
障害であっても、そうじゃなくても、正直どちらでもよかった。ただ、手立てが欲しかったのだ。
息子のことがわからない、わかりたい。息子のことをもっと知りたい。
息子の今と未来のために、できることを知りたかった。
共倒れにならないために、導いてくれる何かと繋がっておきたかった。
だからあの時はきっとそれが最善の選択だったのだと思うしかない。
自分は何者なのか?という問いは、私が心配しようがしまいが、息子に障害があろうがなかろうが、おそらく避けては通れない道だから。
私は息子ではないから、答えは息子が自分で見つけていくしかないのかもしれない。
大丈夫。どんな名前で呼ばれたって、息子は、息子だ。

GOMESSというMCネームの由来にはつづきの話がある。
地中で眠っているところを人間の都合で起こされて、言葉で伝える術もなく暴れ回るしかなかった怪獣ゴメス。
凶悪な見た目も相まって一方的に悪者とされ、最期は悲しい死を遂げてしまう。
そんな「ゴメス」に、その昔公園で暴れまわって死にかけた自分の姿を重ねたGOMESS。
さらに、ゴメスの着ぐるみはゴジラの着ぐるみを改造したものが使われているらしい。
これはヒップホップでいう、既存の音源の一部を使って曲をつくる「サンプリング」に似ている、とGOMESSは思ったそうだ。
そうやって怪獣ゴメスのことを知れば知るほど自分と重なり、GOMESSというMCネームにも愛着が湧いていったようだ。

「普通じゃねえって 並外れてる 人が呼んでる 障害者のクズです
馬鹿にしてる カモにしてる アイツは頭がイカれてる
My name is GOMESS 人間じゃねえ 孤独の世界からいつも見てる
笑って 笑って 怒って 人に紛れてもう19年」
(「人間失格」より)

『人間失格』の中でGOMESSは
「My name is GOMESS 人間じゃねえ」と繰り返す。
また「僕は、人間の器に入って生まれ育ったエイリアン」と言うなど、自分を人間以外の何かだと表現することが多いように思う。

おそらくは、周囲が自分を見る目や、自分とその他大勢との「違い」に幾度と苦しんできたのではないだろうか。
「人間」が中心となって住う世界で自分の居場所を感じられず、もがきつづけてきたのではないだろうか。

しかし、その一方で「人」に紛れて生きて24年目のGOMESSが歌ったある曲の中で彼はこうも言っているのだ。

「僕は誰だ 人間
でも僕はフツウじゃないらしい
だから何だ
障害者 健常者
違う 僕は 僕だ」

それは、東海テレビの「見えない障害と生きる。」キャンペーンのプロモーションとして制作された5分の動画の中でのことだった。

前半は「発達障害」と呼ばれる「ぱっと見普通にみえる」人々や、さまざまな「見えない障害」へスポットが当てられる。

「片付けられない」ことが原因となって離婚にまで至った女性は、明るく笑ってインタビューに答える。
文字が読めない教師は、「がんばれ、フツウになれ」という声に苦しみながら生きてきた。
聴覚の過敏により日常生活すらままならない少年もいれば、
障害の特性から来るこだわりの強さを逆手にとって才能を見出した男性もいる。
おそらくは「多動」の特性のある子どもをもつ母親は、わが子を問題児と決めつけられるなど世間の目に苦しんできた。
そして、パニック症を起こしたことで「自閉症」と診断されて引きこもるようになったGOMESSはラップと出会い、自分を表現するようになった。

千差万別でひとくくりに「こういうものだ」と断言できない「見えない障害」とともに生きる人々のドキュメンタリーの一部が、たんたんと語られている。
3分30秒を過ぎたところからGOMESSの独白、ポエトリーリーディングが始まり、雨の音とともに穏やかなGOMESSの声が言葉を紡いで一気にその世界へと引き込む。

「言葉に騙されないで
障害は確かにあるけど
僕とあなたの間にあるその障害は
僕だけのものじゃないと思うんだよ
なぁ ちゃんと見てくれよ
すべてを解ってくれなんて言わないからさ
せめて家族に 友達に あなたにくらい
障害者としてとかじゃなくて」

障害は確かにある。否定はしない。
けれど障害とは、フツウとは、誰目線の言葉なのだろう。時々私は考える。

「みんなのフツウが僕には難しくてできなくて
僕だけ なんで って
塞ぎ込んでしまう時がある 
本当はこんなはずじゃないのにって
失敗を繰り返して ダメになりそうな
そんな時だってある
でも 僕が僕を諦めずにいられるのは
僕を諦めずに見ていてくれる人がいるから」

GOMESSの声は次第に熱を帯びて、言葉は想いは加速していく。
イヤホンから心臓にダイレクトに訴えかけ、私の目の奥にもツンとしたものが込み上げてくる。
そして最後にはこう締めくくっている。

「ただ 側にいてくれるだけでいいんだ
僕らどんな障害があったって
同じ人間として」

この歌でGOMESSに見えているのは、「人間」と「人間じゃない自分」ではなく、「同じ人間として」の自分と他者なのだ。

GOMESSに何があったのだろう。
彼のラップは彼の全てかもしれない。
けれど私は彼のラップだけで彼の全てを知った気になることはできない。
本当のことは知る由もないが、ミュージシャンとして活動していく中で、さまざまな人と関わっていく中で、少なくともGOMESSは自分の居場所を見つけられたのではないかと思った。

様々なアーティストとのコラボ等を経て、GOMESSの世界は広がった。かけがえのない仲間に出会い、自分は何者なのかという問いにも、いくつかの答えを見出しているのかもしれない。

「俺はエイリアン」と歌う『光芒』という曲の中でも、自分と他者との違いを認めながらも悲観だけに終わらず希望を見据えるなど、リリックからは確固たる信念も垣間見える。

「当たり前のことできない 粗悪品
だから狂ってる それか もしくはクレイジー
見る目を変えればクズだってスターだろ?
言葉の意味なんてこれから変わる
俺とお前の境界に引く線
孤独だとは思わないさ 例え
お前がどんなに頑張ったとしても
俺は俺 お前じゃない それが誇りだ」
(光芒[Pro. DJ BAKU]より)

デビュー当時に比べて深みを増したGOMESSの声も相まって、言葉たちはより説得力を増してGOMESSのラップを彩っている。

私はGOMESSのラップが好きだ。
GOMESSの言葉選びには、強いプライドとポリシーを感じる。
他者を侮辱したり闇雲に攻撃するような表現がほとんどないのだ。
おそらくGOMESS自身がそのような言葉による差別を受けてきたからこそ、自分はそうじゃない言葉で勝負したいのかもしれない。
ラップバトルでよく見受けられる相手を「ディスる」表現も少なく、むしろ相手を称賛することもあるくらいだ。
相手の言葉を丁寧に拾い、リスペクトも込めてアンサーを返す彼のスタイルは見ていてとても気持ちがいい。
それで会場が沸くと、なんだか私までうれしくなる。

ラップバトルは「バトル」であり、ラップを介した「会話(対話)」「コミュニケーション」なのだなと、GOMESSのバトルを見て気付かされた。
まさか「バトル」を観てあたたかい気持ちになるなんて考えてもみなかったけれど、初めて観たときは素晴らしいものに出会えたという興奮で胸が高鳴って、この気持ちを大切にしたいと思った。
世界にはまだまだ素晴らしい音楽が溢れているんだとな思うとワクワクするし、GOMESSを通してラップに出会えてよかった、心からそう思う。

きっかけは「自閉症」というキーワードだったかもしれない。
自分の子どもが自閉症と診断されていなければ、きっかけの冊子を手に取ることも、GOMESSのラップを気に留めることもなかったかもしれない。

しかし今となっては、障害がどうだとかいう枠を越えて私は彼の言葉、音楽、そのものが好きなのだと自信をもって言える。

彼のラップバトルやフリースタイルを聴くと、ラップに対するイメージが変わるかもしれない。
特に以前の私のようにラップにあまり興味がなかったり、いいイメージを抱いていない人にぜひ一度聴いてほしいと思う。

そして、最近あんまり感情を表に出せていないなという人や、集団生活の中で他人の目や声に疲れた人、世の中に自分の居場所を感じられずに苦しい人、生きづらい、なんとなく元気が出ない…。
そんな人は一度、そのままのあなたでいいから、GOMESSのライブに足を運んでみてはどうかと思う。
ただそこにいることを許される、そんな心地良い空間でもてなしてくれるだろう。
…なんて、まだ彼のライブに行ったことのない私が言うのはどうかと思うけれど。

今年で26歳となるGOMESSはどんな言葉を、生きた証を刻むのだろう。
ぜひ、その目で耳で体で、心で、感じてほしい。
彼の言葉、想い、魂。
彼は一体何者なのか、を。

ミュージシャン、ラッパー
元引きこもり
人間、エイリアン
健常者、障害者、自閉症?

違う。
彼の名は、「GOMESS」
GOMESSは、GOMESSだ。

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