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中島みゆきの詩情

文学さえも凌駕するかもしれない言葉

人間にとって、もっとも原始的で正直な欲求とは何だろうか。これさえ与えられればやっていけると思えるものは何だろうか。それはやはり「好きな人から好きだと言われる」ことではないかと僕は思う。男女を問わない、自分にとって大事な人が、自分のことを好きだと言ってくれるなら、その関係を維持するのに必要なお金しか求めない。

もちろん地位や名声といったものを与えられるのは、悪い気がしないものだろうけど、自分が何ゆえに「大事な人」を大事に思っているかを熟考してみると、それは彼や彼女が社会的に成功しているからではない。そこから逆算するように考えてみると、恐らくは僕がするべきなのは、巨万の富を求めて突き進むことではないだろう。

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大学時代、文学部に籍を置いていた僕たちに、ある教授が中島みゆきさんの詞を読むことを勧めた。文学を学ぼうとする以上、必読だという意味だったのだろうと思う。そのころ、僕は夏目漱石や大江健三郎、川端康成といった「純文学」の巨匠とでも呼ぶべき作家の本を読みながら、Mr.Childrenの曲を愛聴するという日々を送っていた。ある意味、作家のつづる文章よりも心に刺さってきたのは、桜井氏のつむぎだす歌詞だった。

<<愛されたいと歌っているんだよ>>

偉そうな物言いになるけど「よくぞ言って下さった」という気分だった。僕だって愛されたい。不特定多数の人に愛されたいなどとは全く思っていない(いなかった)けど、大事に思う人から嫌われたら、深く傷つくだろう。

それから少し時間が過ぎたあと、中島みゆきさんの軌跡を辿ってみた僕は、4thアルバムに「愛していると云ってくれ」という題が付けられていることを知った。桜井氏のつむぐ詞と同じような思いが込められているだろう題だ。いや「云ってくれ」と懇願しているぶん、中島みゆきさんのほうが激情を放っていると言えるかもしれない。

文学とは高尚で華麗なものだと考えていた僕は、その豪放なまでの題に惹きつけられ、中島みゆきさんの色々なアルバムに収められた、色々な楽曲を聴いてみることになる。そこに文学を超えるようなものを見出そうとする(今日に至っても、当時、読みふけった漱石の本などは書棚にあり、作家とミュージシャンを「比べる」ことは野暮だと分かっている。それぞれに良さがある。それでも本記事では、中島みゆきさんの歌詞の奥深さを強調していきたい)。

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本記事の冒頭で、僕は人間の原始的な欲求について私見を述べた。でも、そうした願いを持つためには、この世に生を受けなければならない、当たり前のことを言うようだけど。まさにそのような、人が生きていること自体が素晴らしいことを歌ったものが、中島みゆきさんの楽曲群にはある。

<<生まれた時だれでも言われた筈>>
<<耳をすまして思い出して最初に聞いた Welcome>>

もちろん僕は(恐らくは多くの人が)自身の生まれた瞬間のことは覚えていない。その時に、どんな言葉をかけられたかは覚えていない。それでも本文をつづるディスクには、初孫の僕を抱く祖母の写真がある。祖母は満面の笑みを浮かべている。祖母が<< Welcome >>と言ったかは分からない。それでも僕は(その後、いくつかの間違いをおかし、何人かに愛想を尽かされたりしながらも)「誕生」を喜んではもらえたわけだ。中島みゆきさんは、それを思い出せてくれる。さらに、こうも歌う。

<<もしも思い出せないなら>>
<<私 いつでもあなたに言う 生まれてくれて Welcome>>

これはもう「愛している」と同義なのではないだろうか。その言葉を欲する中島みゆきさんは、自ら進んで発しようともしているのだ。自分が何を求めているかを見つめた結果が、他人の心中を推し測ることにつながっているのだ。もちろん、上記のような言葉は、楽曲のなかで放たれるものであり、私人としての中島みゆきさんが、どのような人であるのかを詳しく知りはしない。それでも、その生き方、アーティストとしてのあり方は、文学部学士に限らない、多くの人の規範となりうるものだと考える。

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そのように優しい言葉を発する中島みゆきさんは、時に衝撃的な詞を書きもする。たとえば「空と君のあいだに」で

<<君が涙のときには 僕はポプラの枝になる>>

と穏やかに歌い始めながら、サビではこう歌うのだ。

<<君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる>>

<<悪>>という単語を、どう解釈するかで、これが「衝撃的な詞」なのかは変わってくるだろうと思う。本曲で中島みゆきさん(楽曲の主人公)は

<<憎むことでいつまでもあいつに縛られないで>>

とも歌うから、恐らくは大事に思う誰かを、悲しい過去から引きはがそうとしているのだろう。それは恐らく「きれいごと」では済まない試みになるのではないだろうか。そうした気迫が<<悪>>ならば、それを僕は支持する。僕自身が<<悪>>になりきれるかは分からない。それでも自分が、いくつかの過去に縛られていることは自覚しており、そこから離れることを勧めてくれる隣人もいるのだ。忘れる努力をするよう促してくれる人はいるのだ。それはもしかすると、その人なりの「愛している」というメッセージなのかもしれない。

「空と君のあいだに」と両A面でリリースされた「ファイト!」にも、強い言葉と優しいメッセージが込められている。

<<闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう>>

本曲でも中島みゆきさんは、きれいごとで世界が充たされてはいないことを歌おうとしているようだ。悲しい過去を忘れようとしたり、愛されることを望んだりする僕は、ある意味では闘っているのかもしれないし、その姿を笑われることもあるかもしれない(すでに笑われているのかもしれない)。それでも中島みゆきさんは

<<諦めという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく>>

とも歌ってくれる。それは魚が必死に泳いでいく様を描いたものだ。人間という不完全な生命体と、それ以上に弱いのかもしれない魚の姿を重ね合わせ、リスナーを励まそうとしてくれる中島みゆきさんの歌詞は、やはり「文学的」と形容するべきなのかもしれない。それでも、この曲に込められたメッセージさえ、要約すると(あるいは意訳すると)「愛している」というものになるのではないか。

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ここ最近、僕は大事な人に「愛している」と言っただろうか。その言葉を欲するなら、こちらから言わなければならないのかもしれない。その勇気を持ちはしないので、Mr.Childrenの力を借りたい、その楽曲から言葉を引用したい。

<<愛しています 君はどう>>。

※《》内は中島みゆき「誕生」「空と君のあいだに」「ファイト!」、ミスターチルドレン「終わりなき旅」「常套句」の歌詞より引用

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