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シャ乱Qのダサさが格好いい

はやりの言葉ではないとしても

何がイヤかって、自分の好きな人や、愛聴するミュージシャンをバカにされるほど不快なことはない。自分自身がバカにされるのも当然、不愉快ではあるけど、それはもう致し方ないことだと考えている(僕だって自分を好きなわけではない、自分が大小の欠点や弱点をもっていることくらいは分かっている)。

加齢とともに、自分の好きなものをバカにされることも、黙って受け入れるしかないのだろうと思うようにはなってきた。むしろバカにされることで、何を言われようと俺は好きなんだと心が熱くなり、好きな人(あるいは楽曲)への愛情が強まることを発見しもした。それでも腹に据えかねる時というものはある。だから好きな人自身が「バカにされても構わないよ」と言ってくれると、何だかホッとする。

たとえば、でんぱ組.incは「W.W.D」のなかで

<<バカにしたって ケッコーケッコ―>>

と言ってくれる。恐らくは彼女たちは、私人としてもバカにされたことがあるのだろう。そして、でんぱ組.incの楽曲や活動をバカにする人の数も、きっとゼロではないだろう。だからこそ僕は彼女らを支持するし、他ならぬ彼女たちが<<ケッコー>>と言ってくれることに安堵するのだ。

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己のダサさを(少なくとも楽曲のなかで)認めているという意味で、僕が敬愛しているのがシャ乱Qである。その容姿やオーラは、少なくとも僕のそれよりは、よっぽどクールだと思う。彼らの生み出すメロディーや演奏も、やはりクールなものに聴こえる。それでも作中の主人公は、何度となく自分の無様さを認める。

<<流行の唄も歌えなくて ダサイはずのこの俺>>

そのように歌い始める「シングルベッド」の主人公は、いくつか自分を変えるような試みをしてきたことを打ち明けつつ、それでも今なお自分が<<ダサイ>>ことを認める。未練たらしい無様な人間であることを歌う。

<<今夜の風の香りは あの頃と同じで>>

こういったフレーズを、世の女性の多くが、どう受け止めるかは分からない(ひとくちに女性と言っても、色々な考え方をする人がいるものだとは思う)。ただ男である僕でさえ、そこに未練のようなものを感じてしまうのだから「シャ乱Qって格好わるい」と思う人がいても自然だと思う。

それでもシャ乱Qは、そんな無様さを(むしろ)前面に押し出そうとし、ギターソロの直前では、こんなことまで歌うのだ。

<<あの頃にもどれるなら お前を離さない>>

ここまで言い切ってしまうのは、むしろクールなことなのではないかと僕は思う。少なくとも僕には、それを言うことはできない。かつて心を通い合わせた女の子との日々について、ああすればよかったとか、こうしておけばよかったとか、いちいち考えていては身が持たない。もちろん僕は、関わりをもった女性が今、どこかで元気でいればいいなとは思っている。でも<<あの頃にもどれるなら>>とは、とてもじゃないけど言えない、言わない。

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「上・京・物・語」の主人公も、とりようによっては無様だ。

<<どこまでもついて来て欲しかった その言葉言えずに>>

これが作詞者の実体験なのかは分からないけど、言えなかった言葉を楽曲のなかで言ってしまうという選択。照れなく歌い上げ、演奏するシャ乱Q。本曲は最終的には

<<ついて来いと言えるだろう 心から>>

という前向きな言葉で締めくくられる。そのフレーズが輝きを持っているのは、かつての自分が臆病であったことを認めた上で放たれたからではないだろうか。

個人的には<<ついて来い>>というような言葉を好まない男である。それを望む女性がいること、それを望まれる時があることは、何となく分かっている。ただ女性には、あくまで自由意思で傍にいてほしいものだと願っている(実際に、どういう言葉で女性を口説いてきたのかは、さすがに書くわけにはいかない)。そういう意味では(口にできない言葉が多いという意味では)楽曲の主人公と僕は、少し似通った無様さを持っているのかもしれない。

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「パワーソング」の主人公も、ある意味では弱い。パワーなど持たない。

<<止めたりしないよ仕方ないだろう>>

かなり僕の生き方に近い。誰かに拒絶されたら、もう追うことはしない。誰かが自分のもとから去りたいと願うなら、その希望を尊重したいと思う。原則的に連絡先は消すし、もらったプレゼントの類は処分するし、どこかで姿を見かけても声をかけない。あるいは無理にでも「止める」ことが勇気なのかもしれない。それが勇気なのだとしたら、僕は完全な臆病者だ。それでも、そんな僕さえも励ましてくれるように、シャ乱Qは、こんなことまで言ってしまう。

<<行っちまうのかい>>

シャ乱Qが格好悪い言葉を発するたびに、僕のなかの「シャ乱Q像」は、反比例するようにクールなものになっていく。これはまさに「パワーソング」だ。人間がパワーというものを持っているのだとしたら、それは自分の無様さをさらけだすために使われるべきなのかもしれない。そうだとしたら、僕はもう少し力強くなるべきなのかもしれない。

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くり返すように、シャ乱Qを嘲笑する人がいるとしても、彼らに対する僕の敬意は全く揺らがない。シャ乱Qを愛聴する僕自身を笑われたとしても、たじろぎはしない。ただ、無様さを歌うシャ乱Qが、どれほどの勇気をしぼったのかを考えると、いくぶん苦しくはなってしまう。「シングルベッド」の主人公が、その後、次なる恋を見つけられたのかが心配ではある。それを「感傷」だと言われるのなら、その痛みくらいは受け入れる。シャ乱Qには遠く及ばなくても、僕にだって、それくらいの勇気は備わっている。シャ乱Qが授けてくれた勇気が。

<<孤独とわかっていながら>>
<<気付かぬフリして歩いているんだ>>

もういい、充分だ。そこまで己の(あるいは人間の)弱さを認めてくれることに、僕は感謝する。

※《》内は でんぱ組.inc「W.W.D」、シャ乱Q「シングルベッド」「上・京・物・語」「パワーソング」の歌詞より引用

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