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RCサクセションを忘れない

忌野清志郎の声だから届くメッセージ

忌野清志郎氏が「美声」を持っていると言ったら、もしかすると反対する人もいるかもしれない。僕も彼の声が、とてつもなく美しいとは思わない。それでも、たおやかな声や透き通った声だけが尊いわけではないことを、その歌いっぷりが証明しているように感じるのだ。

RCサクセションが生み出した楽曲の多くは、日本語詞で歌い上げられているようであり、その点を評価する人は多いのではないかと思われる。個人的には日本人が他言語で歌うという選択も、それはそれでクールなものだと考えている(外国籍のミュージシャンが日本語で歌ってくれたとしても、それを恐らくは「クールだ」と受け止めると思う)。

それでも本記事で主張したいのは、忌野氏ならではの声が、日本語詞に乗っているのが、少なくとも僕にRCサクセションを忘れさせないということである。

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「スローバラード」の詞には、まるで日記のようなセンテンスが含まれる。

<<昨日はクルマの中で寝た>>
<<市営グランドの駐車場>>

これが「美声」で歌われたとしたら、そこに込められた幸福感や哀惜は、リスナーに強く伝わりはしなかったのではないだろうか。ある意味では淡々とした歌詞が、熱を帯びているのは、それが忌野氏から放たれたからなのではと考える。

「幸福感と哀惜」という表現を使ったけど、こんなセンテンスも本曲には含まれている。

<<悪い予感のかけらもないさ>>

本当にそうなのだろうか。この部分を歌う忌野氏は、決して穏やかな声は出さない。あるいは氏は(楽曲の主人公は)とてつもない安堵に包まれており、それを力強く歌おうとしたのかもしれない。ただ僕は、彼が何らかの不安や<<悪い予感>>をいだいていて、それを乗り越えるべく、<<あの娘>>との幸福な行く末を願うべく、声をしぼったのではないかと感じてしまうのだ。

「スローバラード」の歌詞には<<カーラジオ>>という言葉が入っているけど「トランジスタ・ラジオ」という題のついた楽曲もある。恐らくは忌野氏にとって、ラジオというものは生活に不可欠なものなのだったのではないか。中学校3年生まで、CDデッキというものを持たなかった僕にとっても、ラジオというのは思い出深い、様々な感懐をもたらしてくれたものである。

「トランジスタ・ラジオ」の詞は繊細なものであり、それが忌野氏の声で届けられることに、やはり僕は尊さを感じる。

<<寝ころんでたのさ 屋上で>>
<<彼女 教科書 ひろげてるとき>>

こんなことを暴露してしまうのはどうかと思うけど、僕もまた楽曲の主人公のように、授業を抜け出して(教室の外で)時を過ごしたことはある。高校時代のことだ。もっとも僕は<<屋上で>>ラジオを聴いたわけではなく、公園に行って小説を読んでいだ。自分は良くないことをしているよなという情けなさと、ほかの生徒とは違うことをしているんだという誇らしさのようなものが、ないまぜになった心境だった。そんな複雑な気持ちが、忌野氏の声からも感じ取れるような気がする。

主人公が<<彼女>>と呼ぶ相手は、文字通りの彼女、つまり恋人なのだろうか。それとも片思いの相手なのだろうか。それを明記はしないところが、この曲の良さであるようにも感じられる。忌野氏は何度も繰り返す。

<<君の知らない メロディー>>

それを<<彼女>>に教えたいと願っているのだろうか。それとも、それを教えられるような関係(距離)にはないことを憂いているのだろうか。いずれにしても僕は、楽曲の主人公を応援したくなる。その姿は、かつての自分を思い出させてくれる。その境遇や心情が、まったく同じものではないのだとしても。

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惜しいことに忌野清志郎氏が亡くなった今、RCサクセションとしての新曲を待ち望むことは、僕たちには叶わないわけだ。それでもRCサクセションの存命のメンバーは、きっと忌野氏の声や思想を忘れてはいないはずで、だからこそ、その楽曲は熱を持っているのではないかと思う。

ギタリストの仲井戸麗市氏が、2015年にリリースしたアルバム「CHABO」の冒頭には「やせっぽちのブルース」と題された曲が置かれている。ドラムが打ち鳴らされ、ベースが重なり、それにブラスが重なっていく本曲には、まさに「幸福感と哀惜」が込められていると感じられる。

<<どうせ 午後からは ひどいどしゃ降りなんだろう>>
<<友達はぶち込まれている 人里離れた塀の中>>

悲しい詞だ。<<友達>>が忌野氏を指すのかは分からないし、そもそも、これが仲井戸氏の直情なのかも僕には分からない。それでも本曲が「あっけらかんとした曲」ではないことは確かなのではないか。

それでも仲井戸氏は、こうも書く。

<<どんなろくでなしにも まだ残ってるはずだろう? 「人間のかけら」>>

かつて教室を抜け出して、公園で小説を読んでいた僕も、ある意味では<<ろくでなし>>だったのかもしれない。今なお「品行方正」とは言ってもらえないであろう生活を送る僕は、恐らくは現在も<<ろくでなし>>の一例だ。そして<<屋上で>>音楽を聴くという「トランジスタ・ラジオ」の主人公も、きつい言い方をすれば<<ろくでなし>>なのではないか。

それでも仲井戸氏は、そんな僕(たち)にも<<人間のかけら>>が残されているかもしれないことを、詞に込めてくれた。いま書いている駄文に、人間味のようなものは滲んでいるだろうか。それは僕が決めることではないだろう。読んでくれる人に委ねられる問いだろう。それでも僕は、自分に言い聞かせてみる。

<<まだ残ってるはずだろう>>と。

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忌野氏が現世にはいない今、あなたの声調が魅力的でしたと、氏に伝えることはできない。だから僕は、盟友を失いながらも活動をつづけてきた仲井戸氏に、この場を借りて敬意を表したい。

<<あれからどれくらい これからどれくらい>>

人の命や、全力の表現活動は、どこまで続くかは分からないものだけど、かすかなものであれ幸福感を、仲井戸氏や多くのリスナーに感じていただけたらと願う。それを僕自身が、感じられたとも思う。

※《》内はRCサクセション「スローバラード」「トランジスタ・ラジオ」、仲井戸麗市「やせっぽちのブルース」の歌詞より引用

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