3914 件掲載中 月間賞毎月10日発表
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

愛しき人 Adam Lambert

ありがとうAdam─あなたがいたから今、私たちはここにいる

「Queen+Adam Lambert」が3度目の来日を発表したのは昨年の4月17日。クイーンの初来日を記念して制定された「クイーンの日」だった。

小躍りをしたあの歓喜の日からもう一年が経とうとしている。思えば5月1日のチケット先行発売の日から長いチケット争奪戦が始まった。今まで経験したことのないような苦戦を強いられ、落選の度にもうこの世の終わりか、くらいの挫折を何度も味わった。

全公演4枚のチケットを手にできたのは来日を目前に控えた年の暮れだった。

待望の来日ツアー。夢のような一週間が過ぎ、メンバーが日本を去って半月以上…
いつもなら“クイーンロス”を迎えている頃だが、今回はクイーンロスならぬ、

“アダムロス”に陥った私がいる。
 
 

2011年、ブライアンとロジャーがアメリカのオーディション番組で、アダムとの運命的な出会いをし「クイーン+アダム・ランバート」が結成されてから今回が3度目の来日となる。

まず「サマーソニック2014」でのヘッドライナーとして初来日を果たす。
この時のアダムはすでに、実に堂々としていた。その見事な歌唱力ときらびやかでキレのあるパフォーマンスで、初めてとは思えない圧倒的な存在感を見せつけていた。クイーンファンならずとも、会場を埋め尽くしていた観客たちを唸らせる迫力のステージだった。

しかし、私にとってまだこの頃のアダムは、

『ブライアンとロジャーを日本に連れてきてくれたありがたい人』

くらいの認識しかなかった。実際、彼の経歴など「ミュージカル俳優?」程度の知識しかなかったのだから。
 

初来日から2年後の2016年9月、2度目の来日を果たす。
東京・日本武道館3Days。この会場は、フレディがクイーンとしての最後の来日となった1985年5月以来、実に31年振りということもあり、盛り上がりを見せていた。
前回の来日よりもアダムの実力はさらにパワーアップし、自信と余裕が感じられた。

確かに、この時も彼の成長を認めることはできた。
しかし、それはあくまでもクイーンのヴォーカリストとしての才能の評価であって、私にとってはそれ以上のものは感じられなかった。

しかし、今回の3度目の来日で、私はアダムへの気持ちが大きく揺れ動く衝撃的な体験をすることになる。

ひとことで言ってしまえば、初日の私と最終日を終えた日の私は、全く違う自分がいた。アダムに対して初めて、“感情”というものが動いたのだ。

もちろん前回に比べ、歌唱力もパフォーマンスもフロントマンとしての力量も、目を見張るような飛躍があったことは間違いない。
しかし、私の心はそれだけでは動かなかっただろう。

ステージから伝わってきたもの…それは彼の生きざま?信念?いや、そんな抽象的なものではない。
もっと生々しい、彼の生身の温かさ、彼の体温を感じた。
手をのばせばそこにいるような…。
言葉にすればそんな感覚だろうか。
 

そんなアダム・ランバートの眩いほどの魅力をここに残しておこうと思う。
 
 

何をおいてもアダムの最大の武器、それははその“声”だ。

10歳から始めたミュージカルの経験が、今の彼にはかなり生かされているのだろう。
子供の頃から喉が正しく鍛えられていたらしく、喉の使い方をよく知っているようだ。風邪を引いていてもちゃんと歌えるらしい。驚きだ。
あれだけ喉を駆使しているように見えても、調子が安定しているのが納得できる。これはライブバンドのヴォーカリストとして最大の強みだ。

そして技術的にも歌い手に必要なものが揃っている。
音域の幅広さ、音程の正確さ、声量、発声、どれをとっても一級品だ。とにかく歌がブレない。曲に対しても、歌っている自分に対しても迷いがないのだ。安心して聴いていられる。

そんな上質な声がさらに曲によって何通りにも変化する。どんな曲も歌いこなせる才能がまさにクイーンとフィットしたと言える。

イントロからいきなりテンションMAX、我を忘れてこぶしを振り上げ興奮のるつぼとなるクイーンの定番「Now I’m Here」「Hammer To Fall」「I Want It All」
低音、高音を駆使しシャウトをきかせ、破壊力のある声量でたたみ掛けるようにグイグイと引き込み、オーディエンスを自由自在に操るさまは圧巻だ。

お色気たっぷりにしっとりと歌い上げる「Killer Queen」
香水の匂いまで漂ってきそうなその妖艶な姿に、研ぎ澄まされた五感が反応しまくる。そこはもう“アダムワールドへようこそ”の世界だ。

ピアノのイントロが美しい「Somebody To Love」
この曲もアダムの世界に導かれる名曲だ。
アダムの裏声を堪能したいならこの曲に限るだろう。
伸びやかに華やかに響き渡る歌声に酔いしれながら、ラストに待つお楽しみの「love〰️」を歌うためにある曲、と言っても過言ではない。

実力をまざまざとこれでもかと見せつけるのは名曲「The Show Must Go On」
亡きフレディが最期に全身全霊を懸けて世に残したクイーンファンにとっては“形見”と同じ、特別な思い入れがある曲だ。

それだけで恐れ多くて、この曲を歌うにはかなりのプレッシャー、葛藤があったはずだ。

あえて感情を最小限に抑え、余分な感情や解釈を入れずシンプルに歌うことで、逆に言葉とメロディが心に浸透してくる。
あの“神の声”を持つアダムだからこそできる神業だ。誰もが涙なしでは聴けない、まさにこれぞアダムの真骨頂。
神聖なるこの曲を見事に歌いきれるのは天国にいるフレディ以外まず、彼しかいないだろう。
 

声と合わせて不可欠な魅力は、完成された肉体美と柔軟な身体が放つパフォーマンス、観客を魅了する豊かな表情だ。

キレのある大胆な動きや猫のようなしなやかさ。階段をかけ下りる脚さばき、マイクを持つ手、帽子をスッと直す指先、耳元のイヤモニに触れるしぐさ、そして天を真っすぐに仰ぐその横顔…

そう、大胆な動きの中にも“静”が際立つ。“立ち姿”が実に美しい。天に向かって真っすぐに引っ張られているかのように微動だにせず。
その姿が最強に際立つのが「Who Wants To Live Forever」だ。
今回、アダムの成長をいちばんに感じたのがこの曲だ。

ステージから放たれる七色の光の中に浮かび上がる、凛としたその立ち姿。
あたりの空気が張りつめ、まるで森の中にひとりいるかのような静寂に包まれる。伸びやかに艶やかに響き渡る透き通ったその歌声は、もはやこの世のものとは思えない。
体が、唇がガクガク震え、涙が止まらなかった。

“4年前のアダムはどこへ行ったんだ?”
“本当にアダムだったのか?”
“それともこっちが別人なのか?”

私の頭は混乱しておかしくなりそうだった。
 

さてステージではこんなにも堂々と風格のあるアダムだが、実はシャイで控えめな一面もあって、気遣いも忘れないやさしい人。
そしてユーモアのセンスが抜群なのだ。

ブライアンが彼をフロントマンに迎えた理由のひとつとして、この「ユーモア」を挙げている。
これはフレディも大切にしていたことだ。

お茶目で無邪気で子どものように純粋なアダム。そんな彼の屈託のない笑顔にまわりもついつい引き込まれてしまう。
彼のまわりにはいつも笑顔が溢れている…
と言っても本人がいちばん楽しんでると思うが。

無心に楽しむ彼を見ていると何をやっても憎めない。
そんなアダムを温かく見守るブライアンとロジャー、サポートメンバーがいたからこそ、彼は真っすぐに成長してきたのだろう。

そんなチームワークのよさはステージにも表れている。

今回の名古屋公演でこんなことがあった。

「Crazy Little Thing Called Love」でブライアンのギター、レッドスペシャルにトラブルが発生、ギターチェンジするというハプニングがあった。一瞬 空気が淀み、辺りがざわついたがアダムのお茶目なパフォーマンスで一気に場が和み、事なきを得た。

またこんなこともあった。

いつものお決まりの“ブライアンの時間”のあと、最終日で感極まり、終わっても涙が堪えきれないブライアン。
そんな彼をアダムはさりげなく励まし、次の曲への後押しをした。ブライアンはそれに答えるように、少し大げさに涙を拭いて“よし、やるぞ!”と気合いを入れて右手をギターに振り下ろした。
思わず目頭が熱くなった。頼もしく成長した姿が、なんというか…誇らしかった。
 

クイーンの、
何かが変わりつつある─

私の心はざわついていた。

そのざわつきに拍車をかけていたのが、ある光景だ。
初日から日を重ねて観るにつれ、気になってしかたない光景があった。
 

それは─

なぜだか、なんでだか、
アダムはいつもブライアンとロジャーのそばにいるのだ。

気がつけば、そばにいる。くっつき虫のようにブライアンのまわりをチョロチョロしたり、ロジャーに向かってパフォーマンスをしている。絡みたくてしかたないオーラが半端ないのだ。

“あっ、またいる”
“また近寄ってくる、ほらほら”
てな感じだ。

アダムは離れていてもふたりを目線で追い、アイコンタクトを取っていつも気に掛けていた。

前回の武道館を思い出してみる。こんなことあったっけ?いや、なかった…全然感じなかったよなあ。

しかし、よくよく見ているとブライアンの方から近寄って行くこともしばしばだった。
今回、ブライアンもステージいっぱい走り回ってくれていたせいもあり、自分のマイクスタンドの前が空っぽになることが多々見られた。コーラスになって慌ててかけ足で戻るブライアンがやけに可笑しかった。

そしてアダムとブライアンのふたりがドラムの前が定位置のように集まり全員集合となり、ロジャーと3ショットというシーンが何度もスクリーンにも映し出されていた。

さらにアダムはサポートメンバーに対しても気遣いを忘れない。
“ちゃんと盛り上がってるかな?”とステージ全体をパトロールしているかのように、隅々まで気を配っていた。
 

しかし彼の凄いところは、フロントマンでありながらその役割を果たしつつ、自身が前面に出ないよう意識しているところだ。

ときどき気づいたことがある。
花道をブライアンとふたりで歩くとき、アダムはブライアンの少し後ろを歩く。
ブライアンが急に止まって自分が前に出そうになった時も、すっと一歩後ろに引いたのだ。

あのビジュアル、パフォーマンスにも関わらず、自分の存在感をうまく消して、ブライアンとロジャーを引き立てる裏方に徹しているかのように見える。
あくまでも自分は“+(プラス)”の存在であり、主役は“QUEEN”なんだと。

しかしブライアンは彼を迎えるにあたって何の要求もせず、ただひとこと「好きにしていい」と言ったそうだ。
実際、アダムはその言葉通り好きに自由にさせてもらっていることが十分伝わってくる。生き生きしてますから。

でもアダムは、ブライアンとロジャーをきちんとリスペクトした上で、自分の立ち位置を認識している。
だからこそ、ブライアンのいい意味での“放任主義”が最大限に生かされているのだろう。

また、一方のブライアンとロジャーも、同じようにアダムのことをひとりのシンガーとして、人として尊重し、同等の立場で接しているのだと思う。
それはブライアンとロジャーの人間味溢れる人柄故に、そしてアダム自身がふたりの気持ちをそうさせているのだと思う。

お互いがお互いを尊重し、認め合い、そこに信頼関係が生まれ絆が深まり、それがクイーンという船を突き動かす原動力となってきた。

最初は船の隅っこに、ちょこんと座ってることしかできなかったであろうアダムという青年が、この8年間、同じ船をともにしたブライアンとロジャーから、いつしか心から頼りにされるような存在になっていったのだろう。
 
 

そしてブライアンとロジャーにとって何よりも大切にこと─

そう、フレディの存在だ。
 

アダムはいつもステージで観客に呼びかける。
「僕はフレディが大好きなんだ。僕らは同じ。一緒にフレディを祝福しよう。」と。

こよなく愛するフレディの存在を大切に大切にしてきたアダム。
そんなアダムの純粋で一途で謙虚な姿が、彼の眩しいくらいの成長とともに、ブライアンとロジャーの心を変えていったのではないだろうか。
 

そして今回、そんなブライアンとロジャーがひとつの転換期を迎えた、と確信させるシーンがあった。
 

そう、ショウのクライマックス「Bohemian Rhapsody」だ。
 

過去のステージでは2コーラス目とラストをフレディの映像が使われるのがお決まりだったが、今回、なんと、フレディの映像は一斉使われず、アダム本人が最後まで歌いきったのだ。

ラスト、スクリーンへの階段を昇っていくアダムからは緊張が伝わってきた。

そして、見事に彼はやり遂げた。
 

度肝を抜かれた。
どんな言葉よりも説得力がある。

みなさんがこれをどう解釈されたか、何を感じられたかは人それぞれだと思うが、

私はこう感じた。
 

決してアダムがフレディを超えたわけではない。
フレディの“映像”がなくなっただけだ。

曲は生きている。
歌い継がれていくためのバトンを若いアダムに託したのだ。

クイーンという船は新しい未来に向かって錨を上げた。
アダムが前進する勇気を与えてくれたのだ。
 
 

『ブライアンとロジャーを支えてくれるかけがえのない人』

になったあなたへ。
 

愛しき Adam Lambert

ありがとう Adam
あなたがいたから今、私たちはここにいる

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい