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2017年9月・月間賞 最優秀賞 | 2017年8月1日

すずき (24歳)
44
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The 1975『君の寝ている姿が〜』と多様性とヒューマニズム

"ポスト真実の時代"という暗闇、そして終わらない悲しみの果てにある音楽

『僕は見た、狂気によって破壊された僕の世代の最良の精神たちを……』(アレン・ギンズバーグ『吠える』1956年)

あまりにも長く、詩的で意味深長なタイトルを冠したThe 1975の2ndアルバム『I Like It When You Sleep, for You Are So Beautiful Yet So Unaware of It(君の寝ている姿が好きなんだ。なぜなら君はとても美しいのにそれに全く気がついていないから。)』を初めて聞いたときに感じたのは、どこか言い様のない懐かしいさに似た感情だった。

もちろん懐かしいとは言っても、古くさいなどといったネガティヴな意味ではなく、どこか安心するような心地の良い、優れた表現に触れた時だけに感じるあの胸の奥をぎゅと掴まれるような、目の覚める感覚だった。
現にこのアルバムがリリースされてから1年以上が過ぎたが今もその魅力は変わらず、SNSとストリーミングサービスの普及により、圧倒的な情報量で消費のスピードが加速していく音楽業界を取り巻く状況においてもその魅力は風化せずに、新たなる”クラシック”たる資質を悠然と放っている。熱心なファンでなくても聴き続けているリスナーも多いはずだ。

確かにデヴィッド・ボウイの”fame”から楽曲のモチーフを大胆に借用した”love me”やプリンスを始めとする所謂ミネアポリスサウンド(奇しくも、最も多くを参照したであろう2人が共に2016年に亡くなっていることも象徴的だ)そして80年代のヒットチューンなど、参照した音楽への既視感などもあったが、筆者が感じた懐かしさは、より抽象的で人間味のある感情だった。

The 1975はマンチェスター出身の幼馴染4人で結成せれたバンドだ。バンドの音楽性と同じくシンプルかつも個性的なThe1975というバンド名は、ビートニク(冒頭にも引用した詩人のアレン・ギンズバーグやジャック・ケルアック、ウィリアム・バロウズなどを筆頭としたビートジェネレーション、及びその文学運動や支持層たちの総称)について書かれた小説の最後のページに遺書のように殴り書きされていた1975年6月1日という日付から拝借された。
彼らは現役のロックスターが不在、あるは必要とされない時代において、非常に特異な立ち位置にいるバンドだ。特に、未だ未知数のカリスマを秘めたフロントマン、マシュー・ヒーリーのまるで初期のプリンスを彷彿とさせるようなどこか倒錯した性的挑発性と時代錯誤の反対社会性、そしてその存在感は現在の音楽シーンにおいて一際異質に映る。

彼らは2013年に退屈な郊外に住むミドルクラスのほろ苦い青春とフラストレーションを痛快なほどポップなメロディとリズムにのせて歌い上げたシングル”Chocolate”をスマッシュヒットさせると、インディロックという既存の枠に囚われないポップで、ジャンルという枠組が最早意味をなさない現代を象徴するかのようなフラットな感性と雑多(言い方を変えれば節操のない)ながらもシンプルで一貫した美意識のある音楽性、オールブラックで統一されたアートワークとインディロック界の掟に反するかのような甘いルックスとこれまた保守的な音楽ファンからは軽薄とも捉えかねない艶やかでアーバンなファッションセンスに身を包み、低迷するインディロック界を尻目に瞬く間にスターダムを駆け上っていった。

個々のサウンドをよく見れば決して真新しさや革新性はないが、80年代風のポップ・ファンクをアンビエントなバッキングトラックとサウンドにより現代風にアレンジした彼らの代表曲”Chocolate”に象徴されているように、80年代のポップソングやR&Bからフォー・テットのようなアンビエントなエレクトロニカまで、様々な音楽から影響を受けた彼らの音楽はその組み合わせは斬新かつ異質であり、トラヴィス・スコットとの共演など、フランク・オーシャンとも共鳴するようなヴェイパーウェーヴ以降のブラックミュージック優勢のリアルタイムの音楽シーンに寄り添うようなコンテンポラリーな一面など、デビュー当時からメインストリートとインディロックの両方から注目される存在だった。それでいて彼らのポップな楽曲に潜む孤独感やどこか退廃的な音楽性もといマシュー・ヒーリーの時代錯誤のナルシシズムやスノビズムとも捉えかねない無防備過ぎる歌詞とスタイルは、決して万人から支持されるようなものでもない。

先にも述べたとおり、The 1975は極めて特異な立ち位置にいるバンドだ。
1stアルバムをリリースする前から、”Chocolate”の世界的ヒットなど、ロック界期待の新人として話題になる反面、彼らがデビューした時の世間一般(というよりは熱心なインディロックのリスナー達)の反応は、どちらかと言えば冷ややかなものが目立っていたと思う。
恥知らずなほどキャッチーなメロディとアイドル顔負けのルックスから日本でも単独公演が開催されるほどの人気があったものの、人気に批判がつきものというべきか、彼らの存在は本国でも賛否両論で、本格なアルバムデビューの翌年にはNME誌の主催する『NMEアワーズ』でワンダイレクションの三冠を阻み、みごと2014年のワーストバンドアワードに輝いている。
しかし、それは注目度の裏返しでもある訳で、そういった批評やブーイングは多くの先人達と同じように、彼らにとっても栄光を手にするまでのほんのちょっとした通過儀礼のひとつでしかなかった。

ロック界の新たなカリスマになりつつあるマシュー・ヒーリーの大胆不敵なショーマンシップ溢れる姿勢と、同郷の伝説的バンドのジョイ・ディビジョンよりマイケル・ジャクソンのほうが好きだと答える世界中のインディ・キッズたちを敵に回しかねない過剰さと危なっかしい発言に象徴されるように、彼らがこれからバンドとしてどのようなキャリアを歩んでいくか、誰にも予測することは出来ない。まさに未知数と呼ぶに相応しいバンドである。
もうすこし具体的な固有名詞を引き合いに出すとしたら、かつてのオアシスやニルヴァーナのように停滞するギターロックを救うインディロック界の救世主となるのか、それともコールドプレイやマルーン5のような所謂売れ線バンドと成り果ててしまうのか……

バンドが新作に向けて投稿したテキストを解散宣言と誤解した一部のファンによる解散騒動などもあり、世界中のリスナーが期待と不安に戸惑うなか公開された2ndアルバムのリードトラック”love me”は、そんなリスナーや評論家たちのじれったさをもてあそぶような、溢れんばかりの自意識と成功への野心が見え隠れするポップネス、そして成功を手にした自分たちを取り込もうとするセレブカルチャーと世間の軽薄さを揶揄する二面性を持つ楽曲だった。

モノクロームで綴られた前作のイメージから一転、パステルカラーのピンクに囲まれながら露悪的なほどナルシシズム全開のマシュー・ヒーリーはタチの悪いパロディのようでもあり、楽曲は更にそのポップさに磨きをかけ、兼ねてから備えていた彼らの猥褻ぎりぎりの毒々しい色気とロマンチズムがより大胆に押し出さた楽曲はバンドの第2幕が始まることを華々しく宣言した。

マシュー・ヒーリーが何気なく書き留めていた恋人に言った言葉をそのまま採用したという2ndアルバム『I Like It When You Sleep, for You Are So Beautiful Yet So Unaware of It(君の寝ている姿が好きなんだ。なぜなら君はとても美しいのにそれに全く気がついていないから。)』はあまりにも気障で長いタイトルから日本でも賛否が分かれた(言うまでもなく、否のほうが圧倒的に多かった)が、蓋を開けてみればイギリスだけでなくデビューから3年というイギリスのバンドとしては異例のスピードでアメリカのヒットチャートでも1位を獲得する快挙を成し遂げた。

アルバムの1曲目は前作と同じ構成でバンドの名を冠した曲”The1975″から始まる。歌詞とメロディは前作に収録されたものと変わらないが、曲調は壮大なゴスペル調のコーラスが加わり、より壮大なカタルシスを感じるアレンジへとアップデートされ、バンドの成長と今作に込められた自信を感じことができる。

“love me”はデヴィッド・ボウイの”fame”へのオマージュでもあるが、セレブカルチャーやSNSなどへの風刺を込めることで現代的に色付けされ、つづく、”ugh!”では、軽快な楽曲とは裏腹にコカイン中毒の行き詰まった精神状態を抽象的かつ的確に描写している。
アルバムの前半では、前作に続きパーソナルな視点を中心に、ドラッグへの依存や孤独と喪失感といった若さ特有の悲しみや苦悩、それに加え今作では成功の代償と軽薄な世間の不誠実さを歌っている。前作から引き続きセックス、ドラッグ、ロックンロールを地でいくような世界観は健在だが、”Chocolate”に象徴されるような郊外に住むミドルクラスのティーンエイジャーの瑞々しさは消え、より内向的かつ抽象的な、それでいてより広く多面的な視点で語られることが多くなっている。
5曲目”she’s american”は、これまたボウイの”ヤングアメリカン”を彷彿とさせるような、アメリカ人女性への恋愛未満ともとれるアンビバレンツな感情と交流を通して逆説的に自分たちはイギリス人であるというアイデンティティを示しつつも、そこにあるのはどこか世間に対する失望や劣等感に似た行き詰まった感情であり、華やかな楽曲とは裏腹に、どこか暗い影が見え隠れする。
中盤からは楽曲はより抽象的になり言葉数を減らしつつも前作ではインタールード的役割に止まっていたアンビエント・エレクトロニカ路線がより強調され、美しいアンビエントなエレクトロニカトラックがつづく。特に10曲目の”somebody else”は他の代表曲と並べても見劣りしないアンビエント路線のひとつの到達点ともいえる楽曲だ。
『君は誰かを愛するべきだ』という歌詞が感動的な”loving someone”は、LGBTの若者の為の団体It Gets Better Projectをサポートするためにこの楽曲をテーマにしたマーチャンダイズも発売されていて、アルバムのタイトルを冠しイノセント溢れるメロディが万華鏡のように移り変わっていく”I like it when you sleep〜”に続く、13曲目の”the sound”は間違いなくアルバムのハイライトでもあり、ライブでも終盤で演奏されることが多く、圧倒的なカタルシスを秘めたアンセムと呼ぶに相応しい楽曲だ。関係の終わりを皮肉交じりに歌っている一方で、感傷的に繰り返されるコーラスには確かに他者の温もりの実感がある。
その後は夢から覚めたあとの余韻のように落ち着いた曲が続き、自らの母親の産後うつの経験を元に歌った”she lays down”のアコースティックギターの美しいアルペジオでアルバムは幕を閉じる。

大まかに分けるとアルバムの楽曲は失意からロマンチシズムに彩られた希望と期待へと向かい上昇し、その後はまるで夢から醒めたかのような喪失感のようなもの悲しい楽曲で幕を閉じるという構成で並べられている。
曲の大半は成功した現在の彼らが体験した出来事だが、後半にかけてまるで母体回帰かのように抽象化かつ記号化していき、自身と母親の幼少期の関係で幕をとじるのも印象的だ。

前作が映画”バッド・チューニング”のような群像劇のようにシーンを繋げ合わした青春映画だとすれば、今作はよりバラエティ豊かで明確な一本のストーリーがある、”ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ”のような長編大作とでもいうべきだろうか。
曲が単体でダウンロード、ストリーミングされる時代において、彼らはインタールード的楽曲を挟むなど、明らかにアルバムとしての流れを意識して選曲している。そこには作家としての大き過ぎるエゴも見え隠れするが、名実共にバンドをスターに押し上げたこの2ndアルバム全体を包む高揚感と完成度の高さは間違いなく彼らの音楽が本物であることを物語っている。

誰もが経験する喪失から立ち直るまでの、自己啓発的な葛藤、そして人生の肯定により得られる多幸感。
そこにあるのは、音楽の持つ力を信じるということで、それはまるで神を信じ、祈るということが重要なように、音楽そのものを信じているのではなく、音楽を信じるという行為を信じることである。

もちろんそれは諦めや、日本の音楽シーンにも多く蔓延する共依存的な感情になりがちな傷の舐め合いや、自分のことばかりで他者の痛みに鈍感な無責任で盲信的な慰めといった開き直りのようなありきたりなものではない。より写実的かつ抽象的な、”loving someone”で歌われる、誰かを愛するべきなんだ、という言葉に要約されている。傷つき、裏切られながらも誰かを愛するべきなのだという、明るくキャッチーな曲の影に常に孤独や世の中の不誠実さ、痛みや悲しみを目を逸らさずに表現し続ける彼らにだからこそ説得力をもって歌うことができた、生きるということへの全肯定である。
そしてそれは、古今東西、様々な文化や歴史のなかで語り尽くされてきた普遍的なテーマでもあり、今現在の多くの表現が悪意と複雑化する時代によって失ってしまった純粋さと無防備なロマンチシズムであった。
どれだけ素晴らしい理想だとしても、すぐにそれを顔も名前も知らない匿名の悪意が下卑たハッシュタグ付きで否定する。そんな時代のなかで彼らは無防備にも再び理想を語ろうとしているのだ。

このアルバムを最初に聞いたときに感じた懐かしさと多幸感は、決して単なる懐古主義やノスタルジーではなく、多くの音楽が時代と共に失ってしまった”音楽を信じる”という行為を信じることへの揺るぎないほどの情熱であり、”神が不在なら発明する必要があった”という言葉のように、彼らはロックンロールという神話を再び再定義しようとしているのではないだろうか。

そしてその神話は時の流れを逆行するような、他者を縛り付けるような保守的で閉鎖的なものでもない。原始的なロックンロールが、黒人音楽と白人音楽という異なる音楽の融合だったように、このアルバムの本質にあるのは、自分とは違う存在の肯定すること、つまりは他者の肯定、多様性と人間性の肯定であり、『君の寝ている姿が好きなんだ〜』という一見素っ頓狂なタイトルには、無防備さと信頼、そして肯定という愛の本質がある。何気なく恋人に言った言葉をタイトルに冠したこのアルバムには、その何気ない日常の裏に潜む愛の本質があり、退屈な日々の繰り返しのなかでも、美しく掛け替えのないものはあるという普遍的なメッセージが潜んでいる。

無防備に誰かを愛するということは、時に裏切られることもある。すべての善意が報われるわけではない。それでも、彼らはそれを美しいものとして肯定する。それは妄信的なポジティブでも荒唐無稽な理想を掲げるのでもなければ、悪意によって他人を築きつけるのでもない。『君の寝ている姿が好きなんだ〜』というアルバムのタイトルのように、何よりも自分の隣りで無防備に眠る者の美しさを見出し、愛することの尊さを、口先だけの理想でも、偏見や恐怖に取り憑かれた被害妄想でもなく、セクシャリティや人種にかかわらず自分の隣りにいる者の存在をありのままに肯定し愛するという多様性とヒューマニズムが何よりも大事だということを、”ポスト真実の時代”と呼ばれ、恋人を愛するどころか、電車で隣りに座る人間すら信じられない世界で、それでも彼らは他者を肯定しようとすることの尊さを掲げている。
7曲目に収録された”please be naked”は、インストながらもまさにそんな理想を無言で歌い上げたかのような美しい楽曲だ。

差別や暴力といった様々な悪意は、未来と新たな世代に偏見と軋轢しかのこさないということは歴史が証明しているが、愚かにも歴史は繰り返される。どれだけ科学が発達し、文明が洗練されたとしても、我々人間は他者や先人の残した知恵と記憶を完璧に引き継ぐことはできないからだ。無知と未熟さから人は過ちを繰り返し、悲しみ、悪意と暴力は繰り返され続けていく。だからこそ、救済の物語も語り直す必要がある。
たとえそれが無力だとわかっていても、かつて信じられていた物語を語り直すことは、いつの時代も若者たちには必要なのだ。

自分のセクシャリティと死についてしか歌いたくないというマシューの宣言通り、おそらくこのアルバムの楽曲大半はパーソナルな葛藤や体験を元に書かれている。
しかし、それは彼らの音楽が肉体的な意味での生と死しか語っていないという訳ではない。むしろ彼らは様々なテーマそれら全てを生命と生活の根底であり、最も身近な普遍性であるセクシャリティと死にまで、落とし込むことで楽曲に込められた普遍性をより強固なものしている。様々な要因を複雑なまま語るのではなく、無駄を削ぎ落とし、性と死という生命の根本にまで主題を落とし込むことで、普遍的な悲しみの本質にせまり、社会的なテーマを歌いつつも、非常にパーソナルな視点で書かれたまるで友人に語りかけるようなミクロな視点と社会的なマクロな視点を行き来する。このアルバムで繰り返し歌われる抽象的なyou、つまり他者とは、–“she’s american”で歌われるsheがアメリカそのものでもあるように–匿名の当事者であるのと同時に自分以外のすべて、すなわち世界や社会と自身との関係でもある。

音楽とは不思議なもので、時代や流行が変われば楽曲の聞き方も変わる。楽曲に込められたメッセージもそうだ。浮遊感のあるマーヴィン・ゲイの楽曲はまさに現行の音楽シーンのトレンドとも言えるし、71年の名盤『what’s going on』は ベトナム戦争や当時の社会問題を歌ったアルバムだが、”戦争は答えではない”と哀しげに歌うマーヴィンゲイの声に込められたメッセージと深い悲しみはいつの時代にも訴えかける力強さがある。ある意味では、その柔軟性こそが優れた音楽の条件なのかもしれない。そういった意味でも、The 1975の2ndアルバムは間違いなく今の時代を代表する一枚と呼べるだろう。

2016年から2017年にかけて、世界はあまりにも多くのことが変わってしまった。
このアルバムがリリースされた当初は、まだイギリスはEU離脱を決めていなかったし、ドナルド・トランプはまだ大統領になってはいなかった。しかし、その前兆は数多く見受けられた。

アルバムがリリースされてから一年と数ヶ月が過ぎ、泥沼化していく移民問題からイギリスは国民投票で、EUからの離脱を決め、アメリカではドナルド・トランプが大統領に選ばれた。
ヘイトクライムやテロが世界各地に広がり、数えきれないほど多くの人々が犠牲になった。
そして5月、彼らの故郷でもあるマンチェスターでテロが起きた。それはあまりにも悲しすぎる事件だった。
日本でもここ数年で、人種差別的な発言や言動が国粋主義やナショナリズムの名で美化されるようになった。

世界各地でテロや人種差別が横行し、恐怖による分断と不信が続くなか、『I Like It When You Sleep, for You Are So Beautiful Yet So Unaware of It(君の寝ている姿が好きなんだ。なぜなら君はとても美しいのにそれに全く気がついていないから。)』というアルバムのタイトルのように、我々は無防備に他者を愛し、受け入れること/無防備に他者に受け入れられようとすることが出来るだろうか。だれも疑うことなく、無邪気に何かを信じていた子供のころのように。

理想に疲れ果て、妄信的なナショナリズムと排他主義を現実と呼び、傾倒していく世界で、他者と多様性を肯定しようとするポピュラーミュージックはどのように響いていくのだろうか。

『I Like It When You Sleep, for You Are So Beautiful Yet So Unaware of It(君の寝ている姿が好きなんだ。なぜなら君はとても美しいのにそれに全く気がついていないから。)』

発売当初はあまりにも気障なことから揶揄されたタイトルだが、私にはどこか切なくも、とても美しい言葉に聞こえた。

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