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ASIAN KUNG-FU GENERATIONの誠意

心をこめるとはどういうことか

先日、浅野いにお氏による漫画「ソラニン」を再読していた。といっても、かつて買ったものを読み返したのではなく、新装版を購入したのだ。書き下ろしの新作が収録されていることを知ったためであり、帯に書かれている

<<今でも時折、あのメロディーが蘇ってくる事がある。>>

というセンテンスを読んだだけで、涙腺が決壊しそうになったためである。「書き下ろしの新作」に関しては、まだ読んでいない人もいると思うので、その内容については語らないことにする。ただ連載当時に「ソラニン」を読んでいた人になら、メロディーの蘇ってくる感覚を理解していただけるのではないかと思う。そしてASIAN KUNG-FU GENERATIONに限らない、どのアーティストを好む人にも、今と言う時を生きながらも、不意に何らかのメロディーを思い出して切なくなったり、希望を感じたりすることはあるのではないか。

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「ソラニン」は悲しいストーリーだけど、間違いなく秀作だ。人間が音楽を愛でる理由、演奏が拙いものであっても「伝わる」可能性があること、さらに言うなら生きる意味さえもが、凝縮されている漫画だと僕は考えている。恋人を失ったヒロインが、彼の遺した楽曲を奏でるべく、ギターを手にとる。ゼロから奏法を学びはじめる。それがどんな結果を生んだのか(どんな形で誰に届いたのかは)ネタバレになってしまうので書かない。ただ、その演奏が「正確無比な」ものではなかったことは察していただけると思う。人間が楽器を弾けるようになるまでの道は、相当に長いものだと、個人的な体験から考える。

楽曲「ソラニン」を奏でたアジカンは、プロのミュージシャンであり、その演奏は稚拙なものではありえないと思う。浅野氏から歌詞を受け取った、作曲者の後藤正文氏は(そしてアジカンのメンバー全員は)とてつもなく困難なタスクを突きつけられたのではないか。漫画「ソラニン」のイメージを壊さないためには、あまりに流麗で巧緻な曲に仕上げるわけにはいかない。それと同時に、リスナーに「伝わる」熱い曲にしなければならない。まったくの推論ではあるけど、その匙加減をアジカンは考え抜き、その結果として生まれたのが、名曲「ソラニン」なのではないだろうか。

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あらためて楽曲「ソラニン」を聴いてみる。その旋律は自然と、心に蘇ることがあるのだけど、あえてヘッドホンを使い聴きこんでみる。まずはエレキギターだけが鳴り、静かに幕を開ける曲だ。それにベースが重なり、やがてドラムが打ち鳴らされ、熱を帯びていく。ヴォーカリストの声調は、漫画「ソラニン」の主人公、その人間性を連想させるような、穏やかなものにも聴こえる。それでもサビに向かって、彼の気持ちは昂ぶっていき、いつしか「激情」が放たれていることに気づくのだ、少なくとも僕は。

<<昔 住んでた小さな部屋は 今は他人が住んでんだ>>

このセンテンスに触れただけで、涙がこぼれそうになる。生まれ育った<<小さな部屋>>のことを思い出し、その日々が貧しくも尊くあったことを考え、いくつもの美点を自分が失ってしまったことに思い当たる。その<<小さな部屋>>は、今はもう別の人が住んでいるどころか、きれいさっぱり取り壊されている。

<<あの時こうしてれば あの日に戻れれば>>

そうアジカンは歌う。僕にも懐かしく思う<<あの日>>はある。できれば失いたくなかった<<部屋>>は、生まれ育った家のほかにもある。ガールフレンドの借りていた<<部屋>>であったり、友だちと語り明かした<<部屋>>だったり、訪れたこともない、いまも師として慕っている人の、かつて住んでいた(恐らくは広くはない)<<部屋>>であったり。

それらすべての場所で、時に<<ひどい言葉>>も発せられたのではないかと思う。はたして僕は、その日々に戻れるとしたら、戻ることを願うだろうか。その答えを出す前に、アジカンが(作詞者の浅野氏が)代弁してくれる。残酷な、そして優しいことを言ってくれる。

<<あの頃の僕にはもう 戻れないよ>>

タイムマシンがあったとしても、僕の人間性を<<あの頃>>に戻すことはできないだろう。もちろん年を重ねたことで、身に付けられたものもあるとは思う。だから<<戻れない>>ことを悲しんでも仕方ないと思う、郷愁に浸っていても仕方ないとは思う。

それでも本曲を聴くと、漫画「ソラニン」を読み返すと、どうしても思ってしまうのだ、自分が失ってしまったものの多さを。たとえば僕は(青春期に比べ)あまり簡単には騙されなくなった代償に、純朴さを失ってしまった。少しだけ体重が増え、風邪を引きにくくなった代わりに、敏捷性を失ってしまった。それを嘆くのが感傷的で好ましいことではないのだとしても、どうしても止められない心の動きというものはある。そう、

<<今でも時折、あのメロディーが蘇ってくる事がある。>>

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漫画「ソラニン」のバンド編成は、スリーピースである。アジカンの楽曲「ソラニン」で奏でられるギターは1本ではなく、そういう意味ではアジカンは「原作に忠実であること」だけではなく、独自性を出すことにも挑み、そして成功したように思える。楽曲「ソラニン」は佳作だ。それでも僕は、あえてアジカンにではなく、詞をつむぎだしてくれた浅野氏への敬意を、最後に表したいと思う。

<<どこかで元気でやれよ 僕もどーにかやるさ>>

もう会うことはできない誰かに、戻ることのできない場所や時節に、何か言葉を届けられるとしたら、このくらいしかないのかもしれない。強く生きていくことなどできない、すべてを忘れて未来だけを見ることなどはできない。どうにかこうにか無様にやっていくしかない。どうにかこうにか。

僕は漫画「ソラニン」のなかに、拙くはあっても誰かに届いた演奏があったことを、ずっと忘れはしないと思う。「心をこめる」という手垢のついた言葉を使うのは無粋かもしれない。それでも、この駄文にさえ、少なくとも心はこめられている。ギターの初心者が指先を痛めてしまうように、いま僕の心にも傷が刻まれたところだ。でも、それは生きているからこそ感じられる痛みだ。

※《》内は ASIAN KUNG-FU GENERATION「ソラニン」の歌詞、浅野いにお「ソラニン」の帯より引用

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