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あいみょんはただの流行りの人じゃない

ギター1本で夜のテレビを震わせた人間

2月21日、テレビをつけたら彼女がいた。

「さよならの今日に」を歌っていた。

ギター1本で。
 

その番組内のテーマソングとして書き下ろされた「さよならの今日に」。

夜も遅かったため、見た人は少ないかもしれない。
 

だが、その演奏はあまりにも素晴らしかった。
 

いつもはあいみょんをあまり聴かない私の母も、「いい曲だ。歌うまいね~」と、強く言っていた。

そう。
いい曲だ。歌も音源そのままだった。
だけど、その時のあいみょんの弾き語りは、何かが違った。
 

「さよならの今日に」は、泥臭い。
人間臭さがプンプンするような、人間の傷口を見せつけるような、そんな歌だ。

だから、
人間の正直さが奥底に流れている。

そして私は、自分自身の心臓の音を聞き入るように様々な気持ちが錯誤した。

この曲は歌詞がいい。
 

『泥まみれの過去が
 纏わりつく日々だ
 鈍くなった足で
 ゴールのない山を登る』
 

ゴールなんてどこにあるのだろうか。

そもそもゴールとは一体何なのか。

夢を叶えること?誰かと結婚すること?
子供を産むこと?孫を迎えること?
死ぬこと?それとも、生まれ変わること?

誰も知らない。
その山を、私たちは必然的に登っている。
 

『恋い焦がれたこと
 夢に起きてまた夢見たこと
 これまでを切り取るように
 頭の中を巡る』
 

人々は誰だって夢がある。

だが大抵は子供の頃にみた夢だ。
それを叶えられている大人はとても少ない。
私の周りにもいない。

私はまだ大人ではない。
だが、もし夢を叶えることが出来ずに大人になったら、夢は儚い記憶として、頭の中にこびりつくのだろうか。

虚しくなる。
日常の中に居座る、自分自身の嫌なところがそのまま描かれている。

そこで彼女は何を歌うのか。
 

『明日が来ることは解る
 昨日が戻らないのも知ってる
 できれば やり直したいけれど』

『切り捨てた何かで今があるなら
 「もう一度」だなんて
 そんな我儘 言わないでおくけどな』
 

その泥まみれで、儚い夢にまみれた過去。
その過去のおかげで今があるなら、その過去のおかげで今があるとちゃんと知っているなら、やり直したいなんて言わない。
たとえその今が、泥まみれの頃より泥まみれで、儚い夢とかけ離れていたとしても。

だが、彼女は言う。
 

『それでもどこかで今も求めているものがある
 不滅のロックスター 永遠のキングは
 明日をどう生きただろうか』
 

あいみょんは、正直に、
まだ求めている、と歌った。

そしてきっと、若い頃に憧れていたロックスターや自分の中のキングを思い出して、
「あなたならどう生きたのですか?」
と、尋ねた。

そして、私は思った。

ああ、そうか、と。

あんな、私にとって不滅のミュージシャンでさえ、そんなことを思っているのなら、
私だって、求めてもいいのかもしれない、と。

皆にバカにされそうな夢だって追いかけていいのかもしれない。

またこれだ。
またあいみょんの曲を聴いて、
「勇気」という奴が湧いてきた。

今の私に一番足りないものが、ヒシヒシと湧き出てくる。

この感覚は一体何なのだろうか。

彼女はそんな私を他所に歌い続ける。
 

『傷だらけの空が
 やけに染みていく今日
 鈍くなった足で
 河川敷をなぞり歩く』
 

「きれいな空」と、前向きに空を捉えるのもいいが、『傷だらけの空』と言ってくれたことが、何故か嬉しかった。

そして、学校で辛いことがあった帰り道、その空がどこか虚しくて、涙にその空が映ったことを思い出す。
 

『涙がでることは解る
 気持ちが戻らないのも知ってる
 それなら 辞めてしまいたいけれど』
 

ああそうだ。

たとえ前に進んだとしても、どうせ涙が出ることは分かっている。辛いことを引きずって、他人に迷惑をかけることも痛いほど知っている。

だったら、夢などどうでもいいのだ。
 

『残された何かで今が変わるなら
 「もう一度」だなんて
 そんな情けは言わないでおくけどな』
 

そんな中でも残っている、蟻のように小さい力で、周りの人間の能力に完敗するような才能で、今が変わるなら、弱音など吐かない。

それでも、だ。
 

『それでもどこかで今も望んでいる事がある
 伝説のプロボクサー 謎に満ちたあいつは
 明日をどう乗り越えたかな』
 

私は正直に思った。
自分だってまだ望んでいることがあるのだ、と。
そう強く思った。

また、学校で影の存在になっているあの子に、私だったら学校に行きたくなくなるような状況にいるあの子に、
「あなたはどうやって辛さを乗り越えているの?」
そう聞きたくなった。

そして、また思った。
こんな自分にもまだ望んでいることがあるのなら、辛いはずのあの子だってちゃんと生きているなら、
私はまだ大丈夫なんじゃないのか。

どうしてか、前に進みたくなった。
理由なんてものはない。
でも、心臓が疼いているのだ。

お前はまだ大丈夫なんだ。

そんなことをあいみょんは、ギター1本で力強く歌っている。

いや、言っている。
話している、語っている、訴えている、
叫んでいる。

テレビの向こう側にいる彼女が、ぼやけて見えない。
目をこすったら、袖がグチョグチョに濡れた。

その涙に向かって、彼女は追い討ちをかけるように、声を更に発して、歌い続ける。
 

『吹く風にまかせ
 目を閉じて踊れ
 甘いカクテル色の空を仰げ
 そんな声が聞こえる』
 

そうだ。聞こえるのだ。
最近聞こえ始めたんじゃない。
ずっと前から聞こえているのだ。

夢を知って、夢をみて、夢を追いかけて、そして、
夢から離れた時から。

だけど、出来なかったのだ。

波に身をまかせて前へ進み、
何も気にしないで日々を楽しみ、
そして、映画のワンシーンのような夕焼けを糧に前へ進む。

やろうとした。
でも出来なかった。

それが、苦しかったのだ。
辛かったのだ。
 

『切り捨てた何かを拾い集めても
 もう二度と戻る事はないと
 解っているのにな』
 

かつて放り投げた夢をかき集めたとしても、その時の情熱が戻ることはないということは、知っている。夢が叶うことはないと知っている。
「私は知っている!」と叫びたいほどに。
 

だが、あいみょんは歌った。
 

『切り捨てた何かで今があるなら
 「もう一度」だなんて
 そんな我儘 言わないでおくけどな』

『それでもどこかで今も求めているものはある
 不滅のロックスター 永遠のキングは
 明日をどう生きただろうか』
 

私はまだ、求めている。
そして前へ進もうとしている。

それがたとえ、
過去のような泥まみれの毎日で、
傷だらけの空のようになって、
涙が出る日々だとしても。
 

『伝説のプロボクサー 謎に満ちたあいつは
 明日をどう乗り越えたかな』
 

あいみょんは最後に疑問を置いて、ギターを静かに鳴らし、歌い終わった。

たった数分間しかなかった彼女の弾き語りと、「さよならの今日に」は、私の心に大きな何かをもたらした。
 

「さよならの今日に」

あいみょんは曲の中で、『明日をどう生きただろうか』や『明日をどう乗り越えたかな』といった疑問を出しながら、結局、答えを言わなかった。

彼女は、答えを聴き手に託したのだ。

そして私は、託された。

私はまだ答えを出していない。
だが、それでもいいのではないかと思っている。

無理に答えを出す必要はないのではないか。
これから生きていく中で、たくさんの荒波に揉まれ、たくさんの傷をつけて、様々な経験をしてから、なんならお婆ちゃんになってから、答えを出してもいいのではないか。

そう私は考えた。
いや、考えることができた。

それは紛れもなく彼女のおかげである。
 

あいみょん

彼女の名が売れ始めた頃、私は名前嫌いをしてしまっていた。
もちろん、その事は後にとても後悔することになるが。

彼女のことを、「今、流行っている人」という認識を持っている人は多いだろう。

だが、私は、
「今、流行っている人」というイメージを捨てて欲しいということを、声を大にして言いたい。

名前こそは今っぽいかもしれないが、
唄の奥底にある想いは、
昔も今も、さらに未来にも通ずる、
あいみょんらしい、人間らしい、
1人の音楽家として輝いている想いだ。

あいみょんは、もう、
最高なミュージシャンだ。

そんなことを、2月21日の夜に思い知らされた。

あいみょんは、
「さよならの今日に」という、
最高に人間らしい曲を引っ提げ、
ギター1本で、
夜のテレビに彼女の声を響かせた。

私は夜中にボロボロに泣いた。
彼女の声が心臓に鳴り響いていた。

そんな私は、完全にあいみょんの虜になってしまった。

いつか、『甘いカクテル色の空』や、『傷だらけの空』とかいう、最高にセンスがいいワードを生み出してみたいものだと、淡く思ってしまった。
 

「さよならの今日に」

いい唄だ。

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