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涙のあとには笑いがあった

振り返れば私の人生はいつもエレファントカシマシとともに

2007年の後半から双子を妊娠し“春が来る頃には管理入院”と予告されていた私は、出産予定日の約2カ月前から入院生活を送っていた。
そんな入院生活を始める直前、2008年3月5日に発売されたのがエレファントカシマシ36枚目のシングル『桜の花、舞い上がる道を』だった。

「とにかく無事に生きて産まれてきますように…」

そんな祈りと共に、私は毎日毎日この曲を聞いていた。
時々、お腹の中の赤ちゃんにも聞かせた。

「生きて産まれてきてくれさえすればいい」

私がそう思うのには理由があった。

2004年に結婚した私は翌2005年暮れには妊娠。
つわりはあるものの順調な妊娠生活を送っていた。
ところが年が明けて病院へ行くと、赤ちゃんの心音が確認できないという。
訳も分からず、とりあえず病院を変えもう一度検査を受けてみるも、結果は同じだった。
流産だった。

若かった私は医者の“よくあることです”という言葉を素直に受け取り、その後の日々は健康に留意し日々を過ごした。
そのおかげかもう一度妊娠。
体調管理に気を配り、身体に無理をしないよう気を付け、夫はいつも病院に付き添ってくれた。
何回目かの検診の日。

“赤ちゃんの心音が確認できません”

その刹那、「死にたい」
そう思った。
生きている意味なんてない、いますぐ死にたい。

呆然としたまま事務的に掻把手術の日程を決め、その日を迎えた私は手術を終えその日のうちに全身麻酔でフラフラになりながら身体と心の痛みを抱えたまま夫と帰路についた。
その車中、夫は慰めようとしたのだろうか。
私が夫と出会う前からずっと好きなエレファントカシマシの曲をカーステレオで流した。
憶えているのは『悲しみの果て』。

涙のあとには
笑いがあるはずさ
誰かが言ってた
本当なんだろう
いつもの俺を
笑っちまうんだろう

─『悲しみの果て』
 

私は声を上げて泣いた。

その後の私は毎日「死にたい」という気持ちと「夫に赤ちゃんを抱っこさせてあげたい」の繰り返しの日々だった。
それが2007年。

この頃エレカシのライブには行けていなかったけれど、この年、エレカシが大阪城野音でライブを開催することがアナウンスされた。

「久しぶりに行ってみようかな…」

迎えた5月12日。
【デビュー20周年記念特別公演“俺たちの明日”】と銘打って開催されたこのライブ。
1曲目は宮本が一人でステージに登場し、弾き語りで歌う『俺たちの明日』だった。

「エレカシがこんなにも軽やかで聴く人をまっすぐ元気付ける曲を歌うなんて」

新鮮な驚きと共に、確かに元気付けられた私は足取りも軽く家に帰り、自分の身に起こったことを冷静に考え分析し、病院での治療が必要と判断し、週2~3回病院へ通う日々を送り始めた。
痛い思いやしんどい思いもしたけれど、それから数カ月後、私は再び赤ちゃんを授かった。
しかも双子だった。
二人の赤ちゃんが帰って来てくれたのだと思った。

つわりがピークの頃、あの日野音で歌われた『俺たちの明日』がより磨かれシングルとして発売された。
エレカシが再びシーンで注目されるようになった。
私は流産の危険がある時期を乗り切り、次は早産との戦い。
『俺たちの明日』や『桜の花、舞い上がる道を』を聞きながら見上げた病院の窓の向こうの景色。
そして迎えた出産の日。
元気に生まれてきてくれた我が子達。
 

見ろよ 大いなる花 街は昨日よりも鮮やか
確かに感じる 明日は来る さあ今おまえと行く
桜の花、舞い上がる道を

─『桜の花、舞い上がる道を』
 

その双子もこの春、小学6年生となる。
子育ても少し落ち着き、エレファントカシマシのライブへ再び行けるようになった。
いつかは子供たちと行くこともあるかもしれない。
行けたらいいな。

振り返ってみれば、私の人生はいつもエレファントカシマシとともにあった。
これからもずっと。

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