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2017年8月1日

諏訪野 緑子 (29歳)
43
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参加することに意味がある

打首獄門同好会とレキシのライブを通して

ライブの魅力とは何か。
私の友人はこう言った。
「ライブに行く必要性を感じない。音を聴くだけならCDで十分だし、映像が見たければDVDやブルーレイがある。会場は広すぎてアーティストの顔もろくに見えないから」
もちろん音楽の楽しみ方は人それぞれだし、正解などない。友人の言う事にも、一理あると思う。
しかし、ライブ好きの私としては、CDやDVDにはない、ライブならではの魅力と言うものがあると主張したいのだ。
ライブならではの魅力。
それを語るにあたって、二組のアーティストを紹介したい。

「打首獄門同好会」というバンドがいる。
今やフェスでは入場制限がかかり、武道館公演をも成功させた新進気鋭のバンドである。
不思議だ。当バンドのフロントマンである大澤は、ひょろっと縦に長いシルエットが特徴的な男性で、目立ちはするがカリスマ性に特化したタイプではない。「俺について来い」といった雰囲気もない。どっちかと言うとぼんやりした印象がある。ライブ前のマイクチェックの時に伏し目がちにしている姿が、ちょっとカピパラに似ている。
ライブが始まる前に、「うまい棒」の入ったビニール袋が回ってくるのだが、とあるフェスで、テンションの上がった観客によってそのビニール袋が宙に舞うと言った事態に陥った。その時も、サウンド・チェックを行っていた大澤は「食べ物で遊ばない、ゴミを出さない」、「ちゃんと順番に後ろに回せよ」と、やはりぬぼーっとした声で注意していた。
また、曲についても、バンド名と同じく、いや、それ以上にふざけている。打首獄門同好会の歌詞は、給料日前の寂しい財布の中身であったり、ひたすら白米をほめたたえたり、風呂の良さを熱弁したりと、生活臭が前面に押し出されている。ありがちな恋愛も友情も家族愛も(ひょっとしたら「まごパワー」という曲は家族愛に該当するかもしれないが、間違いなくこの曲で感動の涙を流す人はいないと思う)、一切排除され、ひたすら大澤の頭の中身だけがつらつらつらとつづられているようだ。
くせの強い歌詞と声、ビジュアルに特化しているわけでもメディアによるバックアップがあるわけでもない。
にもかかわらず、右肩上がりの活躍を見せる打首獄門同好会。彼らが多くの人から支持される秘密は、そのライブパフォーマンスにある。

打首獄門同好会のライブは、うまい棒を片手に持ったまま突入するのだが、まず驚かされるのが演奏技術の高さだ。
7弦ギターの大澤(Vo&G)と5弦ベースのJunko(B)が競い合うように音をたたき出しながら交互に歌い、その背後では河本(Dr)がどっしりとリズムを刻んで高めていく。確かな技術力に裏付けされた曲は、俄然説得力が増し、目を白黒させているうちに打首獄門同好会のペースに飲み込まれてしまうのだ。
「デリシャスティック」と言うナンバーではサビのコーラスで“うまい棒”と叫ぶ。その布石として事前に配られた駄菓子を、いい年齢の大人たちが天に掲げ、ひたすら「うまい棒」と連呼するという光景は、シュールを通り越して、もはや壮観ですらあった。
しかし、もちろんこれだけでは終わらない。
「島国DNA」ではスタッフによってフロアに放たれた大きなマグロの風船が、あっちこっちでぴちぴち跳ねまわる。コール&レスポンスも”Wow Wow”ではなく”魚魚”、”Hey”、”Hi”ではなく”貝貝”、”海海”となっているなど、小ネタが冴える。
「歯痛くて」、「ヤキトリズム」等、怒涛のごとく繰り出されるナンバーに、気付くと力の限り叫んでいる。更に続く「きのこたけのこ戦争」では、大澤が腕をまっすぐ突出し、「今からここは戦場である」と宣言した。「こちらから右はきのこ派。こちらから左はたけのこ派」とフロアを二分すると、役割を与えられた観客は、まるで自分たちが世論の代表者にでもなったかのごとく奮起し、「きのこ!きのこ!」、「たけのこ!たけのこ!」と叫びながらぶつかり合った(ちなみに私はきのこ派閥だった。本当はたけのこの方が好きなのに、この時ばかりはきのこの事しか頭になかった)。
その勢いが一切殺されることのないまま、ラストスパート、「日本の米は世界一」になだれこむ。ボルテージは最高潮に達し、拳を突き上げ、のどの痛みも忘れて声を張り上げる。
ここまで来ると恥も外聞もない。隣の声と自分の声の区別もつかなくなって、フロア全体がうねりをあげてのたうつ、不気味な巨大生物のようになる。
しかし目の前がどんな光景になろうとも、大澤は終始、生真面目な表情しか浮かべない。笑顔を振りまく事も、過剰に観客をあおる事もなく、一貫して淡々と、やるべきことをこなしているような印象を受ける。
観客と言う巨大生物を乗りこなすその姿は、底が見えない。必死感がない。ただやみくもに盛り上げているのではなく、すべてを意識的に行っているという感じがする。いうなれば、観客を操作し、導いている。
それは、ステージの後ろにでかでかと設けられたスクリーンに表示される、歌詞の内容をわかりやすく示した映像からも感じられる。これは、打首獄門同好会と初めて出会った人でも存分に楽しめるようにするための配慮ではないか。この映像がある事により、たとえ知らない歌でも、声を上げるべきところ、盛り上がるところが明確化され、取り残されることが無い。
「ライブ」という場において、観客の声が加わる事で、打首獄門同好会の音楽は音源から一層の進化を遂げる。CDが完成形ではなく、ライブこそが終着点であり、頂点なのではないかと思わせるほど、打首獄門同好会のライブは熱狂の渦を巻き起こす。
すべては大澤の計算の範疇であって、観客は彼のてのひらの上で踊っているとしたら少し癪な気もするが、これだけ我を忘れて音楽に没頭できるのであれば、もういっそ舞台装置として、打首獄門同好会を更に高みへと押し上げるために精いっぱい稼働したいとすら思わされてしまうのだ。

もう一組、レキシというアーティストについて。
レキシは、1997年に活動開始、2007年にメジャーデビューした、元SUPER BUTTER DOGの池田貴史によるソロユニットである。その名の通り、日本の歴史を主題に据えた楽曲をリリースしており、その事から「歴史縛りファンクネスバンド」と銘打たれている。CMソングにも起用されており、その曲を耳にしたことのある人も多いだろう。
レキシのライブもまた、他の追随を許さないほどぶっ飛んでいる。
巨大大仏や城を模したセット。そのステージを所狭しと駆け回り、大いにしゃべり、笑い、歌うのが池田貴史こと、お館様である。
レキシのライブでは息継ぎをする暇がほとんどない。しっとりと歌で魅せたかと思えば、途中で全く違う、他のアーティストの曲に変わったりする。著作権などお構いなしだ。無茶振りをされて、背後のサポートミュージシャンたちがぴりっと緊張するのが伝わってきて、なぜかこちらまでちょっと落ち着かない気持ちになる。かと思えば、急にゲストが乱入して、怒涛のごとく繰り出される寸劇におなかを抱えて笑う。
一瞬たりとも飽きることが無いパフォーマンスは唯一無二のものであるが、それ以上に素晴らしいのは、ライブハウスだろうと、武道館だろうと、野外フェスの会場であろうと、そこを「レキシ」のホームに変えてしまう力である。
それは、お館様が広い会場をあますところなく絶えず目を配り、ステージの上だけでなく、観客席までも巻き込んでライブを作り上げているからだろう。
ある時など、舞台の端っこまでトコトコと歩いて行ったかと思うと、そこにいる観客に「その席、見にくくない?」と話しかけていた。
「年貢 for you」という曲では、ステージから曲とともに客席で俵リレーを行うのだが、お館様は間奏で俵がまだ客席の前方にあるのを確認すると、曲を延ばして俵が少しでも多くの人に行き渡るようアドリブで曲を長くしてしまう。
こういった場面は、ライブ中随所に見られる。「レキシのライブは(時間が)押す」と言われるゆえんでもあるが、何とも心憎い配慮ではないか。それが伝わってくるからこそ、代表曲「狩りから稲作へ」と共に、観客がお館様に向かって振る稲穂が会場を金色に染めるさまは、息をのむほど美しく、心にしみるのだ。

また、レキシは様々なアーティストとコラボして楽曲をリリースする事で知られている。その顔触れは椎名林檎、斉藤和義、松たか子などのビッグネームから、秦基博、チャットモンチー、キュウソネコカミと非常に幅広く、これだけでフェスが開催できるんじゃないかと言うほどの豪華ラインナップだ。
大物アーティストたちがレキシとコラボしたくなる理由について、平成29年5月14日放送の『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)で、いとうせいこう氏は「結局、大物であればあるほど『遊び』ってしにくくなるでしょ」、「(レキシは)ここではみんなが遊んでいい」という“遊び場”を提供している」と語った。

ここで話は冒頭に戻る。
ライブの魅力とは何か。
それは、普段は液晶画面やイヤフォンの向こう側にいるアーティストを3D映像として自分の目で見、耳で聞き、肌で感じられることにある。
私はそれを「一体感」だと考える。
舞台上で紡がれる音に合わせて観客は体を揺らし、頭を振り、こぶしを突き上げる。そうする事によって、その場にはある種の結束力の様なものが生まれる。そこに集まったのは今日初めて会ったばかりの人で、名前も知らないが、同じ景色を見て同じ音に心を揺さぶられている。声や音や熱気、とにかく全てが混然一体となって、自分も音楽に参加しているかのような錯覚に陥ることが出来る。それこそがライブの最大の醍醐味だと思うのだ。
そして、もう一つ。
「ライブ」という舞台に、「観客」という役で、参加しに行くのだ。
打首獄門同好会やレキシのライブ、そこには涙も感動も今後の人生の指標となるような含蓄も、何もない。彼らが提供するのは圧倒的なエンターテイメントであり、観客をも巻き込んだ大掛かりな舞台である。その上で、彼らは「一緒に遊んでもいいよ」と手招きしてくれているのだ。
自分から進んでそこに立ち、その場にいるという事。
ただの傍観者ではなく、共にライブを作り上げていく一員になれるという事。
こればかりは鮮明な映像技術でもっても、精密な録音機器でもっても、再現できない。
是非、騙されたと思って、一度足を運んでみてほしい。
エンターテイメントも極めれば人の心を動かす衝動を生み出すという事を、彼らは体現している。きっと、その場所、その時間でしか味わえない興奮と、達成感を得られるはずだ。
傍から見ているだけではもったいない。
己の身で、参加してこそ意味があるのだ。

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