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「マ・シェリ」という禁断の呪文

椎名林檎『マ・シェリ』を考察する

 読めば読むほど、その世界の奥深くに迷い込み、無限の解釈が生まれてしまう歌詞だと思った。

 2019年5月27日に発売された、椎名林檎のアルバム「三毒史」に収録されている「マ・シェリ」の歌詞について書きたいと思う。
 今更、と思えるタイミングだが、この歌詞について自分なりに解釈し、文章にしたい。そう思えるきっかけがあり、おこがましい気持ちはありつつも、究極の自己満足に挑戦してみる。

 私は椎名林檎というアーティストがとても好きだ。
バンド好きな私が唯一追い掛けている女性アーティストで、デビューから20年以上、素晴らしく凄まじい変化と進化に魅了され続けている。
 歌声や音楽はもちろんのこと、私は彼女が書く歌詞がとても好きだ。
 「共感する」とか「泣ける」とか、そういった感情を遥かに超えて、もっと深いところの、無意識の何かが呼び起こされるような不思議な力で満ちている。

 椎名林檎に限らず、普段好きで聴いているバンドにも、歌詞が好きな曲は沢山ある。
 活字となって歌詞カードに綴られた言葉も、メロディーを伴って耳に流れ込む言葉も、私には決して思い浮かばないようなものばかりで、読んで聴いては創り手への愛が増すばかりだ。そのため、歌詞の内容に疑問を抱いたりとか、考察しようとか思ったりすることはほとんどなかった。もちろん、「これは一体どういうことだろう?」と思うこともあるが、なんというか、「創り手にしか分からない」という部分も魅力的だったりするのだ。

 アルバム『三毒史』を手に入れた日、私はいつものように一曲目から順番に聴いていた。三曲目に収録されていたのは『マ・シェリ』。『マ・シェリ』とは、仏語で「私の愛しい人」という意味である。そして、『マ・シェリ』には『EGO-ism』という英題が添えられている。「私の愛しい人」の英題がなぜ『EGO-ism』なのか謎だった。2016年に『MA CHERIE』というタイトルでシャンプーのCMソングに起用されていたので、何となくあのCMの世界観に近い曲なんだろうと思いながら聴き始めた。

 幻想的なハープの音色に、仏語で「かわいいかわいいかわいい人」と甘く囁きかける椎名林檎のボーカルが加わり、曲が始まる。

――泣き虫で笑い虫。おまけに性急なあなた。お帰りなさい。大丈夫、ちゃんと事実ばかり見ている。
――穏やかで理想的。目利きで平等なあなた。おつかれさま。大丈夫、今日も人はそう評価したから。

 おそらくこの曲の主人公は女性なのだろう。「あなた」が恋人(かわいい人)を指すのか、自分自身を指しているのかは分からないが、他人からは穏やかで冷静と評価されている。しかし素顔の「あなた」は、ころころ泣いて笑って忙しい、という二面性があることを「私」は知っている。

――私には、どこも隠さないで。ほら、脱いで剥いで見せて。
――あるがままの欲に気が付いて。ほら、脱いで剥いで見せて差上げる。

 「あなた」が恋人だとすれば、「私」は恋人を客観的に見る存在として「鏡」に例えられているのだろうか。「あるがままの欲」というのは、出世欲といったような社会的な欲なのか、はたまた恋人の私に向けて欲しいような欲なのか。
 あるいは、「あなた」が「私」自身だとする。日々の仕事や恋愛において、他人から見える自分と、本当の自分とのギャップに悩む「私」。帰宅して、ドレッサーに座る。鏡に映る、疲れ果てた顔の自分。鏡に映った自分に「ねえ教えて私は私はだれ?」と問いかける。そんな光景が浮かんでくる。鏡の中の自分が、もっと素直になって、と語りかけてくる。
 なるほど、葛藤した後に本当の自分らしさを取り戻す歌なのね、と勝手に着地を予想しながら、東京事変メンバーの演奏にしばし酔いしれる。「一・二・三」のベースが最高だ。

 しかし、間奏部分の歌詞(仏語を日本語訳したもの)におや?となる。何かが引っかかり、気持ちがざわめき出す。

――鏡よ鏡、この世で最も完璧に美しいのはだれ?

 この世で最も美しい、ではなく「完璧に美しい」とあるのだ。「私の愛しい人」を意味する「マ・シェリ」というフレーズについて、椎名林檎は「鏡の前で口ずさめば、どんな女の子でも綺麗になれる魔法の旋律」と語っている。「この世で最も美しいのはだれ?」という問いが魔法の言葉だとしたら、「この世で最も完璧に美しいのはだれ?」という問いは、どこか禁断の魔法のように感じた。決して開けてはいけない扉の鍵のような。そんな不穏な気持ちを表すかのようなギターソロが開けた瞬間、 次の歌詞を読んで、全身が金縛りに遭ったような衝撃を受けたのだ。

――自らが最大級の謎。はあ面倒臭い。要らない。取り替えてよ。自我を交換して。

 こんな表現が出来る人が居るのだと鳥肌が立った。思わず、歌詞の世界から離れ、自分自身が見透かされてしまった、いや、見透かしてもらえたような気持ちになった。よく、「〇〇の歌詞は私の気持ちを代弁してくれる」と言うが、まさにそれだった。この一文を読んだ時の衝撃と、嬉しさのような気持ちは恐らく一生忘れないと思う。そして自分の中に、歌詞というものに対して深く踏み込みたいという欲が生まれたのだ。
 さて、話を歌詞の世界に戻すが、これを読んで、英題が『EGO-ism』であることに合点がいった。エゴイズムという言葉を調べると、“自分の考えを重視すること・利己主義”といったような意味であると分かる。しかし、もうひとつ、哲学的な考えとして“自我だけが確実し、他者の存在は疑わしいものとみなす”という解釈がある。そこで、この歌詞の主人公=私は、自分自身に悩む女性でも、その愛しい人でもなく、“自我”そのものなのではないか、と思った。鏡一枚を隔て、自我と自我が対話をしている。

――自らが最大級の謎。はあ面倒臭い。要らない。取り替えてよ。自我を交換して。
――そう私はあなたの、あなたは私の・・自己を形成して。

 果たして自分は一体、どんな自分であるのが正解なのか。どちらが裏で表なのか。ああ面倒臭い。「自我を交換」し、お互いがお互いの「自己(他人から見た自分)を形成」すれば、私はあなたになり、あなたは私になり、自身を苦しめたギャップは消えて“最も完璧に美しい私”が出来上がる。

――もうお互いを鮮明に映すだけ。ほら、脱いで剥いだらさあどちらがどちらかを見紛うほどにまで、似通って来ている。

 これが最後の歌詞である。ボーカルが消え、ハープがワンフレーズ奏で、曲は終わる。最後のハープの音には、それまでの内面世界での葛藤をまるで感じさせず、ドレッサーに座ったまま、すやすやとうたた寝をする私の外側(肉体)を俯瞰で映しているような平穏さを感じる。まるで、それまでの歌詞は全て夢幻だったかのように。
 しかし、某童話で「鏡よ鏡、……」と問いかけていたお后様が幸せになれなかったように、やはり「鏡よ鏡、……」というのは禁断の呪文である気がする。禁断の呪文を唱えてしまった自我のお話。その結末が、「似通って来ている」という途中経過で終わっているあたり、ぞくりとしてしまうのだが、そんな私もこの歌詞の内面世界にだいぶ引き込まれてしまったと思う。
 

やはり、椎名林檎の書く言葉には、不思議な力が満ちている。
 
 
 

※本文内の「――」以下の部分及び「」内は、椎名林檎『三毒史』歌詞カードより引用

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