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ビートルズの子守唄

パンデミックへの不安を軽減しうる旋律

もちろん音楽というものは、少なくとも「無敵の」表現手段ではない。世界恐慌や流行病といった重い問題を直接的に解決させはしないだろう。それでも優れた楽曲は、不安を軽くするだけの、薬効のようなものは持つのではないか。

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僕が最も好きなビートルズのアルバムは、コンセプトアルバムというあり方を示した「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」ではなく、鮮やかなメドレーで締めくくられる「アビイ・ロード」でもない。もっと言うなら、彼ら自身のオリジナルアルバムではないのだ。どんな心的状況の時も聴けるのは、鈴木惣一朗氏がプロデュースしたカバー集「Apple of her eye りんごの子守唄」である。

このアルバムに収録されたビートルズ・ナンバーは、多くの歌い手によって(恐らくは意図的に)柔らかに穏やかに届けられる。ビートルズの(ギターやベースを軸にした)原曲も当然、優れたものではあるのだけど、そこからロックンロールという枠を取り払っても、旋律の良さは聴き手に伝わる。時によっては、そちらのほうが(カバー・バージョンのほうが)心を温めることさえあると思われる。熱くさせるのではない、温めるのだ。

それは僕の主観かもしれないけど、いま世界に広がっている不安を軽減しうるアルバムとして、この「Apple of her eye りんごの子守唄」をお勧めしてみる次第である。

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冒頭に置かれた「Here Comes The Sun」は、タイトルそのものが「希望」を示唆するものであり、原曲を歌うジョージ・ハリスンの声も、ゆったりとしたものである。それを畠山美由紀さんは、より穏やかにリスナーへ届ける。

このアルバムには対訳がついているのだけど、その全てが(少なくとも僕の感じる限り)直訳に近い、とてもシンプルで潔いものだ。ひねりのない言葉が書かれている歌詞カードを見るだけで、いくぶん肩の力が抜けていくのではないだろうか。

<<陽が射してきた>>
<<もう大丈夫>>

今も多くの医療従事者や、要職に就く人たちが奔走しているはずであり、<<もう大丈夫>>などという保証をすることは、現段階では誰にもできないと思われる。それでも家に帰ってきて、手洗い・うがいをすませたあとまで、この世界の(社会の)行く末を案じていては身が持たないだろう。明日はもう少し、状況が好転することを願いながら、ゆっくりと心身を休めていただきたい。本アルバムの「Here Comes The Sun」は、まさに「子守唄」になりうると考える。

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2曲目の「Across The Universe」はchieさんによって届けられるのだけど、この曲には、こんなセンテンスが含まれる。

<<わたしの世界を変えられるものはない>>

原作者の意図がどのようなものなのかは分からないし、chieさんが、どんな気持ちを込めて歌ったのかも知らない。<<わたしの世界>>が何を意味するのか、それを僕は理解できていない。ただ個人的な解釈を赦していただけるなら、これは外界で何が起ころうとも、その人の価値観や人となりといったものは守られうることを歌った曲なのではないか。

人間は強い生きものではない。外界で起こる様々な出来事は、人それぞれの心の水面を揺らしてくるものだと思う。かくいう僕の「水面」も揺れている。立場上、冷静であらなければならない識者や専門家も、恐らくは不安を抱えて日々を生きているのではないかと思う。それでも、だからこそ、chieさんが繰り返し歌ってくれることに、僕は少しだけ安堵する。

<< Nothing’s gonna change my world >>

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5曲目に置かれた「I Will」を歌うのは原田郁子さんなのだけど、失礼ながら、このカバー・バージョンを聴くまで、これが名曲であることに僕は気付かなかった(ビートルズ・ナンバーのなかでは「小品」に分類されるものであろうと考えていた)。

本曲はストレートなラブソングであり、今は恋情なんかいだいている場合じゃないよと思う人もいるかもしれない。それでも僕が主張したいのは、世界が不安に覆われているからこそ(皆が「世のため」に少しばかりの貢献をしなければならない今だからこそ)個々人が、その胸にある「個人的な悩み」のようなものを、大事にしたいものだということだ。

<<いつからあなたを愛していたのでしょう>>
<<たとえあなたを待ちつづけるだけの人生でも>>

いま愛しい誰かが傍にいて、その人の不安を軽くしたいと願う人がいる一方で、そもそも愛しい人が近くにいないことを嘆いている人もいるのではないかと思う。様々な境遇にある人が、様々な不安をいだいている。同じ問題から、同種の不安や悩みが発生するとは限らないだろう。だからこそ僕たちは、まず自分を大事にするべきなのではないか。自分の悩みに寄り添うべきなのではないだろうか。

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11曲目に置かれているのは「Because」であり、歌い手は湯川潮音さんである。原曲(ビートルズが歌うバージョン)を聴いた時は、ハーモニーの見事さにしか注意が向かなかったのだけど、このカバー・バージョンの対訳を読んでいると、湯川さんの声調に耳を傾けていると、そこからは静かなる祈りのようなものを感じとることができる。

<<世界が丸いから>>
<<生き生きとしてくる>>

ウイルスの感染が広がってしまったのも、極論すれば<<世界が丸いから>>なのだろうとは思う。よくも悪くも、僕たちは遠く離れた場所ともつながっている。僕のかかえる問題が誰かに届いてしまったり、逆に誰かの抱える問題が僕のもとへ届けられたりすることもあるものだと考えている。それでも僕たちは「不安」だけでなく「希望」も分け合えるのではないか。どこかの誰かが、ビートルズ・ナンバーを聴くことで、いくらか心を落ち着けて、体を横たえたこと。それを想像することで、つまり地球の丸さを思うことで、いくぶん自身の不安も和らぐかもしれない。

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原曲ではなくカバー・バージョンの良さを力説したことが、ビートルズの面々に不快を感じさせたら申し訳ないとは思う。それでも今、世界が求めているのは、至高の「子守唄」なのではないかと、いま僕は個人的に考えている。

おやすみなさい。

※<<>>内はビートルズ「Here Comes The Sun」「Across The Universe」「I Will」「Because」の歌詞(カバー・アルバム「Apple of her eye りんごの子守唄」の対訳)より引用

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