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「自分の弱さを知ることで強くなれる」米津玄師が教えてくれる生き方

HYPE 広島公演で語られた言葉 「人を信じること」

 「米津さんのライブに行ける!」飛び上がるほど嬉しかった。また米津さんに会える!歌声が聴ける!
 抽選では全ての応募が落選。今回は会えないかもしれないという泣きたくなるような不安の中、トレードでどなたかのチケットを譲り受けることかできた。そのチケットは広島公演二日目。長男や夫も広島は観光したい場所だったので、関西から車で行くことを家族みんなで楽しみにしていた。
 

 けれども、日本でコロナウイルスの感染がどんどん拡大してきた。行くべきか行かないべきか。毎日悩んだ。家族を巻き添えにはしたくない。まずは車での旅行を諦め、ひとりで新幹線という手段に切り替えた。でも新幹線という密室は感染のリスクが高まる。ライブは諦めよう。でも行きたい。諦めよう。行きたい。そんな葛藤を毎日繰り返し、公演当日の朝もずっと悩んでいた。
 感染という恐怖もあったけれど、実は私にはもっと深刻な悩みがあった。それは「パニック障害」という精神的な持病だ。若い頃に狭くて薄暗い空間にいた時、急に動悸と冷や汗が出てきて気分が悪くなった。近くの人に助けを求めた。「気分が悪いので係員を呼びたい、ベビーカーで寝てるこの子を少しの間だけ見ていてほしい」と。けれども「責任はもてません、無理です」と冷たく拒否された。その場にしばらくうずくまり、治まるのを待った。「しんどくなっても誰も助けてくれないんだ」そんなトラウマがきっかけで、狭い場所に長時間いることができなくなってしまった。新幹線という狭い空間に1時間半。もししんどくなっても助けてくれる人は誰もいない。絶対に無理だと思った。でもやはり、「米津さんに会いたい」という気持ちはとても強かった。
 

 不安はあったが迷うこと無く、急いで切符を買い、新幹線に飛び乗ろうとした。その瞬間……脚がすくんだ。「やっぱり乗れない!」。ドアが閉まり、新幹線を見送った。切符のキャンセルをし、駅の中をさ迷った。ツイッターの仲間に行けないかもしれないと伝えたら、みんなから「頑張って」「開演にさえ間に合ったらいいからゆっくり行って」「本当に無理なら今回は諦めてもいいよ」などと優しい言葉が次々に届いた。みんなの励ましが嬉しかった。でもその優しさに応えることができそうにない自分がとても惨めだった。車内で食べるはずのパンを食べながら、涙がポロポロ出てきた。「どうして自分はこんなに弱いんだろう。ひとりで電車に乗ることができない、ひとりでは生きていけない。好きな人に会いに行くことすらできないなんて。」情けなくて、悔しかった。

 「とりあえず音楽を聴こう。」イヤホンを着けて最初に流れてきた曲は『海の幽霊』だった。最後の「また会いましょう」(米津玄師『海の幽霊』歌詞より抜粋)という語りかけが、余計に米津さんに会いたくなる。米津さんは『海の幽霊』を、「作り終えて一回、燃え尽き症候群というか、そういう感じになっちゃって。で、そこからもう一歩、音楽家として歩みを進めていくことに、すごく力が要った。(中略)でも、ここで終わりじゃねえぞって、やっていかなきゃいけないっていうことをすごく感じていた」(ROCKIN′ON JAPAN 2019年10月記事より抜粋)と語っていたことを思い出した。いったん燃え尽きたたあとに力を振り絞り、改めて生き直して強くなった米津さんににとても会いたくなった。
 そして次に流れてきた曲は『馬と鹿』だった。「痛みは消えないままでいい」(米津玄師『馬と鹿』より抜粋)という言葉に米津さんの愛を感じた。痛みを背負って弱いままの私でいい。情けない惨めな私を肯定してくれる言葉に涙が止まらなかった。
 
 
 

 みんなからの励ましと米津さんの音楽が、私の背中を押してくれた。
 
 
 

 最初の新幹線を見送ってから二時間。漸く新幹線に乗ることができた。乗っている間もツイッターの仲間から、励ましの言葉がたくさん送られてきた。「頑張ったね」「勇気出して良かったね」「待っているよ」。米津さんが繋げてくれた出会いに感謝だった。私はひとりじゃないと思えた。
 

 そしてライブ会場で米津さんに会った瞬間、声を聴いた瞬間、「頑張って良かった。来れて良かった。」と心の底からそう思える美しい空間だった。そしてこの日のMCが一生忘れない宝物となった。
   

 中学生の頃から音楽を作ってきた米津さんは誰かと作るのが音楽ではなく「ボーカロイドで作って、スコップで一生懸命掘っていく一人の世界がすげー楽しかった。楽だった。」と言った。「でも掘っていった井戸の底には水が出る気配もなく、硬い岩盤にカチンカチンって当たるだけだった」と。「気づけば底から見上げた上はずっと遠くにあって、一人の力では脱け出せなくなった。これは死ぬしかないと感じた」と言った。そんな深い底から引っ張り出し、助けてくれたのは、友達や尊敬できる先輩だったと教えてくれた。
 そして最後に米津さんは、「周りの人の言葉を聴く。これを人生のどっかで試さないと生きていけないんだよ。ひとりで生きていけるなんて勘違いしないでほしい。自分ひとりでやっていくことと、自分がやりたいことは違う意味なんだ。自分がやりたいことをしたいなら、周りの人の話しを聴く。周りに人がいないなら、映画でも漫画でも音楽でもいい。それが、俺でもいい。信じれる人がいないなら俺を信じてほしい。俺はみんなとは友達にはなれないけれど、だからこそ、友達以上の関係を作ることができる。もっとさ、もっと歩み寄ってきてくれ。俺から歩み寄っても意味が無いんだよ。俺はずっと音楽を作っていくから。もっと俺に歩み寄ってほしい。」と力強く心を込めて、丁寧に語りかけてくれた。
  
  

 今日、自分がここに来れたのは、自分の弱さを知ったからだ。助けてと言える仲間がいて、助けてくれた仲間がいたからだった。米津さんはいつだって、私に弱さを見つめさせてくれていた。
 思い返せば「生きるのが辛いなぁ」って子供の頃からずっと思っていたのだけれど、そんな気持ちに上手く蓋をして大人になった。だけどすぐへたってしまう。でも米津さんに出会ってからは、分厚い瘡蓋が薄くなっていく感じだった。米津さんの音楽を通して、「自分の弱さを知ることで強くなれる」っということを教えてもらった。
 そして、「人はひとりでは生きていけない。誰かに甘えて、寄りかかって生きていくことも必要なんだ。それが人を信じるということ。あの日、誰かに冷たくされたとしても、決して私はひとりぼっちじゃない。他にも支えてくれる人はたくさんいるんだよ。それが米津さんであり、同じ人を好きでいる仲間なんだよ。」今日私がここに来たのは、それを確かめる為だったのかもしれない。
  
 
 

「ソングフォーユー 聴こえている? 僕らは初めましてじゃない 同じものを持って 遠く繋がってる」(米津玄師『ホープランド』歌詞より抜粋)

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