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14歳の時にアジカンと刻んだ「回路」とバンプと残した「足跡」

アジカンのチケットが当たったから「ソルファ(2016)」を初めて聴いた話

何かが動くには、きっかけと回路とスイッチが必要だ。
 

2020年1月24日、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル/ギター後藤正文が今の日本にはびこる政治的問題になぞらえた内容のツイートをした。「アジカンを見る会」が開催されるのだという。それを読んだ瞬間、何かがビビッと走り、スイッチがカチッと押された。サビついてズタズタになり存在すら忘れかけていたその回路に8年ぶりに何かが走ったのはなぜか。理由などない。ただ、悪ぶっていた14歳の頃のように「あー、なんかアジカンに会いてぇなー」と、心の中で本能的につぶやいてしまった。それだけだ。
 

今の私は28歳である。28歳というのはMr.Childrenの桜井和寿が「終わりなき旅」をリリースした年齢であり、彼は28歳でこの境地に達していたのに私はいつもタスクを先延ばしにして直前に大慌てをし家の掃除すらルンバに任せている怠惰な28歳でいていいのだろうかと勝手に比べ勝手に焦っている。自分を好きすぎるのも自意識過剰だが、自分を嫌いすぎるのも自意識過剰らしい。私は一体いつまで自意識過剰なのだろう。そして、この年齢になったからこそ気づき始めていることがある。
 

14歳周辺に聴いていた音楽を今聴くと、とてつもない感情に襲われる。
 

「14歳周辺に聴いた音楽によって人格が形成される」というまことしやかな都市伝説のようなものは小耳に挟んだことがあるが、「ふーん、まあそうかもねー」程度に聞き流していた。ただ、最近どうもおかしい。それに気づいたきっかけは2019年にBUMP OF CHICKENのライブに行ったことだった。
 

開始早々1曲目のイントロどころかその前のSEが流れ出した瞬間に泣く。スポットライトに照らされたメンバー4人の姿が見えた瞬間に泣く。「天体観測」でPVに映る4人の姿を一瞬も逃さず目に焼き付けようとテレビの大画面に顔を寄せていたスペシャが映る友達の家のリビングに連れて行かれ泣く。「プラネタリウム」でラジオでの宇宙初オンエアを聴いていた深夜の自分の部屋の青いMDコンポの前に連れて行かれ泣く。「ダイヤモンド」でまだ頭でっかちだったPCを駆使して辿り着いた怪しいサイトで見たFlash動画に連れていかれ泣く。「supernova」で発売日に制服を着たまま自転車を走らせて行った遠い本屋のCD売り場の棚の前に連れて行かれ泣く。「リトルブレイバー」でシャーペンの先で必死に曲名を掘っていた学校の机の前に連れて行かれ泣く。「同じドアをくぐれたら」であのアルバムが置いてあったダイニングテーブルの前に連れて行かれ泣く。「バイバイサンキュー」で《ひとりぼっちは怖くない》という言葉の意味を考えながら歩いていたあの通学路に連れていかれ泣く。
 

怖かった。ここまで泣けてしまう自分が怖かった。2012年、大学生の時に初めてバンプのライブに行った時も泣きに泣いたが今回の感情とは全く異なる気がする。そもそも、大学生の時に中学生の頃聴いていた曲を聴いても「懐かしい」とはあまり思わなかった。しかし28歳の今、あの頃の音楽を聴くと心の一番奥深くが見事にむき出しにされるのを感じた。自分の心が簡単にあの日あの場所へ連れて行かれるのを感じた。20歳と28歳で何が変わったのか。年をとると涙腺が緩くなるという言葉では到底説明できない。ただただ、彼らに足跡を逆さまに辿られスイッチを押されている気がした。
 

改めて調べると「14歳周辺に聴いていた音楽で音楽の好みが形成される」というのはニューヨークタイムズの紙面にも掲載された立派な「研究結果」として存在しているらしい。私の中では「音楽の好み」にはその人の人格そのものが投影されていると考えているので、あの都市伝説はあながちただの都市伝説ではないということが判明した。
 

中学生の頃の私はBUMP OF CHICKEN、ASIAN KUNG-FU GENERATION、レミオロメン、ポルノグラフィティ、スキマスイッチ、ELLEGARDEN、東京事変、くるり、(RADWIMPS)などを中心に聴いていた。その中でもバンプとアジカンは特別だった。色で言うと白と黒、神で言うと風神と雷神、鶏肉で言うとムネとモモ、ディズニーで言うとランドとシー。それが私の中でのバンプとアジカンだった。バンプに初めて「音楽で心を潤す」ということを教えてもらい、アジカンに初めて「音楽で血をたぎらせる」ということを教えてもらった。
 

そんな14歳の頃、どうしても欲しいアルバムが2枚あったが当時の金銭事情では手が届かなかった。あまりのCD欲しさに、サンタクロースの正体などとっくに知っていたが14歳にしてサンタクロース制度を勝手に復活させた。思春期かつ反抗期真っただ中の自分にとって「恥を晒す」「親にものをねだる」というのは何事にも代えがたい苦痛であったが、恥を晒すだけでアルバムが2枚手に入るなら仕方ない。恥と6,000円を天秤にかけ、揺らした天秤が掲げた方を捨てただけの話だ。母親に「もしサンタクロースがいるかもしれないとして、今手紙を出せばプレゼントは来ると思いますか?」と何食わぬ顔をして確認を取り「まあ・・・来るんじゃないの。」とやや温度感の低い回答を得た。何食わぬ顔で「サンタさんへ」とあえて汚めの字で適当に手紙を書き、誰にも見られぬよう深夜のベランダに静かに出て洗濯ばさみに挟んだ。翌日、手紙はなくなっていて、クリスマスの朝起きるとダイニングのテーブルの上にクリスマス用の包装紙でラッピングされたCDが2枚。包みを開ける前から分かっていた。それは間違いなく「ユグドラシル」と「ソルファ」だと。
 

なのに。なのにだ。
 

その2枚のCDは今はもう手元にない。大学生になった私は「変わることはよくないこと」だと思っていた。彼らが変わらずにいてくれることを勝手に信じていた。しかし、バンプもアジカンも自分自身も変わった。時が経てば何もかもが変わっていく。当時の自分はそんな「変化」を受け入れる器をもっていなかった。アーティストと自分の間に勝手に「約束」をつくっていた。それにすがっていた。そして自分の中で何かを拗らせていった。この漢字に「幼」という文字が入っていることに今、心から納得する。この頃の自分は、ただどこまでも幼かった。
 

ライブDVDのリリース、ベストアルバムの発売、ソロ活動。様々な現実が次々と突き付けられた時、ろうそくの火が静かに消えていくように音もなく何かが消えていくのを感じた。今、好きではないかもしれないと思った。この先、好きでい続けられないと思った。
 

そもそも2010年代というのはこの国にとってある意味激動の時代だった。東日本大震災という未曾有の大災害が発生した。それにより世の中の価値観すら転換点を迎えていた。人々はもちろん、絶大な影響力を持つアーティスト達は尚更己の無力を嘆いた。「復興支援」という名の下に様々な曲がリリースされた。明るく前向きな曲、静かで厳かな曲。葛藤を抱えながらも曲を作る者、人前に立つことすらできなくなった者。様々だった。間違いなく静かに大きな渦が巻き起こっていた。徐々にスマートフォンが普及し始めたことも大きな変化を生んだ。災害時におけるSNSの功罪が取り沙汰され、急速に力を持ち始めたそれは人々の中心に鎮座するようになった。政権は崩れ不安定な状態が続き、人々はSNSで意見を戦わせた。動画サイトやサブスクが台頭し始め当たり前のように配信リリースがされるようになった。時代が変わっていく。アーティスト達もそれまでの価値観やポリシーを崩し各々がひとつの転換点を迎えなければならない、そういう時期だった。今ならわかる。しかし当時はわからなかった。「あの頃のバンプが好きだった」「あの頃のアジカンが好きだった」そんな勝手な想いがつのるばかりだった。
 

もう自分は中学生や高校生ではない。部活の試合の日の朝、受験の日の朝、己を奮い立たせるために必ず聴いていた「オンリーロンリーグローリー」を就活の最終面接の日の朝に聴くことはなかった。いつの間にかそんなおまじないは必要なくなっていた。成長ってなんだろう。最近はMr.Childrenの曲の方が心に響く。いつまでも中学生の頃と同じ音楽ばかり聴いている方がおかしいのかもしれない。「おまじない」も「約束」も、もうきっと多分いらない。そろそろ大人にならないと。多分今がその時だ。そう言い聞かせ、大量のCDをカバンに詰め込み古本屋に向かって錆び付いてはいない車輪を走らせた。
 

変わっていくバンプとアジカンを信じることができなかったと、後になってから何度も悔やんだ。でも、あの時信じられなかったのは変わっていく自分自身だった。今ならそう思える。いつだって、自分を信じられないのは自分だ。
 

2020年2月5日に、アジカンのライブのチケットが当たった。
 

そうか、当たったのか。と静かな感情を噛み締める。スマホでiTunesを開く。そこにはお年玉をはたいて黄緑のiPodnanoを買った瞬間から、CD経由でコツコツ取り込んできた音楽が詰まっている。その名前をもう何年振りかも覚えていないくらい久々にタップする。初めて彼らのライブに行ったのは2012年だった。ずっと雑誌の中かイヤホンの向こうかラジオの向こうにしかいなかった人達。思春期から7年かけて熟成させていた気持ちは、自分が想像していたそれより強烈だった。無我夢中だった。自分の目に直接アジカンが映り耳に直接アジカンの音が入ってきている間違いなく最高の瞬間だった。それなのに、それが自分の中で最初で最後のアジカンのライブとなっていた。「ランドマーク」を最後に何も追加されていない画面が表示される。サブスクとは違い、ここにあるのは自分の意思で追加した音楽のみ。アジカンは2012年以降全く聴いていない。そんなことは自分が一番よく知っている。
 

「まあ、それもそうだなぁ」と勝手に納得してからサブスクを開き「アジカン」と打ち込む。大量のジャケットが一覧で表示される。見覚えのあるもの、全く見覚えのないもの。これが8年の空白か・・・と眺めていると、見覚えのある文字と絵柄なのに色味が若干違うジャケットのアルバムがあった。
 

「ソルファ(2016)」
 

ソルファは12年越しに再録されていた。そういえばそんなことを小耳に挟んだような気がする。その当時聴くことはなかったが、ライブに向けてこの空白を埋めていかないと。でも再生ボタンが押せない。聴いたら何かが変わってしまう気がした。変わることに臆病な自分がまだそこにいた。今何歳だっけ・・・と思い本当に嫌になる。自分はきっと一生自意識過剰なんだろう。諦めよう。数日後、仕事の疲れに任せて、何も考えていないフリをして、何食わぬ顔で再生ボタンを押した。
 

会社から家へ帰る車の中、ハンドルを握り前だけを見る。
 

口が勝手に動く。
 

今は何度聴いても歌詞がいまいち覚え切れないのに、あの頃覚えた数学の定理は何一つ覚えていないのに、あの頃聴いていた音楽はどれだけ長い間聴いていなくても覚えている。不思議だ。
 
 

見慣れた景色がどんどん滲んでいく。
 
 

「なんであの時離れてしまったんだろうなぁ」という懺悔のような後悔と同時に、アジカンも自分も変わったけど何も変わっていなかったという事実がただ転がってきた。忘れていたありとあらゆる回路に何かが走り、ありとあらゆるスイッチが押された。じんわりと涙が浮かぶ。その涙だけが、アジカンが私の心の奥でずっと待ってくれていたことを教えてくれた。
 

「振動覚」のイントロが流れ出した瞬間に分かった。変わっているけど、あの日あのままなのだと。
 

「リライト」のイントロのギターリフとドラム、それだけで全身の血が沸き上がっていくスイッチが静かに入るのはあの日と変わらない。歌っているとCメロで盛大な見切り発車をした。誰も聞いていないのに恥ずかしさを噛み締める。アレンジがかなり変わっている。まるで2004年まで沈んでいくかのようなまどろみのある間奏。この曲が自分にどれだけ深く刻み込まれているかを実感する。そんな様子を彼らは「おいおい、何年経ってると思ってるんだよ。あの頃とは変わってるんだよ。勘弁してくれよ。」とちょっとニヤニヤしながら眺めているような気がする。中学生の頃は友達の部屋で、高校生の時は休日の昼間の明るいカラオケで、大学生の時は深夜の真っ暗なカラオケで、一体今まで何回《消して》と叫んできたのだろう。そして今、車で一人《消して》と小さく叫びながら、今まで一緒に叫んだいろんな人達の顔をふっと思い出す。あの頃はまず消してから誰も端っこで泣かないように地球を丸くしてその後見えないものを見ようとして望遠鏡を担ぐようなそんなカラオケを馬鹿の一つ覚えのように繰り返していたなぁと思い出す。
 

突然、当時はラスト曲だった「ループ&ループ」が始まり困惑する。その意図は知らないが、きっと何か意図があるのだろう。この曲を友達と歌う時私はハモり担当だったので本能的にハモりパートを歌ってしまう。むしろハモりパートしか歌えない。むしろ主旋律がわからない。もう誰も一緒に歌ってくれないのにハモる。28歳になって一人で歌うハモりパートになんだかやるせのないエモさと、何もかも変わっているのに何も変わっていない事実をまた突き付けられる。
 

「君の街まで」の《揺らいでいる頼りない君もいつかは 僕らを救う明日の羽になるかな》《隣にいる冴えない君もいつかは 誰かを救う明日の羽になるかな》というフレーズは落ちていく羽のようにはらりはらりと2004年からゆっくり時を越え今突き刺さった。まるで2020年の今聴くことを想定し用意されていた未来予知のメッセージであるかのようにすら思えた。私は今《誰かを救う明日の羽》になれていますかねぇ、ゴッチさん。なんて、届きもしない問い掛けをまた羽に乗せて放り投げたくなった。
 

当時は思いもしなかったが「マイワールド」の韻踏みや日本語をあえて英語のように歌い上げる言葉の置き方は日本語の流れと美しさがより一層引き立つものだなぁと感じた。当時は「サーフ ブンガク カマクラ」と言われてもピンとこなかったが、今ならアジカンに文学を感じられる。
 

「夜の向こう」で闇や夜を欲しがっていたあの頃を思い出した。そういえば、14歳という年頃が人間にとって特別なのは「深夜を初めて知る年頃だから」だとどこかで読んだことを思い出した。朝、昼、夕方、夜という1日のラインナップに「深夜」が加わるのが思春期だとしたら、そういうことなのだろう。確かにあの頃する夜更かしは特別だったし、そこで色々と大切な経験をしていたような気がする。
 

「ラストシーン」を聴きながら、思春期だなぁと思う。そう思えることで、今の自分はもうとっくに思春期を通り抜けているのだなぁと知る。あの頃はこの曲を聴いても「思春期だなぁ」と思うことはなかった。自分が子どもだと知らないのが子どもで、自分が思春期だと知らないのが思春期で、自分が大人だと知らないのが大人なのかもしれない。自分の現在地など分からなくて当然なのかもしれない。思春期にはもう戻れないと知ってしまったから、こんな気持ちに浸ることができるのだろうなと思わされる。
 

再録された「サイレン」で《千年先を想い描けないけど 一寸先を刻むことで始まる僅かな願い》と聴くとまたえも言われぬ感情に襲われる。今というのは、刻んできた一寸先で構成されているものなんだろうなと思わされる。《溶け残る心そのままで 癒えきらぬ傷塞いで痛いよ 駆け抜ける街の片隅で 響きなる君のサイレン 開いてよ 存在証明を鳴らせ サイレン》と聴きながらあの頃とはすっかり変わった「存在証明」の意味を噛みしめた。
 

「Re:Re:」の《形だって 時が経って 変わりゆくものとおもい知って》という言葉はあの頃気にも留めていなかったけど、今ならこのフレーズが一番に目に留まってしまうなぁと気づき自分の心情の変化を知った。
 

「24時」は曲の中であの頃と今が見事に対比されながらも結局同じ場所に着地している気がして、聴いていて安心した。「一日」を《東から西のその合間に空しさが通って 夜が闇で閉じても》と表現するゴッチは天才なんだよと友達と大騒ぎしながら主張していたあの教室を思い出した。
 

「真夜中と真昼の夢」のラスト、《叶うこと 叶わないこと それよりも大事な何かを そんな日の募る言葉を 君に宛てて僕は書いていて それを君が日々の心に 重ねる時をただ想っている》というライティングはやはりソルファを2016年に再録してそれを私が2020年に聴くことを予知して書かれていたのかと思ってしまうくらいで、2004年から16年という年月をかけた壮大な伏線回収だったのかと思ってしまうくらいで、もはやいい意味でゾッとした。2020年の今、見事に重なりましたよゴッチさん。なんて、また届きもしない報告をここに置いておく。
 

「海岸通り」ではあの頃の歪んだギターの音とは違う悲しいくらい明るくて眩しくて爽やかな音が鳴り響き、2016年のソルファでこの曲がラストとなった意味がなんとなくわかった気がした。この曲のどこか悲しくでも明るいサウンドは、彼らが自分達が歩んできた道を振り返り感じたことそのものである気がした。アジカンがアジカン自身に向けた賛美歌のようで、自分達で自分達を「俺達ここまでよくきたよな」と静かに褒め称え労っているかのような、そんな穏やかなラストだった。
 

身長を測り数字にしそれを比べて成長を実感するように、12年越しに同じアルバムを再録したものを聴くことで「アジカンの変化」を痛いほど感じた。ボーカルもギターもベースもドラムもアレンジもどこか清々しかった。あの頃の青くて泥だらけだったりんごが綺麗に洗われ真っ赤に熟している姿を見せたような、でもそんな真っ赤なりんごを一口齧ったらやっぱり口の中にあの頃の青さと土の味が広がったような、そんなアジカンだった。アー写では貫禄すら感じられる熟した大人として写っているけど、やっぱりアジカンはどこまでも泥だらけで青いよ。友人の結婚式で地元の小中学校の同級生に久々に会って話した時に「大人になったな」という変化と「でもあの頃と変わらないな」という変わらないものを同時に感じるような、そんな気持ちになった。
 

「14歳周辺に聴いていた音楽で音楽の好みが形成される」というのは、「思春期というぐちゃぐちゃな時期に聴いた音楽は自分の中に消えない回路や足跡を残す」というようなことなのかもしれない。
 

今、そんな音楽達を聴いた時実感する。すぐ見える場所にないだけで、「回路」や「足跡」は心の一番奥に実はずっと存在し続けている。まだ柔軟だからこそどこまでも不確かでぐちゃぐちゃで、そんな恥ずかしい自分を全て隠してくれる深夜を求めていたあの頃の心に、消えないくらい深く刻み込まれている。足跡は、乾いて固まっている道よりも濡れてぐちゃぐちゃにぬかるんだ道の方が深く残る。そういうことなのかもしれない。
 

音楽に限らず、その時は理解できなかったが時が経って理解できるようになったことは多々ある。14歳の時の自分の心は、18歳よりも20歳よりも、28歳の自分の方が距離が離れている分よく見えるのかもしれない。時間という距離が長ければ長くなるほど、あの頃の自分の心がよく見えてむき出しになるのかもしれない。《逃げてきた分だけ距離があるのさ》というのなら、あの時彼らから離れたから距離ができて今こうして長く続く回路や足跡をじっくりと辿ることができているとしたのなら、「まあそれでよかったのかもしれないな」と後悔は消えどこか救われる。この空白はPCで言うと「スリープ」させていた状態の時間だったんだろう。シャットダウンではなくスリープならいつでもすぐ起動できる。自分にとって「14歳の時聴いていた音楽」は、そうしていつでも帰ってくる時を待っていてくれている。まさに「ふるさと」だと思える。
 

《変わらないことがあるとすれば 皆 変わってくってことじゃないかな?》
 

とは本当にただの真理である。ぐうの音も出ない。生きていく以上、変わらないことなど有り得ない。しかし、行動や発言や外見がどれだけ変わっていこうとも、一番奥に秘めた自分にとって一番大切な何かは変わらない。それはアーティストも自分も、きっと同じだと思う。
 

アップデートのないアプリがないのと一緒で、同じアーティストから放たれる音楽もどんどんアップデートされる。流れゆく時代に洗われ、身の回りに巻き起こる様々な出来事によって磨かれ形を変える。それを繰り返すほど、大切な部分は核のようになり強固に残る。そんな核のような「表現したいもの」を確立しているアーティストの生む音楽は回路や足跡となり人々の心を惹き付け続けるのだろうなぁと思ったりもする。彼らは決して立ち止まらない。「名盤」と呼ばれる作品を生み出し節目に到達しては、それを崩してアップデートを続ける。成功や傑作や栄光ばかりが続くことは有り得ない。そこにすがっているだけでは、錆びて廃れていくだけだ。体の細胞が知らずに生まれ変わっているように、心も生まれ変わらなければならない。変わりゆく時代や生活に飲み込まれもがきつつ、それでもより良い自分を求め続けるのはアーティストに限らず人間共通の姿勢だと今ならそう思える。
 

とにかく、「あの頃の彼らが好きだった」と過去を称賛するだけの懐古主義者であったハタチそこらの自分と30代目前にして同じでありたくはない。何に対してであれ「あの頃はよかった」と言うのは「目の前に横たわる現実に対する否定と拒否」に近いものであると最近は気づき始めている。そして、14歳の頃に好きだったアーティストが14年後の今も活動を続けていることは、半ば奇跡のようなことだというのも今ならわかる。「14歳の頃にあの音楽達に出会える世界線に生まれたこと」「14歳の頃に大好きだったアーティストが今も元気に活動してくれていること」に感謝し、「変化の過程をじっくり味わうことができる」自分でありたい。
 

あの頃は29歳と14歳だったのに今は43歳と28歳なんて、あの頃のアジカンの年齢に追いつこうとしているなんて、なぜかちょっと笑ってしまう。14歳から何もかもが変わった。あの頃は全く知らなかった場所に住み、あの頃は全く知らなかった人と結婚して、あの頃は全く考えてもいなかった仕事をしている。そんな中、たった一つ確かなことがあるとするのならば、今の自分から14歳の自分に一言かけるとするのならば、「今お前が聴いている大好きな2つの音楽は今の所ずっと続いているし、心の奥でずっと待っていてくれるから安心して他の音楽を聴いてどこにでも行ったらいい、いつでも帰ってこられるから、お前の根本は何年経っても何も変わんねぇから。」と藤くんのような口調で言いたい。
 

過去の出来事は簡単に偽ることができる。金銭の出所も領収書の行き先も簡単に嘘で塗り固めて偽ることができる。しかし「涙のふるさと」に嘘はつけない。「なぜか涙が出る」その事実だけが、自分の「過去」を確かに証明してくれる。この先人工知能が台頭したとしても、その涙が人間が人間たる所以を証明してくれる、そんな気がするのだ。
 

初めてソルファを聴いた時はお酒が飲めない年齢だったけど、二度目のソルファを聴いた今はお酒が飲める年齢をとっくに過ぎました。
 
 

2020年5月28日、酔杯をあげに行こう。
 
 

※《》内の歌詞はASIAN KUNG-FU GENERATION「スリープ」
        BUMP OF CHICKEN「涙のふるさと」
        Mr.Children「進化論」より引用

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