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Mr.Children自身の誕生日

世間知らずの少年が辿り着く知命

Mr.Childrenのニューシングル「Birthday / 君と重ねたモノローグ」が解き放たれた(このレポートでは「Birthday」を「本作」を呼びます)。そのジャケットを眺めたり、歌詞を読んだりしつつ、いまヘッドホンで本作を聴いたところだ。圧倒的な衝撃を受け、記事がヨレヨレのものにならないか、不安を感じてさえいる。指先が震えている。

本作に限らず言えることだと思うけど、彼らの音楽は「今」だけでなく、忘れがたい過去を、そして将来をも照らしだす。とりわけ本作は、Mr.Childrenが長く歩んできたからこそ生まれた曲であり、この先の歩みを示唆する曲であるように感じられる。

ある時は直情のようなものを吐き出し、ある時は誰かを(たとえばファッションモデルの女性を)代弁し、希望も悲しみも発信してきた軌跡が、ハッキリと読み取れる詞だと思う。様々な試みをしてきたがゆえに生まれた詞だと思う。

なにしろ映画「ドラえもん」の主題歌だ。それを作り出すにあたっては、主な鑑賞者となるだろう少年少女の心情を推し測ることになるわけだし、桜井氏自身が(映画「ドラえもん」の公式サイトで<< はじめて感動で泣いた本 >>と明かしているように)かつて漫画「ドラえもん」を読んだ遠い過去を思い出すことになるわけだ。そして全ての視聴者に「これからも生きてみよう」と思わせるような曲とするべく、未来を想うことにもなるはずだ。

他人の気持ちに寄り添うことを望まれ、かつ自分自身をさらけ出す必要に駆られ、しかも「人を勇気づける名曲」を生み出す責任さえ負うわけで、相当に難しいタスクをMr.Childrenは突き付けられたと言えるだろう。

<< 君にだって2つのちっちゃい牙があって >>
<< 1つは過去 1つは未来に 噛みつきゃいい >>

という歌詞は懐かしいようで新しい、単なる自己模倣からは生み出しえないものだと感じる。僕は「やはり桜井氏は、こういう独創的なフレーズを思い付けるのだな」と唸らされるし、同時に「桜井氏は一貫性をもって聴き手を励ましてくれるのだな」と親近感をいだかずにもいられない。

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大衆に支持されるMr.Childrenは、その大衆が代替できない個人から成ることを、いつも忘れることがない。直近のオリジナルアルバム「重力と呼吸」に「Your Song」と題した曲が組み込まれたころから、彼らの「自分たちが生み出したものを皆と共有したい」というような願いは、よりストレートにファンへ伝わるようになったのではないか。

本作も同じだ。これは彼らの曲であり、世界中で新譜を心待ちにしていたリスナーひとりひとりの曲でもある。つまり僕の曲でもあるわけだ。

<< 毎日が誰かのbirthday >>

という詞には、老若男女を問わず、すべての人を思って歌うという桜井氏の決意が込められているのだろう。

ひとりのファンとして、それも20年以上も愛聴してきた、とうに青年期を終えてしまったファンとして、いま個人的に思うことを書きたい。蘇る数十年の思い出を書きたい。よかったら読んで下さい。

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中学校時代、所属していた部のミーティングで「お揃いの(オーダーメイドの)ウインドブレーカーを着よう」ということが決められたのだけど、それを僕は買うことができなかった。お金がなかったからだ。親類縁者に頼みこめば何とかなったのかもしれないけど、それを試みようとさえ思わなかった。何かを手に入れられないことに、すでに慣れきっていた。

あちこちからMr.Childrenの曲が聴こえてくる時代だった。もちろん、その後もMr.Childrenは、第一線で輝きつづけることになるわけだけど、当時の所謂「ミスチル現象」は、尋常なものではなかった。仲間うちに彼らの曲を好まない者は(ほとんど)いなかった。でも、そのCDを買うことも、もちろん僕には難しいことだった。絶対に「アルバイトすることが許可される高校」に進もうと考え、その検索条件で(まだインターネットというものは普及していなかったけど)出願先を絞りこんだ。

僕が最初に買った(買えた)Mr.Childrenのアルバムは「現象」を象徴するであろう「Atomic Heart」でも「深海」でもなく、少なくともコンセプト・アルバムとは呼べないはずの「BOLERO」だった。「prologue」が終わった瞬間、ドラムが打ち鳴らされ「Everything (It’s you)」の演奏が自室に響いた。桜井氏が

<<世間知らずだった少年時代から>>

と歌い始めた。

そこから僕の「Mr.Childrenが傍にいる生活」は始まった。まさに「世間知らずの少年」だった僕は、彼らのCDを買いながら年を重ねはじめた。遅すぎるスタートだなと、いくぶん寂しく思った。当時は。

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アルバイトを許される高校に入ることができ、未熟で非力な僕を雇ってくれる企業が見つかった。そこまではよかった。でもMr.Childrenは「BOLERO」をリリースした後、活動休止期に入ってしまったのだ。新しいCDが売り出されたら、それを買うくらいの小金は持つようになっていたわけだけど、その今、新譜は届けられない。皮肉なものだと思った。

かわりにというか、仕方なくというか、Mr.Childrenの古いアルバムを、片端から聴くことにした。順序はハッキリとは覚えていないけど、たしか「さかのぼるように」聴いたと思う。つまり「深海」や「Atomic Heart」を聴いたあとで、それより前にリリースされたアルバムに手を伸ばしたわけだ。それが16歳の少年に、どれほど深い感動をもたらしたかは、黎明期からMr.Childrenを聴いているファンになら、ご理解いただけるのではないかと思う。

「LOVE」の明け透けな歌詞。別れをテーマにした曲なのにベースラインが踊るような「星になれたら」。そして1stアルバムの最初に置かれた「ロード・アイ・ミス・ユー」のカッティング。Mr.Childrenが「意義ある休止期間」とでもいえそうな時間を過ごす間に、僕は全曲を聴き、ニューアルバムを待ち望む気持ちを極限まで高めた。そういう状態で「DISCOVERY」の発表を迎えた時の嬉しさは、言葉で表すことができない。

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Mr.Childrenは、特に桜井氏は「歳を重ねていくこと」に、自覚的であろうと努めるミュージシャンだと思う。小品「1999年、夏、沖縄」では

<<時の流れは速く もう三十なのだけれど>>

と歌い、個人的に最高傑作だと思っている「くるみ」では

<<良かった事だけ思い出して やけに年老いた気持ちになる>>

と明かす。そして「皮膚呼吸」では

<<自分探しに夢中でいられるような 子供じゃない>>

と認める。自分たちが老いていくこと、そして、それが必ずしも「成熟」を意味するわけではないことを、受け入れながら闘うのがMr.Childrenだと思う。安全地帯に身を置かないアーティストだと考えている。

あえてニューアルバムをリリースする前に(つまり未発表曲を中心にセットリストを組んで)ライブを敢行したり、優れた編曲者である小林武史氏と距離を置いてセルフプロデュースに挑んでみたり、リスクの海へと漕ぎ出してきたことを、熱心なファンなら知っているだろう。前述したように「Birthday」を作るのも、ある意味ではリスキーな、少なくとも「全力を出す」ことが求められる仕事だっただろう。

地位を確立し、守るべきものを多く抱え、変わらずにあることを求められ、それまでに作り上げてきたイメージを壊すことが(万人には)望まれない立場にある人たちは、ともすれば「守り」に入ってしまうものだと思う(それが悪いことだと決めつけるつもりはないけど)。僕は地位や名声とは縁遠いけど、それくらいのことは推察できる齢だ。

Mr.Childrenは大衆の期待に応えようとするだけで、つまり従来型の曲を放ちつづけるだけで、ある程度の評価は得ていくことができるだろう。きっとMr.Childrenは、書こうと思えば穏やかなラブソングを書きつづることができ、穏当なアレンジで演奏することもでき、それをしているだけでもファンの全員が離れることはないと分かっているのではないか。

それでも日々、着実に老いていく自分たちが、何のリスクも負おうとしなかったら、たとえリスナーには気付かれなくとも、楽曲のクオリティが落ちていってしまうと恐れているのではないか。他人から称賛されることに飽き足りた今、自分で自分を認めたいと願っているのではないか。違うだろうか?

少なくとも僕は、この曲の(詞ではなく)演奏に注目してみた時「ああ、やはりMr.Childrenは挑戦しつづけている」と感じた。彼らは「ドラえもん」という、僕が「優しくて穏やか」という先入観を持っていた作品の主題歌を、あえて豪快に編曲した。特に鈴木氏は、拍動のようなドラムを響かせ、その選択(決断)からは、俺たちの新曲は期待されるものとは違うかもしれないよとでもというような、潔さ、思い切りが感じ取れる。そして、もしかすると鈴木氏は「ドラえもん」が(この映画が)穏やかなだけのものではないことを、自分なりの方法で伝えようとしているのかもしれない。

特に後半部分は圧巻だ。桜井氏の

<< It’s your birthday >>

という歌声にアコースティックギターが重なり、他のパートが加わり熱を帯びる展開は、誰かの誕生から(それからの)激動の人生までを描くような、まさに「Birthday」を祝うものだと感じられる。誰かが産声をあげ、身近な人の温かな声が注がれ、やがて当人が社会に漕ぎ出していく様を、僕は本曲のアレンジから連想できる。

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私的な話に戻るけど、僕は中学を出た後、いい歳になってしまってから、当時、同じ部に所属していた女の子に再会し、二人で食事をした時に明かされた。「ねえ、みんなでウインドブレーカーを買ったのを覚えてる? あれ私、買えなかったのよね。お金なかったから」

愕然とした。僕は「世間を知らない」どころではなかった。周囲のこと、ほんの少し離れた場所に息づいていた人のことさえ、まったく見えていなかったのだ。部内の誰もが、黒くて分厚くて、いかにも暖かそうなウインドブレーカーを着ていたように記憶していた。でも、それは偏屈なフィルターのかかった目に映る、まがいものの世界だった。

恥ずかしくなった。いちおう男である俺が、寒風に吹かれていたことなんて、どうでもいいじゃないか。周りと同じ姿であれないことに、より苦しむのは女性なのではないか(男女を大雑把に分けるのは良くないことかもしれないけど)。

そう思った時、僕の

<<持て余したボタンホール>>

に意味が与えられた。あのウインドブレーカーを着られなかった日々、そしてMr.ChildrenのCDを手に入れられなかった日々は、決して「無意味な欠落期間」ではなかった。

人生には様々な転機がある。老いていくのは苦しいことでもあるかもしれないけど、視野のようなものは、きっと少しずつであれ広がっていく。そして、その「広がりの幅」がどれくらいであるかは、心がけによって多少は変わってくるものだと思う。Mr.Childrenのように大それたことはできないけど、単に年を重ねるだけでは何も得られないことを思い、老いていくことを認めて恐れることで、より深く音楽を胸に刻めるようになれたなら。そんなことを思う。

今まで僕の目に映っていたMr.Childrenの活動、聴こえていたメロディーは、もしかすると歪んでいたかもしれない。たとえば「Everything (It’s you)」から伝わってくる「感動の濃度」は、昔と今とでは違う。はじめて聴いた時の衝撃は鮮やかに残っているけど、それを(ある意味では)超えるような感懐を、今なら得ることができる。僕が「天命を知る」歳まで生きているかは誰にも分からないことだけど、命ある限り、新しい気付きを得るチャンスはある。

世間知らずだった「チルドレン」は、いま知命に辿り着こうとし(桜井氏を除く3人は既に50歳を迎えている)そんなことを教えてくれる。老成という言い方は失礼にあたるような気がするし、彼らの心のなかには子どもが生きつづけてもいるはずなので、今こそ「ミスター」を冠したい。次のライブで、1曲目(どの曲が置かれるのだろう?)の演奏を終えた後、桜井氏に思い切り叫んでほしい。「ミスターチルドレンです!」と。

あらためて思う。なんて素敵な、なんて似合ったバンド名なのだろう。聴きつづけたい。<<いつしか僕も歳を取り 手足が動かなくなっても>>。

※<<>>内はMr.Children「Everything (It’s you)」「1999年、夏、沖縄」「くるみ」「皮膚呼吸」「Birthday」「君と重ねたモノローグ」の歌詞、「映画ドラえもん のび太の新恐竜」の公式サイトより引用

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