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3.11と「ガラスのブルース」

9年前に歌ってくれたBUMP OF CHICKENへ

大きな波が、街を襲う。
叫び声がどこからか聞こえる。
そして、命が消えていく。

津波。

これほど恐ろしいものはあるだろうか。

そして、9年も前の話になってしまったことに驚く。

9年という月日は意外にも長い。

歩道を歩いている可愛らしい小学1年生は、9年前はまだ生まれていないのだ。

3月11日。

東日本大震災。

私は、昨年の夏休みの宿題で、「震災と音楽」というタイトルの作文を書いた。
有難いことにそれなりの賞も頂くことができた。

「震災と音楽」。

いきなりだが、まず、その作文を読んでいただきたい。
(昨年書いたため、震災を8年前と表記していること、読みやすくするため原文よりも改行を多くしていることを、ご了承頂きたい。)
 
 
 

「震災と音楽」

 2011年3月11日14時46分。あの日、あの時、東北は地球を見た。それと同時に多くの命が失われた。

その後、「復興」という言葉が日本に溢れた。その中には音楽もあった。多くの音楽家達が被災地に向けて音楽を届けた。

そして8年たった今、私はある雑誌で、「震災に音楽は必要だったのか」という言葉を目にした。今、この文を読んでいるあなたは、どう思うだろう。震災に音楽は必要なのだろうか。

私は必要だと思う。

私にも当時の微かな記憶が残っている。8年前、私は6歳で保育園でお昼寝をしていた。そして、地震で目が覚めた。
私の周りには大きな被害がなく、停電の日々を数日耐えるだけで済んだ。

だが、電気が復旧したあとに見たテレビの映像が忘れられない。

トラウマになり、幼かった私は何年たっても津波の夢を見て、心に傷を負った。

そんな私を救ってくれたのは、紛れもない音楽だった。
 

 必要だと思った理由を説明するには、まず、音楽そのものの力について理解する必要がある。

今の世の中には音楽が溢れている。そして、その音楽を届ける人と受け取る人がいる。
私は受け取る側の人間だ。

私は時々、音楽を聴いて涙を流すことがある。同じ経験をしている人はいるだろう。
苦しいとき、辛いとき、そんなときに音楽を聴くと、励まされることがあるのだ。

音楽は楽しむもの。

そんなイメージを持っている人もいるだろう。
だが、それだけではない。
音楽は聴く人にとって、

「寄り添い一緒に生きるもの」なのだ。

自分は1人ではない。そう思える。
また、聴く人を肯定し、前へ進む勇気をくれる。

音楽は素晴らしい力を持っている。

そんな音楽が震災というものに向けられるとどうだろうか。

被災者はあの時、孤独感と自己嫌悪に襲われただろう。
家も家族も失った人、あの時ああしていれば、あの人は助かったかもしれないと思った人、そんな人が何人もいた。

そこに音楽が届けられたのだ。

決して、「頑張れ」や「大丈夫」という言葉だけではない。

音楽は、その人が生きることを肯定し、そして、その人の悲しみや苦しみを全て受け止めて、
「一緒に行こう。前へ進もう」と寄り添ったのだ。
音楽のおかげで消えそうになっていた命が救われたことが必ずあるだろう。

「音楽は人を救うことができる」

これが私が震災に音楽は必要だと思う理由の1つだ。
 

 ここで忘れてはいけないのは、その素晴らしい音楽を作り出し、被災地に届けてくれた音楽家の存在だ。

音楽家は、悩んだだろう。多くの命が失われた時に、音楽を届けてもいいのだろうか、と。

だが、思い出してほしい。

音楽は人を救うことができるのだ。

そして、そのことを音楽家は信じ、被災地に寄り添いたくて音楽を届けたのだ。

「届け」と切に願いながら、音楽を生み出し、鳴らしたのだ。

「君は1人じゃない」と届けたのだ。

このことは、とても勇気ある行動であると理解してほしい。

震災に音楽は必要ないという意見があるなかで、音楽家は被災者に寄り添いたい一心で音楽を届けたのだ。

被災者からすれば音楽を届けてくれる行為は、孤独感から解放してくれる、とても温かい行動なのだ。

だが、その音楽家を「売名行為」と批判する人達がいた。

私はその言葉がひどく悲しかった。

なぜ、人を救ってはいけないのだろうか。

人は皆幼い頃に「人が困っていたら助けましょう」と習うだろう。

だが今の時代、例えばビル群の中で見知らぬ人が転んだとする。
そこで、「大丈夫ですか」と声をかけられる人は何人いるだろう。

皆、横目で見て立ち去るのではないか。

音楽家は現代人ができないことを成し遂げているということに、気付いてほしい。

「音楽を届けることは、素晴らしいこと」

そんなことを考えたから、私は音楽が必要だと思ったのだ。
 

 このように、音楽は人を救うことができる素晴らしいもので、その音楽を届けてくれることが本当に素晴らしいことであると、8年たって14歳になった今、私は考えたのだ。

私は、温かくて、優しくて、力強くて、宝石のように美しくて、時に人を救うことができる音楽が大好きだ。

そして、そのことを誇りに思っている。

生と死は、遠く離れているようで、実は1番密接なものなのかもしれない。

だとすれば、人を救う音楽と、命を奪う震災も、密接な関係なのだろう。

最後に、被災地に音楽を届けてくれた音楽家達に心から感謝したい。

結果論ではあるが、音楽家の勇気ある行動のおかげで、今も前を向いて進んでいる人が必ずいる。

このことが音楽家に届けばいいなと、強く思った。
 
 
 

以上が、私が書いた作文である。

制限された枚数の中で書いたため、少し読みにくかったかもしれないことと、いきなりミュージシャンのことを音楽家と表現していたことをお詫びしたい。

ひとまず、全文読んでくださったことに心から感謝します。

文中にもあった通り、電気が復旧したあとに見た津波の映像は、あまりにもショッキングなものであった。

私自身幼かったせいか、トラウマとなり、今でも津波の映像を見れば恐怖を感じ、津波に襲われる悪夢にうなされる。

震災から5年ほどは、まだ小学校低学年だったにも関わらず、毎晩、「地震も津波もこないで、明日生きていられますように」と、天井に向かってお願いしていた。

私は、誰も倒すことが出来ない「地球」という敵を最も恐れていた。

とにかく怖かった。
 

そんな私がこのような題材で作文を書こうと思ったきっかけは、中学生になってから強く影響を受けるようになったミュージシャンが、震災の時に、唄を届けてくれていたことを知ったからだ。

その中の1組にBUMP OF CHICKENがいる。

彼らは、「Smile」のリリースで集まった収益を寄付した。

それだけではない。

某ラジオ番組内で、BUMP OF CHICKENの藤原基央は「ガラスのブルース」の弾き語りをした。

私はその音源をたまたま耳にする。
 

藤原基央は、歌い始める前にこう語った。
 

「この曲は、よくライブの最後に
 また会おうな。って思いながら歌う曲です」
 

そう言って、彼は歌い始める。

こんなにアコギの音って強かったっけ?

そんな疑問をごく自然に持たせてしまうほど、その音はありえないほどに力強かった。

震災からまだ数日。
多くの人々が「死」というものと対峙していただろう。

それがきっと、苦しみになっていた人もいただろう。

そこで彼は、「生きること」を強く歌ったのだ。
 

『ああ 僕はいつも 精いっぱい歌を唄う
 ああ 僕はいつも 力強く生きているよ』
 

当たり前のように出来ていた歌うということを、
彼は『精いっぱい』と言った。
当たり前のように出来ていた生きるということを、
彼は『力強く』と言った。

そして、彼の少し荒い声はさらに強さを増して、「今」を伴い、鳴らされていく。
 

『ガラスの眼をした猫は唄うよ
 生きてる証拠を りんりんと』

『ガラスの眼をした猫は叫ぶよ
 短い命を りんりんと』

『ガラスの眼をした猫は叫ぶよ
 大切な今を りんりんと』
 

「死」と向き合っていた人々にはひどく刺さっただろう。

『生きてる証拠を』

『短い命を』

『大切な今を』

猫は、それを歌い、叫び続ける。

それはまさに、震災という「死」の暗闇の中で、ただひとり、必死に生きるという光を見いだしている姿であった。
 

『生まれて来た事に意味があるのさ
 一秒も無駄にしちゃいけないよ』
 

生まれてきたことにも意味がある。
だが、それだけではなく、
生かされていることにも意味がある。
そう言われたような気がしてならなかった。

また、猫は我々と同じ様に「死」とも対峙していた。
 

『ああ 僕はいつか 空にきらめく星になる
 ああ その日まで 精いっぱい歌を唄う』
 

いつかは誰でも死ぬんだ。
だからこそ、今を精一杯生きるのだ。
そんな想いが、藤原基央の強く震えた声と共に心に100%届く。

そして、その強く震えた声はさらに力を増していく。
 

『声が枯れたなら川に行こう
 水に写る顔をなめてやろう
 生まれて来た事に意味があるのさ
 一秒も無駄にしちゃいけない』 
 

「死」という何よりも恐ろしいものに襲われて、被災者にとっては、家族も街も心も殺された自分の心臓に、藤原基央はただ切実に「届け」と強く願いながら歌っているように聴こえる。

それにともなって、私の心臓も強く震える。
涙が止まらない。

その時、ただただ泣いている私の耳に、私が知っている「ガラスのブルース」の歌詞ではない言葉が、飛び込んできた。
 

『分けられない痛みを抱いて
 過去に出来ない記憶を抱いて
 でも心はなくならないで
 君は今を生きてる』
 

彼は、歌詞を変えた。

そして、藤原基央は、叫ぶように歌っていた。

いや、叫んでいた。

強く、叫んでいた。

『ちゃんと生きてるよ』と。

逃れられない痛みは他人にあげることはできない。
辛い記憶は、時間がどれだけ経っても、脳内にこびりついている。

そんな私に、被災者に、君に、
藤原基央は、
ちゃんと前を向いている、だとか、
ちゃんと進んでいる、だとかそういうことじゃなく、

「君はちゃんと生きているんだ」
と、言った。叫んだ。

痛みは消えない。記憶は残ったまま。
そんな自分だったら、生きていてもしょうがないじゃないか。

そう思っていた人がもしかしたらいるかもしれない。

だが、彼は、

痛みは消えない。記憶は残ったまま。
だけど、
そんな自分でも、ちゃんと今まで生きてきたじゃないか。

そう言って、
例えボロボロの状態でも、例え前に進めていなくても、
生きているだけで凄いことじゃないかと、
「生きている」ことを肯定したのだ。

もしかしたら、「死」の世界に飛び込もうとしていたかもしれない人に、
彼は力強く、手を差し伸べたのだ。

そして、その藤原基央の強く震えた声は、
握り返そうとしている人々の手を、必死に掴もうとしている姿に見えてならなかった。

「ガラスのブルース」

その唄を、藤原基央は最後まで全力で歌った。

そして彼は、歌い終わったあと、
優しく、
「またね」
と言った。

強く震えた声からは少し離れて、
歌い終わったなかで残っている気力を振り絞って放った言葉に聴こえた。
だが、いつも私たちが友達との別れ際に使う「またね」とは、確実に違う。
 

「絶対また会おうな。絶対だぞ。」
 

そんな強い想いが、詰め込まれた3文字であった。

私はボロボロに泣いていた。

「死」の恐怖から逃れられない自分を思い出して、その自分に届いている気がした。

そして思った。
 

あのとき、藤原基央はこんなにも強い気持ちを、津波に襲われて死の暗闇に乗っ取られた地に必死に届けていたのか。

そう思ったら、心臓が強く揺れた。

藤原基央は、全力で歌っていた。

文中にもある通り、「届け」と切に願いながら、歌っていた。
 

『君は生きている』という想いを。
 

そして、その藤原基央が必死に届けたいと願った想いは、絶対に誰かに届いているだろう。

どこかの誰かが、必ず、
分けられない痛みを抱いていて、
過去に出来ない記憶抱いていても、
ちゃんと今を生きていることに気付かされて、
たとえ前に進めなくとも、とにかく生きていようと思えている。

藤原基央が、BUMP OF CHICKENが、音楽が、差し伸べた手を必死に握り返そうとした被災者がいる。

そして、藤原基央は、BUMP OF CHICKENは、音楽は、その必死に握り返そうとした被災者の手を、必死に掴んだのだ。

音楽は人を救い、人は音楽を掴んだ。

それは、とても素晴らしい関係である。

「ガラスのブルース」を聴いて、私はその光景を目の当たりにした気分になった。

だからこそ、強く考えたのだ。
 

当時、「僕らには歌うことしかできない」「無力さを感じる」と言っていたミュージシャンがいた。

私はそれを全力で否定しよう。

無力ではない。

音楽はとてつもない力を持っている。

それも、人を救う力だ。

もう一度言おう。

音楽は決して無力ではない。

そして、その素晴らしい力を持っている音楽を鳴らしたミュージシャンも、凄いのだ。

文中でもある通り、勇敢な行動なのだ。

だからこそ、彼は、彼らは、BUMP OF CHICKENは、勇気ある素晴らしい行動をしたと思うのだ。

その素晴らしい行動をした人は、もちろん彼らだけではない。
 

RADWIMPSは、今でも毎年、3月11日になれば被災者に向けて唄を届けている。

秦基博は、「鱗」の弾き語り映像を投稿。

スキマスイッチは、「奏」の弾き語り映像を投稿。

氣志團は、フェスも開催している。

福島が故郷であるサンボマスターの泣きながら歌うあの強い声は、何度聴いても心がギュッとなる。

これらの他にも、もっともっとたくさんの唄が鳴らされた。
 

だからこそ、「売名行為」と批判されていたことを知ったときはショックであった。

きっと「売名行為」と批判した人は、本当の被災者の気持ちを考えていない。

被災者の傷を広げる、あってはならない行為だ。
 

だが、彼らは歌った。
歌い続けた。

そのおかげで、「音楽に救われた」という人は、被災者の中に必ずいる。

絶望の中に希望を見つけ、また、その希望を勇気に変えた被災者が必ずいる。

人は音楽を愛して、音楽は人を救った。

だが、その音楽は誰かが鳴らさなければ人々には届かない。

その勇気ある行動を行ったのが、
9年前歌ったミュージシャン達なのだ。

彼らはとても勇敢であり、誠実であり、素晴らしい。

横目に見て黙っていられるのにも関わらず、音楽を鳴らしたのだ。
 

このことは、震災と同様に、後世に伝えなければならない。

もちろん、震災などもう二度と起きてほしくない。

だれも死んでほしくない。

だが、いつかまた、地球が牙を剥く日が来るかもしれない。

そうなったならば、また、音楽を届けるべきだろう。

もしかしたらその行為は、物凄く不安なものなのかもしれない。

だが、かつて音楽を届けてくれたミュージシャンのように、被災者に寄り添いたいと心から願い、勇気を持って、音楽を届けるべきだ。

音楽は素晴らしく、ミュージシャンも素晴らしい。

そのことを私は、毎年強く実感している。
 

東日本大震災は、あまりにも残酷で悲劇的な震災であった。

私は、その震災を毎年思い出すのが本当に嫌だった。

あのときの恐怖を昨日のように思い出すことが怖かった。

だが、あのとき、
「ガラスのブルース」が鳴らされていたことを知った。
 

『空を見上げて笑いとばしてやる』
 

「負けたくない」と強く思った。
いや、思うことが出来たのだ。

そして、文中にもある通り、
これらのことがミュージシャンたちに届いてほしいと強く願っている。

だから、こんな田舎の人間で、弱い私で、どれだけ強い想いを持っていたとしてもきっと届かないだろうが、夢物語だとしても、「届け」と切に願いながら言わせていただく。
 
 

9年前に歌った全てのミュージシャンへ。
 

あなたは、とても素晴らしい行動をしました。

もしかしたら、音を鳴らすことに対して、葛藤があったのかもしれない。 

「売名行為」と言われたのかもしれない。

だけど、あなたが鳴らした音は被災者に届き、そして、手を差し伸べました。

そして、握り返そうとした手を、あなたは必死に掴もうとしました。

それが、どれほど素晴らしいことか。

あのとき、勇気を持って音を力強く鳴らしたことを、誇りに思ってください。

そして、あなたが音楽を愛していること、鳴らしていることも、誇りに思ってください。

私は、救われました。

今でも、津波の夢にうなされることがあります。

だけど、唄があるから、もう怖くありません。

あなたが音を鳴らしていなければ、私は今、生きているのかどうかも分からないのです。

あなたは、生きていることを教えてくれました。
あなたは、前に進む勇気をくれました。
あなたは、未来への希望を照らし出してくれました。

あなたは、素晴らしいのです。
凄いのです。

誰よりも強くて勇敢で美しい人なのです。

私は、そんなあなたに伝えなくてはいけないことがあります。

本当にありがとう。

心から感謝しています。

「ありがとう」という言葉じゃ足りません。

だからこそ、言い続けます。

本当にありがとう。
本当にありがとう。
 

P.S. 
BUMP OF CHICKEN へ。
藤原基央さんへ。
 

本当にありがとう。

またね。

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