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Mr.Childrenの屋台骨

負の感情を打ち消しうる鈴木英哉のドラムス

強い聴覚を持っているほうだと自負している。音感が優れているという意味ではなくて、単に、かなり小さな音まで聴き取ることができるのだ。これが自慢になるのかは自分でも分からない。ノイズ(あまり聞きたくはない音や声)までをも拾ってしまうことが、時に日々を苦しく感じさせる。このあたりの話は、つまらない愚痴になってしまいそうなので詳しくは書かない。

それでも、それはやはり「贅沢な悩み」なのかもしれないとも思う。もし耳が聴こえなくなったら、好きなアーティストの楽曲を聴くことができなくなったら、僕の人生は潤いを失ってしまうだろう。

難聴者が不幸だなどと決めつけるつもりはない。そもそも、その人たちが生きる世界が、どのようなものなのかを、僕は(あるいは聴覚をもつ人びとは)十全に理解できてはいないだろうから。これは「仮に」の話になってしまうけど、彼ら彼女らが「メロディー」を聴き取れなくとも、振動を敏感に察知できるのだとしたら、Mr.Childrenの新曲「Birthday」のドラムスは、心さえも震わせるのではないかと考えている。

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イントロが終わったあと、鈴木氏が響かせはじめるのは、潔いほどにシンプルなドラムスである。大地を揺るがすような、まるで鼓動のような、果敢なビート。それは桜井氏のつむぎだした歌詞、そこに込められたメッセージを、見事に強調しているのではないか。誕生日祝いという儀式の「定番」は、ケーキに立てられたロウソクに火をつけ、それを吐息で消すことだろうけど、やはり桜井氏は非凡な作詞家である。その行為を、人生そのものと重ね合わせるのだ。

<< 小さな炎を ひとつひとつ増やしながら 心の火をそっと震わせて >>
<< 飲み込んだ幾つもの怒りを ひとつひとつ吹き消しながら >>

上に挙げた2つのセンテンスのうち、特に2番で歌われることに、僕は圧倒された。誕生日は<<希望>>を数え上げる機会であり、同時に負の感情を減らしうる好機でもあるのだと思わされた。やり場のない<<怒り>>というのは、恐らくは誰もが抱いているものだろう。ともすれば、それは加齢とともに溜まっていってしまう。

僕たちが抱え込んでしまう「負の財産」は、きっと<<怒り>>に限らない。悲しみというロウソクにも、あるいは歳の数だけ火が灯されていくのではないだろうか。長く生きていけば、どうしても、あまり快くはない体験もすることになって、そのうちの幾つかは、澱(おり)のように胸のなかに溜まってしまうのではないか。それを叩きふせるべく、誰かの誕生日を祝うべきなのだとしたら、Mr.Childrenの「Birthday」は、豪放で革新的なバースデーソングだと言えるかもしれない。鈴木氏がバスドラを鳴らすたびに、<<飲み込んだ幾つもの怒り>>が消えていく感覚を、できれば僕は難聴者とも共有したい。

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間奏のあとで、桜井氏の声はアコースティックギターの音だけに乗って届けられる。それは束の間の静けさだ。

<< いつだって そう >>

と桜井氏が(まるで皆に呼びかけるように)声を放つ直後、鈴木氏の手数は増える。鑑賞者の気持ちに呼応するように、激情が解き放たれていく。幸福へと続く階段を駆け上がるかのように、鮮やかに響き渡るドラムロール。そこから僕は、もはや屈託などを感じはしない。消された<<怒り>>のロウソクに、次々に<<希望>>が灯され、美味しそうなケーキの像が鮮明に浮かんでくるようだ。

「Birthday」で鈴木氏の打ち鳴らすドラムスは、負の感情を消すものであり、そのあとに残った荒野にポジティブな想いを刻み付けていくものだと僕は感じる。強さと優しさ。もしかすると相反するのかもしれない、そんなふたつの性質を、演奏者としての鈴木氏は兼ね備えているのではないだろうか。

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鈴木氏は叩こうと思えば、穏やかなドラムスを叩くこともできる。「君と重ねたモノローグ」で担うのは、ゆったりとした桜井氏の歌唱を守るようなリズムキープである。それもまた歌詞に込められた主張を、さりげなく強めているのではないか。

<< 僕を閉じ込めていたのは 他でもない僕自身だ >>
<< 鏡に映った自分の 嫌なとこばかりが見えるよ >>

そう寂しげに認める楽曲の主人公を、まるで見守るかのように鈴木氏はドラムを叩く。自分を<<閉じ込めていた>>主人公は、いつしか<<光>>に辿り着く。

<< 君となら高く飛べるよ >>
<< ありがとう この気持ち届くかな >>

もしかすると人間は、急ぎ足で「感謝」という感情に辿り着くことはできないのかもしれない。だから主人公を急がせないように、聴き手を急かすこともしないように、鈴木氏は努めているのではないか。「君と重ねたモノローグ」のドラムスは、傷ついた小鳥を抱き上げるようなものに感じられる。

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もし重度の聴覚障害を持つ人には、ドラムの音を聴きとることが難しいのだとしたら、こうした僕の主張は、その人たちを傷つけてしまうことになるのかもしれない。ああ、自分も鈴木英哉さんのドラムスを聴きたかった(感じたかった)なあと思わせてしまうのかもしれない。そうだとしたら、僕が「ごめんなさい」と謝ることよりも、Mr.Childrenの力を借りるのがいいかもしれない。その楽曲が「音が聴こえなくても感じ取れるものが世界にあること」を示しているのを伝えるのが望ましいかもしれない。

<< 落ち葉 噴水 自転車 犬 >>
<< すべてが愛を歌ってる >>

個人的な解釈(あるいは主張)を述べることを赦していただけるなら、ここから「歌というのは情景でもある」ことを感じ取ってはいただけないだろうか。目に映る<<噴水>>が心を癒してくれる。さらに言うなら、たとえ視力がなくとも<<落ち葉>>を踏みしめる感触を楽しむことは、きっとできるのではないだろうか。<<犬>>を撫でる感覚が、手のひらを通して<<愛>>を心に注ぎこむかもしれない。

<<障害を持つ者はそうでない者より 不自由だって誰が決めんの!?>>

少なくとも僕は決めつけない。聴力や視力を持たない人の労を知りもしないのに、その<<不自由>>を認めないことは、もしかすると無礼なことかもしれない。それでも僕たちは

<< 目じゃないとこ 耳じゃないどこか >>

を、きっと持っているはずだ。障害のあるなしに関わらず。そういう意味では僕たちの目には、きっと同じような世界が映りうる。僕たちの耳には、きっと似たような音が届きうる。Mr.Childrenが歌うように

<< 毎日が誰かのbirthday >>

なのだ。

旧友の誕生日が近い、僕自身の誕生日も近い。そして今日は、顔も名前も知らない誰かの誕生日であるはずだ。

※<<>>内はMr.Children「Birthday」「君と重ねたモノローグ」「僕らの音」「擬態」の歌詞より引用

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