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「太陽が忘れた路地裏」からBUMP OF CHICKENに向けて

時間と距離を飛び越えて届いた流れ星

かつて藤原基央はこう唄った。
「間違った 旅路の果てに 正しさを 祈りながら」
―ロストマン

間違った旅路の果てにある正しさとは何か。間違ってしまったその先には、間違いしかないのではないか。当時中学生だった私にとって、正体が掴めない人生は、一度間違えてしまったら二度と正しい道には戻れない「正解を選び続けなければならないもの」だった。

思えば常に誰かの視線や評価を気にして生きてきた。認められたい癖にそのままの自分を他人に見られることが怖くて、その場にふさわしい自分を演じたり背伸びをしたりした。等身大の自分では認めてもらえないといつも思っていた。

長年演じ続けた背伸びした自分が周りの人にとっての自分になってしまい、もはや自分でも自分が分からなくなった頃。私の頭の中にあったのは、間違ってしまったという思いと、間違いのまま過ごしていくしかないという思いだった。

誰かの視線を気にして作った自分が偽物だと分かってもなお、今更それを壊す勇気なんてなかったし、本当の自分なんてもう分からなかった。

良く言えば感受性が豊かだったのだと思う。他人の感情に引っ張られることも多かったし、些細なことで傷付くことも多かった。そんな自分の薄暗くて柔らかい所に心地よく入ってきてくれる存在がBUMP OF CHICKENだった。彼らを知ったきっかけは覚えていない。でも、中学生の頃から15年近くずっとそばにいてくれている。

彼らの言葉があまりにも自分の中の薄暗い部分にダイレクトに届いてしまうものだから、そんな部分があることを知られて、彼らと自分を否定されるのが怖くて、明るい母の前で曲を聴くことは出来なかった。それでも、彼らの曲はそっと隣にいてくれた。

間違った代物だと感じた自分の人生は、望まないもので溢れ、何も思い通りにはいかなかった。まるで自分だけがずっと陽の当たらない所にいるようだった。

社会人になってからは仕事に忙殺され、新しい曲にすら触れられなくなった。家族に本当の自分を見せられず、自分の好きなものやしたい事を隠すのも相変わらずだったし、他人のために偽り続けた自分に、自信なんて全くなかった。

向き合いたくないものに見て見ぬふりをしてやり過ごしてきたけれど、目を逸らすことが出来ない日がついに来た。

きっかけは恋人だった。確かに彼の事を好きなのに、女性として扱われると激しい嫌悪を感じる。自分の事を女性として見ていると思うと、気持ちが悪くて手を繋ぐことさえ出来なかった。
原因も分からず、誰からも理解を得られず、他人と違う自分を責めて毎日泣いていた。

変わりたいと思ったきっかけは、2歳年上の姉の出産だった。
小さな命をその部屋にいた誰もが笑顔で見ていた。
ふと隣にいる母の幸せそうな笑顔を見たとき、涙が出そうになった。
姉が母に贈ることが出来たこの幸せを、私には贈れる気がしなかったから。

恋人とはお別れしていたし、好きな人を気持ち悪いと感じてしまう自分が、結婚・出産するなんて不可能だと思った。

でも。久しぶりに明確に「自分は」こうしたい、と強く思った気がした。
例えそれが他人と違うのが嫌だから、という情けない気持ちからだったとしても、その時確かに思った。
「母のために、ではなく「私が」自分の子どもに会いたい」

やるべきことは分からなかったけれど、まずは自分の身に起きている事について調べ、その正体を突き止めた。
「蛙化現象」というのだと知った。私に起こっている事は、きちんと名前がある現象であること。
そして、多くの人が悩んでいること。考えられる原因の数々。書いてあること全てを必死で読み込んだ。

結論、私は自信のなさが原因で起こっているようだった。自分に自信がないなんてずっと前から分かっている。原因がわかった所で、手に入れられるとは到底思えなかった。

けれど、変わると決めたから。もう半ば、意地でもあったのだと思う。
自信を付けるために良いと聞いたものは全部試した。自分の良い所を書き出す、他人と比較しない、成功体験を連続して経験する。色んなことをしたけれど、どれも逆効果だった。

自分の好きな所が分からないから自信がないのに、良い所なんて1つも書くことが出来なかったし、他人と比較しないなんて不可能だった。目標をいくつも掲げたけれど、その「小さな目標」さえ達成出来ないと、こんなことも出来ないのかと全く逆の効果を発揮した。

「ヘンだな 僕は君自身だよ 自分が信じれないのかい?」
―ランプ

「このままだっていいんだよ」
―プレゼント

信じられないんだよ、どうやったって。
でも、今回ばかりはこのままじゃダメなんだ。

頭ではそう思っていても、弱い自分に負けてしまいそうで、努力しないと自信さえ手に入れることが出来ない自分が情けなくて。こんなに辛いなら、もうこのままでも良いと何度もそう思った。

「飛べない君は 歩いていこう 絶望と出会えたら 手をつなごう
哀しい夜を越えて 笑おうとするなら 唄ってやるよ ルララ
迷いながら 間違いながら 歩いていく その姿が正しいんだ
君が立つ地面は ホラ 360度 全て 道なんだ」
―Stage Of The Ground

何度も聴いた曲なのに、涙が溢れて止まらなかった。
昨日より前に、1日1センチでも進めていればそれでいい。そう言って背中を撫でて貰えたようだった。

同時期、あるセミナーに参加出来ることになった。そのセミナー自体はパートナーシップについてのセミナーだったけれど、蛙化現象について情報を貰えるかも知れないと思い参加した。大勢の人の前で質問をすることはかなり勇気が必要だったけれど、変わりたい意地が勝った。

講演後の質問の時間、勇気を振り絞って質問をした私に対して彼女は返事をくれた。
おそらく原因は自分に自信がない事であること。自信を付けることも大切だが、何故自信を持てていないのかを知ることも大切であること。パートナーシップに問題を抱える人の9割は、両親との関係に「何か」がある。それとちゃんと向き合うこと。

頭を殴られた様だった。
セミナーの帰り道、私の中にあったのは「出来るわけがない」という気持ちだけ。自信を持つことも出来る気がしないのに、また一つ出来る気がしないことが増えてしまった。

確かに母との間にある違和感も、見ないふりをして逃げ続けてきたことだった。
でも、もう母と「普通」に話せていた頃なんて覚えていない。ずっと気を遣って、母の望む自分を探って、自分の好きなものも本音も隠し続けてきた。

「どうにかやってこられたけど 避け様のない石に躓いて
いつもみたいに起き上がれない そんな日が遂に来た
ずっと平気なふりに頼って 嘘か本音か解らなくて
もっと上手に生きていましたか 飛行船が見えた頃の事」
―透明飛行船

誰に気を遣うでもなく上手に生きていた頃。もう一度そんな感覚で生きてみたい。逃げ続けてここまで来たけれど、母と向き合うときが来たのかも知れない。そう思った。

情報を集め見つけた母と向き合う方法は、今まで言えなかった事、本当はこうして欲しかった気持ちを全てぶつけるというものだった。

それだけは絶対に出来ない。今まで隠し続けた本音や不満を伝えたら、確実に傷付けてしまう。

本当に心から変わりたいと思ったけれど。どれだけ頑張っても一向に身に付かない自信、出来る気がしないし出来ればやりたくない母との向き合い。自分で対処出来ないものが多すぎて、押し潰されそうだった。

自分との向き合いから逃げ始めた頃、以前付き合っていた人とまた連絡を取り始めた。逃げだと分かっていたけれど、焦りや不安、寂しさからその人と一緒にいる事を選んでしまった。
でも、上手くいくわけがなかった。嫌悪感は変わらず付き纏ったし、同じことを繰り返している自分が情けなくなるだけ。結局、すぐにお別れしてしまった。

自分に自信を持ちたくて、下手なりにでもコツコツやってきたのに。
絶対に変わると決めたのに、逃げてしまった。
少しずつでも前に進めていたのに、全てを無駄にしてしまった気がした。

やっぱり間違いの先には間違いしかないんだ。もう考えることも嫌になった。
 

何か気持ちを切り替えるきっかけがあったわけじゃない。
でもある日の会社からの帰り道、本当に急に、心が持ち直した。

本当にずっと変わらないままで良いのか?もう一度だけ、必死でなりふり構わずやってみても良いんじゃないか?
そう思える時点で、少しは変われていたのだと思う。

「逃げてきた分だけ距離があるのさ
愚痴るなよ 自業自得だろう
目的地は よく 知ってる場所さ
解らないのかい 冗談だろう」
―涙のふるさと

弱さに負けてしまったせいで、近付きたい自分とさらに距離が出来ていたけれど、本当に自業自得だと思った。違和感を放ったらかしにしたのも、自分をさらに嫌いにさせたのも自分。
それなら自分でもう一度、理想の自分に近付いてやる。
抱えている全ての問題から目を背けずに、もう一度向き合うことを決めた。

まずは自信がなくなった原因を知ること、そこから始めた。
中学校時代からこれまでのネガティブな感情や苦手意識を全て洗い出した。恥ずかしい事や、出来れば二度と思い出したくない辛いこともあった。自分の嫌いな所も、改めて自覚した。

でも、半月かけて15年分の記憶と向き合った後、私が感じたのは今までどこにもいないと思っていた「自分」だった。

あの時これが悲しかった
本当はこうしたかった

誰かにこう思われるからこうしよう、とか意識するのはいつもそんな気持ちばかりで、自分がどうしたいかをないがしろにして、埋もれてしまっていた「自分」を見つけた。

「無駄じゃなかったんだ」
そう思えただけで嬉しかった。

「ひとつずつ ひとつずつ 何かを落っことしてここまで来た
ひとつずつ拾うタメ 道を引き返すのは間違いじゃない」
―ダイヤモンド

振り返りをする間、ずっと聴いていた曲。間違ってないよね、大丈夫だよね、と思う私の弱さにずっと寄り添ってくれた曲。

人より時間は随分かかってしまったけれど、もったいない生き方をしてきたと本当に悲しくなったけれど、間違いじゃなかったと思えた。

そして振り返りを行う中で同時に出てきた、母への思い。
正直、責めるような気持ちを持っていたけれど、してもらったことに対する感謝の気持ちがぽつぽつと出てきた。それと同時に、私が「傷」として持ち続けた母からの言葉や態度には、どんな真意があったのだろう、と思うようにもなった。

振り返って気付いたことは、大小様々な要因があったけれど、少しずつ少しずつ自信を無くしてしまったということ。

今から思えば、自信を無くした原因だと思う出来事にも色々な面があって、その時はマイナス面しか受け取れなかっただけだったんじゃないだろうか、と考えることも出来た。
辛かったし、思い出すだけで涙が浮かぶようなこともあったけれど、振り返ったからこそ、別の角度から過去の出来事を「受け取りなおす」ことができた。

ずっとずっと無視し続けた、でも、無視し続けたからこそ苦しかったこと。

「一体どれくらいの間 助けを呼ぶ声を無視してんだ
その背中に貼り付いた 泣き声の主を探すんだ
前ばかり見てるから なかなか気付かないんだ
置いて行かないでくれって泣いて すがる様なSOS」
―ダイヤモンド

変わりたい、自分に自信を持ちたいとずっと願っていた。それは、前を向いて進むことだと信じて疑わなかったけれど、振り返ることがこんなに大切だった。

でも、まだ何も解決していない。蛙化現象も治っていないし、母との違和感も解消していない。
でも、以前感じたような焦りはなかった。少しずつで良いんだ。そう思えた。

そしてまた本当に小さなことから始めていった。
「小さな成功体験を継続して経験する」を、もう一度。

でも前とは違う。苦手意識を持って避けていたことをやっていく。笑ってしまう程小さなことだったけれど、他人の目を気にして出来なかったことをする方が、絶対に自信につながると確信を持っていた。

もちろん怖かった。ドキドキしたし、不安だった。実行する前は入念に下調べをして、準備もした。でも、やってみると「なんだ」という感じだった。出来ないと思い込んでいただけだった。

それからだ。少しずつ少しずつ変わり始めた。
必要以上に他人の目を気にすることが無くなり、自分の意見を言えるようになった。そして、自分を大切に出来るようになってきた。
自分の本当の気持ちを聞き続け、実行した最たるものは仕事を辞める決意をしたこと。

自分の好きな音楽を聴くことも出来ないような、
好きなことを休日に思いきり楽しむことも出来ないような、
そんな仕事の仕方を私は一切望んでいない。
自分が望む形で、働く。そう決め、夏の終わりに会社を退職した。

実は退職の数か月前、同じ職場の方から告白され、もしかしたらもう大丈夫かもと付き合い始めていたけれど、やっぱり無理だった。

駅で私を待つ彼を見るたびに気持ち悪いと感じたし、一緒に出掛ける日が近付けば近付くほど気分が滅入った。そんな状態だったから、結局すぐにお別れ。でもこの出来事で、蛙化現象が勝手に治ることは無いのだと知ることが出来た。

年末が迫っていたことも、きっかけだったのだと思う。まだ、やっていないことがある。以前は絶対に出来ないとしか思わなかったこと。

母に、今まで言えなかった本音を書いた手紙を渡すこと。何故だか今なら出来るような気がした。覚悟した今じゃないときっと一生できない。その足で白い便箋と封筒を買いに走った。

何度も言い訳がましくなったけれど、どんな書き方でも結局傷付けるのだからと、最終的には書きたいように書いた。振り返りをしたときに、同時にいくつも出てきた母への想い。それを文字におこすことで、その感情が身体の中を駆け巡った。涙が溢れて止まらなくて、書けなくなったりもした。

それでも気付けば、手紙を書き切っていた。

文字にすることで自分の気持ちもかなり整理された。子ども心に悲しかった出来事は確かに自分の中に残っていて、それが今まで尾を引いて素直になれなかったこと。素直に気持ちを伝えたら、拒否されるかも知れないと思っていたこと。

でも、同時に大人になってみると、当時私が受け取った意味とは違う意味で母はその言葉を言ったのかも知れないとも思えた。

いざ手紙を書き終えたけれど、結局渡すまでに半月程かかり、渡すために何度も持ったり置いたりした封筒は、やっと母に渡せたときにはしわしわだった。

手紙を渡した次の日。渡した手紙に対して想像していた怒りや拒否がなかった事にまずはほっとした。そして、自分の気持ちがものすごく軽いことに気付いた。

私が何をしたって、母は受け入れてくれるのかも知れない。そう思うことが出来た途端に、ずっと胸の中にあった鉛のように重たく冷たかったものが無くなった気がした。

数日後、きちんと母と手紙の内容について話すことも出来た。
あれはこういう意味だった
こういう経緯があってその言葉を言ったの
そんなこと思ってるなんて知らなかった

その時にやっと、その言葉を言った母の気持ちを知ることができた。大人になって思い図ることが出来ていた部分もあったけれど、自分では全く覚えていなかった経緯もあった。

こうしないとお母さんに認めてもらえないと思ってた
お母さんを責めたこともあった
でも大人になって考えると、そうじゃなかったんじゃないかって
受け取り方を間違っただけじゃないかって、思えたよ

母とあんなに正直に話し合ったのは初めてだった。そう出来ていることが、本当に嬉しかった。

この手紙を書いて得たものは本当に大きかった。でもそれは、とことん自分と向き合ったからこそ、気持ちを的確な言葉になおすことが出来たのだ。

蛙化現象が治っているかどうかは、一人では確かめられない。次に付き合う人にも症状が出てしまうかも知れない。でもどうなったとしてもきちんと受け止められる気がした。ここまで一人で踏ん張って頑張れた、という自信がついたのかも知れない。

以前の根拠のない大丈夫かも、とは違う。私は今もまだ完璧じゃないけれど、何をしても、どんな自分でも、一番認めてほしい人にもう全てを受け入れて貰えているから。

認めて貰えているか分からないから離れることが出来なかったし、不完全な部分も見せられなかったけれど、離れても、何をしても、不完全でも、失敗しても、誰かに否定されても、戻ることが出来て全てを認めてくれる場所があるということが、こんなに安心出来ることだなんて知らなかった。

仕事を辞めて数か月。自分や母と向き合うことに必死で、あっという間の数か月だった。
 

やっと本当の自分を見つけて自由になれたような気がした。
そして、やっと自分の大好きなものに触れられた。

BUMP OF CHICKEN

社会人になってから、仕事に忙殺されて好きな音楽を聴く余裕もなくしていて、それでも何度も聴いた昔の曲は、自分と向き合っている間もずっとそばで助けてくれていた。

彼らの音楽をもう一度、変わることが出来た自分の全身全霊で聴きたい。彼らが送り出してくれていた、私がまだ知らない曲を受け取りたい。そんな気持ちが一気に溢れた。

その年に彼らがツアーをしていたことも、このとき知った。ツアー名は「aurora ark」
相変わらず天体の事だ、なんて少し嬉しく思った。彼らの曲を聴く余裕がなくなってしまった時期の曲から順番に聴いていこう、そう思っていたけれど、「aurora arc」のジャケットに目を奪われ、気付けば「Aurora」のMVを再生していた。

藤くんの声が聞こえてたった10秒。歌詞の意味が身体に入ってきた瞬間に涙が溢れた。

「もうきっと多分大丈夫 
どこが痛いか分かったからね
自分で涙拾えたら いつか魔法に変えられる」

原因も対処法も分からずもがき続けた3年間。誰にも理解してもらえなくて、苦しくて、悲しくて。でも、1つずつ痛みの原因を探して、受け取って。

どうして私は普通じゃないんだろう、なんで他人と違うんだろう。「普通になりたいだけなのに」と何度も泣いて、何度も諦めかけた。
でも、諦めずに変わろうと動き続けたからこそ、今、魔法のような暖かい気持ちでここにいられる。

「ほんの少し忘れていたね とても長かった ほんの少し
 お日様がない時は クレヨンで世界に創り出したでしょう」

どれだけ遠回りをしてどれだけの時間を無駄にしてきたんだろう。後悔は絶えず押し寄せたけれど、それでも、そんな日々をとても長かったほんの少しと言ってくれた。

「正義の味方には見つけて貰えなかった類
 探しに行かなくちゃ 呼び合い続けた あの声だよ」

真ん中を歩けていないような、自分はどこか欠けている欠陥品のような、そんな気持ちを抱き続けてきた。自分だけが見落とされているような、そんな気持ちを「正義の味方には見つけて貰えなかった類」という言葉で「ちゃんと気付いているよ」と伝えてくれた。

「溜め息にもなれなかった 名前さえ持たない思いが
 心の一番奥の方 爪を立てて 堪えていたんだ
 触れて確かめられたら 形と音が分かるよ
 伝えたい言葉はいつだって そうやって見つけてきた」

言葉に出来なくて、何年間もずっと自分の心の中にあった感情。振り返って向き合い続けて、触れて確かめたからこそ、見つけることが出来た感情。それを初めて声にした時の喜びや恐怖、そして達成感。名前もない、存在すら追いやっていた感情。でもそれが自分の本当の気持ちだったと、やっと見つけることが出来た。

「振り返れば途切れずに 歪な線を描く足跡
 悲しいくらい分かりやすく いつもここに向けて伸びる
 大切にするのは下手でも 大切だって事は分かっている
 せめてその白い手紙が 正しく届きますように」

まっすぐにここまで来たわけじゃない。何度も間違って、何度も同じ所を歩いた。ずっとずっと苦しかったのは、一番大切なものを大切にしていなかったから。
傷付けてしまうと分かっていたけど、どうかありのままの気持ちが届くようにと願い書いた手紙。一生分の勇気を出したおかげで自分の気持ちが届く幸せを知ることが出来た。

「考え過ぎじゃないよ そういう闇の中にいて
 勇気の眼差しで 次の足場を探しているだけ
 解き放て あなたの声で 光る羽根与えた思いを
 その足が向かうべき先へ そうしなきゃ見えなかった未来へ
 諦めなかった事を 誰よりも知っているのは
 羽ばたいた言葉のひとつひとつ 必ず届きますように」

考え過ぎなだけだと何度言われただろう。理解されないならもう誰にも言うまいと何度思っただろう。立ち止まったら二度と動けなくなることが怖くて、次にするべきことを必死で探して。変わりたいという気持ちだけは諦めることが出来なかった。絶対に見たい未来があったから。

「ああ、なぜ、どうして、と繰り返して それでも続けてきただろう
 心の一番奥の方 涙は炎 向き合う時が来た
 触れて確かめられたら 形と音をくれるよ
 あなたの言葉がいつだって あなたを探してきた そうやって見つけてきた」

どうして普通じゃないんだろう、なんで他人と違うんだろうと何度も思った。それでも必死で向き合い続けてきた。置き去りにしてきた自分の気持ちを探して見つけて、確かめてきた。

そしてやっと、小さな自信と本当の自分と、暖かい場所を見つけたのだ。
本当にこの3年をずっと見ていてくれたようだと思った。気付けば聴き終えるまで、ずっと泣いていた。

それからは、ひたすらに彼らの曲を順番に追っていった。離れてしまってからの曲、昔から何度も聴いていた曲。彼らが送り出してくれたものを、全力で受け取りたくて、何度も何度も聴いた。

そして気付いた。ああ、そうだ。
藤原基央は、BUMP OF CHICKENは、最初から唄ってくれていた。初めから届けてくれていた。

「破り損なった 手造りの地図 シルシを付ける 現在地
 ここが出発点 踏み出す足は いつだって 始めの一歩
 君を忘れたこの世界を 愛せた時は会いに行くよ
 間違った 旅路の果てに 正しさを 祈りながら 再会を 祈りながら」
―ロストマン

いつだって、今ここが出発点。だからどこへでも行ける。
それまでの道のりがどれほど間違っていても、いつだって正しいと思う方へ行けるのだ。
その先に自分の信じた正しさがあることを祈りながら。選んだ世界で胸を張れたその時に、置いてきてしまった自分と再び会えることを祈りながら。

彼らが届けたかった事とは違ってしまうかも知れない。けれどやっと、きちんと受け取れた気がした。15年もかかってしまったけれど。

今、私は誰の意見も視線も気にせずに彼らの音楽を聴いている。もちろん、母の前でも。

そして、彼らの送り出してくれた曲のおかげで、虹色のような毎日を過ごしている。
4月から働きたかった職場で働くことも決まった。
望まないものばかりで、ちっとも思い通りにならなかった人生は、自身が望んだものに近付き続けている。

そしてもう1つ、生まれた「自分」の願いがある。
BUMP OF CHICKENのライブに行き、全身全霊で彼らの音楽を受け取ることだ。

今の私には、叶えられる気しか、しない。

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