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玉置浩二が想起させる情景

心のなかに広がる緑あふれる大地

作品にタイトルをつけるというのは、なかなか難しいことなのではないかと思う。多くの楽曲の題には、作中で歌われる歌詞の一部が用いられているけど、どの部分を切り取ってくるかに迷うアーティストは、恐らくは少なくはないだろう。

玉置浩二氏の「田園」という楽曲の歌詞を読みこんでみると、そのなかに「田園」という単語は含まれない。何度、読み返してみても、それは見つからない。それでも歌詞に込められたメッセージ、玉置氏の声調、そしてメロディーラインは、少なくとも僕に「田園」を連想させるのだ。

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玉置氏は、希望にあふれるだけの楽曲を書くことは少なく、悲しみだけが注ぎ込まれた歌を届けることも多くはない。それは人間の生というものを活写しているのではないだろうか。何度か絶望を味わったからこそ、気付ける歓びというものはあるだろうし、比喩的に言うならば、何かが洗い流されてしまったあとの荒野には、新しく何かを建て直せる(植え直せる)可能性があるだろう。

楽曲「田園」を歌い上げる玉置氏は、次々と悲観的なことを発信する。

<<何もできないで>>
<<誰も救えないで>>
<<悲しみひとつもいやせないで>>

個人的には玉置氏の神髄は、切なくバラードを歌い上げられるところだと思っているのだけど、上記の3つのセンテンスは、いくぶん早口で歌われる。そこには苛立ちのようなものや、嘆きのようなものも込められているはずだ。それでも玉置氏が、ある意味で「達観」していることが、聴き進めていくうちに分かる。

<<生きていくんだ それでいいんだ>>
<<愛はここにある 君はどこへもいけない>>

別の場所へは行けないこと。それは取りようによっては、残酷なメッセージでもあるだろう。それでも玉置氏は、その人が離れられない「ある場所」に、<<愛>>があることも歌ってくれる。羽を持たない僕たちは、そして何かしらの社会的な責任(あるいは制約)をもつ僕たちは、いつでも気ままに持ち場を離れることはできない。

仮に遠くまで旅することができたとしても、あるいは居住地を変えることはできたとしても、自分の心から逃れることは(恐らくは)難しい。束の間、気分転換のようなものはできるのだとしても、物理的な故郷というものからも、心的な出発点とでも呼ぶべき場所からも、完全に逃げ切ることはできないものだと個人的に考えている。

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本曲のなかで、いちばん僕が好きなのは、以下のセンテンスである。

<<からのミルクビンに タンポポさすあいつ>>

これは何を求めての行為なのだろうか。そして、これは描写的な歌詞なのだろうか、何かの暗喩なのだろうか。それを分かりもしないのに、この部分に惹きつけられる。個人的な解釈を赦していただけるなら、ここにはいくらかの寂しさが込められている。<<あいつ>>は花瓶に高価な花を差そうとはしないのである。<<からのミルクビン>>という、せいぜいリユースされるのがいいところの容器に、野花を飾ろうとするのだ。どことなく切ない行為だ。それでも牛乳瓶に黄色い花が飾られているというのは、何だか「絵になる」ようにも感じられる。絵画的な歌詞だ。

玉置氏は後半部分でも、やはり辛い発信をする。

<<ビルに飲み込まれ 街にはじかれて>>

これはもしかすると、現代社会を生きる人たちが、大なり小なり抱えている思いかもしれない。田舎に暮らす人の前にも、ある意味では<<ビル>>が立ちふさがっているのだろう。人里はなれた場所に住む人も、100パーセントの安息を得られるとは限らないはずで、そういう意味で<<はじかれて>>いるように感じることはあるのではないか。

それでも玉置氏は、最後の最後には、希望にあふれたセンテンスを歌い上げる。

<<みんなここにいる 愛はどこへもいかない>>

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牛乳瓶に飾られた<<タンポポ>>、それを心のなかでスケッチしてみると、色々な「背景」が思い浮かぶ。様々な境遇にある人の、様々な暮らしぶり、いま身を置いている部屋。そこに吹き込んでくる風、注ぎ込む陽光。それぞれの場所にある<<ミルクビン>>のことを考えると、はてしなく広がる「田園」が思い浮かんでくる。それは文字通りの「田園」であり、比喩的な意味での「田園」でもある。田を作り上げる1本ずつの稲は、1名ずつの人間を連想させる。身勝手な解釈かもしれない。それでも、そういった受け止め方を玉置氏が赦してくれるのなら、たしかに<<愛>>は、どんな場所にでもあるのかもしれないと、少なくとも僕は思うのだ。

3月11日が近づいている。被害を受けた「田園」のことを思うと胸が痛む。瓦礫に埋もれてしまった<<タンポポ>>を想像するのは辛いことだ。被災者が「本当に求めているもの」を僕は理解できていないし、仮に分かったとしても、それを実行できるか約束はできない。

それでも僕たちは、何かしらの空き瓶を探して、そこに気に入ったものを飾ることくらいはできるのではないだろうか。そういう形で3月11日に祈りを捧げることができたなら、そんなことを、玉置浩二氏を愛聴する人たちが各地で一緒にやってくれるなら、ある種の「田園」が広がるのではないだろうか。甘い考えだろうか。

<<僕がいるんだ みんないるんだ>>

一緒に「田園」を作りませんか。

※<<>>内は玉置浩二「田園」の歌詞より引用

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