3165 件掲載中 月間賞発表 毎月10日 コメント機能終了のお知らせ
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

バンドがコロコロ転がってゆく話

ザ・バンドが気付かせてくれるロックンロールレコードの割れない強さ

アメリカのロックバンド、ザ・バンドの音楽の魅力はかんたんに語り尽くせるものではないが、そのバンド力というべきグルーヴが生み出す独特の間とビート、ゆっくりと空間全体を揺らぐリズム、速さではないロックとロールの熱情には、時代を跨いだ普遍性がある。これは古めかしいロックンロールの自慢話などではない。
音楽が鳴るとき、その時間が放射するものには、ふくよかで豊かな音への至上のよろこびがある。
ザ・バンドを聴けば、ロックンロールは捨てたもんじゃない。そう思うのだ。

ザ・バンドの素晴らしいところは、ロックンロールのバンド力だけではなく、含みのあるアメリカ音楽を表現するための歌声のハーモニーこそが大切だと想わせる、歌い手の個性が輝いていることだ。
バンドが掛けた魔法の威力に呑み込まれる以上に、そこに溢れる感情の起伏と熱意の表明に、聴き手の感覚は押し寄せられ、渦巻かれてゆく。

ザ・バンドの最初の”記念碑”1968年の「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」の第一声は、”怒りの涙”を歌うリチャード・マニュエルによる声の震えから始まる。

ザ・バンドのヴォーカルは大々的に言って、そもそも3人からなるものだ。そのなかでも、リチャード・マニュエル、リヴォン・ヘルムの歌は出立の時から完成されている。代わって、リック・ダンコの唄は、一枚毎のアルバムによって目覚ましく上達し極められてゆく。その過程を聴くことは素晴らしい経験だ。ザ・バンドのなかでロックヴォーカルを聴かせてくれるのがリック・ダンコである。リックが歌えばそこには「ロック」の持ち合わせている危うさの、軋轢と間隔が空けられているように聞こえる。

リチャード・マニュエルの震え、リック・ダンコの揺らぎ、リヴォン・ヘルムの伸びやかさ、三者の声は別々のようで大変に通じ合う感触をもって届く。各人の唄に共通するものは、人懐っこい親しみであると思う。
震え、揺らぎ、伸びやかさ、合わさってかすれた、これらの混声が初期のザ・バンドでは美しく解け合う。それでも後期のザ・バンドにおいても、その魅力が活かされる曲は少なくない。
バンドの音楽はその都度、原初性と洗練とのあいだで成長を見せてゆくが、聴くたびに思うのは、ザ・バンドが、田舎者の垢抜けないロックンロール遊戯ではなかったという事だ。

ザ・バンドが登場し、米英のロックだけでなく多くのミュージシャンに影響を与えたのと同じように、ザ・バンドも、その時代の美しい革命の音楽に影響を受けていた。革命世代に強く波及したボブ・ディラン、ビートルズ、ジミ・ヘンドリックスに影響を受けていないものはいないだろう。彼らと同じようにザ・バンドもロックミュージックの革命者たる、音楽の成果を今に伝えているはずなのだが、時は過ぎ去ってしまった。今は音楽も多様すぎるほどに変化した。元の形が何だったかさえ思いも及ばぬ様相だ。

現代において、ザ・バンドはもはや若者にアピールする音楽なのだろうか、という事は気になる。ザ・バンドを聴いているのはおじさんだけなのだろうか。僕はこの音楽を若いとき、10代後半から20代にかけて聴くようになった。でもそれから20年近く経って僕も今、おじさんだ。
いま、いったいどうやってザ・バンドの素晴らしさを伝えれば良いのか、僕は考えている。
 

そもそも、古い音楽を聴く理由はないのかもしれない。いま求められているのは、時代と世代と社会と個々人の心情への共感だけなのだろうか。自分の心情と境遇との何らかの関わりを見出だせるもの、そこに共感というものがあるとするなら、現代と、この時代に記される言葉や鳴る音楽にこそ意味がある、と感じるのは当然の事だ。ましてや、自国の言葉ではない言語で語られ歌われるものに対する解釈が、直なるものとして伝わりにくいのも事実だ。洋楽が聴かれなくなっている理由のひとつもそこにあるのかもしれない。

たとえば若い人に、僕が聴いている音楽を聞かせて見るとき、その反応は、ああ、そーなんですね、というものだった、ということは多い。いったいどういうところをその人が聴いているのかが僕には気になる。そしてどういうものを聴きたいのか、感覚的なものの世代の差を感じてしまう。自分が思う”ここが凄い”というところが、どうして伝わらないんだと思ってしまうことは多いし、逆に言えば、その人たちが好きなものの”どこが良いのか”自分には伝わってきていないのも気になる。

ここ数年、数ヶ月のあいだに、自分が聞いて”素晴らしい”と思った”みんなも大好き”日本の歌は、例えば、あいみょん”マリーゴールド””ハルノヒ”、菅田将暉”まちがいさがし”、BUMP OF CHICKEN”ギルド””プラネタリウム””花の名””fire sign”、米津玄師”アイネクライネ””Lemon”、DAOKO”打上花火”、宇多田ヒカル”初恋””真夏の通り雨”、東京事変”心””落日”、Superfly”Gifts”、Aimer”蝶々結び””カタオモイ”、majiko”アイロニ””心倣し”、King Gnu”白日”…だったりする。日本の音楽、J POPからインディーズまで多くの音楽があるなかで、自分が気に入ったこれらはどれも傾向が偏りすぎている気はするが、周りの人がかけていたりした音楽をふと聞いていて耳に残ったものだった。

僕は幅広く音楽を知らない。多くの人が知らない音楽を知っていたりはするが、その幅は狭い。過去何十年のあいだに残されている、万から億の曲を知れるはずもないと諦めている。とにかく時間が足りないのだ。それらを集める気力も財力もない。好きと嫌いとに分かれる感覚的な嗜好、それらを鑑みて、全体の全部からよいものわるいものを抽出して取り出してくる物好きな志向もない。

だからといって、素晴らしい音楽の瞬間を聞き逃したくない。それを誰かが教えてくれたらありがたいが、そして自分の知る素晴らしさを少しでも伝えられれば良いが、僕は見当違いな感覚で本当に何も分かっていない、分かろうともしていないのかもしれない。
 

若い人たちが古い音楽に興味を持てないのは、音の鳴り方だと僕は思った。そして時代への共感もあるだろう。
今の時代の音楽は、昔の音楽とは聞こえ方も違う。速さも圧力も、強さも緩急のつけ方も感覚が違う。それをどうやって伝えるのかは難しすぎる問題だ。今の音楽に慣れた感覚からすると、古い音楽には曲にも音自体にもインパクトが弱く感じられるのか、だとするなら、古い音楽はどうにかして迫力のある音響で聴くしかないのだろう。

たとえば、今の時代、音楽は配信で聴くものだ。最近ではサブスクリプションという呼ばれ方で、音楽は所有するという概念から、料金を払って権利を利用するというものに変化した時代になったらしい。
僕もそれは利用しているが、スマートフォンで聞こえる音楽の音響と音質は良くないと感じている。少し前ならCDを当たり前のように聴いていたが、今はCDも良くないと思ってしまう。ただ自分の身の回りにある音楽設備と環境の問題はある。若い人たちは音楽データをスマートフォンに落としたものをイヤホンやヘッドフォンで聴いているのか、それを時にはスピーカーに繋げて鳴らしているのか、その音響の事を僕は知らない。自分はイヤホンで聴くが、やはり音質は良くないと思う。僕は若い時からずっとCDを集めて千枚以上になって数を数えるのはやめたが、たくさん集めたそれらも今は聴く機会が減ってしまった。音楽は音質が良くなければ楽しくない。CDは、曲と音楽がどんなのかを確認するためだけに聴くようになってしまった。それは残念だ。ただ、新しい音楽や近年2000年代辺りの音楽を聴くためにCDを求める事はある。
僕はある時から、音楽を楽しむのはレコードにかぎると思ってしまった。CDで聴いて知っていた音楽をレコードで聴いた瞬間の晴れ晴れしさはひとつの美しい体感だった。それからはずっとレコードだ。新しい音楽が、近年の音楽が、レコードで聴けるならそれはぜひ聴いてみたいが、全部がレコードになるというわけもなく、レコード盤で聴けるものは限られてくる。

あるいは、音楽のライブやコンサートへ行けば、素晴らしい音楽体験が得られるのは分かっている。しかし、それらの音響に問題もあると思う。音響設備が良いところでのライブ、コンサートはもちろん素晴らしい。だが大抵の場合、迫力を求めた爆音が聴力に影響しそうなほどうるさい事も多々ある。僕は去年、ライブに誘われて行ったが、耳鳴りがして途中から聴覚のバランスが変調した。こういうこともあるんだと思った。有名な人のライブには素晴らしい音響があるということでもないらしい。
若い頃、路上での名も知れない人達のバンドの音の鳴り方が素晴らしく刺さったという経験もあるが、その方が音楽体験としては素敵かもしれない。
 

僕はひとつの音楽体験として、レコードで聴く音楽を勧めたい。それなら若い人たちにも古い音楽の素晴らしさが伝わるかもしれない。かといって、レコードが人気になって、なりすぎて中古盤レコードの値が高騰してしまうとそれも困るのだが。

レコードを聴く機会がないのならば、せめてCDで聴く、スピーカーで聴く古い音楽というのも良いと思う。スマホで、イヤホンで伝わらない音楽があるという事を知ってほしい。
CDも、レコードも、全部が素晴らしいとは言えないという事も言っておかなければいけない。今までたくさんのCDを聴いたが、ショボい音質のCDも多かった。それは全部手放した。レコードなら、当時のオリジナル盤でもない安価な再プレス盤は当然、音が良くない。それなら質の良いCDを探した方がいいという事もある。
とりあえず、情報過多の時代に本物を見極めるのも努力が要る。

昨今では、1960年代70年代の音楽が顧みられるとしたら、それは映画であったり、名盤何十周年の記念による再発売だったりするのだろう。その場合、大抵は古い音楽の音質向上が図られるものだ。現代にアピール出来る音質で聞こえる音楽となって生まれ変わったように良い音になることもある。
たとえばビートルズなら近年、名盤「サージェント・ペパーズ」「ホワイト・アルバム」「アビイ・ロード」がニューステレオミックスで再発されたところだ。ビートルズのアルバムは1987年に初めてCD化されたが、2009年になってもう一度音質向上を図ってCD化された。それからさらに10年くらい経ち今度はミックス自体を変えて更新されている。
断っておきたいのは、古い音楽が新しい音に更新されなければ聴けないようなものではないという事だ。

それならそもそも当時のオリジナルがどんな音かを知れば良いのだが、ビートルズのオリジナルレコードは高価にすぎるものだ。普通で買えるものじゃない。
だとすれば、ふつうに聴くにはCDや再発のレコードしかないのも現実で、ここに古い音楽の本来の迫力と素晴らしさが伝わっていかない原因もあるかもしれない。
いや、僕はビートルズのオリジナルレコードを持っていないのだった。だから素晴らしさが分かっていないと言うことは出来ない。
ひとつ言えるのは、選択肢を間違えてはいけないということかもしれない。ショボい音質で聞こえる音楽に良さがあるとはまちがっても言えない。
だからといって、現代風の強い音圧と、でかい音量の迫力で聴けば良いのかと言えばそうでもない。

たとえば、ローリング・ストーンズである。ストーンズのアルバムも何度かのCD化を経て来たが、1960年代のアルバムは2002年に、1970年代以降のものは2009年に再発された。しかしその音の傾向は、時代が違うとはいえ、あまりに音圧が違いすぎるのだ。2002年の再発はまだ良かった。僕はビートルズの2009年の再発CDの音は気に入るが、同じ09年のストーンズの再発CDの音には耳が疲れてしまう。ストーンズのこれは明らかに現代へのアピールを意識した音圧と音響だったと思う。このパンチ力は凄いが、「ロック」は、うるさいだけが能じゃないと思うのだ。

例えなら他にもある。ビートルズのベストアルバムCD、2000年の「1」や、03年の「レット・イット・ビー・ネイキッド」は、ビートルズの音楽を00年代版の時代に対応させる音圧だったが、2009年にはその音圧がもっと自然に鳴るように改められている。
レッド・ツェッペリンなら2007年のベスト盤CD「マザーシップ」は若い世代に向けて音圧が強められていたが、2014年のアルバム再発の際にはビートルズ同様の印象に改められている。
この事は当時話題になっていたが、もう一度考え直したいのは、その当時の音楽を現代風に聴く意味がないということよりも、そもそも、もう古い音楽自体が興味を持たれないようになっている現代をどう引き戻すかという事かもしれない。
そして言葉の解らない歌への捉え方感じ方はたぶん一番の問題だが、歌のみだけではなく、実質的な楽器の演奏によるリズムとグルーヴ感へと、聴き手の意識が向くような音響の再構築が目指されるべきかもしれない。

今やどんな歌でさえも、バンドは必要がない。リズムやビートはプログラミングで代用でき、オーケストラは不要でさえある。何でも、2000年代になってプロトゥールスなるものが導入された音楽現場は編集の作業性が向上した、ということらしい。聴き手の多くがその事を意識することは難しい。
僕は数年前から、1990年代の終わりと2000年代にかける時代の音楽の音質や音圧、音響、歌やバンドサウンドの聞こえ方がどうしてこんなに違うのか、その差異が気になっていた。それはこの音楽制作の環境の変化によるものなのかもと想像した。それは自分の見当違いかもしれないが、やはり変化は感じるのだ。
編集によって、音楽がどうとでもなるものなら、この時代にバンド力というものは育っていくのだろうかというのは気になる。
だからこそ、昔の偉大なロックバンドや音楽家が、アイデアと創意工夫によって為していた素晴らしい音楽的成果を称賛したくなるのかもしれない。それなら、今の時代にその音楽がどう聞こえれば真に伝わるのかという命題が現れる。

ただ、音楽の聞こえ方が何であるにせよ、伝えたいのは音楽それ自体の素晴らしさである。しかし、古い音楽の魅力を伝えるのは現代の音楽環境において難しいのも事実だという繰り返しになってしまう。

たとえば、ビートルズの初期の音楽性は今、かなり古い感じに聞こえるが、それをサイケデリック時代のビートルズと、後期の成熟したビートルズサウンドと比べると、殊更に古いように感じられるのは、時代の音楽を同質で捉えるからだと思う。もしもビートルズの初期のストレートなビートサウンドをオリジナルレコードで聴いたなら、早々にもその印象は覆されるかもしれない。言うなれば、音響の鮮烈さは、楽器や機材や録音の古さによって平板には捉えられないということではあるだろう。音楽が正しく評価を得るためには、要するにその音楽を表現していたエネルギーが最良の状態で捕らえられ収められているものが求められるのだと思う。
 

ザ・バンドのテーマから離れて長々と話がそれてしまった。ザ・バンドといえば、そのアルバムが最初にCD化されたのがいつなのかよく分からないが、音質向上によって再発され始めたのは2000年の事だ。僕はそこから聴き始めたのかもしれない。
けれども、僕はその時、ザ・バンドには正直のめり込まなかった。その後、映画「ラスト・ワルツ」を観て、ザ・バンドの美しい魅力を垣間見た気がするが、本当に好きなのは今だと思う。そして聴いているのはレコードだ。やはり音楽の響きそれ自体の晴れ晴れしさはオリジナルレコードに刻まれているらしい。
しかし残念なことに、ザ・バンドの中古レコードはほんの数年前よりも、人気と価格高騰により手に入りにくい現実がそこまで来てしまっている。聴く機会が得られなくなるなら、再評価されるのは良いのかわるいのか、よく分からなくなってくるが、ザ・バンドも、その代表作1969年の「THE BAND」が50周年を記念して2019年に再発売されている。音質が以前よりも実際に良くなっているのか、僕は今知らないけれども、新しいミックスで、レコード盤も再プレスされているらしい。それは良いことだ。
 

古い音楽、昔の音楽、それを新しい感覚と価値として聴いてみようという人は、今の時代に多くないのかもしれない。
もしも少し、興味があるなら、とりあえず、時代に影響力のあった音楽の鮮烈なエネルギーを感じてみるのが良いと思う。スタート地点はそこしかない。
 

T・レックス、クリーム、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディラン、ジミ・ヘンドリックス、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、キング・クリムゾン、ザ・フー、スモール・フェイセス、フェイセズ、キンクス、ドクター・フィールグッド、リトル・フィート、レッド・ツェッペリン、ソフト・マシーン、
僕はそこから始めた。
 

世界はそれよりもずっと広い。
そして今はさらに広すぎて手に負えない。
機会と選択肢は増えたにもかかわらず、素晴らしい音楽を見つけること、出会うこと、難しい時代になったものだ。

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい