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米津玄師の楽曲に含まれる「傷」

嵐が託された願い

米津玄師氏が非凡な作詞家であるのは、すでに多くの人に知られていることだと思われる。その紡ぎ出す言葉は、決して奇をてらったものではなく、誰かが表現できないでいる混沌とした胸のうちや、ひとたび声に出したら泣いてしまいそうな本音を、鮮やかに描き出すものだと私は考えている。そうでなければ米津氏は、国民的なヒットメーカーにはなれなかっただろう。

それでも楽曲のなかに、その歌い手の「アーティスト名」を含ませるというのは、かなり大胆な発想だと感じる。米津氏は繊細で穏やかなだけの作詞家ではない。嵐とのコラボレーション作である「カイト」には、実に「嵐」という単語が含まれるのだ。

<<嵐の中をかき分けていく小さなカイトよ>>

嵐という歌い手が、何ゆえに「嵐」と名乗っているのか、詳しいことを知りはしない。私の感じる限り、彼らは聴き手に陽光を届けるような、にこやかなグループである。もし彼らが、いくつもの屈託を乗り越えて笑顔にたどりつき、そういった姿を皆に見せようとしてくれているのだとしたら、まさに嵐は<<嵐の中をかき分けて>>ステージに立っているのではないだろうか。多くのファンから歓声を浴びる嵐も、ひとりひとりに弱さをもった人間でもあるはずで、そういった意味では<<小さな>>存在である。

このような私の解釈は、ことによると重箱の隅をつつくようなものであるのかもしれない。米津氏の(あるいは嵐の)神髄は、ほかにあるのかもしれない。それでも私が米津氏のつづる詞から何度となく感じているのは、己の(あるいは歌い手や聴き手の)弱さや小ささといったものを、思いやりをもって旋律に乗せようとする姿勢である。

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「カイト」には以下のようなセンテンスが含まれる。

<<誰も知らない物語を 密かに忍ばせて>>

米津氏が世に向けて歌を届けるに至るまでには、いくつかの葛藤や挫折といったものがあったのではないかと思う。何の苦もなく歩んできた人間だとしたら、あるいは言葉が自然と湧き出るような「天才」だとしたら、恐らく米津氏の作品は、多くの人の心をとらえはしなかっただろう。<<物語>>というのは、陳腐な言い換えを赦していただけるなら、願望や悩みを意味するのかもしれない。それを<<忍ばせて>>生きてきたからこそ、米津氏は優れたアーティストとして(あるタイミングで)覚醒したのではないだろうか。

そのように<<誰も知らない物語>>を携えて生きるのは、米津氏に限ったことではないと思う。いい歳になった私が、まだ誰にも打ち明けていない願いを持つように、いま米津氏を愛聴している子どもたちや若い人たち、そして私よりも年長の方々も、密やかに願いを温めているのではないだろうか。夢を追うことは生半可なことではない。そういう意味では「カイト」は風雨に傷つけられる。だからこそ米津氏のメッセージは重みを持つのではないか。

<<些細な傷に宿るもの>>
<<悲しみを越えてどこまでも行こう>>

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<<傷>>や<<悲しみ>>のようなものを持つ人物は、米津氏による他の楽曲にも見受けられる。たとえば「orion」には、以下のセンテンスが含まれる。

<<心の中 静かに荒む 嵐を飼う 闇の途中で>>

この楽曲にも<<嵐>>という単語が含まれる。自分が何かしらの「負の感情」を抱いていると感じることは、きっと誰にでもあることなのではないか(少なくとも私にはある)。そういった弱さを<<嵐を飼う>>と比喩したのだとしたら、やはり米津氏は非凡なアーティストだ。それは米津氏自身の、かつての(あるいは今なお持ちつづけている)屈託なのかもしれないし、リスナーを代弁するために選ばれた表現なのかもしれない。いずれにせよ、誰かの<<心の中>>をつぶさに見つめたからこそ、最後に歌われる、こんなフレーズが輝きを持つのではないだろうか。

<<あなたと二人 この星座のように 結んで欲しくて>>

楽曲の主人公が、心に飼っているという<<嵐>>が、怒りや<<悲しみ>>といったものなのだとしたら、それは<<あなた>>が胸にいだくものでもあるはずだ。強い人間などいないと個人的に考える。時に病んだり荒んだりしてしまうのが、私たち人間という生き物なのではないか。それでも、そのことを認めることができたなら、きっと真なる願いに辿りつくこともできるだろう。友人や恋人といった、大事な人と強く結ばれることこそ、きっと人間の根源的な願いであるはずだ。

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「Lemon」という楽曲の主人公も、強さだけをもった人物ではない。むしろ己の弱さや未練のようなものを、正直に吐き出そうとする。

<<きっともうこれ以上 傷つくことなど ありはしないとわかっている>>
<<わたしのことなどどうか 忘れてください>>

「orion」の主人公は、最終的に希望を獲得したように私には感じられる。少なくとも自分が何を願っているかを見定めたように思える。しかし「Lemon」という楽曲には、はたして「出口」のようなものはあるのだろうか。

<<今でもあなたはわたしの光>>

もし主人公と相手が、やり直すことができるのだとしたら、また巡り合う可能性が残されているのだとしたら、その<<光>>は文字通りの<<光>>だ。「希望」と言い換えてもいいかもしれない。それでも「Lemon」には

<<戻らない幸せがあることを 最後にあなたが教えてくれた>>

というセンテンスも含まれる。恐らくは二人は、今や遠く隔てられているのだろう。この楽曲は(それこそ「Lemon」のように)あまりにも酸っぱい。米津玄師は「希望」を歌い上げるだけのミュージシャンではない。時として耐え難い悲しみも発信する歌い手である。

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だからこそ(米津氏が悲しみをも放ってきたからこそ)嵐と力を合わせて放つ「カイト」という楽曲が、希望への道しるべとなっているのではないかというのが私見である。「カイト」の終盤で描かれるのは、誰かの幸福を願う姿だ。

<<君の夢よ 叶えと願う>>

もし米津氏が、自分が(あるいは近しい誰かが)<<傷>>を持つことを、幾度となく吐露してはこなかったとしたら、このような願いは重みを持っただろうか。きっと米津氏は、己の弱さにも、大事な人が捨てきれないでいる弱さにも気付いている。だからこそ「カイト」を手離さず、大地を踏みしめるかのように<<そして帰ろう>>と呼びかけてくれるのではないだろうか。そういった思想に呼応するように「カイト」を歌う嵐の面々は、米津氏の願いを、たしかに受け取ったと言えると思う。

きっと私たちには、帰る場所があるはずだ。

※<<>>内は嵐&米津玄師「カイト」、米津玄師「orion」「Lemon」の歌詞より引用

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