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語りだしたらきりがないバンドの話 ルーツの話

ザ・バンドの影響力がいろんなところで見えてくる

1970年代のアメリカのロックバンド、ザ・バンドの音楽の影響力は、その当時のロックミュージックを聴いていればそこかしこで感じられるものだ。

例えばその時代周辺の音楽を探していくとき、”安易に言えば”
ジャズならマイルス・デイヴィスにジョン・コルトレーン、フォークソングならボブ・ディランから渡ってニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、ポップミュージックならフィル・スペクターからビーチ・ボーイズやビートルズ、ソウルならジェームス・ブラウン、アレサ・フランクリン、マーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダー、ブルースならマディ・ウォーターズにハウリン・ウルフ、ロックンロールならエルヴィス・プレスリー、チャック・ベリー、リトル・リチャードから、時代を経てローリング・ストーンズやフェイセズ、ハードロックならジミ・ヘンドリックスからクリーム、ザ・フー、レッド・ツェッペリンやディープ・パープル、プログレッシヴロックならキング・クリムゾン、イエス、ピンク・フロイドらの影響力が主だって語られていたりする。「音楽の幅」を括れないロックを考えると、ビートルズはたぶんそれに当たるが、他にもヴェルヴェット・アンダーグラウンド、デヴィッド・ボウイ、T・レックス、ロキシー・ミュージック、クイーン、一応は、ある音楽ジャンルというものに、あてはめられてはいるこういう人たちの影響力にまで思いは及んでゆく。
これは実際に狭義なたとえではあるが、1970年代から遡れば、1950年代から60年代にかける音楽のもっと細やかな影響まで行ってしまうと際限はない。ロックンロールにブルース、カントリー、ジャズからクラシック、現代音楽、他にも音楽ジャンルを挙げるときりがないが、1970年代の同時代性の影響力という点で観れば、その時代にあった音楽の同趣の感覚を引き合いに出すのは間違ってはいないのだと思う。
つまり、影響力の強かった音楽家なり歌手やグループなりがいて、それが話題、流行となり、主流の流れを作って、そこから支流になって音楽が拡がってゆく面は確かにある。

1960年代から70年代にかける日本の音楽、歌に影響力を持っていたもののひとつは、洋楽ならボブ・ディランの音楽だったかもしれない。日本では当時フォークソングの流行があった。例えばボブ・ディランのファンなら当然、ザ・バンドを知らない人はいないはずだ。ボブ・ディランのバックバンドを務めたザ・バンド、前身のホークスからザ・バンドの名に変えて活動を始めた1968年の、最初にもそこにはボブ・ディランの存在はあり、「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」では曲の共作に加え、ジャケットの絵もディランが描いていたりする。1970年代には再び共演し、1974年にスタジオ録音のアルバム「PLANET WAVES」とライブアルバム「BEFORE THE FLOOD」を残している。
ボブ・ディランの名前はここ日本でも有名だ。近年2016年にはノーベル受賞という話題もあった。
しかし、音楽を聴いている人、聞いていない人もたくさんいるこの世の中では、ボブ・ディランに比べ、ザ・バンドは、その名も音楽もたぶん知られていないのだと思う。ザ・バンドの音楽の影響力は、1970年代の日本のロックを聴いてみれば、幾らかは浮かび上がってくるかもしれない。

顧みれば、日本のロックも様変わりしてしまったものだ。音楽はいつの時代も更新されてきたが、今の日本のポピュラーミュージックには、洋楽それ自体の影響があまり見出だせないのは確かだと思う。邦楽はいつの間にか、洋楽の影響を受けずとも独自に発展してきたかもしれない。
この2020年の若い人たちが影響を受けたはずのものは、辿るにしても10年20年くらい前のものだろうか。もしもそこがルーツだとするなら、もうそれ以前の時代へと遡ることはないのだろうか。

それがすべてのものに当てはまるとは決して言えないが、自分の周りにいる、音楽を聞いている人たちが、聴いている音楽を、実際に自分も耳にするにつけ、聴いている人たち自身の”音楽観”が深められていないように感じる。いったいこれらの音楽の影響とルーツは何だろうかというところまで思いが及ばないのか。やはり過去へ向かうよりも、未来から届くものを受け取る方が道の筋としては確かなものかもしれない。
 

僕はいつも影響力の事を考え、感じている。
最近、ザ・バンドを毎日のように聴いてみているのだが、今までに聴いた音楽の中から思い出してゆくと、ザ・バンドの影響について思い浮かぶことがたくさんあった。

まず、自分がザ・バンドの影響力を感じたのは、イギリスのバンド、キンクスとブリンズリー・シュウォーツの音楽からだったかもしれない。僕は大学生の時にこれらを毎日、通学途中の電車でイヤホンを通して聴いていた。家に帰っても聴いていた。
特に、1972年のKINKS「EVERYBODY’S IN SHOW-BIZ」は、その時の自分の心の支えみたいなものだった。ユーモアとは何か、人生の哀しみと可笑しさについて、レイ・デイヴィスが音楽を通して教えてくれたものは、自分にとって多大なものだった。これがつらい日々の救いみたいに響いた。とにかく毎日飽きずに聴いたのは忘れない。
他にも同じように印象的に受け止めていた、BRINSLEY SCHWARZ「NERVOUS ON THE ROAD」も1972年のアルバムだった。
もっと忘れられないのは、同じ時期に聴き始めたロニー・レーンが、偶然にもちょうど同じタイミングで亡くなった事だ。1997年のことである。僕はロッド・スチュアートの在籍したイギリスのバンド、フェイセズとその前身バンド、スモール・フェイセスを高校生の時に知ってから、その音楽のなかでリードヴォーカルでなくとも、存在感のある歌い手ロニー・レーンを発見した。フェイセスのアルバム1971年の「A Nod Is As Good As A Wink…to a Blind Horse(馬の耳に念仏)」というアルバムにおけるロニー・レーンのバラード”Debris”とロッドとデュエットした”Love Lives Here”は目が霞むかのように美しく聞こえた。ロニー・レーンは、その一方で”You’re So Rude”という愉快なロックンロールを転がすように歌っていた。
フェイセス脱退後のロニー・レーンのアルバム「Anymore For Anymore」と「Ronnie Lane’s Slim Chance」の音楽はセンチメンタルでいとおしい夢のルーツロックが展開される。僕はその時、ここにはザ・バンドの音楽を見ていなかったが、実に英国のザ・バンドと言われる数々のグループの一つとして、影響としてロニー・レーンも取り上げるべきかもしれない。ロニー・レーンの音楽は涙と笑顔の音楽である。それは自分がかつてキンクスから受けたもの、今になってザ・バンドから受け取るもの、そのどれもと通じ合っている気がする。
 

キンクスがザ・バンドに影響されているかもしれないと、実際に音楽を耳で聴いて感じたのは、1970年の「Lola versus Powerman Moneygoround part1 」のアルバムの曲にやるせないヴォーカルとオルガンサウンドが響いたからだった気がする。その翌年「Maswell Hillbillies」から 
キンクスは分厚い音響でドカドカしたバンドサウンドを鳴らすが、特にその「マスウェル」と「Everybody’s in Showbiz(この世はすべてショー・ビジネス)」の音の鳴りが際立っている。
僕はザ・バンドの音楽をまだちゃんと聴いてもいない時期に、キンクスはバンドっぽいなぁなんて思っていたのだった。それはやはりザ・バンドを一聴して受けただけの印象である、オルガンの使い方、ピアノの鳴らせ方、どっしりしたドラムの打ち方、ノスタルジックなブラスバンドサウンドの響かせ方がキンクスに於けるこれらと通じるものとして結び付けられたのかもしれない。

その同じ時、僕はブリンズリー・シュウォーツのアルバムをある程度揃えて聴いていたが、気になるザ・バンド風のサウンドは同じ1972年の「SILVER PISTOL」と「NERVOUS ON THE ROAD」だと思った。次とその次のアルバム「Please Don’t Ever Change」(1973)「The New Favorite Of…」(1974)に進むと次第にポップ感が強まっていく。最後のアルバムは最早、後のパブロックムーヴメントから伝わるものと同じ感触の硬質なロック感が聞こえてくる。

僕はブリンズリー・シュウォーツのベース奏者リードヴォーカルのニック・ロウの声が好きだった。「Please Don’t Ever Change」にある”Down In Mexico”の音楽性、テックスメックスにも同時に興味を持つようになった。ニック・ロウのヴォーカルのロール感覚も見事だった。テックスメックスと言えば、その時代にはダグ・サームとライ・クーダーがその音楽を取り上げていたが、そこを聴くきっかけにもなったのだと思う。
いつだったか、ラジオ放送でボブ・ディラン特集を聞いていると、素晴らしく愉しい音楽、懐かしく哀しい歌が流れた。
愉しい音楽は”On A Night Like This”、哀しくて優しい歌は”Wallflower”だった。前者はザ・バンドをバックにしたディランであり、後者はダグ・サームのバンドに客演したディランである。これらのある種の音楽性はテックスメックスと呼ぶものかもしれない。
近年2015年にダイアナ・クラールが昔の曲を集めたカバーアルバムを出していたがタイトル曲は”Wallflower”だった。それも美しい音楽だったが、それならなおさらぜひ、1973年のオリジナルのDOUG SAHMバージョンは聴いておいた方が良い。
ダグ・サームとボブ・ディランが二人で唄ってディランが目立ちすぎるこの歌は、そんなことはどうでもよくなるほど、感じるものの方が大きい。思い出しても目が潤むくらいだ。ザ・バンドを聴く感動と同じものが流れるにちがいない。
 

今考えるのは、キンクスもブリンズリー・シュウォーツもその時、ザ・バンドのどの部分に影響を受けていたのかである。時期で言うなら、1972年前後は、ザ・バンド「ステージ・フライト」(1970)「カフーツ」(1971)の影響力が大きかったのではないかと思う。
特に「カフーツ」のアルバムはザ・バンドのなかでも変わったアレンジの強烈な印象が強い。キンクスの「この世はすべてショー・ビジネス」のアルバムに於ける妙なアレンジと思いがけない楽器の音色感を、僕はずっと不思議に思っていた。今は、もしかするとそれは「カフーツ」の影響だったのかもと思うのだ。
「カフーツ」の音楽は音色の洪水みたいに流れが鮮烈だ。これが当時、「ビッグ・ピンク」と「ザ・バンド」の傑作アルバムに劣ると感じられたにせよ、影響力をもって届かなかったとは考えにくいほど、やはり強い音楽だ。

代わって、ブリンズリー・シュウォーツの「ナーヴァス・オン・ザ・ロード」を今、聴き返してみると自分が聴いて思った当時の感じよりも、ザ・バンドよりもマージービートとエヴァリー・ブラザーズを想い起こさせる印象だ。だとすれば、ブリンズリーの感触は、ビートルズの最終作「レット・イット・ビー」に顕著なロックンロールルーツ感と通じているのかもしれない。「レット・イット・ビー」には1曲目”Two Of Us”からポール・マッカートニーとジョン・レノンによるエヴァリー風ハーモニーヴォーカルが表れるのを思い出してしまう。
そもそもビートルズが原点に戻ろうという1969年のゲット・バック・セッションの音楽的な影響力はザ・バンドから受けているものだと考えれば、そこは繋がるのだが。

とりあえず、ザ・バンドの強い影響力、「ステージ・フライト」「カフーツ」は今の時代に於いても必聴のアルバムだ。ザ・バンドの音楽性が最初の2枚で既に完成されたのだとしても、その後の試みはどうしても、素晴らしい感触だ。当時の影響力も踏まえれば、より面白さが増すと思う。
ザ・バンドを聴くほどに興味は尽きないし、かつての記憶が新たなものとして鮮やかに蘇るのだから嬉しいものだ。
 

ザ・バンドの音楽について語るとき、ボブ・ディランの存在は欠かせない。
実際にバンドとディランが共演した1974年の「プラネット・ウェイヴス」を聴くと、ザ・バンドはあの自らの音楽性の、特徴的などっしりとした含みのあるビートとリズムを表立って現していない気がする。主役はディランの曲であり、歌であり、そのテンポへ合わせるようにあるときはビートを速めに、リズムはひずむように重く刻み打たれている。レヴォン・ヘルムらしいビートとは別の感覚がする。加えて言えば、ロビー・ロバートソンのギタープレイがザ・バンドの時よりも饒舌に曲のなかで弾けているのが耳に残る。そう思えば、ディランとバンドのライブツアーを収めたアルバム「ビフォア・ザ・フラッド」でも、ロビー・ロバートソンはギターを弾きまくっている気がする。これはディランによるロックアルバムだ。歌も演奏に負けじと力み過ぎるくらい勢いづいている。それまでの代表曲を威風堂々に叩きつける様は圧倒という表現で良いのかもしれない。

ザ・バンドが翌年の1975年「南十字星」で、それまで標榜してきたかのような土着のアメリカンルーツ音楽よりも、引き締まった響きでロックを鳴らしているのは、このディランとの共演で得たものが形となったのかもしれない。
 

影響力を絡めて、合わせるように、音楽を聴いていけば、必ず発見がある。それが自分の単なる思い込みであったとしても、別に良いじゃないか。自由に楽しめれば、それは人生の美しさに貢献してくれる。
音楽はいつも自由を教えてくれる。

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