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人生の苦難・決断・旅立ちとともにあるユグドラシル

BUMP OF CHICKENがくれる光と温もり

BUMP OF CHICKENの4thアルバム「ユグドラシル」が発売されたのは2004年だが、今になって私の心に響いてくる。昨年4か月にわたって行われたツアー「aurora ark」。arkには「方舟(はこぶね)」という意味があり、方舟といえばユグドラシルのジャケットに書かれた船を思い出すリスナーも多いのではないだろうか。

もう16年も前にリリースされたこのアルバムに私が今フォーカスするのには、主に二つの理由がある。

一つ。直近のことだが、私は2月末で前の職場を退職し、3月から新しい会社で働くことになった。転職・引っ越しなどもろもろの手続きを終えて少し生活が落ち着いた今、ここ数か月のことを振り返ってみる。
そうすると、精神的に落ち込んでいた時、仕事と住まいを変えるという大きな決断をした時、そして別れのあいさつをしなければならない時……。数ある楽曲の中でも特に、ユグドラシルにある曲たちが寄り添ってくれるように感じ、励まされたからだ。

もう一つ。アルバムがリリースされた2004年8月の時点で、1979年生まれのメンバーは24~25歳である。私は現在26歳で、ユグドラシルに収録されている曲が生まれた時期に近いと思う。曲の制作段階ではさらにもう少し前だっただろうが、20代前半から半ばにかけて私が経験したライフイベントと重なるところは大きいだろう。作詞作曲を担当する藤原基央さんも、自身の経験したこと、または彼の友人や知り合いから見聞きしたものを踏まえて曲を書いてきたことだと思う。メンバーの当時の歳に追いついたこのタイミングで、自分の経験と照らし合わせながらもう一度じっくり観賞しようと思った。
 
 

社会人になって1年と少し経った頃。仕事が辛かった。言われたことが未だにできないどころか、小さな事故も重なって周りの足を引っ張るばかり。自分に非があることは冷静に考えると分かるのだが、自分を守ろうと必死なのでとっさに言い返してしまう。それは言い訳だと火に油を注ぎ、さらに怒られる。いつまでたってもできない私に、そして反省する態度が感じられない私に、周りの目はどんどん冷たくなった、ように感じた。

これまでも強い言い方で怒られることはあったのだが、特に12月は色んなことが重なり、怒られることもそのきつさも増していった。自分の悪いところを自覚しながらも素直に受け入れることができず、その時の怒られ方も恐怖でトラウマになった。仕事への向き合い方がなっていない、這い上がってくる気持ちが感じられない、人としてどうなんだ、とも言われてきたので、社会人として、いや人として生きていけるのだろうかと不安でいっぱいになった。

人間という仕事をクビになって どれくらいだ
-ギルド

勤務時間だけでなく仕事が終わった後でも休日でも、年末年始の長期休暇に入ってさえも、仕事のことをあれこれと考えてしまう。あの時の恐怖を思い出して、何でもない時でも泣いてしまう。
年が明けてもまだ引きずっていて、仕事のミスや失敗も多くなった。新しく後輩も入ってきたが、今の私よりも後輩の方がてきぱきと仕事をこなしている。悪いのは自分、いつまでたっても直せない、変われない自分に嫌気がさした。自信を無くした。

この職場にいない方が良いのではないか。そのように塞ぎ込んでいた時に流れてきたfire signのこのフレーズに、励まされた。

ここに居場所は無い という涙で濡れた土の上で
倒れそうな旗をいつまでも 支え続けてる人がいる
-fire sign

幸いにも仕事以外のコミュニティは地域にあって、相談できる人は居た。単なる知り合いではなく、お互いどのような仕事をしていて何が好きで、プライベートでもこのようなことに力を入れていて……を知っている、顔が見える仲だ。そういう人たち数名に相談に乗ってもらった。話しながら泣いてしまって上手く話せたわけではないのだが、「私が仕事で辛い思いをしている」ということは伝わったと思う。自分の存在を支えてくれる気がした。
 

このように励ましてくれる人はいるがしかし、数時間後にはまた出社しなければならないと思うと胃がきりきりする。会社を辞めたい。しかし辞めたところで、これから稼いでいく手段に当ては無い。それにまず、誰にどうやって退職の意向を伝えれば良いのか。周りにはどう思われるだろうか。退職を引き止められるほど仕事ができるわけではないが、悪い印象だけが残って出て行くのは、この先ずっと後悔しそうで避けたかった。
会社に居続けるのは苦しい。しかし辞めようと動き出すのも怖い……。

留まるも動くも闇。
そのような時に、背中を押してくれた、とまではいかないのだが、私の心情をくみ取ってくれたのが「太陽」という曲だった。

二度と朝には出会わない
-太陽

太陽という曲名の明るいイメージとは裏腹に、このような一節から始まる暗めの静かな曲だ。
ドアノブが壊れかけていて、窓の無い真っ暗な寒い部屋。光も熱も無い部屋だ。なかなか見つけてもらえず、それでも探しに来てくれた人がいてライトで照らしてくれたと思ったらそのライトを壊してしまう。曲調や歌詞の内容から、閉塞感、孤独感がひしひしと伝わってくるのだ。

空のライトが照らしてくれた 僕には少し眩しすぎた
……
君がライトで照らしてくれた 暖かくて 寒気がした
……
君のライトを壊してしまった 窓の無い部屋に来て欲しかった
-太陽

暗いところにいると、照らしてくれても眩しすぎて見えなかった。寒いところにいると、暖めてくれてもその温かさを受け止められずぞっとすることだってあった。そして、自分に気付いて欲しい、触れて欲しい、寄り添って欲しい。そう願ってあがくがその方法がわからず、むしろ遠ざけてしまった。そのような、人付き合いが下手な自分を映し出したようだった。

そして、再び前にしたドアノブ。

ドアノブが壊れかけていて
取れたら最後 もう出られはしない
出れたら最後 もう戻れはしない
-太陽

機能しないまま壊れても、壊れないまま機能しても、良い結果にありつくとは限らないし後戻りもできない。出ていくことも居続けることも怖い。さらには外側からドアを開けることもできない。つまり、自らが選びに行かなければならない。それは決断する時の怖さでもある。

太陽は、地球規模の光と熱を司る象徴だと思う。無ければ暗かったり寒かったり、強いと眩しすぎたり熱すぎたりと不快感を与えるが同時に、私たちが生きるこの世界に、明るさと温かさをもたらしてくれる。人と関わることで経験する恐怖もあれば安心感もある。自分の殻に引き籠もっているだけでは気付かない、外の世界と交わることで得られるもの、それを掴みにいく覚悟を、「太陽」という曲は教えてくれた。
 

置いていかれた迷子 遅すぎた始まり
さあ 何を憎めばいい
目隠しをしたのも 耳塞いだのも
全てその両手
-オンリー ロンリー グローリー

星は廻る 世界は進む
おいてけぼりの 心の中に
-fire sign

両曲とも、一番のBメロを抜き出した。自分しか見ていなければ、自分が進んでいるのかも止まっているのかも分からなかった。少し周りに目を向けてみると、自分は立ち止まったままで、動き出せていないことがわかる。自分がどう過ごそうとも世の中は無情にも進んでいく。
それが、後半ではそれぞれ

笑われる事なく 恨まれる事なく 輝く命など無い
眩しいのは最初だけ 目隠し外せ
ほら 夜が明けた
-オンリー ロンリー グローリー

星を廻せ 世界を掴め
僕らの場所は 僕らの中に どんな時も
-fire sign

と、自分で取りに行く、選びに行く、掴みに行く。このような、意志を持った強い言葉に変わる。
私の臆病さ、迷い、怖さを認めながらも、前に進めてくれるのだ。

このような曲たちに支えられながら、私は仕事の空いた時間で自分の過去を振り返った。できそうなこと、やりたいこともあげてみた。思い浮かぶだけ書き出してみた。今後の生活、とりわけ職選びのヒントになるのではないかと期待して。まるで学生時代の就職活動で自己分析をする時のように。しかし今では、一度社会人として働いている経験があるので、学生時代よりも外の世界を知っているつもりだ。自分の心の中に、答えが見つけられると信じて。

思い出したんだ 色んな事を
向き合えるかな 沢山の眩しさと
-ギルド

これまでの自分自身の言動、接してきた人たちとの出来事。思い出せることは、私の記憶に強く残っている眩しいものだろう。勉強やクラブ活動、努力をして結果を残せたこと、上手くいって褒められたこと。これらは中高時代の、子どもの頃の話だ。
成人してからは、失敗して迷惑をかけたこと、信頼を無くしたあの人とのやりとり。人に話すには恥ずかしいこと、思い出すのもぞっとすることも多い。過去の良かった自分、それが私には眩しすぎて、今のダメな自分への劣等感に押しつぶされそうになることもあった。

それでも、

過ちも 間違いも 自分だけに価値のある財宝

sailing day 舵を取れ
哀しみも 絶望も 拾っていく 呆れたビリーヴァー

誰もが皆 それぞれの船を出す
それぞれの見た 眩しさが 灯台なんだ
-sailing day

過ち、間違い、哀しみ、絶望……。プラスとは言えないネガティブなものでさえも拾っていく。生きる旅の途中、見聞きしたくないものと出会うことはあって、苦い記憶を消すことはできなくても、その経験があるからこそ今後の生活に生きるものはあるだろう。他人にはない、それぞれの見た眩しさがあるから。
 

相変わらず苦しい仕事続きの日々を送っていたが、1月の終わり頃、思いがけない転機があった。大学時代にお世話になった恩師が声をかけてくれたのだ。私が仕事で苦しんでいることを知って、この会社はどうかと、その恩師の友人が代表を務める就職先を紹介してくれた。
恩師はすぐにその代表者につないでくれた。私が連絡を入れると、その代表の方は数日後には会いに来てくれた。片道6,7時間かかる道を、私が行くのではなく、あちらがわざわざ会いに来てくれたのだ。
当時の私の状況や気持ちを話し、先方からも仕事内容や待遇などを話してもらった。一日でも早く来てくれると助かる、とも言ってくれた。ここで働きたいと思った。当時勤めていた会社の苦しみからは逃れられるし、仕事内容に惹かれるものもあった。金銭的にも生活していけそうだ。
ところが一つ、引っかかることがあった。それは”引っ越しを伴う”ということだ。

仕事は苦しいが、この街は好きだった。正確には、この街の人が好きだった。大学卒業後、就職を機に引っ越してきたこの街。一年と少し過ごしてきて、地域の人たちに顔と名前を覚えてもらえた。私の好きなこと、頑張っていること、それらを知ってくれる人も増えてきた。一緒にご飯を食べたりカラオケに行ったり、仕事の苦しみを紛らわせてくれるかけがえのない友人ができた。そして、一緒に地域を盛り上げよう、過疎化が進むこの田舎街を元気にしようと、色んな取り組みに声をかけてくれる人もいた。現に進行中の企画もあり、来年度からの係の候補にしてくれている話もあった。

そのような中で舞い込んできた、引っ越しを伴う転職の話。
迷った。ようやくこの街に馴染んできて、これから自分も地域活動を、と思っていたところだった。

どれもが 温かくて 失い難い いくつかの光
-同じドアをくぐれたら

転職をし、より良い健康状態で仕事をして社会に貢献すること。
誘いを断り、この地域に留まって地域活動に取り組むこと。
体は一つしかない。どちらも捨てがたい。

手に入れる為に捨てたんだ 揺らした天秤が掲げた方を
-同じドアをくぐれたら

「揺らした天秤が掲げた方を(捨てる)」という表現が、個人的にはとても気に入っている。”選ぶ”方ではなく”捨てる”方に着目していること、そして「掲げた」という表現から、捨てる方も非常に大事にしているのが伝わってくるのだ。

結局、後者を捨てた。ようやく馴染んできたこの街を、出ることにした。
これで良かったのだろうか。不安になった。社会貢献と言えば聞こえは良いが、当時の会社の苦しみから逃れたい、というのが本音だった。これから一緒に頑張っていこうね、何かあったら相談に乗るよ。そう話してくれる仲間もいた。約束を破ってしまう気がした。もちろん、また帰って来れば残してきた人に会うことはできるが、住み続けることでしか成し得ないことはあるはずだ。転職するにしても、この地域に留まりながら働ける仕事を探す選択肢もあったはずだ。それをするよりも前に、一刻も早く逃げ出したいという気持ちが強かった。

だから、新しい就職先は決まったがしかし、後ろめたい気持ちだった。そのような複雑な心境に、このような歌詞が続く。

そんなに勇敢な選択だ いつまでも迷う事は無い
……
振り返らないで 悔やまないで 怖がらないで どうか 元気で
-同じドアをくぐれたら

手に入れることよりも、捨てることの方が勇気を必要とすると思う。迷いながらも自分で選んだ未来を「勇敢な選択だ」と尊重し、励ましてくれる。引っ越しを伴う転職。自分にとっては大きな決断だった。それに寄り添ってくれたのが「同じドアをくぐれたら」という曲だった。
 

何とか会社側に退職の意向を伝えることはできたが、後味は悪かった。辞めるタイミング、退職を告げる際の言葉の選び方・言い方、どれも悪かったのだろう。
退職を告げてから実際に退職する直前の一ヶ月は、本当に精神的に参っていた。ゴールは見えていたが、それでも辛かった。今までの自分とは思えないくらい震えた声しか出せなくて、誰かと話していたら泣いてしまう。そのため人前に出ることを控えていた時期もあった。どうしても仕事で出なければならない時以外はなるべく人目を避けて、泣いていた。

それでも、

歌うように 囁くように 君を信じて待ってる
微かでも 見えなくても 命の火を見つける
-fire sign

やはり、曲はそばにいる。身体的にも精神的にも疲弊していた。燃え尽きそうな、消えて無くなりそうな細く小さな火。そのような状態でも、待ってくれる人、見つけてくれる人がいた。この曲はみんなで歌うコーラスの部分もあるので、仲間が居ることをよりいっそう強く感じることができるのだ。

地域のみんなと過ごせるのもあとわずか。できるだけ顔を出しておきたい。しかし頭の中は仕事のことでいっぱい。夜までひきずってしまい、車で近くまで行くが、泣いてしまうので引き返したこともあった。みんなが楽しそうに話している中で、悲しみの涙はふさわしくない。
何とか平静を保ち、今日は行けるかな。そう思って足を運んでも、疲れて泣きそうな気持ちは周囲に伝わっていたのだろう。

君が そこに居ないと気付いたら とにかく探すだろう
「そこに居る」のに「居ない」と気付く時もあるだろう

この眼が視力を失くしても 僕は君を見るだろう
体中の細胞 フル動員で 君を見るだろう
-embrace

「『そこに居る』のに『居ない』」というのは、物理的には姿が見えるがいつものその人じゃない、何か異常があってその人らしくない、と気付いてくれることだと思っている。眼で見えるものだけではない、声や息づかい、温度感などで、私の心境を察知してくれたように感じた。「今日はちょっと元気なかったね」と心配してくれる人もいた。

腕の中へおいで 隠した痛みの
その傷口に 触れてみるよ
-embrace

隠れている自分の存在さえも忘れず、「おいで」と言ってくれる人がいた。私を見つけようとしてくれる、話を聴いてくれる、その傷口を感じようとしてくれる、そのような人がいるおかげで、少し精神的に立ち直れたこともあった。
 

いよいよ引っ越しが近くなって、お世話になった地域の人たちにあいさつへ行く。SNSで一言連絡すればいいと思う人もいれば、せめて電話をして声を届けたい人もいる。そして、直接会って顔を見ておきたい人もいる。

ユグドラシルの中では有名な曲に入るであろう「車輪の唄」。私はこの曲で唄われているような、明け方に自転車で駅まで誰かを送ったり送られたりした経験は無いのだが、時間や場所を丁寧に表現した歌詞と疾走感のあるメロディーのおかげで、情景が鮮やかに浮かんでくる。この曲を書いた藤原さんが、その時感じたことを共有しようとリスナーに寄り添ってくれる、優しい唄だと思う。

おととい買った 大きな鞄
改札に引っ掛けて通れずに 君は僕を見た
-車輪の唄

“愛用していた小さな鞄”などではなく、「おととい買った大きな鞄」である。これから始まる新生活、旅立ちを意識しての持ち物だと想像する。

振り返る事が出来なかった 僕は泣いてたから
……
泣いてただろう あの時 ドアの向こう側で
顔見なくてもわかってたよ 声が震えてたから
-車輪の唄

の歌詞にあるように、見送る側も見送られる側も泣いていて、お互いの顔を見ることができていない。実際私もあいさつをする時、涙は出てしまって目も合わせることができなかった。涙の理由は、よく分からない。私がその地域を離れることを知って「寂しい…」と言ってくれる人もいた。その人の寂しさを埋めるだけの一人にはなれていたのかなと思うと、安心した。一時は、「ここに居場所は無い」と思っていたから。自分を必要としてくれていることが分かったから、嬉しくて泣いてしまったのだろうか。

そして、

「約束だよ 必ず いつの日かまた会おう」
応えられず 俯いたまま 僕は手を振ったよ
……
約束だよ 必ず いつの日かまた会おう
離れていく 君に見えるように 大きく手を振ったよ
-車輪の唄

と、見送られる側も見送る側も「また会おう」と思っているのだ。実際、「いつでも帰っておいで」「戻って来る時は連絡してね」「今度そっちへ泊まりに行くよ」と言ってくれる人もいた。「さよなら」ではなく、再会を約束してくれる言葉。引っ越しして遠くに行ったとしても、帰って来る場所があるという安心感があった。永遠の別れではなく連絡を取り合えば再び会える、お互い相手のことを想っていれば会うことができると、信じているのだ。
 

さて、退職日を迎えて翌日は引っ越し、さらにその翌日から次の会社で初出勤と慌ただしく新生活が始まった。

状況はどうだい 僕は僕に尋ねる
旅の始まりを 今も 思い出せるかい
-ロストマン

状況はどうか。転職してようやく、持ち直してきたところだ。仕事はまだおぼつかないが、少しずつできるようになっていくことに自信を取り戻しつつある。職場の先輩たちも温かく迎えてくれて、今のところはやっていけている。
旅の始まりと言えば、転職を決意した頃だろうか。いや、もっと前、大学を卒業して初めて社会人として働く就職先を探す時だろうか。どのような仕事が向いているのか、自己分析をして色んな人にアドバイスももらって、自分という人間を探った。

いろんな種類の 足音 耳にしたよ
沢山のソレが 重なって また離れて
-ロストマン

いろんな種類の足音。学生時代と、卒業して社会人になって入ってくる、周りの近況。それぞれの道で頑張っている人、夢を叶えようと国境をも越えてチャレンジしている人。それに比べて自分はどうか。それらたくさんの情報が、頭の中で巡った。

私にも少なからず、憧れの、目指していた職業があった。しかしそれが叶わず、好きでも得意でもない仕事にありついた。何かしらの職に就き、稼がなくてはと思っていた。

迷子って 気付いていたって 気付かないフリをした
-ロストマン

20代半ばに入り、周りの大人は「私は○○で食っていく」「私は○○のプロだ」という自負があるように見えた。しかし私には、そういうものがない…。20代後半以降のキャリアを想像した時に、そのような道筋が見えない。社会人としてやっていけるのだろうか。目の前の仕事をこなすことですらままならないのに。自分では一生懸命やってきたつもりだが、世間は厳しく結果を求めるし、自分の成果物が通用しないこともある。そして、好きなことややりたいことがないわけではないのだが、仕事とプライベートをどう両立していくのか、または好きなことを仕事にしたら嫌いになるのではないか、やりたくなくなるのではないか、そのようなことを恐れていたのだ。うすうす感じながらも認めたくなかった。迷子だったのだ。

状況はどうだい 居ない君に尋ねる
僕らの距離を 声は泳ぎきれるかい
-ロストマン

歌詞に出てくる「君」は、失敗せず思い通りに進んだ時の自分だと、私は解釈している。夢を抱き、望んだ道を進み、生き生きと活躍している君。私が憧れ目指していたあの職業に就いて、熱く真っ直ぐに進む君。想像してみる。そんな君と会話ができるのだとしたら、私は君にどんな言葉をかけるだろうか。そして君は、私にどんな言葉をかけるだろうか。そんな事を考える私は、未練があるのだろうな…。叶わないと分かっている夢に。今更戻ってやり直すことなんてできないのに。

強く手を振って 君の背中に
サヨナラを 叫んだよ
そして現在地 夢の設計図
開く時は どんな顔
……
強く手を振って
あの日の背中に
サヨナラを
告げる現在地 動き出すコンパス
さぁ 行こうか
ロストマン
-ロストマン

しかしそういう君と、決別をする時が来た。強く手を振るほどに。過ぎた時間に戻ることはできない。あの時こうしていれば…と過ぎたことを悔やんだところで状況は変わらない。思い通りに事が運ぶことで見える景色はそれで素晴らしいものだと思うが、壁にぶつかって乗り越えてこそ得た経験、遠回りしたかもしれないが、必要な時間だ。たくさん迷って傷ついて、強くなった今の自分を信じて、目の前の道を進むしかない。その経験を糧に、君が描けなかった設計図を描き、向き合い、行くべき道を確かめる。そうすることで止まっていたコンパスは動き出し、迷子だった私も一歩踏み出すことができる。

君を忘れたこの世界を 愛せた時は会いに行くよ

間違った 旅路の果てに

正しさを 祈りながら

再会を 祈りながら
-ロストマン

私が歩んできた旅路、とりわけ職選びに関しては、間違っていたと思う。得意なことでも好きなことでもない。思うようにいかず、報われないことばかりだ。しかし、行き着く先は正しいと信じている。初めは興味がなかったが、やってみれば案外得意で他者に認められる場合もあれば、やりがいを見いだしてよりいっそう熱心に取り組める場合もある。転職してたどり着いた今の職場、今の仕事、これが私に合っているのか、私にとってベストな環境なのかはまだ分からない。しかし、思い通りに進んだ君も、思うようには行かず遠回りの私も、誰かの役に立つ、誰かの幸せに貢献するというゴールに向かっていて、そこで再会する日が来るのではないか。そう祈りながら前に進めてくれる唄だ。
 

最後に。
ユグドラシルに収録されている曲たちは、私たちリスナーに「光」を照らしてくれるものではないかと、振り返りながら考えた。「光」だけでなく「灯台」「眩しさ」「明かり」「火」「ライト」…。歌詞の中に、光を連想するような単語が散りばめられている。そして光を照らすと同時に、”温かさ”ももたらしてくれる。光るものは、熱ももつ。暗いところにいる人を照らし、寒くて震えている人を暖めてくれる。そのような魔法のような曲の根源が、ユグドラシル(世界樹)ではないだろうか。

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