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論理性を超えうる妙なる言葉

Mr.Childrenと米津玄師の共通項

<<どうして 歴史の上に 言葉が生まれたのか>>

椎名林檎さんは楽曲「本能」のなかで、そう問いかける。それに対する明快な答えを示すことは、もちろん僕などには到底できない。ただ思うのは、非凡な作詞者が<<言葉>>にならない気持ちを吐き出す時、とてつもない説得力が宿るのではないかということである。椎名林檎さんの意味する<<言葉>>や、言語学が定義する<<言葉>>に、どこまでが含まれるのかは分からない。たとえば、スピッツが「水色の街」のサビで放つ

<<ラララ…>>

という歌声は、はたして<<言葉>>なのだろうか。文学的な歌詞を紡ぎ出す草野氏は、ここに何らかの「言葉らしい言葉」を置くこともできたはずだ。それでも<<ラララ…>>を選んだスピッツは<<言葉>>にならない気持ちをリスナーに届けようとしたのではないだろうか。

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僕が長い間、作詞家として敬愛してきたのは、Mr.Childrenの桜井和寿氏である。ほとんどの楽曲の歌詞を暗記するほどに読み込んでおり、そのうちのどれを「非凡さを示す例」として挙げるべきか、正直なところ決めかねる。早く本題に入りたいので、いまパッと思い付いたものを挙げるなら「祈り ~ 涙の軌道」に含まれる、以下のセンテンスである。

<<「純粋」や「素直」って言葉に 悪意を感じてしまうのは>>
<<きっと僕に もう邪気があるんだね>>

本曲の主人公は、他ならぬ<<言葉>>を無邪気には受け止められなくなってしまった自分を嘆く。もしかすると人間は、加齢とともに(本来的には)ポジティブである<<言葉>>に、皮肉を込めてしまったり、込められたりしてしまうのではないだろうか。少なくとも僕は、その手の「ありがとう」を口にしてしまったことがあるような気もするし、同種の「ありがとう」を言われた経験もあるように思う。

このように多くの人を(少なくとも僕を)代弁するような歌詞をつづる桜井和寿氏は、時に「言葉にならないもの」を放とうともする。

楽曲「ラララ」のコーラスは、まさに<<ラララ>>の繰り返しである。さらに言うなら「声」のサビでは、桜井氏は、ひたすらにシャウトするのだ。

<<言葉はなかった>>

と歌いはじめる桜井氏は<<言葉>>にできない激情を力強く解き放つ。桜井氏が巧みな比喩表現を生みだしてきたからこそ、そして人間の生を照らし出すような鋭い観察眼を持っているからこそ「ラララ」や「声」に含まれる、<<言葉>>と呼んでいいのか分からない<<言葉>>が、強烈な印象を残すのではないかというのが私見である。

***

最近、その魅力を知るようになった米津玄師氏も、やはり非凡な作詞者である(米津氏がMr.Childrenを愛聴しているかは知らない)。その紡ぎ出す<<言葉>>のなかから、どれを「代表例」にすればいいのか、やはり僕は迷ってしまう。季節柄「春雷」のなかから、印象に残ったセンテンスをピックアップしてみたいと思う。

<<言葉にするのも 形にするのも そのどれもが覚束なくって>>

これが米津氏の直情なのだとしたら、彼ほどに非凡な作詞者が<<言葉>>の選び方に迷うこともあるのだという事実に、いくぶん僕は慰められる。<<言葉>>で届けられないものを、人間はプレゼントで表そうとしたりする。それでも米津氏は(楽曲「春雷」の主人公は)<<形>>を持つものにさえ、頼り切ることが難しくなるほどの恋情にとらわれている。

<<痛みに似た恋が体を走ったんだ>>

米津玄師氏の「春雷」から、僕はMr.Childrenの「Sign」を連想する。

<<身体でも心でもなく愛している>>

Mr.Childrenのファン層と、米津玄師氏のファン層が、どのくらい重なっているのかを、よく知りはしない。そしてご当人同士が、何らかの接点を持っているかも分からない。それでも彼らが、鋭い切り口で人間の感情を活写するという「共通項」を持つことには、どちらのファンにもご賛同いただけるのではないだろうか。

そして米津氏も、その語彙が豊富であるからこそ、時に放つ「論理性から離れたような歌声」に、輝きを持たせられるのではないだろうか。Foorinに託し、セルフカバーもした「パプリカ」で歌われる

<<らるらりら>>。

この響きを理屈っぽく解釈しようとするのは、ことによると無粋なことなのかもしれない。Mr.Childrenが「ラララ」や「声」で放ったような「言語では表しがたい感情」を、米津氏もまた放ったのではないだろうか。

あらためて椎名林檎さんの問いかけを引用する。

<<どうして 歴史の上に 言葉が生まれたのか>>

それは恐らく、何かを伝え、表現し、記録するためだったのだろう。それでも、矛盾したことを言うようだけど、<<言葉が生まれた>ことで、それによって表しえないものの尊さが、強調されたのではないだろうか。

桜井和寿氏も米津玄師氏も、これから先、恐らくはアッと驚くような<<言葉>>を紡ぎ出し、独創的な旋律に乗せ、世に解き放ってくれるのだろう。それでも僕は、そのような2人が<<ラララ>>と歌ったり<<らるらりら>>と歌ったりするより他ない時があるからこそ(そうなのだろうと察するからこそ)彼らに親近感をおぼえるのだ。

この拙文を読んでくれた人が、もしMr.Childrenのファンであったとしたら、米津玄師氏の楽曲も聴いてみてほしいと思う。そして米津玄師氏のファンであったとしたら、Mr.Childrenの作品も試しに聴いてみてほしいと思うのだ。「パプリカ」を聴くことで、音楽そのものに興味を持ちはじめたという少年少女は、きっと多いのではないかと思う。彼ら彼女らのためにも、Mr.Childrenと米津玄師氏に(仮に個人的な親交はないのだとしても)励まし合うように活動を続けていっていただきたいと、身勝手に願う次第である。

※<<>>内は椎名林檎「本能」、スピッツ「水色の街」、ミスターチルドレン「祈り ~ 涙の軌道」「ラララ」「声」「Sign」、米津玄師「春雷」「パプリカ」の歌詞より引用

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