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BUMP OF CHICKENを聴きつづけるために

まだ何かを願うことができるのなら

いい齢になった。「なってしまった」と書くべきだろうか。もうすぐ39歳になる。年長者から「不惑も迎えていない人間が生意気なことを言うものじゃないよ」とお叱りを受けるかもしれないけど、自身の感じる限り、とてつもなく長い道だった。どこまで伸びる道なのかは、もちろん誰にも分からない。

「ああ、いま自分は、誰かの役に立てたのだな」と確信できた瞬間が、片手で数えられるくらいはある。そういう意味では、恐らくは無意味な半生ではなかったのだろう。経験上、私欲を叶えられた時よりも、他人様に喜んでもらったり、その悲しみを小さくできたりした時のほうが、バイタリティを得られるものだと思う。だから僕は幸せなのかもしれない。もし近い将来、地球が滅びるとしても、僕の拍動が止まるとしても(どちらも起こりえることである)悔いは残らないかもしれない。

<<僕はいつか 空にきらめく 星になる>>
<<お前のそのブルースは 皆の心の中に刻まれた>>

BUMP OF CHICKENは「ガラスのブルース」のなかで、そんなことを歌う。僕は<<ブルース>>を歌ってきたわけではない。そして<<皆>>と呼ぶほど多くの人に、何かを届けられてきたわけではない。それでも僕は(非力であり身勝手でもある僕は)私利だけを求めて生きてはこなかった。だから、あらためて言う。僕は幸せなのかもしれないと。

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それでも40年近くを生きたことで、この世界に(人生に)色々な種類の悲しみがあることを知りもした。自分が誰かに痛めつけられることも、もちろん悲しいことだけど、自分が誰かを傷つけてしまったと痛感するのは、それ以上に悲しいことだと思う。傷つけたり傷つけられたりするのが、恐らくは人間の生というもので、その手の悲しみを味わうことは避けがたいものなのだとしても。

味わってきた悲しみのなかから、これ以上のものはないというのを挙げるなら、それは「誰かと別れることで(あるいは誰かを亡くすことで)その誰かを思い出させるものが生じ、それらを忌避するようにさえなってしまう」ことだ。

30代を迎えたころ、ある女性から(僕には不相応な)高級ブティックのグッズをプレゼントしてもらった。もう僕は、現世で彼女に会うことはできない。そのブティック自体に対する嫌悪感など、もちろん全く持ちはしない。それでも、その刻印が押されたバッグを持つ誰かを見るたび、その香水をまとう誰かとすれ違うたび、たまらなく悲しくなる。

同じようなことがBUMP OF CHICKENの楽曲についても言える。その旋律を聴くたびに、その歌詞が耳に届くたびに、僕は自分が誰かを傷つけたり、喪失したりしてきたことを思い出してしまう。いま僕がBUMP OF CHICKENのことを「心から好きだ」と言えるかは、かなり際どいところである。持っているCDを、すべて誰かに譲り渡してしまいたくもあるのだ。

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楽曲「ベル」のなかには、こんなセンテンスが含まれる。

<<「元気?」って たずねる 君の声>>
<<僕の事なんか ひとつも知らないくせに>>

同じような経験をしたことがある。不遇に見舞われた時、体を壊した時、心ある人たちが<<元気>>かよ、大丈夫かよと問いかけてくれた。<<元気>>なわけがないだろう、大丈夫なわけがないだろうと、心のなかで叫んだ。

さすがに口に出しはしなかったけど、その時に僕がまとっていた、針のように尖った雰囲気は、恐らくは相手を傷つけてしまったのだろうと思う。どうして僕は微笑んで「大丈夫だよ、ありがとう」くらいのことを言うことができなかったのか。そして他人様にデリカシーを求める僕が、耐えがたい苦しみにとらわれているはずの友人に「大丈夫か」と訊ねてしまったこともあるのだ。大丈夫なわけがないと分かっていたのに、動揺して気の利いたことが言えなかったのだ。

そんな風にして、僕は「ベル」という楽曲を、好きではなくなってしまった。あまり聴かないようになってしまった。

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「レム」という楽曲も、かつては好きだった。「好き」などという表現では軽いかもしれない。この歌のなかでBUMP OF CHICKENが<<アンタ>>と呼ぶ人物は、いわば反面教師として、いつまでかは僕の傍に立ってくれていた。

<<冷めたふりがしたいなら もう少し賢くやれ>>
<<今更何を怖がる 嘘を嘘と思わずに>>

「嘘も方便」という言葉がある。ひとつのウソもつかずに生きてきた人は少ないだろうし、100パーセントの真摯さを強要することは、個人的には好まない。自分のハートを守るために、あるいは誰かを傷つけないために、時に僕たちはウソをつかなければならないものだと考えている。

それでも僕は「赦されないウソ」というのもあるはずだと、ずっと考えてきた。<<冷めたふり>>というのが、その最たる例だと思う。情熱が残っているなら、投げ出せない何かがあるのなら、そういう自分から逃げてはいけないと思う。その「情熱」に心身が耐えられなくなっているのなら、それを手離す時なのだろう。それでも僕は考えてきたのだ、あきらめたふりをしてしまったら、それはあきらめたのと同然なのではないかと。

そうやって自分なりの熱をもって生きてきた僕にとって<<アンタ>>は今、反面教師ではなく、自分自身になってしまったように思える。

<<美味い・不味いの基準は 隠れて読んだ週刊誌>>

僕はファッション誌というものを購読しないし(自分の服は自分で選ぶ)、芸能誌の類も読まない(あの清純派女優がどうのこうの、というようなことが書かれた表紙を見るだけで苛立ちを覚える)。それでも、いつしか、情報に振り回されるようになってはいる。ネット上で雑貨を購入しようとする際は、誰かの書いたレビューを参考するようになってはいる(同じことをしている人を批難するつもりは毛頭ないけど)。

このまま進んでいけば、やがて僕は飲食店の善し悪しさえも<<週刊誌>>を読んで決めるようになってしまうのではないだろうか。せっかく親に、食べものの好き嫌いをしない(所謂)「食育」をしてもらったのに、敏感な味覚をもたせてもらったのに。僕は「なりたくなかった大人」になってしまった。そのことに気付いてガッカリしている後輩もいるかもしれない。極端に言えば、僕は彼ら彼女らを裏切ったことになる。傷つけたことになる。

<<週刊誌>>そのものには存在の意義があると思う。それに甘えようとする僕自身が嫌いなのだ。いま僕は楽曲「レム」が好きだと言い切ることはできない。

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それでも応援歌のように響いてくるのは(辛うじて「好きだ」と言えるBUMP OF CHICKENの曲は)「乗車権」である。この楽曲で描かれる、道を誤った自分を咎め、何かに抗おうとする主人公の姿は、いまの僕に重なる。

<<人間証明書が無い 予定外 俺が居ない>>
<<こんな人生は 望んじゃいない>>

僕が僕でなくなってしまったのは、望んでいた大人になれはしなかったのは、きっと誰のせいでもない。少なくとも他人様のせいではない。恐らくは問題は僕にあるのだろう。かつて好きだったBUMP OF CHICKENの歌を、一曲ずつ、心のなかのジュークボックスから削り落としてきたのは、他ならぬ自分自身だ。どんなに悲しいことがあっても、誰かを悲しい目に遭わせても、好きなものを好きでいつづけるための努力は、してこなければならなかった。

<<見逃してくれ>>

そう「乗車権」の主人公は訴えかける。本音を言うなら、そう僕も歌いたい。それでも、そんな弱音を吐くことは赦されない歳でもあると感じる。誰かが赦してくれるのだとしても、僕自身が僕を赦すことをできそうにないのだ。

BUMP OF CHICKENの楽曲「ロストマン」をフェスで歌ったことがあるMr.Childrenの桜井(櫻井)和寿氏、彼の書いた「ランニングハイ」の歌詞から、一文だけを引用する。

<<気付けば要らんもんばかり まだ間に合うかなクーリングオフ>>

多くのものを紛失してきた僕は、不要なものを求めて、溜め込んできたようにも思う。それを欲している人に、捨て値で譲ったり、タダで引き取ったりしてもらうことが、もう若くない僕に課せられたことであるのかもしれないし、己が<<望む事>>でもあるのかもしれない。

他にもまだ、僕にするべきこと、できることは残っているかもしれない。<<まだ間に合う>>だろうか。僕は<<クーリングオフ>>をしたいわけではない。もう一度、BUMP OF CHICKENを好きになりたいのだ。まだBUMP OF CHICKENのCDを譲り渡す時ではない。

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<<生まれてきた事に意味があるのさ>>
<<1秒も無駄にしちゃいけない>>

BUMP OF CHICKENの呼びかけに応えるべく、<<ガラスの眼をした猫>>を見倣うべく、命ある限り、何が自分に遺せるのかを考えていきたいと思う。最後の<<1秒>>まで。

※<<>>内はBUMP OF CHICKEN「ガラスのブルース」「ベル」「レム」「乗車権」、Mr.Children「ランニングハイ」の歌詞より引用

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