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「別れ」と「出会い」、――それができない季節にこの『花』を。

polly『FLOWERS』

 それは拍子抜けからはじまった――。もう覚えていない。Apple MusicだったかSpotifyだったか、サブスクリプションの「おすすめのニュー・リリース」のような一角で見つけたのだろうか。いや、ニュー・リリースでもなかった。2019年11月にリリースされた、pollyの3rdミニ・アルバム『FLOWERS』を聴いたときは暖冬の雪もちらつく2020年の冬だった。
 美しい作品だと思った。僕の音楽的嗜好が多分にシューゲイズ/ドリーム・ポップに寄っていることも関係あるだろうが、後に<和製4AD>(<4AD>は1979年に設立されたイギリスのインディー・レコード・レーベル。本作『FLOWERS』の参考にもされたコクトー・ツインズやペイル・セインツらのリリースで知られる)を掲げて製作されたと聞いて納得した。しばらく夢中になって聴き、本作がこれまでと何が異なるのかを知りたくて、フロントマンの越雲龍馬のインタビューを追った。そう、僕はにわかファンなのだ。僕の本作以前のpollyに対するイメージは<木下理樹(ART-SCHOOL)が激推ししている、ボーカルが尖った発言をするシューゲイザー・バンド>という、あまり印象のよろしくないものだった。僕自身は、本サイト『音楽文』にART-SCHOOLの最新作『In Colors』のレビューを掲載していただいており、ART-SCHOOLの熱心なファンを自認するが、何故、木下理樹がpollyを愛するかはあまり理解していなかった。 1stアルバム『Clean Clean Clean』(2018)は確かに聴いた。しかし、特段の印象もないまま、スルーしてしまった。越雲龍馬は『Clean Clean Clean』に多くの音楽ファンが「無言の結果を出したことに打ちのめされ」(『SPICE』, 2019)たという。僕も打ちのめした一人だ。しかし、越雲龍馬のインタビューをネットで探して時系列に並べ読んだときに、冒頭に書いたように僕は拍子抜けしてしまった。本作のプレス・リリースに掲載されたコメントを読んで欲しい。「花は、嬉しいときに手渡したり、葬儀など別れの時に供えたり、人の門出には必ず添えられるもので”始まりや終わり”は心が大きく動き、喜びや哀しみを与えます。/そういった目には見えないものを形としてあらわし、最大の心を渡せる存在だと思っています。今作は深い場所にある心を、誰かに渡す花のような作品が完成したと思っています」。尖っているどころか、いい人なんじゃないか……。さらにインタビューや記事を読み、CDを実際に購入し、歌詞カードを読み、作詞作曲のクレジットを見てびっくりしてしまった。記事を追って、本作にはTHE NOVEMBERSの小林祐介が全面的にプロデュースで関わっていることは知っていたが、歌詞カードのクレジットを見るに、共作曲まであるのだ。インタビューを読めば、小林祐介にコード進行をもらって、越雲龍馬がメロディーと歌詞をつけるような手法を用いた楽曲もあると知った。戦慄した。過去の尖った発言を見聞きしていた、pollyに対してあまりよい印象を持たない人たちの「もう、それってTHE NOVEMBERSじゃん。笑」という声が聞こえてきそうだ。だが、越雲龍馬は小林祐介に要求した。それは、シンガーとして、メロディー・メーカーとして逃げ道がないことだ。結果的に、THE NOVEMBERSの楽曲になってしまっては元も子もないのだから。越雲龍馬は背水の陣を選んだ。同時に、小林祐介は越雲龍馬の素質や感性を信じた。本稿を読むあなたはどう聴いただろうか。僕は、pollyの楽曲になっていると強く感じた。
 越雲龍馬のメロディーは、J-POPのどメジャー・バンドを連想させる部分もあるくらい、<和>のメロディーだ。2018年のタワーレコードのミュージック・レビュー・サイト、『Mikiki』でのインタビューで越雲龍馬はこう語っている。「父親がフォーク・ソングが好きで、車に乗るといつもかぐや姫や南こうせつが流れていました。ギターを始めたときも、〈ギターやるならフォーク・ソングからやれ〉と口を酸っぱくするほど言われたんです。そこが僕の音楽的ルーツだと思いますね」。意外かもしれないが、その楽曲を聴くと頷かされる。――そして、僕はこの点が『Clean Clean Clean』に対する世間の無関心を呼んだと考えている。つまり、J-POPないし邦ロックのファンには、(英語の文献を読んでまで研究したという)本格的シューゲイズ・サウンドと、可能な限り前に出しているとはいえ、ボーカルをオケに馴染ませる手法はマッチしない。かといって、洋楽リスナー(今どき、こういう言い方は相応しくないかもしれないが、便宜上許して欲しい)には和のメロディーが違和感として現れる。つまり、どの島にも取り付かない孤高の作品になっていたのではないか。
 また、『FLOWERS』に至るまでに、製作状況も変わってきた。越雲龍馬の極めて個人的なイメージを具現化すべく、バンドの雰囲気も意に介さないで前進していくスタイルは限界に近づこうとしていた。『Clean Clean Clean』は、あまりにもパーソナルな衝動を叩きつけたような作品だった。メンバー間の関係性も悪化した。そんな紆余曲折の難しい時期に、小林祐介と話をする機会を持ち、バンドの在り方から変えていく。2019年12月の『SPICE』より引用する。「「この人はこういう言い方だと傷ついちゃうから、どうすれば腑に落ちるような伝え方になるんだろう」ってちょっと言い方を変えたりだったり、伝え方を変えることを考えながらやっていった結果、『FLOWERS』を作るにあたってはバンドの状態や雰囲気、自分の精神的状態はすごく良くなっていきましたね」。一方、時を遡って、2017年の同『SPICE』のインタビューで、インタビュアーが「――すごく平たく言うとワンマンバンドというか」と問うたのに対し、越雲龍馬は「はい。ワンマンですよね。」と答えている。2017年から2019年にかけての爆発的な変化に目を見張る。
 pollyは作品ごとに作風がわかりやすいくらいの変化を見せるバンドだ。1stミニ・アルバム『青、時々、goodbye』(2015)でのUK.PROJECTのバンドらしいサウンド。そこからMy Bloody ValentineやTHE NOVEMBERSを聴き、体得できたものを活かした2ndミニ・アルバム『哀余る』(2016)。上で触れた1stアルバム『Clean Clean Clean』(2018)。そして、2019年の3rdミニ・アルバム『FLOWERS』。ここまで制作当時聴いていたサウンドが作品に表れるバンドも珍しいと思う。普通であれば、戦略的に小出しにしてみたり、カメレオン的変化を示すことに違和感を示すバンドは多い。では、pollyはパクリ・バンドなのかというと、そうではない。上述したように、彼らは体得したものに絶対に自分たちのエッセンスや武器を入れる。端的に言えば、越雲龍馬のメロディーであり、歌詞であり、声だ。ブレているように見えながら、そこには一貫した拘りがある。本作『FLOWERS』をプロデュースした小林祐介(THE NOVEMBERS)は、ART-SCHOOLとの合同イベント『KINOSHITA NIGHT×⾸』(pollyも出演)を前にした、2016年の『Mikiki』でのインタビューで、木下理樹(ART-SCHOOL)に言われた言葉として、次のようなことを語っている。「たぶん理樹さんは完全に忘れてると思うんですけど、僕に言ってくれた一言があるんです。THE NOVEMBERSは美学や美的審美眼みたいなものがずっとブレていないから、逆に〈今作では○○にチャレンジした〉とか〈今作はここが良くなった〉というのが、作品を追うごとにはっきりわかると」。同じことはpollyにも言える。
 前作である『Clean Clean Clean』では、<冷たい音像>を目指したという。美しくはかなくも得られるのはダークで、ネガティヴなイメージだ。それに反して、『FLOWERS』で得られるのは、光のようで、肯定的なイメージ。かといって、メンタリティーまでそっくり手のひらを返したのかというとそうではない。描かれるのは徹底して「別れ」のイメージで、暗い。光と闇は依然としてあり、『Clean Clean Clean』が闇に焦点をあてた作品だとすれば、『FLOWERS』は光に焦点をあてた作品だ。それはまさに、先に引用したように、メンバーへの声のかけ方ひとつで感じ方、見え方が変わっていくように、視点の変化であり、人間性が豹変してしまったわけではない。だからこそ、『FLOWERS』の肯定は自然に響く。
 越雲龍馬は1stアルバム『Clean Clean Clean』リリース以後のエピソードとして、いくつかのインタビューで次のような出来事について言及している。「前作の1曲目の「生活」っていう曲で、〈喜びは絶望です〉だったりとか〈生きるとは喪失です〉ということを書いていて、その作品を、去年亡くなってしまった高校時代の親友の闘病中に渡せなかったんですよね。自信作ではあったのに渡せない自分は何だろう?みたいな想いがすごくあって。自分の本心、もっと深い部分の本心って、こういうことじゃないんだろうなって、そこからはいろんなことに違う焦点をあてはじめて」(『SPICE』, 2019)。
 越雲龍馬の歌詞の書き方として特徴的なことがある。特にボーカルを聴かせながらもJ-POP的な前面への押し出しを控えた『Clean Clean Clean』に顕著だが、「愛」「哀」という同音異義の言葉の使い方など、歌詞カードを見ないと意味を取れない言葉が多い。『Clean Clean Clean』の1曲目”生活”はシューゲイジングなサウンドスケープが美しいが、「わかったんだ/<悲愴+日々=虚無>だったんだ/それはカラの病室の枯れた花束の蜜のよう」の部分を音源のみからはっきりと聞き取れる人はまずいないだろう。対して、『FLOWERS』ではこの種の技法は最小限に抑えられている。1曲目”Starlight Starlight”での「この朱(しゅ)の血が肺を浸すような/この身の志(し)が愛を別つような」「あの陽(ひ)の姿(し)がい朝を溶かすような/あの非の死がいまを満たすような」(括弧付きのルビは筆者によるもの)を音源で聞き分けられる人はなかなかいないだろう。しかし、他の楽曲は驚いてしまうほど、一音一音が意味を運んでくる。それは、越雲龍馬の和のメロディーと極めて親和性が高く、さらにボーカルをぐっと前に押し出した音作りと相まって、びっくりするほどストレートに聴き手に飛び込んでくる。かつて、英国のメロディーに馴染みやすい英語詞で一世を風靡し、ファンから愛を持って<演歌>と呼ばれたOasisのように、日本のメロディーに馴染みやすい日本語詞を乗せる新しいpollyの楽曲群は、『Clean Clean Clean』では届かなかった、J-POP〜邦ロック、さらには洋楽リスナーを統合して愛するようなポテンシャルを持っているのではないか。
 繰り返しになるが、『Clean Clean Clean』から『FLOWERS』への変化は過去と断絶したものではない。タイトルからして『Clean Clean Clean』には”花束”(=FLOWERS)という楽曲があり、「悲愴」「純白」といった共通したワードも多い。ただ、『Clean Clean Clean』の”Birthday”で「純白の「白」の最後」と歌われていた「純白」は、『FLOWERS』の1曲目”Starlight Starlight”で「希望で満たした純白を。」と生まれ変わる。本作『FLOWERS』は2019年の11月にリリースされた。はやかったかもしれない。『Clean Clean Clean』も『FLOWERS』も季節でいえば、<冬>のアルバムだ。しかし、<冬へ向かう>のと<冬において春を待つ>違いがある。『Clean Clean Clean』は枯れる花束だ。『FLOWERS』はこれから咲く花だ。
 出会いや別れに必ず添えられるものとしての<花>。奇しくも、世間では――『FLOWERS』リリース時には想定もできなかった――感染症による卒業式や入学式の中止が相次いでいる。会いたい人に会いたいときに会う、別れる人に別れを告げる。そんな当たり前にできていたことができない社会情勢がある。しかし、依然として、ぼくらはきちんと別れる必要があるときがある。互いのことを想って別れるときもある。別れに至るまでと、別れと、別れの後を受け止める必要があるときがある。そして、ぼくらは別れるからこそ、誰かと出会っていいはずだ。pollyの出演予定だったライブもいくつか中止/延期されてしまった。この未曾有の異常な状況はいつまで続くかわからない。しかし、ぼくらが別れと出会いを想い、それと向き合い、それを切実に必要とするなら、ぼくらが共通して手に取るものとしての<花>がある。越雲龍馬は小林祐介と出会った。そして、pollyはバンド内で音楽集団として出会い直した。pollyの『FLOWERS』はこれまで出会ったことのない層の音楽ファンを一堂に会させるポテンシャルを持った作品だ。ぼくらはここにおいて、そろそろ出会っていいころだ。

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