3165 件掲載中 月間賞発表 毎月10日 コメント機能終了のお知らせ
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

言葉を尽くさず誰かを描くということ

BUMP OF CHICKEN『話がしたいよ』に寄せて

第三者へ誰かのことを伝える時に、確実なのはより多くの情報を描写することだろう。

髪の色、髪型、顔立ち、身長、体格、声音、年齢、どんな服装か、どんな関係か等々。
しかし、BUMP OF CHICKENの『話がしたいよ』の中で「君」に関する情報はたったひとつ、
「ガムと二人になろう 君の苦手だった味」
これだけだ。

具体的な「君」の描写ではない。「君はこの味が苦手だったね」ではなく、あくまでどんなガムか、の説明にすぎないのだ。けれど聞き手はぼんやりとでも、そのフレーズから「君」を想像することが出来るだろう。その味きらい、と首を振る姿や、差し出されたガムを口にして顔をしかめる様子を。
「君の苦手だった味」を覚えている彼を通して、「君」を思い描くことができるのだ。

さらに、ライブでは「夏の終わる匂い」という箇所がこんな風に歌詞を替えて歌われた。

「君の好きな匂い」
「君と覚えた匂い」

このふたつの「匂い」という言葉から、聞き手は何を想像するだろう。

例えば二人並んで歩いた道で、ふわりと嗅いだ金木犀の香り。
テーブルに運ばれてきたカレーの匂い。
お気に入りの柔軟剤の香り。
一緒に立ち寄った雑貨屋で、手に取ったハンドクリームの香り。
育った故郷の町に漂う潮の香り。
部活で汗を流した後の、校庭の土埃の匂い。
夏祭りで見上げた、花火の火薬の匂い。

ガムの味同様、「君」に関しては何も描写されていない。「君」は恋人かもしれないし、友人かもしれない。家族かもしれない。聞き手によって思い描く情景は様々だろう。
そしてそれは自然と、自分の中の記憶を思い起こすことに繋がるのではないだろうか。
自分の思い出の匂いはなんだろう、自分がそれを覚えた時、となりにいたのは誰だっただろう、と。

(作詞をする藤原が「君」と呼ぶ時、それはもう一人の自分、とりわけ過去の自分であることも多いが、「他人同士」と歌われているのでここでは明確な他者と考える。しかし、君=過去の自分と置き換えて聴くとまた違った表情を曲は見せる)

ツアー中のいくつかの公演で、藤原は先の「夏の終わる匂い まだ覚えているよ 話がしたいよ」というフレーズを、こう替えて歌った。

「君と覚えた匂い まだ覚えているよ 忘れたくないよ」

香りと記憶やその時の感情が密接に結びついていることはよく知られている。君の好きな匂い、それを彼は覚えている。覚えたのは同じ時間を確かに共有したからで、紛れもなく“君と一緒にいた”からだ。
そして、忘れられないのはそれが大切だからだ。

「君と過ごした時間をまだ覚えているよ」 ストレートに言えばこうだ。けれど「匂い」という言葉を用いることで、より具体的に、聞き手の記憶にまで訴えかける力を持つ。
「匂い」というこの短い言葉が、どんなフレーズよりも雄弁に「君が大切だ」(あるいは「大切だった」)と叫んでいるのだ。

聞き手は彼の言葉によって、そこに存在しない「君」の姿に思いを巡らせる。
それは彼にとっての大切な「君」であり、またあなたにとっての大切な「君」の姿なのだ。

大切な人との再会を思い浮かべた時、望むことがあるだろう。手を握りたい、抱きしめたい、頭を撫でたい、謝りたい、許したい、叱りたい、認めたい……

そしてきっと

「話がしたいよ」と。

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい